LAWSONがNPBパートナーに
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オリックス・バファローズの「LEGEND OF Bs 2012~劇的、激動の80s」 の第一弾が25日、26日に開催された。前身の阪急ブレーブスのユニフォームに身をまとい、かつての本拠地、西宮球場があった兵庫県のほっともっとフィールド神戸でカープ相手に二連戦を行った。山田久志や山沖之彦が始球式を務め、マスコットの草分け的存在“ブレービー”も復活した。第二弾は6月2日、3日に場所を京セラドーム大阪に変えてジャイアンツとの二連戦で行われる。
ユニフォームを復刻させ、OBが始球式を行い、マスコットも復活と、当時を知るファンをノスタルジックに浸らせるだけでなく、若いファンにも故きを温ねて新しきを知る、バファローズだけでなく日本のプロ野球に対してより深く興味を持つ格好の機会となり、素晴らしい試みだと思う。
だが、敗戦処理。には一つ引っかかる。それはマスコットの“ブレービー”の復活だ。
(写真:兵庫県の西宮市にある阪急西宮ギャラリーで見ることが出来るアニメ版ブレービー。2010年12月撮影)
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打線のつながりが欠け、ここまで苦戦していたジャイアンツ。もはやここ数年の恒例行事となったシーズン途中の助っ人外国人追加獲得を今年も行った。2010年にジャイアンツでプレーしたエドガー・ゴンザレス内野手の二年ぶり復帰が決まり、今日(18日)一軍練習に参加するとともに、ジャイアンツ球場で入団会見を行った。
一度戦力外にした外国人助っ人を再獲得とはいかにも付け焼き刃な感じが否めないが、侮ってはいけない。エドガーは21世紀に入ってからの、ジャイアンツが自前で探してきた野手の外国人助っ人(日本の他球団でプレー経験のある選手以外)では最良の外国人助っ人なのだ。
ジャイアンツが自前で探してきた外国人助っ人では1995年と1996年のシェーン・マックを最後に年間の規定打席に達した選手が出ていないが、それ以降に獲得した自前の外国人野手では2010年にエドガーが残した100試合出場、打率.263、12本塁打、44打点は最高級の成績なのだ。
(写真:二年ぶりにジャイアンツでプレーすることになったエドガー・ゴンザレス。2010年5月、ジャイアンツ球場にて撮影)
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16日から今年も交流戦が始まる。あの球界再編騒動を契機に導入されたセ・パ交流戦が早いもので今年で八年目を迎える。当初は1カード6試合(ホーム、ビジター各3試合)だったが、三年目の2007年から1カード4試合(ホーム、ビジター各2試合)に変更され、落ち着いている。だが、普段の三連戦システム、週に6試合または5試合というペースに慣れているファンの間からは2試合でカードが変わり4試合で合間が入る交流戦の日程方式に間延びを感じて不満に思う声も少なくないようだ。
今日(14日)と明日(15日)の二日間試合が行われないことすら不満の声があるかも…
そこで敗戦処理。なりに間延び感のしない日程を考えてみた。
(写真:交流戦の名物の一つ“マスコット交流”。今年も多くのカードでマスコット交流が予定されているようだ。)
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埼玉西武ライオンズが1日、正式に稲尾和久さんの西鉄ライオンズ時代の背番号24を永久欠番に制定することを発表した。4月28日付け日刊スポーツ他の報道で明らかになっていたものを正式に発表した感じだ。それに関する個人的意見は同日付け拙blog 埼玉西武ライオンズが故稲尾和久さんの背番号24を永久欠番に! で述べたが、気になるのはWikipediaに見られる、稲尾さんを始め、大下弘さん、中西太さんといった西鉄ライオンズ時代の功労者が西鉄ライオンズ時代に一度永久欠番と制定され、球団の身売りによって失効したという記述。今回の報道、またこれまでの歴代の永久欠番を紹介する記事の中でも、少なくとも敗戦処理。は稲尾さん、大下さん、中西さんが一度永久欠番になったという報道を見たことはない。
Wikipediaは公的なものでないから、100%鵜呑みにしてはいけないということを踏まえつつ、敗戦処理。が野球ファンになる前の時代の出来事なので、思い込みで決めつけてはならないと思い、自分なりに調べてみた。
(写真:稲尾和久さん以後、空き番になっていた24番を付けることになった古賀正明を報じる西日本スポーツの1面)
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いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。だからどうしたと言われればそれまでですが。
毎月2日、この「生」観戦した野球場と「敗戦処理。生観戦録- my only one game of each year」のいずれか一方を掲載していますが、今月は先月7日に観戦した広島東洋カープ由宇練習場を題材にこちらのコーナーでいきます。「敗戦処理。生観戦録- my only one game of each year」は来月以降に回します。
1974年3月に初めて後楽園球場でプロ野球を生観戦して以来、いろいろな野球場でプロ野球を観てきました。チケット代よりもはるかにかかる交通費をかけて北へ南へ…。社会人になって多少経済的に余裕が出てからは「十二球団の本拠地をすべて回ろう」と考え、それを2000年に達成してからは地方球場、ファームの試合を行う球場を積極的に回りました。そうしてついに50を超えました。
なおバックナンバーは左欄のカテゴリー別から敗戦処理。が「生」観戦した野球場を選び、ダブルクリックして下さい。
第57回 広島東洋カープ由宇練習場 観戦球場ファイル-57-
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