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2012年6月17日 (日)

C☆Bがいない鎌ヶ谷…

Aasc_0005今日(17)は敗戦処理。にとってゴールデンウイーク以来の鎌ヶ谷生観戦。天候が心配されたが、幸いにも雨は止み、試合中には暑いくらいだった。ファイターズの相手はゴールデンイーグルスで、かつてファイターズにも在籍した下柳剛の凱旋登板となった。

 一方、15日の同じカードでも姿を見せなかったファイターズのファームのマスコット、C☆Bが今日も姿を見せず、その影響もあってかスタンドも日曜日の割には寂しかった。

そして試合も…


(写真:C☆B不在を告知するチケット売り場での告知。チケット売り場で告知するだけ良心的か?敗戦処理。の購入時には掲示されていなかった様な気も…)


C☆Bはどうしたのだろう?アテンドの天沼ゆかりさんを始めとするスタッフは一様に「見かけたら連絡下さい」と繰り返す。C☆Bが最後にファンの前に姿を現したのは先週末のファイターズのファームの北海道遠征。新十津川、紋別での対ジャイアンツ二連戦にチームとともに帯同してファンをグリーティングしたりしていた。まだ北海道にいて身分証無しで滞在できるマンガ喫茶を転々としているという憶測もあるが定かではない。なお、まだ眼鏡店に現れて眼鏡を購入したという情報はない。


C☆Bがいないので、始球式争奪のカビージャンケンは球団職員のチャスこと中原信広さんが代行し、ゴムボールの投げ入れはファイターズの選手が協力していた。Dsc_0011また試合中のスタンドでの応援タイムには天沼さんがC☆Bのぬいぐるみを持って応援席に向かっていた。
Dsc_0061



試合に入ろう。先発バッテリー発表で、ゴールデンイーグルスの先発が下柳剛と発表されると、鎌ヶ谷のスタンドがどよめいた。


下柳のプロ野球人生のスタートは福岡ダイエーホークスだが、トレードでファイターズに来た。ファイターズには1996年から2002年まで在籍し、タイガースにトレードされた。下柳がファイターズに来た時には既に一軍で投げるタフなリリーバーだったから、鎌ヶ谷でどのくらい登板したかわからない。だが下柳と鎌ヶ谷の縁と言えば、オフシーズンの野球教室でケン・グリフィーJr.と相対し、ケン・グリフィーJr.にライトの場外まで飛ぶ本塁打を打たれたことだろう。その場外弾の落下地点には記念の碑が建てられ、今も目にすることが出来る。
Dsc_jr0007レフト場外、室内練習場前のジュースの自動販売機にも中田翔がここまで飛ばした証があるが、ケン・グリフィーJr.の一発はもちろんそれをも凌駕する。


ケン・グリフィーJr.来鎌時の様子はこちらをご覧下さい。

そんな下柳だが、昨年限りでタイガースから戦力外通告を受け、現役続行を希望したものの獲得を表明する球団がなかなか現れず、ゴールデンイーグルスに春季キャンプの時期にテストを受けてようやく所属が決まった。開幕当初こそ一軍入りを果たしたが、4試合の登板で02敗、防御率5.29と結果を残せず426日に出場選手登録を抹消されると、その後はファーム暮らしが続いている。イースタンではここまで3試合に登板して勝敗無し。防御率は3.75

ファイターズの先発は中村勝中村が生まれた199112月、下柳は既にプロ野球入団一年目のシーズンを終えていた。
Dsc_0018
今日の中村はおかしかった。一回には先頭の島内宏明にいきなりレフトの頭上を超える二塁打を打たれ、その後も阿部俊人にいい当たりのピッチャーライナー、横川史学にもいい当たりのファーストライナーを打たれる。横川の当たりで島内が二塁を飛び出してしまい、併殺になって失点を免れるが三人の打者にすべて芯でとらえられる不安な立ち上がり。

そして続く二回には先頭のルイス・テレーロにセンター前に運ばれた。テレーロは一死後にヒットエンドランのサインが出ていたのか投球前にスタートを切ってしまい、二塁直前でアウトになり中村はこの回もピンチを切り抜けるかと思ったがここから安打と四球で二死一、二塁のピンチをつくり、岡島豪郎にセンターの頭上を超える先制タイムリー三塁打を浴びた。
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続く三回表にも島内の安打、横川への四球で一死一、二塁とされ、テレーロにレフト線に二塁打を打たれ、0対3とされた。
Dsc_0048ファイターズベンチは、ここで左打者が続くこともあってか、早くも宮本賢にスイッチ。
Dsc_0056宮本は小斉祐輔、草野大輔を打ち取り追加点を与えなかったが、2イニング目になる四回表に岡島に四球、西田哲朗にライト線二塁打を打たれて一死二、三塁とされ、島内の犠牲フライを打たれて0対4とされた。


ファイターズ打線は下柳から時折いい当たりの打球を飛ばすがことごとく守備陣の正面に打球が飛ぶ。下柳の老獪な投球術にはまり、手の平の上で遊ばれていると言ったら誉め過ぎだろうか…。

二回裏に三遊間を破って出塁した尾崎匡哉が次の佐藤賢治のレフトフェンス際の大飛球で二塁ベースを回ってしまい、捕球されて一塁に戻れずに併殺になったのはあまりにもお粗末だったが、安打二本で無死一、二塁とした四回裏には四番の鵜久森淳志が初球を打って遊ゴロ併殺打。二死三塁から尾崎が四球を選んで二死一、三塁とするが、佐藤も合わせただけの二ゴロで下柳から得点を奪えない。

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五回裏に、関口雄大の安打と石川慎吾の四球で二死一、二塁から今浪隆博がレフト前に運んでようやく1点を返すが、続く杉谷拳士が右邪飛に倒れ1対4にするにとどまった。下柳は五回を投げ終えて降板した。

ファイターズは宮本の後を五回、六回は糸数敬作が、七回は根本朋久が走者を出しながらも抑えるが、打線が反撃ののろしを上げない。というか、どの投手も常に走者を背負っていて間合いが長く、0に抑えたにしても「さあ反撃だ!」と気分が高まる感じでは無かった。

そうこうしているうちに、八回表に登板した植村祐介が先頭の川口隼人に打った瞬間にわかるライトオーバーの本塁打で追加点され、その後も二安打と失策での一死満塁から併殺崩れの間にとどめの6点目を失った。

ゴールデンイーグルスは下柳以降は1イニングに1人ずつの継投。土屋朋弘、川島亮と来て八回は佐竹健太。ファイターズは杉谷、鵜久森の短長打で無死二、三塁とようやく反撃開始かと思ったが、尾崎の遊ゴロの間に1点を返しただけで結局2対6で敗れた。

点差以上に点差を感じた試合で、3時間30分に迫る長さだった。


17日・ファイターズスタジアム】
 021 100 020 =6
 000 010 010 =2
モ)○下柳、土屋、川島、佐竹、橋本-岡島、井野
F)●中村、宮本、糸数、根本、植村、榊原-近藤、荒張、大嶋
本塁打)川口4号ソロ(植村・8回)

これでファイターズのゴールデンイーグルス戦の対戦成績は1勝7敗1引き分けとなった。



なお、九回表、榊原諒が投球練習を終えて、さあ「プレイボール」というところでグラッと来た。スタンドのあちこちから「地震だ!」、「揺れてるぞ!」という声が挙がった。試合はそのまま始まりそうな気配だったが、スタンドのざわつきに気付いたからという感じで長井功一球審はネット脇の関係者室の指示をうかがっている感じだった。
Dsc_0110スタンドではっきりと揺れを自覚するくらいだから、震度3はあったのではないか。ただしこの時に観客席裏のコンコースにいた知人は気がつかなかったそうだ。いずれにせよ大きな混乱もなく試合がすぐに再開されたのは幸いだった。



それにしても、日曜日にしてはお寒いスタンドだった。前日までの悪天候、C☆Bが金曜日からいなかったからなのか…。

今日の試合前サイン会は齊藤勝土屋健二だったが、いつもならかなり早い時間帯から並ばないと整理券を入手出来ないのに、敗戦処理。が入場したらまだ整理券を配っていたので思わずもらった。
Dsc_0004結局
50人分ある整理券がすべてさばけたのはサイン会開始直前だった。


C☆Bがファイターズのファームのマスコットとしてファンの前に姿を現したのは2006年開幕前のファンとの交流会。
01以後、今ではなくてはならない存在になった。
2008年には何故か左足を負傷し、車いすに乗ってファンをグリーティング。
Dsc_0014グラウンドには松葉杖で現れて盛り上げに一役買った。因みにこの時の松葉杖には船橋市に実在する病院の名前が書かれていた。
02_2
そんなC☆Bだけに、ちょっとやそっとの体調不良ならファンの前に姿を現すだろう。そのC☆Bが休むのはよほどのことだろう。
Adsc_01真夏になると、コンコースに集まるファンに水をまき散らすC☆Bをファンは待ちわびる。
Adsc_1138_2試合が雨天中止の時でも、ファンが集まっていればC☆Bはファンと遊ぶ…。

昨年、闘将会が稲葉ジャンプの自粛を表明したとき、「“稲葉ジャンプ”をやれないなら、札幌ドームに行く意味が無い。テレビで観れば充分」という意見を多数ツイッターで目にしたが、札幌ドームにおける“稲葉ジャンプ”に相当するものが、鎌ヶ谷ファイターズタウンにおけるC☆Bの存在であろう。

昨年のイースタン・リーグ開幕当初は関東地方は計画停電を実施していたこともあり、イースタン・リーグの試合も演出を簡素化、スコアボードの表示は節電で最小限という感じであったが、C☆Bはいつも以上にファンサービスに徹していた。そのC☆Bの不在が長期化するようだと、ファイターズスタジアムの観客動員に少なからず影響することは確かだろう。

もちろんマスコットがいなくても、野球の試合は何ら支障なく進行できる(もちろん“稲葉ジャンプ”もなくても試合の進行に支障もないし、稲葉の打撃成績にも影響あるまい…)。だが、地域密着を旗印にしているファイターズのファームにとってそのシンボルであるC☆Bがいないということは、ファイターズのファームであってファイターズのファームでないような事態になりかねない。その点に関してはB☆Bでも代役をこなしきれないだろう。

C☆Bが現れる前には日曜日でもイベントがなければ今日程度の入りだったかもしれない。特にファイターズが東京ドームにいた頃には…。そして東京ドーム時代のファイターズ末期に、近年のタイガース時代の姿からは想像できないリリーフのタフネス左腕、下柳がファイターズにいた。

年間の試合数が130試合だった1997年に下柳は65試合に登板。
Cdsc_0103102_1それだけなら珍しいことではないが、1試合を除きオールリリーフにもかかわらず、下柳は年間の規定投球回数に達したのだ。昨今のリリーフ投手はイニングをまたいで続投するとそれだけで珍しがられるが、下柳は単純計算ではあるが、登板ごとに
2イニング投げていたことになる。1997年の下柳以降、こんな濃密な登板履歴を残したリリーバーは少なくともNPBにはいない。44歳でも現役を続けられる下地をこの時期に築いていたに違いない。

今では当たり前であるC☆Bがいない鎌ヶ谷で、C☆B以前の鎌ヶ谷と、下柳のファイターズ時代を思い出しながら観戦していた。そのくらい、ファイターズが守っている時間が長かったということか…。

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