V9達成から40年…ついに一人もいなくなる!?
ジャイアンツが空前絶後の9年連続日本一、いわゆるV9を成し遂げたのが1973年(昭和48年)、来年はV9最後の年からちょうど40年後になる。この間、V9戦士達は前後して現役を退き、何人かはコーチ、監督として各球団で後進の指導に当たってきた。ジャイアンツのV9の象徴、ONこと長嶋茂雄と王貞治がジャイアンツの監督の座に君臨したことはもとより、脇を固めた個性派のレギュラー達、次の時代を担おうとしていた準レギュラーの若手達がジャイアンツや他球団で監督、コーチを務めてきた。V9が途切れてから39年間、誰かしらユニフォームを着てきた。
だが最後の一人となった、V9後期に代打要員として頭角を現した淡口憲治がスワローズの二軍打撃コーチを今季限りで退任。十二球団の監督、コーチ人事が完了していることから来季ユニフォームを着る可能性はほぼ無くなった。
V9の七年目、1971年(昭和46年)にジャイアンツに入団、トレードで行った旧バファローズで1989年に現役を引退後、翌1990年からジャイアンツ、ファイターズ、スワローズでずっとユニフォームを着続けてきた淡口がユニフォームを脱ぐことで、ついにV9経験者が現場から姿を消す。
(写真:V9戦士として最後までユニフォームを着続けた淡口憲治。懐かしいお尻を一振りする打撃フォーム。2007年の巨人対阪神OB戦)
実はそして高田監督の要請もあって淡口はスワローズの打撃コーチに就任し、ユニフォーム生活が続いていた。黒江は一年で退任、またこの年限りで王貞治ホークス監督がユニフォームを脱いだ。翌2009年にはV9最後の年に入団してシーズン終盤には一軍マウンドにも上がった小林繁がファイターズの二軍投手コーチに就任。
小林コーチは翌年の1月に急逝し、高田は2010年のシーズン途中に成績不振により休養、そのまま退団した。2011年からは淡口がただ一人のV9戦士の生き残りとなった。
そしてその淡口もついにユニフォームを脱ぐ。
○淡口憲治の所属変遷
1971年~1985年 ジャイアンツ外野手
1986年~1989年 旧バファローズ外野手
1990年~1996年 ジャイアンツ一軍打撃コーチ
1997年~1999年 ジャイアンツ二軍打撃コーチ
2000年~2001年 ジャイアンツ二軍打撃兼外野守備コーチ
2002年~2003年 ジャイアンツ二軍監督
2004年 ジャイアンツ一軍打撃コーチ
2005年 ジャイアンツ二軍ヘッド兼打撃コーチ
2006年~2007年 ファイターズ一軍打撃コーチ
2008年~2010年 スワローズ一軍打撃コーチ
2011年~2012年 スワローズ二軍打撃コーチ
淡口がジャイアンツを退団したのは2005年のシーズン後だが、この時、V9時代のエースだった堀内恒夫監督が退任。同時に高橋一三二軍監督、関本四十四二軍投手コーチ、河埜和正二軍内野守備走塁コーチが揃ってユニフォームを脱ぎ、ジャイアンツからV9戦士が消えた。以後、ジャイアンツではV9戦士の現場復帰はない。
ちなみに週刊ベースボール12月31日号(ベースボール・マガジン社)の12球団IN&OUTリストによると淡口前コーチの進路は空欄になっている。
なお42年間ユニフォームを着続けるというのはジャイアンツのV9云々を別にしても長い。現役のユニフォーム組で、淡口の上を行くのはカープの内田順三二軍監督ただ一人。内田は淡口より一年早い1970年(昭和45年)にヤクルトアトムズに入団。その後トレードでファイターズ、カープを経て1982年限りで現役を引退するとそのままカープのコーチに就任し、以後、二度にわたりジャイアンツに移籍するも常にユニフォームを着続けている。来季もカープで二軍監督を務め、44年連続となる。
ジャイアンツのV9が途切れた1974年はジャイアンツにとって創立40周年にあたる年だった。ジャイアンツはV9時代以降も他球団よりは優勝回数が多いが、V9時代以降、黄金時代と呼ばれるほどの強さはない。近年ではV9時代以来、セ・リーグではどの球団もなしえなかったリーグ三連覇を2007年から2009年にかけて達成したが、その三年間に日本シリーズで日本一になったのは2009年だけ。そもそもV9以降、二年連続して日本一に輝いたことがない。ジャイアンツのV9が途切れた後の約40年間、二年連続日本一を達成したのはブレーブス、カープ、ライオンズ、スワローズであり、その事が示すように群雄割拠の時代になったと言えよう。
しかしその間、V9戦士達は古巣ジャイアンツに限らず、どこかの球団で後進の指導に当たっていた。多くの球団に何らかの形でV9の遺伝子が引き継がれたのだろう。今でも王はホークスの取締役会長の要職に就いているし、高田繁はベイスターズのゼネラルマネージャー、そして高田に引っ張られてV9時代の二番手捕手、吉田孝司はベイスターズのゼネラルマネージャー補佐兼編成、スカウト部長を務めている。一方、拙blogでは何度か取り上げているが、V9以降のジャイアンツに入団した選手、特に現役生活の最後がジャイアンツだった選手は中畑清、西本聖ら一部の例外を除いてジャイアンツ以外の球団から指導者として声がかからない。V9以降の約40年でジャイアンツが失ったものは強さだけではないのだろう。
ジャイアンツは今年、やたらに強かった。セ・リーグ優勝、交流戦優勝、クライマックスシリーズ制覇、日本シリーズ制覇、アジアシリーズ制覇と5冠を達成した。白石興二郎オーナーはV9どころかV10を目指すと豪語したそうだ。まぁ大言壮語したくなるくらいの強さだったことは確かだが…。
ジャイアンツが球界の王者だった最初の四十年間と、強いことにこだわったもののそれほどには成果が上がらなかった次の約四十年間。そして王者だった頃の象徴とも言えるV9戦士がその四十年でついにユニフォーム組から姿を消す。それでもまだ、ジャイアンツが他の球団と同じ12分の1になったと思うファンは(アンチ派を含めても)少ないのではないか。
少なからぬファンがもしも今でもジャイアンツが12分の1の存在ではないと思っているとしたら、それは優勝回数が他球団に比べればいまだに多いというのもあるが、NPBの“ジャイアンツ頼み”の体質に何ら変化がないからではないか?だとすれば、V9戦士がユニフォームを着なくなる新年からでもそうした体質にメスを入れて欲しいものだが。
P.S.
敗戦処理。がジャイアンツのV9を境に前と後と分割するのにはもう一つ理由がある。V9が途切れた1974年(昭和49年)、敗戦処理。は初めてプロ野球を生観戦した。現在、毎月2日にその1974年からの一年ごとの最も印象に残った生観戦を振り返る【回想】敗戦処理。生観戦録 を「生」観戦した野球場 とともに連載しているが、どちらも早晩出尽くすので来年2月開始を目途に1974年以降の日本プロ野球にスポットを当てた企画を準備中。お楽しみに…。
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コメント
肉うどん様、コメントをありがとうございます。
こちらこそ、今年もよろしくお願いいたします。
(出来たら、鎌ヶ谷で一度…)
> 巨人ファンでもアンチでもありませんが、小生もV9前後での区分けに感じるところがあります。ドラフト制度の浸透により、V9を境に圧倒的に強い巨人ではなくなりました。このこと自体は球界の活性化という意味で良かったと思います。反面、巨人サイドでは「圧倒的に強い巨人」という幻想にとらわれすぎて、醜い(とまわりから思われる)言動が増えるにつれて、アンチといわれる人々の質も変わっていったように思えるのは残念です。昔は、単純にアンチ巨人=判官びいきが中心だったと思います。
おっしゃる通りだと思います。
大昔にも別所投手の獲得など強引な手法を使っていたようですが、V9時代までのアンチ派は大半は強すぎて憎らしいという感覚だったのではと思います。
> いずれにせよ、(常勝という意味でない)球界の盟主としての地位は、当面不動でしょうし、経営の結果としての金満であればまわりがとやかく言うことではありません。ただ、中立派としても、このままでは球界全体の人気低下につながりかねませんので、これからは、イメージの向上につとめていただければ、と願う次第です。
個人的には“盟主”扱い云々は嫌いです。人気があって他の球団より歴史が長いのは事実ですから、他球団と等しく十二分の一になれとは言いませんが、球界全体の牽引役と言うことなら“脱読売”を図って欲しいです。
そもそも“盟主”とは連盟の主を表す言葉ですから、直訳すればコミッショナーを指すはずで、そのコミッショナーとやらが客観的に見ても読売の傀儡っぽく見えるから、善し悪し以前にファンもアンチも巨人=盟主という前提で話をしてしまうのでしょう。
> 追伸:内田順三さん情報、ありがとうございます。大杉さんとトレードでヤクルトからファイターズに来た方で巨人でもコーチをされていましたが、ユニフォーム、44年間連続は、現役では球界最長ですか。
日本のプロ野球の年数を考えれば、現役だけでなく歴代最長ではないかという気もします。
内田さんはジャイアンツでは松井秀喜も指導していますが、昨年の引退表明後、松井の野球人生を振り返るVTRなどによく出てくる、ジャイアンツ時代の最後の本塁打、2002年のシーズン第50号のバットは松井から内田さんにプレゼントされたという話を聞きました。
内田さんはその年限りでジャイアンツを離れ、カープに復帰することが決まっており、松井がお礼にプレゼントしたそうです。
> それから、淡口さんですが、川上監督が「この子は親孝行だから伸びる」みたいなご発言をされていたとの記述をどこかで目にしたことがあります。時代の隔たりを感じますね。
その話もよく聞きましたね。
川上監督が退団した後、一時期誰も付けなかった川上監督の背番号77を最初に付けたのはコーチになった柴田勲で、その次が同じくコーチになった淡口でした。
柴田は川上監督に仲人をしてもらった、いわば子飼いだったようですが、淡口はそのエピソードのように目をかけられていたのでしょうね。
近年では例えば吉村のように現役時代に背番号7だった人が7を二つ重ねて77という例もありますが、その当時はおいそれと背番号77をつけられたものではなかったのでしょう。
淡口は長嶋茂雄が現役の晩年に使っていたヘルメット(当時は耳当て無し)をもらい受け、長嶋の3の横に5と書き足して35としていたそうです。
* 私だったら神棚に飾りますが…。
投稿: 敗戦処理。 | 2013年1月 7日 (月) 23時47分
敗戦処理。様、本年もよろしくお願い申し上げます。
巨人ファンでもアンチでもありませんが、小生もV9前後での区分けに感じるところがあります。ドラフト制度の浸透により、V9を境に圧倒的に強い巨人ではなくなりました。このこと自体は球界の活性化という意味で良かったと思います。反面、巨人サイドでは「圧倒的に強い巨人」という幻想にとらわれすぎて、醜い(とまわりから思われる)言動が増えるにつれて、アンチといわれる人々の質も変わっていったように思えるのは残念です。昔は、単純にアンチ巨人=判官びいきが中心だったと思います。
いずれにせよ、(常勝という意味でない)球界の盟主としての地位は、当面不動でしょうし、経営の結果としての金満であればまわりがとやかく言うことではありません。ただ、中立派としても、このままでは球界全体の人気低下につながりかねませんので、これからは、イメージの向上につとめていただければ、と願う次第です。
ちょっと辛口でファンの方には申し訳ありませんでした。
追伸:内田順三さん情報、ありがとうございます。大杉さんとトレードでヤクルトからファイターズに来た方で巨人でもコーチをされていましたが、ユニフォーム、44年間連続は、現役では球界最長ですか。
それから、淡口さんですが、川上監督が「この子は親孝行だから伸びる」みたいなご発言をされていたとの記述をどこかで目にしたことがあります。時代の隔たりを感じますね。
投稿: 肉うどん | 2013年1月 7日 (月) 11時37分
チェンジアップ様、いつもコメントをありがとうございます。
> V9戦士の指導者ですか。
私は広岡さん、森さんが好きだけど。
森さんはハワイで隠居してるし。
2人の解説が聞きたいんですけどね。
この二人はジャイアンツ一筋でないだけに、話に深みがありますね。
広岡さんは今年、タイガースの秋季練習を指導していましたね。最近でも週刊ポストで「人工芝でエラーする選手の気が知れん」とか吠えていました。
森さんは完全に隠居ですね。年に数えるほどですが、日刊スポーツにコメントを出しますね。
ベースボール・マガジン社から出た、森さんの最近の著書と、豊田泰光さんの最近の著書を続けて読みましたが、現在の野球界への提言という意味では大人と子供ほどの違いがありました。
もちろん森さんが大人ですが…。
野村克也氏がいまだにああだこうだ言っているのをみると、広岡さんや森さんにも表舞台で出て欲しい気がしますね。
投稿: 敗戦処理。 | 2012年12月27日 (木) 22時33分
こんばんは。私は1975年生まれなので。
74年の10月?長嶋さんが引退試合やってる時に私は母のお腹の中にいました。
V9戦士の指導者ですか。
私は広岡さん、森さんが好きだけど。
森さんはハワイで隠居してるし。
2人の解説が聞きたいんですけどね。
投稿: チェンジアップ | 2012年12月27日 (木) 20時07分