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2012年2月 8日 (水)

元ファイターズ「エース」の現役引退

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Cdsc_0047 2月になってプロ野球のキャンプが始まって、週刊ベースボールの選手名鑑号が発売。こうして徐々に球春が近づいてくるのだが、一方で昨シーズンを最後にユニフォームを脱いだ元プレイヤー達が寂しさを最も痛感するのもこの時期だという。

昨シーズン後、すぐに現役引退を決意した選手は東山紀之のナレーションで惜しまれることもなくスポーツ新聞の片隅にひっそりと名前が出るくらい。ファイターズの元エース、信濃グランセローズから現役引退を表明した金村曉もそんな一人。

(写真:金村曉、ファイターズで最後の登板となった20078月の千葉マリンスタジアム。金村が降板して微妙な空気が漂うマウンド<>と、12失点を示すスコアボード<>

CS放送で十二球団の全試合を放送する様になって解説者の口は増えたが、解説者一人当たりの、解説できる試合数は増えない。一部の元スター選手以外は中継一回いくらの契約が多いそうだから、CS局の野球解説者の座を射止めたとしても、安心できるわけではないようだ。金村は古巣ファイターズ戦の中継が多いGAORAの解説者におさまった様だが、近い将来に指導者として野球界に復帰したい意向があるとのことなので、解説の傍ら自らも勉強するシーズンになりそうだ。

金村はファイターズの「エース」として2006年のリーグ優勝、日本一に貢献しているが、投手としてのピークはファイターズが東京ドームを本拠地としていた時代だろう。1998年に防御率一位のタイトルを獲得したが、故障が多く、年間を通して安定した成績を残す様になったのは21世紀に入ってから。

Cdsc_0103103 2002年から二桁勝利を続け、ファイターズが北海道に移転した後も2004年、2005年とエースとして君臨していた。しかし2006年、チームが25年ぶりのリーグ優勝を目前としたマリーンズ戦のマウンドで、自らも五年連続の二桁勝利がかかるなか、勝利投手の権利目前の五回裏二死に降板を命じられ、ブチ切れてトレイ・ヒルマン監督を批判してしまい、罰金、登録抹消などの処分を受けた。それでも日本シリーズで復帰登板を果たして好投し日本一に貢献したものの、この年に「大エース」としての片鱗を見せ始めたダルビッシュ有と入れ替わる様に存在感を薄くしていった感がある。

2007年にはダルビッシュと外国人のライアン・グリンに完全に取って代わられた。問題の監督批判の時以来の千葉マリンスタジアム登板となった200784日。金村は立ち上がりからマリーンズ打線に捕まった。普通なら二回か三回でKOなのだが、翌日の試合に先発予定の吉川光夫の体調が万全ではなく継投を余儀なくされるため、この試合にリリーフ陣を温存したいベンチの思惑があって結果金村はさらし者になった。五回裏二死、12失点してようやく交代が告げられると、冒頭の写真のように佐藤義則投手コーチとほとんど言葉を交わさずにマウンドから降りた。奇しくもあの時と同じ千葉マリンスタジアム、同じ五回裏二死…。

Dsc_0020 翌日登録を抹消された金村はイースタン・リーグで調整登板を重ねるが、ファイターズが二年連続リーグ優勝してクライマックスシリーズや日本シリーズに駒を進める中、ついに一軍のマウンドに上がることはなかった。

この8月4日の試合は敗戦処理。の在京のファイターズファン仲間と大挙して千葉マリンスタジアムに詰めかけたので強烈な印象が残っている…。

そのオフ、ファイターズは金村をトレードに出した。通算88勝、四年連続二桁勝利、防御率1位のタイトルホルダーの31歳の交換相手はタイガースで五年間で29試合に登板して32敗という29歳の左投手、中村泰広だった。その後金村はタイガースで三年間プレーしたものの、かつての輝きはなく、2010年を最後に戦力外通告を受け、紆余曲折を経て昨年はBCリーグの信濃グランセローズでプレーした。

身から出た錆とはいえ、金村はあの発言から野球人生を変えてしまった形になった。ただ、厄介払いの様にトレードされたとは言え元エース。岩本勉が安定感を欠き、ダルビッシュが大エースになるまでの間、間違いなく金村はファイターズ投手陣の「エース」だった。

ファイターズが北海道に移転して8年のシーズンが経過した。完全に北海道のファンと一体化したチームになった。北海道新聞には毎週火曜日に「がんばれファイターズ」というコラムが連載されているが、1月24日に掲載されたテレビ北海道アナウンサー、大藤晋司氏は今季から大リーグのレンジャーズでプレーするダルビッシュ有に惜別の文章を書いていたがその中で、

後世、北海道移転以降のファイターズの歴史書が作られるなら、「その草創期は、ダルビッシュの時代である」と記されるでしょう。一時代がきょう、1月24日を持って幕を閉じ、新たな時代に移行します。

と書いている。確かに大藤氏がことわっているとおり、北海道移転以降であれば、その通りだろう。だが敗戦処理。のような後楽園の時代からのファンにとっては、ダルビッシュへの感謝の念を忘れることがないのはもちろんだが、ファイターズというチームは2004年に北海道に突然誕生したチームではない。そこに至るまでの苦難の道のりにも可能な限り光を当てたい。金村だけではない。ダルビッシュもSHINJOも、ましてや斎藤佑樹もいない不人気球団で目一杯根アカなキャラをはじけさせて道化役を買って出た岩本勉や、照る日も曇る日もこのチームでバットを振り続けた田中幸雄、FAで自らの意思で球団を飛び出したとは言え在籍期間に群を抜く存在感を放った片岡篤史小笠原道大。歴史を遡れば、もっともっと多くの名前が出てくる。

長らく低迷していたチームがようやく栄光をつかむ時、低迷期間を支えてきた存在がもう力尽きている例はいくつかある。カープが1975年に初優勝を果たした時、長年チームを支えてきたエースの外木場義郎20勝を挙げて初優勝に大きく貢献したが、カープが初の日本一に輝く1979年を最後に現役を引退した。

その1979年にパ・リーグで初優勝した旧バファローズには鈴木啓示という「大エース」がいた。鈴木はこの当時本格派から技巧派への転換期で苦しんでいた。西本幸雄監督は鈴木のプライドを尊重しながらも、井本隆を日本シリーズ第一戦に先発させるなど全幅の信頼を置くと言うほどではなく「大エース」と心中することはなかった。鈴木はその後も技巧派としてマウンドを守り続けるが、日本シリーズという大舞台での活躍はならなかった。

金村もこの両投手と比べると実績でははるかに劣るが、ファイターズ投手陣を支えていながら、一番輝くべき時期にはもう下降期だった。

外木場に関してはこのオフ、津田恒実北別府学が野球殿堂入りを果たした時に外木場の名前が殿堂入りの一覧にないのを知って驚いた。万年最下位に近い状態のチームでいくら孤軍奮闘をしても野球殿堂入りの栄誉にはたどり着かないのか…。

話がいろいろと飛んだ。どの球団も、過去があって今日がある。そして未来へと続く。今日も明日には過去になる。長く語り継がれる人物がいる一方で、その前にその土壌を築いた人物を敗戦処理。は出来るだけ忘れない様にしたいと思っている。

過去の経緯を考えると金村が指導者としてファイターズのユニフォームを着る日が来るのか微妙だが、たとえそれが実現せずに歳月が経とうと、金村曉がダルビッシュ以前にファイターズに残した足跡は色褪せるものでは無いはずだ。

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コメント

えふひとすじ様、コメントをありがとうございました。

> 東京時代からのファンの思いを代弁していただきいつも感謝です。
東映時代があっての日ハムで、東京時代があっての現在だと。

そうですね、これは基本です。

> 金村投手が指導者として復帰するためには、やはりあの「事件」の総括をしないといけないでしょうね。反省する、今もなお間違っていない、いずれにせよしっかり表明しないと、指導者としていつか同様の場面に直面したとき、選手を納得させられないのじゃないかと思います。

まさしくその通りだと思います。

選手に批判されたら云々ではなく、選手の技術的な悩み、メンタル面での悩みに対処出来るか否か、同じ事を言っても説得力が違いますからね。

それにしてもタイガースの金村って印象薄かったですね。一度ジャイアンツ戦で小笠原と対戦するシーンを観ましたが正視に耐えませんでした。記憶では四球だったと思いますが…。

投稿: 敗戦処理。 | 2012年2月11日 (土) 17時50分

こんにちは。
東京時代からのファンの思いを代弁していただきいつも感謝です。
東映時代があっての日ハムで、東京時代があっての現在だと。
さて金村投手が指導者として復帰するためには、やはりあの「事件」の総括をしないといけないでしょうね。反省する、今もなお間違っていない、いずれにせよしっかり表明しないと、指導者としていつか同様の場面に直面したとき、選手を納得させられないのじゃないかと思います。

投稿: えふひとすじ | 2012年2月11日 (土) 12時01分

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