東都大学野球2011決算号
年末恒例の、ベースボール・マガジン社から発行される「ベースボール・レコード・ブック」を買いに行った地元の書店で、冒頭の写真の一冊を見つけた。ベースボール・マガジン社は東京六大学野球を中心として大学野球界を一括りにして春秋のシーズンに合わせた展望号なり決算号を出しているが東都大学野球に限定したものが出るとは驚きだ。今年は東都大学野球連盟にとって創立80周年に当たるが、80周年記念特別号「東都大学野球80年の軌跡」は別途発行されている。
これは興味津々、「ベースボール・レコード・ブック2012」と併せて「東都大学野球2011決算号」も購入した。
(写真:ベースボール・マガジン社から発売中の「東都大学野球2011決算号」。まだ店頭にあるということは売れ行きが芳しくない<冗>?)
セ・リーグとパ・リーグに贔屓球団を持ち、イースタン・リーグにも興味の対象を拡げている敗戦処理。は正直、アマチュア野球にはアンテナを伸ばしていない。ただ大学野球に関しては東京六大学よりは東都大学野球に思い入れが強い。東京六大学と同じく東京を拠点としてリーグ運営をしていながら、常に東京六大学野球の影の様な扱い。同じ神宮球場をホームグラウンドにしている関係もあって、土日はもちろん、平日までも優先権を東京六大学に抑えられながらやりくりする姿は、あたかもかつて後楽園球場、東京ドームをホームグラウンドにしていながらジャイアンツ優先のスタンスに翻弄され続けたファイターズのイメージとダブる。実際最近ではあまり言われなくなった「人気のセ、実力のパ」と言うフレーズをもじって「人気の六大学、実力の東都」と負けず嫌い的に言うファンも少なくない様だ。
それゆえにベースボール・マガジン社とはいえ、単独で決算号を出してくれるとはありがたいものだ。80周年記念とある通り、秋季リーグだけでなく、春季リーグにもある程度触れている。表紙をめくると、優勝決定戦にまでもつれた秋季リーグを制した亜細亜大学のフォトがあり、ついで東洋大学からマリーンズ入りする藤岡貴裕の特集。そして今秋のプロ野球ドラフト会議で指名された東都大学野球連盟所属選手および出身で社会人などから指名された選手8人の一覧。来年のドラフト会議で話題になること必至の亜細亜大学東浜巨の特集と続く。その後は各大学ごとの秋季リーグの総括。二部の主要大学の総括、三部と四部の優勝チームの足跡、各部間の入れ替え戦の詳報など。
12月18日に東都大学野球連盟創立80周年の記念式典が行われ、渦中の中畑清監督(駒澤大学出身)が出席したことでスポーツ紙などに取り上げられたので記憶しておられる方もいるかもしれない。式典は当初11月20日を予定しており、プロ野球で活躍する東都大学野球連盟所属大学のOBチームと現役学生選抜の記念試合も行われる予定だったが、東日本大震災を受けて日程変更されたプロ野球日本シリーズが、神宮球場を本拠地にするスワローズのホームゲームに使用する可能性が出たために、日程的に重なる明治神宮野球大会をずらす対応を取ったため、上記日程で記念式典を行えなくなったのだ。藤岡や東浜と、村田修一、長野久義、松田宣浩、阿部慎之助、新井貴浩らとの対決を観ることが出来たかもしれなかった…。
余談だが十年前の2001年に70周年を記念して同等の対戦は行われており、日大の主砲だった村田修一がプロの投手(ジャイアンツの佐藤宏志)から本塁打を放つ活躍をした。村田の他には稲田直人(駒澤大→ファイターズ、ベイスターズ、ゴールデンイーグルス)、前田大輔(駒澤大→ブルーウェーブ・バファローズ)、永川勝浩(亜細亜大→カープ)らが現役学生選抜のメンバーで出場していた。村田は当時三年生で既にマスコミの注目を浴びていた。この試合で本塁打を含む三安打とプロの投手に対して結果を出していたので敗戦処理。は当時出没していた@niftyのベースボールフォーラムのジャイアンツファンが集まる掲示板で「松井が来年FAで抜ける様なら村田を獲得すべし」と唱えたのだが、翌年松井秀喜がFAで大リーグ挑戦を表明していたにもかかわらずジャイアンツが自由獲得枠で獲得したのは亜細亜大学の木佐貫洋、東海大学の久保裕也の二人だった…。ジャイアンツは敗戦処理。が村田を獲得して欲しいと思うと獲得せず、獲得しなくても良いと思うと獲得する…<苦笑>。
東都大学野球はよく「戦国東都」といわれる。東京六大学野球にはない、下部リーグを持ち、一シーズンごとに各部の最下位と下部リーグの優勝チームの入れ替え戦が行われ、毎季ごとに入れ替えの危機にさらされる。そして特に近年、まさかと思う様な強豪校の一部から二部への陥落が実際に起こっているのだ。先述の「人気の六大学、実力の東都」と主張する層が「実力の東都」とこだわる所以はこの入れ替え戦システムにある。顔ぶれが固定されている東京六大学に比べて、ライバル意識が激しく、常に競争意識の中に置かれているから自ずと力が付いてくるから東都の学校は伝統(歴史)で優る六大学の学校に劣らないとの論拠である。ちなみに東京六大学野球は六年前に創立80周年を迎えた。
実際、東京六大学野球と東都大学野球のどちらがレベルが高いかは一概に言い切れるものでは無いだろう。早稲田、慶応を筆頭に伝統の力で高校野球の逸材を引っ張ってくる吸引力においては六大学に一日の長がある様に思える。ただ当blogでも取り上げたことがある桑田真澄や吉村禎章の不誠実な対応のせいで東京六大学の学校がPL学園の部員を敬遠する傾向があってからは東都大学野球連盟の学校に優秀な逸材が集まりやすくなったのは確かな様だ。
今秋のドラフト会議では、先述の東洋大学の藤岡の他、首都大学野球連盟に所属する東海大学の菅野智之、東京六大学野球連盟に所属する明治大学の野村祐輔がBig3と言われた。三人が三人とも所属リーグが異なるため、彼らの登板試合を観ようと思ったファンは大変だったろう。ちなみに首都大学野球連盟は六大学や東都と比べると歴史が浅く、2004年に創立40周年の記念試合をしていたから、両連盟の半分くらいの歴史だ。
余談だが2004年に東京ドームで行われた首都大学野球連盟創立40周年記念プロアマ交流試合は首都大学野球連盟に所属する大学のOBの現役プロ野球選手によるチームと、現役学生の選抜チームとの親善試合だったが、OBチームの監督を原辰徳が務め、現役の学生選抜チームを原辰徳の父である原貢が務めた。OBも現役も東海大学が大半を占め、首都大学野球連盟の歴史は事実上東海大学野球部の歴史に近い感じがし、原貢総監督が絶大な権力を持っていることを連想させた。
実は敗戦処理。はこれだけ東都大学野球を持ち上げておきながら、最後にリーグ戦を生観戦したのはジャイアンツのドラフト候補としての阿部慎之助を観るために中央大学の試合を観たのが最後だ。もう11年前になる。最大のネックは火曜日から木曜日という平日に原則開催されるという点だ。小久保裕紀や井口資仁(当時は忠仁)を目当てに観に行ったのは遙か昔。阿波野秀幸や与田剛、佐藤和弘(パンチ佐藤)、斎藤学、和田豊、河野博文、長富浩志、古川慎一、南淵時高らが神宮球場で暴れまくっていた頃に最も熱くなっていた。
東京六大学と同じように総当たりのリーグ戦で、一カードで先に二勝したら勝ち点1というシステムも同じ。ただ、同じ神宮球場をホームグラウンドにしているために、原則火曜日から始まるのだが、土曜からスタートする六大学野球が雨などで順延したり、引き分けで決着が付かなかった場合には最長で水曜日まで六大学に優先権がある。もちろん早慶戦に重なろうものなら、優勝争いに絡んだ試合だろうと有無を言わさず神宮第二球場に移動させられる。観客の数も六大学に比べると圧倒的に少ない。それでも東都大学野球に愛着を感じていたのだ。
来年、東浜でも観に行きたいものだ。今春、菅野目当てで東海大学の試合を観に行ったら、対戦相手の日体大の投手も気になった。その投手はドラフトでドラゴンズに指名された辻孟彦だ。そういう意外な楽しみもある。ゴールデンウイークあたりに亜細亜大の試合が組み込まれるといいな…。
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