埼玉西武ライオンズが故稲尾和久さんの背番号24を永久欠番に!
埼玉西武ライオンズが、前身の西鉄ライオンズ時代の大エースにして、「神様仏様稲尾様」とあがめられた故稲尾和久さんの背番号24を永久欠番にするという。毎年恒例の「ライオンズクラシック」の一環で稲尾さんの背番号24を全選手がつける試合も実施するという。
西武ライオンズは長らく堤義明初代オーナーの方針で、西鉄ライオンズを始めとする、福岡時代の前身球団とは一線を画するチーム方針をとってきたが、2008年の「ライオンズクラシック」企画開始以降は積極的に過去を振り返る姿勢を明らかにしていた。
稲尾さんの背番号24が永久欠番になれば、パ・リーグでは元近鉄バファローズの鈴木啓示の背番号1が永久欠番になって以来だが、球団合併によって消滅してしまったので事実上パ・リーグでは唯一の永久欠番と言って差し支えないだろう。
(写真:2008年のライオンズクラシックで功績を振り返られた稲尾和久さん 2008年8月撮影。スコアボードの得点表示は見なかったことにしよう…。)
“事実上”と書いたのは、実際には選手、コーチ、監督としてユニフォームを着たわけではないファイターズの大社義規オーナーの功績に対してファイターズ球団が背番号100を永久欠番にしていたり、マリーンズやゴールデンイーグルスがファンとのコミュニケーション上、永久欠番と見なすような背番号を設定しているからだ。
稲尾和久さんの功績に関してはここでは細かく触れないが、1961年のシーズン42勝を始め、1958年のジャイアンツとの日本シリーズでの三連敗後の四連勝に貢献した獅子奮迅の活躍など数え切れないほどの金字塔を達成している。現役時代はライオンズ一筋で、引退後もライオンズで監督を務めているから永久欠番になっていても不思議ではないのだが、ライオンズ球団が後に身売りを経験したこともあってか、その措置が取られなかった。
これはしかしライオンズに限ったことではなく、セ・リーグに比べて親会社の身売りが多いパ・リーグでは前出の鈴木啓示以外、永久欠番となった選手はいない。川上哲治や長嶋茂雄、王貞治ら六人もの永久欠番を残しているジャイアンツを始め、タイガース、ドラゴンズといったセ・リーグの老舗球団に集中していることからも明らかだ。
西武ライオンズの堤義明初代オーナーは、球団経営に携わる前からアイスホッケーチームを保有し、日本のアマチュアスポーツ界に君臨しており、金は出すが口は出さないオーナーではない。傘下の球団にもあるべき姿を求めた。旧西鉄ライオンズが晩年に選手の八百長事件、いわゆる黒い霧事件を起こした事を重く見、旧西鉄カラーを一掃しての新チームを目指した。「ライオンズ」という伝統ある名称こそ残したものの、故手塚治虫氏の人気漫画キャラクターのレオをマスコットにし、同じ「ライオンズ」でも別の「ライオンズ」にするとともに、新天地の埼玉県はもとより新しいファンに新鮮さと親しみやすいイメージを浸透させた。
堤初代オーナーは今のジャイアンツの渡邉恒雄会長も真っ青のワンマンだったから、オーナー君臨時代は福岡時代のライオンズの歴史が球団史の一部として扱われることは全くといっていいほど無かった。埼玉西武ライオンズとなって「ライオンズクラシック」を始めたのも同オーナーの失脚後だ。
2008年からスタートした「ライオンズクラシック」は、2008年が西鉄黄金時代を振り返る企画で、2009年は西武ライオンズの最強時代を振り返るもの。2010年には西鉄の後を引き継いだ太平洋クラブライオンズを特集した。となると2011年はクラウンライターライオンズかと期待させたが、西鉄黄金時代を率いた名将三原脩さんの生誕100周年を記念して故三原脩さんをクローズアップした。
ちなみに今年は稲尾さんの生誕75周年に当たるという。そこで稲尾さんの功績を振り返るということなのだろうが、単なる一貫性のイベントに終わらせないため、稲尾さんの背番号24を新たに永久欠番に制定し、日本球界では初めてとなる、全員が同一の背番号を付けて試合に臨む企画を実施するのだろう。趣旨としては素晴らしいと思う。
今回のニュースに対し、何故このタイミングで?というファンの声をネットで多く見かけた。西武ライオンズが埼玉西武ライオンズになるまでの経緯を振り返れば理解するファンも少なくないのではないか。
個人的には埼玉西武ライオンズ球団として、本当に西鉄ライオンズ時代を総括するのであれば、ライオンズクラシックの中で「黒い霧事件」を扱うべきだと思う。2008年の西鉄ライオンズ時代を振り返る企画の中では一部で西鉄時代の晩年の衰退ぶりにも触れたと言うが、微々たるものだったらしい。稲尾さんや中西太らが大暴れし、三原魔術でパ・リーグのライバルチームや日本シリーズでジャイアンツを蹴散らした姿だけが西鉄ライオンズではない。球界に存亡の危機をもたらしかねなかった「黒い霧事件」を、同じく伝統球団であるジャイアンツの契約問題がとやかく言われている年に総括するのも、今後プロ野球界で不正なことが行われないようにとの決意も含めて意義のあることだと敗戦処理。は思う。
そしてそうした、良い時代も悪い時代も振り返った上で、稲尾さんに遅ればせながら永久欠番の名誉を与えるのが筋ではないかと思うし、稲尾さんの背番号24を永久欠番にするのなら中西氏の背番号6や故大下弘さんの背番号3もという声も当然出るであろう。
まさかとは思うが、今年は稲尾さんの背番号を永久欠番にし、来年の「ライオンズクラシック」では中西氏の…などと考えているのなら、断固反対だ。完全に商売、プロモーションの一環として西鉄時代の栄光を切り売りしているようで不愉快だ。まさかはまさかのままであって欲しいものだ。
昨日(27日)、テレビ朝日の報道ステーションのスポーツコーナーで長嶋一茂が担当する宮本慎也の特集があって中西氏がVTR出場していた。宮本は中西氏にスワローズの臨時コーチとして打撃の指導を受けて以来、好打者として成長したそうだが、映像の中で中西氏は立って身振り手振りで打撃理論を説明していた。79歳とのことだが、お元気そうでなによりだ。ただ高齢であることに変わりはないので、永久欠番として讃えるのであれば、出し惜しみせず早い方が良い。
そして出来れば、これをきっかけに、各球団は経営母体が異なる時代に遡って永久欠番を今からでも追加して欲しいと思う。特にオリックス・バファローズには後藤光尊の背番号1を返上して鈴木啓示の背番号1を再び永久欠番にするとともに、福本豊の背番号7、山田久志の背番号17を永久欠番と制定して欲しい。それをせずして、阪急ブレーブスや近鉄バファローズを復刻するなどと安直に考えないで欲しい。
ところで、今回の稲尾さんの永久欠番の件に触れて、ツイッターで「短い間ですけど永久欠番だったみたいですが」との指摘を受けた。指摘通り、Wikipediaによると失効した永久欠番の中に稲尾さん、中西氏、大下さんの名がある。稲尾さんと中西氏は球団身売りによって消滅し、大下さんは他球団移籍で返上したと言うことになっている。ところが、今回の報道の日刊スポーツでも鈴木啓示の永久欠番消滅には触れていたが、西鉄勢には触れていない。ベースボールマガジン(隔月刊、以前は季刊)誌の過去の「背番号」特集の永久欠番の項目でも触れられていない。ベースボール・マガジン社の「プロ野球70年史」の、Wikipediaによると稲尾さんが永久欠番に制定された1972年の出来事の中に稲尾さんの永久欠番に関する記載はない。同年にタイガース球団から永久欠番に制定された村山実さんの記載があるにもかかわらずだ。
失効した永久欠番の中にはスワローズ時代の大杉勝男氏まで含まれている。広沢克己の入団によって失効したとあるが、そんな永久欠番などあるはずがない<笑>。
また、準永久欠番なる項目もある。そもそも準永久欠番なる扱いが公式にあるのかも定かだが、要は功績のあった選手の背番号を、それを次ぐにふさわしい選手が出てくるまで空けてあるというレベルのものを網羅しているのだが、スワローズの古田敦也以外は短期的に空き番になっただけに過ぎないものがほとんどだ。
敗戦処理。はさすがに西鉄ライオンズの時代はリアルタイムに追いかけていないので断定は出来ないが、Wikipediaのこの項目は眉唾な気がする。
当時の資料に接する機会があれば、調べてみたいものだが…
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コメント
F11様、初めまして。コメントをありがとうございます。
> 鈴木氏については、オリックス側が鈴木氏に扱いについて問い合わせた際、鈴木氏側が「私の永久欠番は近鉄の記録によるもの」として引継ぎを断ったとの新聞報道が当時あったので、永久欠番にするのは難しいでしょうね。
私も同趣旨の報道に当時接しました。その上で敢えてエントリーにはあのように書きました。ただ記憶では私が接した報道では鈴木は引き続き永久欠番であることを拒否したのではなく、合併球団が選手に背番号1を付けさせることを鈴木が拒まないというニュアンスでした。
しかし球団もよくそんな問い合わせをしたものですね。鈴木側もダメだとは言えないでしょうから<苦笑>。
ありがとうございました。また時間がありましたら、いつでもお越し下さい。
投稿: 敗戦処理。 | 2012年5月13日 (日) 18時55分
はじめまして。
鈴木氏については、オリックス側が鈴木氏に扱いについて問い合わせた際、鈴木氏側が「私の永久欠番は近鉄の記録によるもの」として引継ぎを断ったとの新聞報道が当時あったので、永久欠番にするのは難しいでしょうね。
投稿: F11 | 2012年5月13日 (日) 12時30分
チェンジアップ様、コメントをありがとうございました。
> こんにちは。ウィキ=正しいというわけではないですからね。素人の寄せ書きですし。
参考にはなってるし、活用もしてるから、完全否定しないですけどね。
この件が間違いとはまだ断定しきれませんが、過度の信用は禁物でしょうね。
大杉勝男さんの永久欠番なんて話はたぶん現実に表面化しなかったと思います。
準永久欠番の、桑田真澄の18番も、仮に準永久欠番という定義があったとしても、桑田がつけていたから準永久欠番になったのではなく、ジャイアンツが背番号18をそういう位置づけにしているというのが正しいでしょう。
> これについてはよく知らないです、勉強不足ですm(u_u)m。
勉強と言うほどのことでないですが、エントリーでも触れたような経緯で堤オーナーが西鉄時代を否定した以上、誰もその事に触れられない訳です。チーム名に埼玉を付けて地域密着をうたうという発想すら堤オーナー時代には希薄だったでしょう。
一応、古い文献を当たると、堤オーナーも“地域密着”という表現を用いています。しかしそれは所沢市や埼玉県を指すのではなく、西武線沿線利用者です。
そう考えると、西鉄時代を解禁したばかりか、近年、大宮にある県営大宮公園野球場で主催試合をしているのも奇跡に近いことです。堤さんは西武線の利用者の流れを新宿、池袋方面とは逆方向への流れを強化したくて、所沢に球場を作ったと言われています。
ところが大宮開催では新幹線を利用して大宮に観戦に来るファンを見込んでいます。西武鉄道グループの企業がJRの集客力に依存するのですからかつてなら考えられなかったことでしょう。
投稿: 敗戦処理。 | 2012年4月30日 (月) 01時05分
こんにちは。ウィキ=正しいというわけではないですからね。素人の寄せ書きですし。
参考にはなってるし、活用もしてるから、完全否定しないですけどね。
こないだ、南明奈が、373の背番号で始球式をした流れで、”三桁の背番号を導入してみたら”なんてMIXIで書いたんですけど。
それこそ、永久欠番が増えたら、空きがなくなるし、ということも書いたら、稲尾さんの永久欠番のニュースを知り、奇遇?とちょっと驚いたり。
大杉さんの8が永久は聞いたことがないですね。当時、小学生でしたが、一応、ヤクルトファンでしたけど、私。
若松さんが引退したときに、永久にしよう、なんて話は全く出てこなかったし、その後、池山→岩村と受け継がれてますし。
古田の27は、ヤクルトがドラフトで凄い捕手を指名したら、その人が付けるのではないか?と思います。それまでは空白でしょう。
>西武ライオンズが埼玉西武ライオンズになるまでの経緯を振り返れば理解するファンも少なくないのではないか。
これについてはよく知らないです、勉強不足ですm(u_u)m。
>堤初代オーナーは今のジャイアンツの渡邉恒雄会長も真っ青のワンマン
私は以前、日本プロ野球三大オーナーとして、
ナベツネ=ワンマン
堤=傲慢
久万=怠慢
と定義したことがあります。
投稿: チェンジアップ | 2012年4月29日 (日) 12時00分