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2012年11月24日 (土)

岩瀬仁紀、来年抑えでダメなら引退を覚悟!

Adsc_018222日の日刊スポーツに、さほど大きくない見出しでドラゴンズの守護神、岩瀬仁紀が来年、抑えでダメだったら引退という覚悟で臨むという記事があった。前日の21日のプロ野球コンベンションに出席した岩瀬はセ・リーグの最多セーブを獲得して表彰されたが、報道陣に対し「このポジション(抑え)で結果を出せなかったら“そういうこと”になる」と引退覚悟の胸の内を明かした。

既に高木守道監督は来年、岩瀬が抑えでうまくいかなかったら他のポジションを与えるのではなく二軍に落とし、それでもダメなら…と厳しい姿勢を打ち出している。

今季の岩瀬は今季33セーブを挙げてスワローズのトニー・バーネットとともにセ・リーグの最多セーブに輝いた一方で不振のための二軍落ちも経験。山井大介が抑えに回る一幕もあった。


(写真:通算346セーブの日本記録を保持する岩瀬仁紀。来年は…? 20094月撮影)



「岩瀬は一番後ろでしか投げさせんよ。(岩瀬が)球団にもそう言うとる。プライドもあるでしょ。
 今年みたいな途中からはない」「そのつもりで本人も頑張るでしょ。ダメなら良くなるまで(2軍で)調整するしかない。でもいつまでも投げられるわけやない。結果が出んなら、やめないかんでしょ。そんな風になれば(自分から)やめるんやないの」 どちらも17日の日刊スポーツに載った高木守道監督のコメントだ。上記のプロ野球コンベンションでの岩瀬のコメントはそれを受けての決意表明とも取れる。正直今年もそうしてやっててよ、というのはあるが、岩瀬ほどの実績の抑え投手の投手生活の最後の締めくくり方としてはこれが一番なのではないかと思う。引用元の記事にもある様に、岩瀬は相撲で言えば“横綱”的存在。大関への降格はない。ダメなら引退というのはわかる。

そもそも抑えとセットアッパー、あるいは中継ぎというのは別のカテゴリーで、一方でダメだった投手が回って上手く出来るというポジションではないと思うし、基本的には勝ち試合でしか投げない抑えと違い、たとえ「勝利の方程式」の一角を担っていても展開上同点、またはビハインドでも投げなければならない場合がままあるセットアッパーや、いついかなるときでもマウンドに上がれることが求められる中継ぎとは別のセクションだ。若い投手ならまだしも、2004年に抑えに転向してからは抑え一本の岩瀬に「抑えで上手くいかないからしばらく中継ぎに回ってくれ」といったところで良い結果は出ないだろう。

盤石の抑え投手といえども人間だ。いつかは衰えが来る。過去、功成り名を遂げた、長きにわたって抑えを務めた投手は抑え投手が務まらなくなった時点で引退をしている投手が多い。
Cdsc_0002配置転換で生き残りを図った投手もいるにはいるが、豊田清がセットアッパーに回って一時好成績を残した以外はほとんどが失敗している。


最近ではジャイアンツに通算100セーブ以上の投手が同時に四人集まったケースがあった。豊田清、小林雅英、マーク・クルーン、MICHEALの四人。だが、上記の豊田以外は、クルーンが成績が下がったら解雇された他、小林、MICHEALは二軍に落とされて戦力外通告という結果だった。

ドラゴンズでは今年の岩瀬の今一つ不安定な状態に配慮した起用法をしていたものの、さすがにクライマックスシリーズでは山井大介を抑えに使っていた。
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して、勝てば日本シリーズ進出が決まるファイナルステージ第5戦、同点で迎えた九回裏に岩瀬を投入し、一死満塁とサヨナラの大ピンチとなったところで山井を投入して石井義人にサヨナラ安打を打たれて敗れた。

この時のドラゴンズの状況は先に三連勝して日本シリーズ進出に王手をかけて、一つ敗れたあとの試合。ジャイアンツは負けたら終わりだが、ドラゴンズは厳密にはもう一つ負けられた。だから負けるにしてもジャイアンツに例えば投手を総動員させる、翌日に支障を来す戦い方をさせられれば充分というのがあったはずだった。実際、あとがないジャイアンツは内海哲也を中三日で先発させていた。ところが22という、均衡状態で試合終盤まで試合が保たれたため、結果的にドラゴンズはジャイアンツが3人の投手でまかなった9イニングを、それよりも多い8人の投手をつぎ込む羽目になった。

何度か拙blogでは書いてきたが、ビジターゲームで同点で終盤を迎えた場合、一般的には監督は抑え投手を勝ち越すまで温存し、同点の場合はその次に信用を置けるリリーフ投手をつぎ込むものだ。その例からすれば九回裏の岩瀬投入は苦渋の決断ながら、それでも山井を温存した訳だ。ロングリリーフが出来るとは考えにくい岩瀬だから十回以降も同点だったら、残りのベンチ入り投手からホルヘ・ソーサを指名していただろう。

実際、ドラゴンズはジャイアンツに三連勝する間、岩瀬は第3戦の一度しか登板していない。投手起用に関しては権藤博投手コーチが全面的に仕切っていたと言われるが、クライマックスシリーズという、ドラゴンズにとっては敗者復活戦的に回ってきた日本シリーズ進出のチャンスに、なりふり構わず“岩瀬<山井”という構図で臨んだのだろう。

石井のサヨナラ安打で沸き返るジャイアンツナインと裏腹に、三塁ベンチで一悶着あったような高木監督と権藤投手コーチの様子がテレビ画面に晒された。この70歳代コンビのこんなシーンはドラゴンズとライバル関係にあるジャイアンツ系列のテレビ局の中継で何度か映された。野手出身の監督と、ヘッドコーチ格の投手コーチが衝突することは古今東西多々あるようだからここでは論じないが、岩瀬ほどの投手になると使い方が難しいというよくわかる例だろう。

岩瀬はいわば、最後通告を受けた様なものだ。横綱には横綱らしい立ち振る舞いが求められるだろう。大相撲で横綱が負けたときだけ話題になるのと同様に、岩瀬がリリーフ失敗するとそれが大きなニュースになる。

今月38歳になった岩瀬が、来年健在ぶりをアピール出来れば問題ないのだが、もしそういう成績でなかったら…。高木監督と岩瀬の我慢比べは見たくないが…。そして権藤コーチが抜けて、今中慎二、近藤真市の二人で担当する一軍投手コーチの手綱さばきも要注目だ。

この問題、通算セーブ数では岩瀬の3分の1強で比較するのは岩瀬に失礼だが、我がファイターズの武田久にも当てはまる問題だ。
Dsc_0238岩瀬同様、今年の武田久はパ・リーグで最多セーブに輝いたが、今年の武田久は順風満帆ではなかった。だが、故障による登録抹消期間を除き、栗山英樹監督は武田久を抑えに固定し、他の役割で登板させることはなかった。二年前に開幕から不振を極めたときにも当時の梨田昌孝監督は辛抱強く武田久の復調を待って、シーズン終盤には例年の武田久に戻した。武田久は大先輩の岩瀬を見て、FA権取得を楯に球団との間に二年契約を結んだのかもしれない…。


そしてもう一つの贔屓球団、ジャイアンツでは…ジャイアンツではこれまで通算100セーブ以上挙げた投手が存在しない。抑え投手が限界と戦い、監督や投手コーチがその起用法に困った例を記憶していない…。

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