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2012年10月 2日 (火)

“引退”出来るプロ野球選手は幸せだなと感じたシーズン最終戦【回想】敗戦処理。生観戦録-第32回 2005年(平成17年)編

Dsc_0213これまで当blogで毎月2日に交互に掲載していた 敗戦処理。が生観戦した野球場が59ケ所の観戦球場を出し尽くしたので当面 敗戦処理。が生観戦したプロ野球- my only one game of each year 主体にいくことにし、また新たに初めての球場で観戦したら臨機応変にはさむようにします。

1974(昭和49)に初めてプロ野球を生観戦した敗戦処理。はその後毎年、途切れることなく数試合から十数試合を生観戦しています。そこで一年単位にその年の生観戦で最も印象に残っている試合を選び出し、その試合の感想をあらためて書いていきたいと思います。年齢不詳の敗戦処理。ですが同年代の日本の野球ファンの方に「そういえば、あんな試合があったな」と懐かしんでもらえれば幸いです。

【回想】敗戦処理。生観戦録- my only one game of each year32回 2005(平成17)


(写真:引退表明をして最終戦に臨んだ元木大介。引退後の200711月の巨人対阪神OB戦にて撮影)


2005
年は個人的に仕事その他が忙しく、あまり球場に行くことが出来なかった。そんななか、近年極力行くようにしているジャイアンツのホーム最終戦を東京ドームに観に行ったのが印象深い。


この年のジャイアンツは2004年に原辰徳の後を継いで監督に就任した堀内恒夫の二年目。前年のセ・リーグ3位よりもさらに悪い5位に低迷した。堀内監督の責任問題になるのは明白で、本拠地最終戦というだけでなく、公式戦最終戦でもあった10月5日、堀内監督の退任と、原辰徳監督の返り咲きが発表された。敗戦処理。が生観戦したその日のジャイアンツ対カープ戦は監督交代発表前から、本拠地最終戦ということで、このシーズン限りで現役を引退する三選手の引退セレモニーが予定されていた。後藤孝志、元木大介、西山秀二の三選手だ。一方のカープは野村謙二郎が既に今季限りの現役引退を表明していた。

カープ
()松本高明
()山崎浩司
()嶋重宣
()新井貴浩
()前田智徳
()栗原健太
()廣瀬純
()倉義和
()デイビー


ジャイアンツ
()清水隆行
()川中基嗣
()高橋由伸
()小久保裕紀
()元木大介
()仁志敏久
()亀井義行
()村田善則
()高橋尚成


試合は初回からジャイアンツの先発の高橋尚成が絶不調。一死から山崎浩司嶋重宣の短長打で二、三塁とされると四番の新井貴浩にセンター前に運ばれて先制点を与えると、前田智徳にライト前に運ばれてもう1点、栗原健太にもレフト線に二塁打されてもう1点。初回早々5連打を浴びた。さらに廣瀬純の死球を挟んで倉義和にライト犠牲フライを打たれ、この回一気に4失点。その裏にジャイアンツが高橋由伸のソロ本塁打で1対4とするも、その後膠着状態に入り、何となく雰囲気的に“セレモニー待ち”モードに入りつつあった。

1対4のまま迎えた五回裏、ジャイアンツは一死無走者で高橋尚の打順。ここで代打に西山が起用され、ライトスタンドだけでなく、レフトスタンドのカープ応援団からも大歓声。

この年がジャイアンツ移籍一年目だった西山にはジャイアンツでのオリジナルのヒッティングマーチが用意されていたはずだが、ライトスタンド、そしてレフトスタンドのカープファンとそれぞれからカープ時代の西山のヒッティングマーチが演奏され、なおかつジャイアンツの応援席でもスクワット応援をするファンの姿が見られた。

西山はカープ先発のトム・デイビーの前に残念ながら三振に倒れたが、両軍ファンから大きな拍手が贈られ、西山もベンチに退く前にヘルメットを外してファンに頭を下げて感謝の意を示していた。

五回裏が終了し、試合が成立すると、「今シーズン限りで現役引退を表明している広島東洋カープ、野村謙二郎選手に読売巨人軍から花束が贈られます」という場内アナウンスが流れ、ホームベース後方に野村が登場すると、ジャイアンツを代表して高橋由が野村に花束を渡した。もちろん両軍ファンもスタンディングオベーションで見守った。今季の金本知憲も現役引退後に東京ドームでの最後の出場試合があったが、このような試合中の演出ではなく、試合開始前だった。

その野村は七回表無死一塁でデイビーの代打として登場。今度はカープ応援団に負けじと、ライトスタンドのジャイアンツ応援団もスクワット応援で野村の打席を応援。ほのぼのとする光景だった。

野村は二塁ゴロを放ち、おあつらえ向けの併殺コースだったが全力疾走で一塁はセーフ。一塁側内野席から生観戦していた敗戦処理。には一塁手の元木がわざと足を早くベースから離したように見えたが…。

スタメンで出た元木以外は順次途中出場。後藤孝は八回裏無死一塁でスコット・マレンの代打で登場し、センターフライに終わった。打席を終えた後藤孝は愛娘から花束をもらっていた。スコアは1対4のままだったが、この回ジャイアンツは二死満塁と粘るが四番の小久保裕紀がカープ三番手の横山竜士の前に三振に倒れ、ほぼ試合の大勢は決した感じになった。

九回表、一塁でスタメン出場していた元木が慣れ親しんだショートを守った。自身も最後の采配となる堀内監督はこの日、完全に引き立て役に回っていた。

九回裏、カープはこの年の抑え、サウスポーのジョン・ベイルをマウンドに送った。先頭打者はここまで3打数0安打の元木。何とか最終打席に快音をとジャイアンツファンの期待を一身に集めたが、ショートゴロに倒れた。

この後、仁志敏久が内野安打を放ち、左対左となる亀井義行に代打、江藤智が告げられると「お前は引退しないのか」とのきついヤジも…。その江藤が一塁フライに倒れると、いよいよあとワンアウトで今年のジャイアンツが終わってしまうということでライトスタンドばかりか、敗戦処理。がいた一塁側内野席もしんみりとしたムードに。打席には途中出場の、この年のルーキー星孝典が向かう。すると、♪ジャーンジャジャジャ、ジャッジャジャーン~あの「巨人の星」の主題歌「行け行け飛雄馬」が星の出囃子として流れた。「おい、これ、そのまんまじゃないか…」…何とも言えない空気に一塁側スタンド敗戦処理。周りが包まれた中、星は見事にレフト前にプロ入り初安打!一応一発出れば同点という状態になったが、最後は代打の三浦貴がセンターフライに倒れ、堀内監督と元木、後藤、西山の最後の試合にジャイアンツは1対4と敗れた。試合後、三選手はグラウンドを一周し、ファンに別れを告げた。西山がカープファンで埋まるレフトスタンドの前で長々と頭を下げていたのが印象的だった。なお最後の采配となった堀内監督からの挨拶は特になかった。


200510月5日・東京ドーム】
C 400 000 000 =4
G 100 000 000 =1
C)○デイビー、永川、横山、Sベイル-倉
G)●高橋尚、シコースキー、伊達、マレン、内海-村田、星
本塁打)高橋由17号ソロ(デイビー・1回)

グラウンドで一通りのセレモニーが終わった後、ライトスタンドのジャイアンツの応援団はいわゆる“二次会”を始めた。いろいろな選手のヒッティングマーチを次々と演奏していたが、事実上の戦力外通告を受けていた清原和博の、長渕剛「とんぼ」から前奏、ヒッティングマーチに入るところを繰り返し繰り返し演奏し、かっ飛ばせではなく、「頑張れ頑張れ清原」と歌っていたのが印象的だった。いろいろあったが、清原がライトスタンドから誰よりも愛されていたことには変わりないようだった。だがその清原は球場に姿を見せなかった。

プロ野球選手で“引退”を出来る選手は幸せだと感じた。もちろんどんな選手でもいつかは引退するのだが、大半の選手は戦力外通告という形で球団からの通告で現役を辞めるのである。“引退”と表現されるのはほんの一部の選手の特権である。FA移籍の時には三顧の礼で迎えられた清原でさえ、衰えが顕著だと最後は厄介払いなのだ。ジャイアンツは極端な例かもしれないが、近年いくつかの球団でファンから見ても気の毒な首切りが頻繁になされている。“引退”を発表した小久保、石井琢朗、前述の金本らにも水面下ではいろいろとあったのかもしれないが、最後の姿を見せられる舞台があるのかどうかは実力だけの問題ではない様だ。

今年ももう少し公式戦が残っている。残酷な結末を迎える選手が少なくなりますように…。

【参考資料】
12球団全選手カラー百科名鑑2005(日本スポーツ出版社)
スポーツ報知2005105日付
スポーツ報知2005106日付

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コメント

長緯様、コメントをありがとうございます。

> プロ野球が幅広い世代に支持されているのは、いろいろな選手の経歴が自分の人生とオーバーラップさせて感じる所ができるからだと思います。

それは結構大きいと思います。

> 今日、多くの球団から「戦力外」の選手が発表されました。

ジャイアンツで戦力外通告を受けた選手の中には、私も生観戦したイースタンの最終戦に出場していた選手もいます。本当に複雑な思いになります。

> 努力が報われなくても、常に前を見ていかなければならない厳しさは、人間だれでも感じることですが、スポーツを通じてそれを一番感じるのがこのプロ野球の戦力外通告のニュースだと思います。

競争の世界ですから、皆で幸福になるとはいかないですからね。

中には「何でこの選手が?」というのもありますが、本当にシビアな時期に入りましたね。

投稿: 敗戦処理。 | 2012年10月 3日 (水) 19時40分

プロ野球が幅広い世代に支持されているのは、いろいろな選手の経歴が自分の人生とオーバーラップさせて感じる所ができるからだと思います。華やかな舞台の陰で、ひっそりと辞めていく選手も多い。今日、多くの球団から「戦力外」の選手が発表されました。彼らの多くはもうプロのユニフォームに袖を通すことはないでしょう。努力が報われなくても、常に前を見ていかなければならない厳しさは、人間だれでも感じることですが、スポーツを通じてそれを一番感じるのがこのプロ野球の戦力外通告のニュースだと思います。

投稿: 長緯 | 2012年10月 2日 (火) 23時49分

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