【プロ野球戦力外通告】クビを宣告されなかった男
木田優夫の現役続行は万々歳だ。今季は大半が二軍暮らし。年齢を考えれば戦力外通告を受けても不思議ではない。ましてファイターズはこのオフ、新しい監督を迎えた。球界の慣例として、監督が替わると人心一新とやらで、ベテラン選手(と外国人選手)が機械的に斬られることがよくある。ところが木田は同じく超ベテランでコーチ兼任の中嶋聡とともに、来季も現役続行だ。中嶋は阪急ブレーブスに所属した最後の現役選手ということでブレーブスファンの心の拠り所となっているが、実は木田は田中幸雄引退後、唯一の、後楽園球場を本拠地にしたプレイヤーだ(後楽園球場最後の1987年にジャイアンツ入団。ただし一軍デビューは東京ドームになってから。後楽園球場でプレイしたことがあるのは工藤公康の引退表明で山本昌だけとなった…。)。
ただ、現役続行と言っても紆余曲折がある。ファイターズはこのオフ、木田に対し、野球協約で定める減額制限を超える提示になることを事前に通知した。木田の推定年俸は1億円に満たないので25%を超える減額提示を拒否することが出来るが、球団は木田に減額制限を超えることを前提に契約更改交渉に応じるか、他球団と交渉できる自由契約選手になるかの二者択一を迫った(選手会との申し合わせにより、こういう事態で選手が自由契約となって他球団と交渉が出来る様に、野球協約が定める減額制限を超える減俸の提示をする際は、戦力外通告をする期限に準じた時期にしなければならない。端折って言えば1回目のトライアウトの前)。ファイターズはこのオフ、木田以外に八木智哉、菊地和正、林昌範に対して同等の措置を行ったと言われている。木田と八木は球団に残る道を選択し、菊地と林は自由契約を選択した。幸いなことに菊地と林はともにベイスターズ入りが決まった。また昨年、多田野数人は同様の過程でいったん自由契約となり、トライアウトを受けて他球団での現役続行を模索したが契約がまとまらずファイターズと再契約することになった。
木田は今季の年俸推定2,500万円から1,200万円へのダウンをのんだ。ドラフト1位の即戦力の期待が高いルーキーなら1,500万円になる時代。ファイターズでも菅野智之が入団していたら木田の来年の年俸を超えていただろう。木田は今年もクリスマスイブの夜に、「明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー2011」(フジテレビ系)に出演した。番組冒頭の紹介で明石家さんまから「男のプライドがあるならやめてるはず…」と茶化されていたが、あくまで現役にこだわる姿に来季も一層の応援をしたくなった。冒頭の写真の様に、大半がファーム暮らしだった昨年、シーズン終盤のイースタン・リーグ優勝を争ったジャイアンツ球場での古巣ジャイアンツ戦の試合後、木田は単身、ジャイアンツベンチに歩み寄り、球団職員としばし会話。その後放送席や関係者席が並ぶところをのぞき、また職員と会話していた。
その様子は寂しく、見守っていた、残っていたファイターズファンからは「まさか…」という声が飛んだ。
今季の木田は8月に10日間だけ一軍に登録された。直前にファームで際立って調子が良かったとは思えなかった。昇格直前の登板ではリリーフでワンアウトも取れず3失点だった。しかし一軍がちょうど13連戦が組まれていた時でリリーフ陣の負荷を軽くするための増員だった。8月3日のマリーンズ戦で3点ビハインドの九回表に登板すると三者凡退に抑え幸先の良いスタートを切り、二試合目の登板となった10日のライオンズ戦でも中継ぎで安打と四球の走者を許したが1イニングを無失点と好投したが、連投となった翌11日の同カードでは最初のイニングに2失点し、2イニングで2失点だった。3試合で勝敗無し。4イニング投げて自責点2で防御率は9.00だった。翌12日に多田野と入れ替わって二軍落ち。これが今季の木田の一軍での全投球。ちなみに木田は一軍昇格までにイースタン・リーグですべてリリーフで27試合に登板していたが、二日間連投したのは二度だけだった。結局イースタン・リーグでは31試合に登板し、1勝3敗5S、防御率3.95だった。
若手に切り替えたいチームなら、二者択一ではなく戦力外通告だったろう。そもそも2009年シーズンにスワローズから戦力外通告を受けた木田をファイターズが獲得したこと自体が驚きだった。スワローズから戦力外通告を受けた時点で41歳。2009年はファイターズがリーグ優勝を達成した年で、それほど逼迫したチーム状態ではなかっただけに、木田獲得は嬉しい半面、何で?という疑問も残った。ましてや当時のファイターズは合同トライアウトにもろくに編成マンを派遣しないほどだった。全く行かない訳ではなかったが、行くにしても他球団がどんな選手に目を付けるかを視察に行くというレベルだったそうだ。木田はアメリカ大リーグでもプレイ経験があるから、そのあたりの経験を買って将来的に…という想像も成り立つが、ファイターズには先に吉井理人コーチや多田野がいる。方針転換しての獲得が新鮮だった。
そして昨年は開幕一軍入りを果たし、試合中盤のリリーバーとしてチームを救ってきたし、間隔を空けての先発でも貫禄を見せた。成績的には尻すぼみであったが、今季、再挑戦という形だった。
ただ、今季何試合かイースタン・リーグでマウンドに上がったのを観たが、残念ながら期待に応えられないマウンド姿が多かった。接戦の終盤に登板し、いきなり長打を浴びてピンチを迎え、その走者を還してしまう…。
チームの優勝争いが熾烈になって行くにつれて木田が出ていた場面を菊地やルーキーの乾真大、榎下陽大にとってかわられるようになっていった…。ベテラン選手が隅に追いやられる典型的なパターンかと思えた。
木田は来年も現役選手としてプレイするのだから、来年は鎌ヶ谷でなく一軍で戦力となって欲しいし、同学年の中嶋兼任コーチとのバッテリーもぜひ見てみたい。
この二年間では昨年のオープン戦で実現したが、公式戦では実現していない。昨年の時点で最年長バッテリー実現かと話題になったから、来年初めて実現すればもちろん最年長記録だ。
そして、現役選手に対して過去を振り返るのは失礼かもしれないが、ジャイアンツファンでもある敗戦処理。にはジャイアンツ時代の木田優夫も忘れられない。
ジャイアンツ時代の、ストレートのスピードとフォークのキレだけで勝負していた様な、典型的な勢い任せの投手だった時代を知る敗戦処理。にとっては本当によくここまで長きにわたり活躍していると思う。
実は木田は投手として長く活躍している割に、二桁勝利は1990年の一度しかない。セーブを二桁挙げたのも、ブルーウェーブ移籍初年度の1998年だけだ。入団四年目でブレークした年のことははっきり覚えている。開幕第二戦、前日の開幕戦も延長戦の死闘を制したジャイアンツは二日続きの延長戦。当時のルールは延長戦は15回までで引き分けなら再試合。開幕戦の延長イニングに主だったリリーフ投手をつぎ込んでいたジャイアンツは若い木田に延長のイニングを託し、打順が回っても代打を送らなかった。ところがそれが奏効し、木田は金沢次男からサヨナラ本塁打を放った。投手によるサヨナラ本塁打はその後二十年を超えて出ていない。木田は通算3本の本塁打を放っており、現役の投手では最多(2本打っているのも福原忍だけ…。)だ。この年は32試合に登板。内17試合が先発で13完投。残る15試合のリリーフはすべて最後を締めくくる交代完了で、12勝8敗7Sで防御率がリーグ3位の2.71。イニング数とほぼ同じ182奪三振はこの年のリーグトップと、申し分のない成績でジャイアンツのリーグ優勝にも大きく貢献した。先発にリリーフにフル回転と、若かったとは言え、こういう使い方をされた投手は1990年代前後でも珍しい。が、以後はどちらかというと便利屋扱いが続いた感じだった。
結果的にはチームにとって便利屋的に使えるという点が、ここまで現役生活を長続きできている秘訣なのかもしれない。
木田の半分くらいの年齢で、戦力外通告を受ける選手もいる。それを考えたら、木田には一年でも長く現役生活を続けて欲しい。来年もファイターズでプレイすることになるが、来年以降さらに現役続行にこだわれば別のチームでということもあるかもしれない。もちろん、そうなったとしても敗戦処理。は木田にエールを送り続けるだろう。でもその前に、来年、鎌ヶ谷でなくファイターズの一軍で投げる木田を観たい!
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
長緯様、コメントをありがとうございました。
> 自分も敵味方なく好きな投手です。1990年の開幕シリーズは、ギャオス内藤から打った篠塚の疑惑のホームランもですが木田のサヨナラホームランも強く印象に残っています。多彩な経歴を経てその因縁のスワローズに入団し、ここで現役を全うするかと思われたのですがファイターズが獲得し、今でも現役を続けている姿を見られるのは嬉しいことです。
私もスワローズから戦力外になった時に、もう終わりかなと思いました。
実はその前の年の、夏場くらいでしたかね…木田がスワローズのファームで突然先発ローテーションで投げ始めて、「何でまた?」と思いました。
そうしたらその翌年、40歳にして開幕で先発ローテーションに組み込まれたのですよ。
残念ながら長続きせず、結局そのシーズン限りでスワローズから戦力外通告を受けてしまうのですが、まさかファイターズが食指を動かすとは…
> 大選手でも名選手でもなく、おっしゃるように安い年棒でも地道に長く、なんとなく楽しみながら現役を続ける感じのする木田投手は本当に野球が好きなんだなと思います。
年齢を考えると、いつでも行かなければならないリリーフより、先発ローテーションの谷間を埋めるポジションの方が貢献出来るような気がするのですよ。
ひそかにダルビッシュが抜ける場合の先発補充要因を狙っているかも…<笑>
投稿: 敗戦処理。 | 2011年12月29日 (木) 15時14分
自分も敵味方なく好きな投手です。1990年の開幕シリーズは、ギャオス内藤から打った篠塚の疑惑のホームランもですが木田のサヨナラホームランも強く印象に残っています。多彩な経歴を経てその因縁のスワローズに入団し、ここで現役を全うするかと思われたのですがファイターズが獲得し、今でも現役を続けている姿を見られるのは嬉しいことです。
ジャイアンツ時代には「ファウルボールにご注意ください」で木田画伯の描いた川相選手の似顔絵がビジョンに映し出されるのが楽しかったです。
大選手でも名選手でもなく、おっしゃるように安い年棒でも地道に長く、なんとなく楽しみながら現役を続ける感じのする木田投手は本当に野球が好きなんだなと思います。
投稿: 長緯 | 2011年12月28日 (水) 23時58分