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2012年11月14日 (水)

“中の人”が変わるとき…

Cdsc_0577マスコットの“中の人”が変わったらしい。そんな噂がファンの間を駆け巡る。「動きが違う?」「リアクションが微妙に違う!」そういう目で見ると本当に別の人のように思えてしまう。いや、そもそも“中の人”などいないはずなのだが…


ファンがずっと同じチームを応援し続けている間、同じマスコットを応援し続ける。ファンはその間、年を取る。でも、マスコットは年を取らない。しかしもちろん“中の人”は年を取る。ファンと一緒に年を取る。じゃあどうするか?新しいマスコットを登場させるか、“中の人”を取り替えるかだ。


後者の場合、当然“中の人”の交代はファンに悟られてはならない。新しい“中の人”は今までの“中の人”と変わったように思われないように引き継ぐにはどうするべきなのか?

冒頭に書いたように動きやリアクションが違うなんて問題外。前の“中の人”のパフォーマンスを映像として残しているのなら、それを見て寸分違わぬようにすればいい。サインも同じでなければならない。これも練習するしかない。バック転などは…同等の技が出来る人を選ぶしかない。前の“中の人”をマネする方法は色々あると思う。で、じゃあ何が一番難しいかというと、常連ファンとの絡みではないか?

例えばグラウンドでのパフォーマンスなどは映像で残しておき、それをマネする練習をすればいい。ところがグリーティングでファンに応対しているところをビデオで撮影する訳にはいかないだろう。マスコット好きの常連ファンはいつもいつもその都度マスコットのグリーティングの列に並ぶ。マスコットは常連のファンに対し、一人一人にそれぞれに個別の対応をする。それはもう、“中の人”の記憶力で「あ、この人にはこういう対応をしなきゃ…」とかその場で対応しているのだろう。ファンの方は当然自分はそのマスコットに覚えられていると思っているから、いつもと違うリアクションをしたら「あれ、何だ今日は?まさか!」ということになってしまう。特にマスコットは喋らない。基本、表情もない。身振り手振りでの対応がファンとのコミュニケーションのすべてと言って過言でない。

ではどうするか?

新しい“中の人”は、交代する前に一般ファンを装ってグリーティングを注意深く見つめることを繰り返すのではないか?そしてグリーティングを終えたあと、二人で打ち合わせる。「今日○番目に並んでいたあの人は、いつも…」引き継ぎ方法はきわめてアナログで手間のかかることだろう。そして周到に時間をかけて常連ファンの顔や行動パターンを頭に入れて前の“中の人”と入れ替わる。そこまでやってファンに気付かれない“中の人”の交代が出来るのではないか?


今シーズン途中、あるマスコットにそういう噂が立ったらしい。ファンの中にはそれを“見て見ぬ振りをする”物わかりの良い、空気を読む人もいるようだが、それを許せない人もいる。マスコット本人に指摘するのならまだしも、ネットで拡散する人まで…。

“中の人”の変わったマスコットを同じものと見るか別のものと見るか、それはファンそれぞれだろう。しかしマスコットの方もプロであるならばファンに見抜かれない最善の努力をするべきだ。“中の人”が変わっても気付かれないのが本当のプロのマスコットだろう。常連ファンの暖かい見て見ぬ振りによって成り立つようでは限界があろう。

興味のない人にはどうでもいい話だが、マスコットのファンにとっては“たかがマスコット”ではない。“されどマスコット”なのである。

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