巨人軍の「背番号18」
FA権を行使して、ホークス残留か、ジャイアンツに移籍か動向が注目された杉内俊哉だったが、19日、ホークスに断りを入れ、ジャイアンツに入団の返答をした。杉内はジャイアンツが交渉時に提示した「背番号18」をつけてジャイアンツの一員になる様だ。80年近い歴史を持つジャイアンツのエースナンバー、背番号18はあの伝説のビクトル・スタルヒンを初代とし、杉内で8人目となる。
原沢敦球団代表兼GMは背番号18の先輩である桑田真澄と堀内恒夫から了承を得、原辰徳監督が故藤田元司さんの奥さんから了承を得たという。
杉内はジャイアンツで永久欠番になっていない番号では最も重みのある番号を背負うことになる。
(写真:先代の背番号18、桑田真澄。桑田が2006年のシーズンを最後に退団してからは誰もつけていなかった。2006年8月撮影)
ジャイアンツでは四番を打った選手を「巨人軍第○代四番打者」と表現するが、今季初めて四番を打った長野久義で75人目。当然ながら、この「背番号18」の方が人数は少なく、杉内俊哉は8代目になる。「背番号18」を投手のエースナンバーとするのは日本野球独特の風習で、歌舞伎などの古典芸能で得意な芸を十八番(おはこ)と呼んだことから始まったとされるが、諸説ある様だ。
ジャイアンツ歴代背番号18
ビクトル・スタルヒン(1935年)
前川八郎(1936~1938年)
中尾輝三(1939~1942年、1946~1957年。48~57年は碩志)
近藤貞雄(1946年)
藤田元司(1958~1966年)
堀内恒夫(1967~1984年)
桑田真澄(1986~2006年)
十二球団、さすがに野手で背番号18を付けている者はいない。球団ごとに「背番号18」の重みはもちろん異なる。
例えばドラゴンズでは「背番号18」も代々それなりの投手が付けているが、杉下茂、権藤博、星野仙一、小松辰夫、ソン・ドンヨル、川崎憲次郎らが付けた「背番号20」が実質的なエースナンバーとされている。
ジャイアンツも上記の通り、当然全員が投手である。この中では近藤貞雄が移籍組で、生え抜き選手以外の「背番号18」は杉内が二人目となる。近藤はドラゴンズのコーチとしてまだ徹底されていなかった投手の分業制を推進し、後にドラゴンズの監督としてセ・リーグを制した。またホエールズの監督としては高木豊、加藤博一、屋鋪要といった俊足選手を一番から三番に並べ、「スーパーカートリオ」として売り出すなどアイディアマンとしても知られた。余談だが近藤は2試合だけだが「巨人の四番」も経験しているジャイアンツの第12代四番打者だ。ジャイアンツの歴史でただ一人、「背番号18」と「巨人の四番」を経験した人物だ。
敗戦処理。は約四十年近くジャイアンツファンをしているが、この間ジャイアンツの「背番号18」といったら堀内恒夫と桑田真澄しかいない。永久欠番になった1番と3番を別にすれば、約四十年近くの間で二人しかいない番号など、「背番号18」をおいて他にない。
敗戦処理。がジャイアンツ、というか日本のプロ野球に興味を持ち始めたのはジャイアンツのV9の終わりの時期であるから、堀内は既に投手としてピークの時期。V9の二年目から、新人にして主力投手になると、ON砲を中心とした打線に比べると弱いと言われた投手陣を引っ張っていた。その後、長嶋茂雄監督の時代になり、小林繁、新浦寿夫といった投手が台頭しても、長嶋監督は就任一年目の1975年から四年目の1978年まで開幕投手を任せるなど、「エースは堀内」というスタンスを貫いた。1983年を限りに現役引退し、そのままジャイアンツの投手コーチに就任した。堀内はコーチ一年目の1984年まで「背番号18」をつけていた(入団一年目は背番号21)。コーチになっても「背番号18」を付けていた事を記者から問われた堀内は、先輩の王貞治が選手、助監督、監督と「背番号1」を付け続けている理由を問われた時に「もし僕が他の背番号を付けると言い出したら、巨人軍は背番号1を永久欠番にすると思う。そうすると僕が一人で二つの番号を占めちゃうことになるでしょ。巨人は永久欠番も多いし、練習生とかもいるから、一人で二つの番号を取っちゃマズイだろうと思ってね」と答えていたのを聞いて「王さん、スゲエ!」と思ったことを思い出して「今俺が他の番号を付けて18番を空けても、誰も18番を付けられる選手はいない。それだったら俺が一人で二つの番号を持つ様なものだから、まだ18番を付けているんだ」と答えたのだが、偶然にもその記者が王に同じ質問をした記者だったので王のパクリだとばれてしまったらしい。
PL学園からドラフト1位で入団した桑田真澄は、その指名から入団への経緯で一悶着あったものの(逆に言えばそうまでしてでも欲しい選手)、逸材であることに変わりなく、いきなり「背番号18」を与えられて冒頭の写真の様に現役最終年まで「背番号18」を付け続けた。桑田もジャイアンツの歴史を飾る好投手の一人であることは間違いないが、先輩の堀内やその前の藤田の様な「エース」(唯一無二の存在)であったかというと、斎藤雅樹、槙原寛己との三本柱としてくくられることも多く、些か違和感がある。斎藤雅は二度の二十勝を初め、本当のエースとしての働きをしていたし、槙原には初登板で延長十回を完封勝利に始まって完全試合という栄誉もある。しかし桑田の投球だけでなくフィールディングや打撃、走塁でも見せる野球センスの高さは「エース」の称号を贈られるにふさわしい存在だったと言って過言でないだろう。1995年の右肘の故障と、1990年に発覚した適切でない交際がなければ、正真正銘のエースになっていたかもしれない。
さて、杉内俊哉だ。
ジャイアンツは日本プロ野球界で最も伝統のある球団といわれる。監督は代々生え抜きのスター選手で占められる。同じく伝統があり、古豪といわれるタイガースやドラゴンズにも例外はあるが、ジャイアンツの監督にだけはない。一度他球団に出た経験があるのも藤田元司監督だけだ。かつて清原和博は「今の日本で『第○代目』と呼ばれるのは総理大臣と大相撲の横綱と巨人の四番だけ」と言ったそうだが、そういう格式にこだわる。V9時代には外国人助っ人の獲得も拒否していたほどだ。ファンの数も多いがアンチも多い。そもそも「アンチ○○」が確立されているのはアンチ讀賣くらいである。そんな球団に飛び込み、過去にも実力を発揮しきれなかったFA移籍選手は数多くいるが、杉内はそれに加えて「背番号18」だ。杉内が本当に「背番号18」を背負うとしたら、この上ないプレッシャーを追うことになりかねない。
敗戦処理。は杉内に巨人軍の「背番号18」を与えることに抵抗はない。監督こそ生え抜きのスター選手という伝統が連なっているが、それ以外は近年、外国人選手を含め、他球団で実績を重ねた選手をつぎはぎして常にチームを優勝、もしくは優勝争いに参加できる状態にしてきているのは疑いのない事実だと思うから、今さら「背番号18」を生え抜きでない選手に…等と言うつもりは毛頭無いからだ。ホークスでの十年間、225試合103勝55敗、防御率2.92。二桁勝利6回、最多勝利1回、勝率1位2回、最多奪三振2回、防御率1位1回、最優秀選手、沢村栄治賞各1回のサウスポーを迎えるに当たり、背番号18を与えるにマイナスな面はなかろう。
ただ、よもやではあるが、杉内がホークスで十年間付けてきた47番をジャイアンツでは山口鉄也が付けているから、47番より若い別の番号でというのが初めにありきなら、腑に落ちない。山口より杉内の方が実績では上だから、杉内に背番号47を与えるという考え方があっても不思議ではないが、時あたかもジャイアンツは清武英利前球団代表と係争。「清武憎し…」という発想は根深いにせよ、清武前代表が旗振り役となった育成選手制度で最も成功を収めている山口の背番号を、補強より育成に比重を移しつつあった清武手法を否定する大型補強の典型と言える杉内が背番号まで奪っていっては山口本人のモチベーションはもとより、松本哲也ら他の育成選手出身の選手への影響、また今現在の育成選手への影響も心配だし、ファンからの反発も少なくないとの懸念を考えて打算的に「背番号18」を、敢えて言えば免罪符的に使っている様な気がしないでもない。杉内に「背番号18」を与えるに際して桑田、堀内、藤田といった歴代の「背番号18」の先輩達の許可を取るなどの大袈裟な行為も、清武つぶしのために長嶋終身名誉監督のコメントまで引き出した発想と同じ臭いがし、基本的には賛成だが100%までは肯定できないといった感情だ。
当エントリーに付き合って下さった方、特にジャイアンツファンの方は杉内に移籍早々に「背番号18」を与えることにどんな意見をお持ちだろうか?人によっては澤村拓一に「背番号18」をという声もあるかもしれない。菅野智之の受け入れ体制として用意すべきという意見もあるかもしれない。いやいや堀内や桑田に相当する投手は今はいないよという意見もあるかもしれない。ぜひコメントをお寄せいただきたい。もちろんジャイアンツファン以外の方でも、ジャイアンツを傍観する立場から「巨人軍の背番号18」に関するご意見をいただくのも大歓迎です。
【参考資料】
G OF THE YEAR2011(読売巨人軍)
ベースボールマガジン2006年夏季号「背番号の美学 受け継がれる魂」(ベースボール・マガジン社)
ベースボールマガジン2010年5月号「心をつなぐ『背番号』」(ベースボール・マガジン社)
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コメント
イマジン様、コメントをありがとうございました。
> 自分としては杉内に18番を与えること自体には、異議はありません。
ほう。
> ですが、澤村と(まだ入団してはいませんが)菅野に競争させるつもりで18を残していたのに杉内に簡単に渡してしまって…
球団は澤村になんと言うつもりなんでしょうか?
澤村と菅野の件は初めて聞きました。
澤村がかなりレベルの高い投手だというのは素人の私にでもわかります。もう一年やって、より高い成績を残せたら「背番号18」というのもアリだったと思います。
ただ、このタイミングだとやはり杉内でしょうね。
こういうのはタイミングでしょうね。
私がジャイアンツファンになってから、個人的にジャイアンツのエースと呼べるのは堀内、江川、斎藤雅、上原の四人。
このなかで実際に「背番号18」をつけたのは堀内だけ。
難しいですね。
投稿: 敗戦処理。 | 2011年12月21日 (水) 01時19分
自分としては杉内に18番を与えること自体には、異議はありません。
まあ正直杉内には21番を与えるという話を聞いていたので、実際着けるのは21で18番は数ある内の一つだと思ってました。
ですが、澤村と(まだ入団してはいませんが)菅野に競争させるつもりで18を残していたのに杉内に簡単に渡してしまって…
球団は澤村になんと言うつもりなんでしょうか?
投稿: イマジン | 2011年12月21日 (水) 00時25分