敗戦処理。的ホークス歴代ベストナイン-マイセレクトベストナインVol.2
これまで当blogで毎月2日に交互に掲載していた 敗戦処理。が生観戦した野球場が59ケ所の観戦球場を出し尽くしたので当面、2月にスタートしたマイセレクトベストナインを偶数月に、 敗戦処理。が生観戦したプロ野球- my only one game of each yearを奇数月の2日に掲載していきます。シーズン中、また新たに初めての球場で観戦したら臨機応変にはさむようにします。
敗戦処理。は今年の生観戦で、初めてプロ野球の試合を生観戦してから40年目となった。そこで旧近鉄バファローズを含めた十三球団の、初めて生観戦をした1974年(昭和49年)以降、即ちリアルタイムに見たベストナイン、ベスト一軍メンバー28人を自分なりに選んでみることにした。
1974年という年はジャイアンツの連続優勝がV9で止まった年であり、セーブが記録として制定された年である。そして日本ハムが日拓ホームから球団を買収し、ファイターズがスタートした年である。翌年にはパ・リーグで指名打者制が採用されるなど、大きな節目の時期でもある。当面偶数月の2日に一球団ずつ掲載しようと考えている。
マイセレクトリアルタイムベストナインVol.2-南海ホークス~福岡ダイエーホークス~福岡ソフトバンクホークス
2月2日付けで第一回の日本ハムファイターズ~北海道日本ハムファイターズ編を行った際に次回は4月2日付けで中日ドラゴンズ編と予告したが、先に南海ホークス~福岡ダイエーホークス~福岡ソフトバンクホークス編を持ってくることにした。ホークスが今季で球団創立75周年となり、その記念事業の一環として「LEGEND HAWKS」と題して識者の推薦やファンの投票によって球団創立以来のベストナインを選ぶ企画を予定しているから、先にやろうというだけだ。 パが旧近鉄バファローズを含む7球団、セが6球団あるので、パのファイターズから始めて交互に両リーグの球団を取り上げ、最後に最も歴史の浅いゴールデンイーグルスを取り上げようと思ったが順番を入れ替えることにした。中日ドラゴンズに関しては次回に回すのでご了承いただきたい。
さて、まだ二回目なので定義を確認しておこう。
●調査期間は敗戦処理。が初めてプロ野球を生観戦した1974年(昭和49年)から執筆時期(公式戦完了済みシーズン)まで。したがって1973年(昭和48年)まで、及び今季の成績は含まない。
●親会社の変更は同一球団と見なす。
●期間内でも他球団に在籍していた期間の成績は含まない。
●主要個人成績(試合数、打率、安打、本塁打、打点、盗塁、勝利、セーブ、防御率等)記録も重視するが、敗戦処理。が受けたインパクトも重視する。
●外国人枠は設けない。
●同一人物の選手と監督との重複選出、複数球団での選出は可。
●ベストメンバー9人(パ・リーグは10人)を含む一軍28人と監督を選ぶ。
●この定義は適宜変更される事もあるかもしれない。
※1973年(昭和48年)までの成績、記録を含めないのは過去を軽視しているのではなく、自分がリアルタイムに観ていない選手達を記録だけで比較する事がかえって非礼にあたると考えたからである。ある意味、自分史のまとめである。
対象の前年の1973年(昭和48年)にホークスは、この年にパ・リーグが導入した前後期二シーズン制の前期を制し、後期優勝のブレーブスとのプレーオフを勝ち抜いてパ・リーグ優勝を果たした。野村克也が選手兼監督を務め、自ら「四番・捕手」としてグラウンドでもチームを牽引していた時代だ。その時点ではブレーブスと並ぶパ・リーグの優勝争いの常連チームだったが、この後、1977年限りで野村監督が後に夫人となる沙知代氏絡みの公私混同で球団を追われると、パ・リーグ随一の名門球団は崩壊し、翌年から長期低迷が続く。1988年限りで南海からダイエーに身売りし、大阪を離れて福岡の平和台球場を本拠地にするが、福岡ドームが出来上がり、王貞治を監督に迎えて1998年に同率3位になるまで20年間Bクラスに低迷していた。
しかし翌1999年にパ・リーグを制して日本シリーズでもドラゴンズを破って35年ぶりの日本一となると、翌年にはパ・リーグ二連覇を果たし、以後上位に安定し、毎年のようにパ・リーグの優勝争いの常連となっている。この間、天文学的な有利子負債を抱えたダイエーから親会社がソフトバンクに変わり、バックアップ体制も整った。
【投手】
1974年以降のホークスで最多勝利の投手は107勝の和田毅で、これに103勝の杉内俊哉、101勝の山内新一、100勝の山内和宏と続く。近年の優勝争いの常連となったチームの両左腕と、南海末期を支えた両右腕の名前が挙がるのが興味深い。だが、ホークス39年間のベストナイン投手として敢えて一人を選ぶとなると、この四人からではなく、斉藤和巳を挙げたい。
2003年に、期間中ホークスの投手で唯一となる二十勝を挙げた斉藤だが肘の故障がたたり、2007年を最後にマウンドに上がっていない。2010年を限りに選手登録を抹消され、リハビリコーチという形で現役復帰を模索しているが全盛期のインパクトは上述の四人の100勝投手を軽く上回る。記録上では79勝、防御率3.33と物足りないが負け数が23で勝率.775というのが特筆される。杉内の103勝55敗、勝率.652も素晴らしい成績だが、いかに斉藤が負けない投手だったかを裏付ける。
よってベストナインは斉藤和巳を選ぶ。
【捕手】
「LEGEND HAWKS」ならベストナインに選ばれるであろう野村克也は期間中には四年間しか在籍していないので選ぶわけにはいかない。1974年以降のホークスで長く正捕手を務めたというと、吉田博之、吉永幸一郎、城島健司だろう。城島はFA権を取得して大リーグ移籍を果たしたので実働期間が短いイメージがあるが、11年間の所属で1063試合にマスクをかぶっており、吉田博の624試合、吉永の614試合を上回っている。三捕手の中で三拍子揃っていると言えるのは城島のみ。期間中、ホークスの捕手でゴールデングラブ賞を獲得しているのは1999年から2005年まで7年連続7回の城島と2011年の細川亨だけ。打撃でも211本塁打、1206安打、打率.299を記録し、中軸を担っていた城島健司をベストナインの捕手に選ぶ。
【一塁手】
ホークスの一塁手というと松中信彦が真っ先に浮かぶ。他の一塁手は小久保裕紀にしろ吉永幸一郎にしろ藤本博史にしろ、他のポジションから回ってきた選手という印象が強い。他は短期間の外国人選手。三冠王に輝いた2004年も松中は133試合中129試合で一塁を守っている。近年はDHや外野手としての出場が目立つ松中だが、1761安打はジャイアンツ在籍期間を含まない小久保の1670安打を上回り、352本塁打ともども門田博光に次ぐ期間中チーム歴代2位。ベストナインの一塁手は松中信彦を選ぶ。
【二塁手】
近年こそ本多雄一がレギュラーとして君臨しているが、まだレギュラー歴6年。近年の成績は申し分ないが二塁手としての出場は825試合。レギュラー歴が長かった印象のある河埜敬幸は二塁手として860試合で期間中では最多となる。河埜は1984年に一度外野にコンバートされ、その後再び内野に再転向するが外野コンバート後は精彩を欠いた感が否めない。河埜はオールスターゲームに5回出場を果たしているが、ベストナイン、ゴールデングラブという連盟表彰を受けていない。本多はベストナイン1回、ゴールデングラブ賞2回に加え、盗塁王2回(最多盗塁刺も2回)。二塁手としては本多雄一を選ぶ。
井口資仁は実働8年と短いのに加え、二塁手として509試合、遊撃手で366試合とコンバートが響いている。
【三塁手】
対象期間に入った1974年当時の正三塁手は藤原満。当時のパ・リーグでは近畿大学時代から同期でオリオンズに入団した有藤通世(後に道世)とともにリーグを代表する華のある三塁手だった。1973年からレギュラーポジションをつかみ、迫力のあるリードオフマンとして打線を引っ張った。1976年と1981年にはパ・リーグの最多安打に輝いたことでもわかる様に一番打者とはいえ、じっくり見ていくというより積極果敢に好球必打した打者だった。1982年に、まだ正三塁手のまま球団から引退勧告を受けて引退。当時の報道では将来の監督手形を切られたとあったが、藤原に順番が回る前に身売りになった…。1974年以降の三塁手としての出場は978試合。
現役最終年となる昨年に通算2000本安打を記録した小久保は上述したように本企画ではジャイアンツに在籍した2004年からの三年間の成績を含まずに比較する。デビューは二塁手で、ホークス復帰二年目の2008年からは一塁手となっているため、ホークスで三塁手としては600試合の出場にとどまる。だが1999年からのホークス黄金時代の大半に在籍し、精神的支柱として貢献した数字に表れない貢献度が計り知れない。もちろんそれは藤原にも当てはまるが、ここは三塁手のベストナインには小久保裕紀を選ぶ。
【遊撃手】
南海末期に正遊撃手として活躍し、1085試合に遊撃手として出場した定岡智秋が試合数では925試合の川崎宗則を凌駕している。が、二塁手部門で名を挙げた河埜同様連盟表彰を受けるほどの活躍が出来ていない。低迷期でありながらも存在感を示し、ファンの喝采を浴びていた河埜や定岡のような選手を何とかベストナインで讃えたいものなのだが、2004年に最多安打と盗塁王のタイトルを獲得したのを始め、ベストナイン、ゴールデングラブ賞各2回と今世紀に入って激戦区のパ・リーグ遊撃手No.1争いに足跡を遺した川崎は外せない。川崎の在籍期間267盗塁は1974年以降のホークスでは歴代最多盗塁だ(2位は本多の261。)。川崎宗則をベストナインに選ぶ。
【外野手】
ホークスの外野手といえば、1992年のオフシーズンに当時の中心選手だった佐々木誠と、ライオンズの秋山幸二を軸にした大型トレードが敢行されたことが印象的だが、この両選手が時期を前後してホークスで長く外野手として活躍した。佐々木はホークスに9年間の在籍で、外野手としての出場は933試合。1991年と1992年に二年連続パ・リーグ最多安打、1992年にはパ・リーグ首位打者と盗塁王。そして1991年から1993年までベストナインとゴールデングラブ賞のW受賞(ライオンズ移籍後の1994年まで。ベストナインは1995年と1997年)。993安打、109本塁打と伸び盛りでの移籍がホークス在籍期間の成績を控えめにした。
佐々木とのトレードで入団した秋山は1994年から2002年まで在籍。外野手としては951試合。佐々木をやや上回った。ホークス在籍時には打撃タイトルの受賞はないが、移籍初年度の1994年から1996年と1999年にゴールデングラブ賞を獲得。またオールスターゲームには在籍9年間常に選出された。そして福岡ダイエーホークスとして始めて臨んだ1999年の日本シリーズでは最優秀選手に選ばれている。
外野のポジションは三つある。佐々木と秋山は文句なしで選ぼう。
残る一人を迷った。
この二人を外野手としての出場試合数で上回るのが1375試合の柴原洋と1055試合の村松有人。柴原はベストナインを2回、ゴールデングラブ賞を3回獲得し、ベストナイン、ゴールデングラブ賞各1回の村松を上回る。ただ村松は盗塁王を1996年に1回獲得しており、ホークス在籍期間中の盗塁数で226盗塁と、柴原の85盗塁を圧倒している。ともに一番打者を打つことが多かっただけに意外だ。他にも低迷期を支えた山本和範(カズ山本)、岸川勝也ら印象に残る選手が多いが、ホークスのベストナイン外野手は佐々木誠、秋山幸二、柴原洋の三人とする。
【指名打者】
これはもう、門田博光以外はありえないでしょ<笑>。
1978年まではライトの守備について出場していたが、1979年のキャンプ中に右足のアキレス腱を断裂する大怪我をし、ほぼ一年を棒に振る。指名打者制の恩恵を最も受けた選手ともいわれるが、1989年から二年間のオリックス・ブレーブス在籍期間を除いても1196試合にDHとして出場。本塁打王3回、打点王2回、最高出塁率3回を記録。特に不惑40歳で迎えた1988年にはこの三部門ともにタイトルを取り「不惑の星」と野球界を超えた注目を浴び、チーム成績が5位であったにもかかわらずパ・リーグの最優秀選手に輝いた。
この年は“南海”ホークスとしては最後の一年でまさに有終の美だったが、ダイエーが親会社になってチームが福岡移転を決めると、家庭の事情を訴えて在阪球団への移籍を希望して同じく親会社が変わったオリックス・ブレーブスへの移籍が決まった(単身赴任が可能になったためか、二年後にホークスに移籍)。
門田はホークス時代に限定しても1196試合にDHとして出場している。これは日本記録である。ホークスでの21年間の通算1876試合出場、432本塁打、通算1810安打は本企画の対象期間である1974年以降では球団最多記録である。
【監督】
1974年以降のホークスの監督を列挙しよう。
野村克也(74年~77年)249勝230敗39分、勝率.520。
広瀬叔功(78年~80年)136勝227敗27分、勝率.375。
ブレイザー(81年~82年)106勝136敗18分、勝率.438。
穴吹義雄(83年~85年)149勝210敗31分、勝率.415。
杉浦忠(86年~89年) 223勝271敗26分、勝率.451。
田淵幸一(90年~92年)151勝230敗9分、勝率.396。
根本陸夫(93年~94年)114勝140敗6分、勝率.449。
王貞治(95年~08年)968勝855敗35分、勝率.531。リーグ優勝3回、日本一2回。
秋山幸二(09年~)305勝239敗32分け、勝率.561。リーグ優勝2回、クライマックスシリーズ優勝1回、日本一1回。
野村克也は70年から監督。
77年に穴吹義雄監督代行で2試合。
06年に森脇浩司監督代行で55試合。
これも王貞治監督の一択だろう。だが、そこに至るまでのホークスの迷走ぶりをおさらいしよう。
野村克也監督解任後のホークスは迷走する。公私混同ぶりは凄まじかったそうだが、監督解任に抗議して移籍を要望した江夏豊、柏原純一の流出も大きかった。
功労者野村の成績外での解雇には球団OBの重鎮、鶴岡一人の意向が強かったと言われる。野村の後任に抜擢されたのは鶴岡派の広瀬叔功。この年まで現役を務めていた名外野手。しかし野村が導入していた、後にID野球と言われる野村のサイン盗みなどを含めた野球スタイルには距離を置いていた存在で、前任者のスタイルを否定したのが裏目に出たか、いきなり最下位に低迷。ここから長期低迷が続く。広瀬の後任には監督野村の片腕だったブレイザー(ドン・ブラッシンゲーム)を据え、ヘッドコーチにドラゴンズで優勝経験のある与那嶺要を招聘するなど外国人コーチで脇を固めたがこれも奏効せず。以後、穴吹義雄、杉浦忠と南海黄金時代を知るOBを投入するが成績は浮上せず。ついにダイエーに身売り。
杉浦監督は福岡ダイエー初年度の監督を勤め上げた後、タイガースとライオンズで活躍した田淵幸一を監督に招聘。南海OB路線の終焉を迎えた。田淵の監督就任は話題を呼んだが、東のONに匹敵する(と少なくとも当時の中内㓛オーナーは思っていた)スターも現役引退後はコーチ経験もなく、上述のように期間中に歴代ワースト2位の勝率だった。田淵監督はそれでも代打専門だった景浦安武をレギュラーに抜擢し、後の三年連続三冠王などの活躍に導いた。
監督を代えるだけではダメと気付いた中内オーナーはライオンズで黄金時代を築いた根本陸夫に球団編成を託そうとライオンズから引き抜き。根本は自ら監督に就任して球団の問題点を洗い出すとともに中内オーナーの意向に沿って後任の王貞治就任に向けてお膳立てをした。
その王ですら当初はなかなか勝てず、移動のバスにファンから生卵をぶつけられたり、ビジター球場で屈辱的な横断幕を掲げられるなどで、オーナー代行の中内正らを中心に任期途中での解任を画策する動きもあったが中内オーナーが却下。1999年にようやくリーグ優勝、日本一を果たす。
それでは敗戦処理。が選ぶマイセレクトリアルタイムベストナインで打線を組もう。
(右)佐々木誠
(遊)川崎宗則
(中)秋山幸二
(指)門田博光
(一)松中信彦
(三)小久保裕紀
(捕)城島健司
(左)柴原洋
(二)本多雄一
(投)斉藤和巳
監督:王貞治
そしてマイセレクトリアルタイム一軍28人はこんな感じ(投手は先発、中継ぎ、抑えを配分)。
【投手】
斉藤和巳、杉内俊哉、和田毅、山内新一、山内孝徳、山内和宏、篠原貴行、吉田修司、井上祐二、金城基泰、馬原孝浩
【捕手】
城島健司、吉田博之、吉永幸一郎
【内野手】
松中信彦、本多雄一、小久保裕紀、川崎宗則、河埜敬幸、藤原満、定岡智秋
【外野手】
佐々木誠、秋山幸二、柴原洋、門田博光、村松有人、新井宏昌、山本和範
39年間を大雑把にくくると、低迷期と常勝期がほぼ半々となる。ベストナインメンバーの世代がもう少し多岐にわたるかと思ったが、南海勢は門田、福岡ダイエー勢は佐々木のみで後は近年のメンバーになってしまった。その反動というわけではないが、28人枠に工藤公康、藤井将雄が漏れる結果となった。
次回は6月2日付で中日ドラゴンズ編を予定。
【参考文献】
・「THE OFFICIAL BASEBALL ENCYCROPEDIA 第4版」社団法人日本野球機構
・「2013ベースボールレコード・ブック」株式会社ベースボール・マガジン社
・「南海ホークス栄光の歴史 1938-1988」株式会社ベースボール・マガジン社
・「プロ野球人名事典2003」森岡浩編著、日外アソシエーツ
・CD版「野球の記録で話したい Baseball Stats Lounge」広尾晃氏
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コメント
名無し様、コメントをありがとうございます。
> ダイハード打線時代のの選手が目立ちますね(^^)
私としてはクローザーはペドラザのイメージです。
あぁなるほど、ペドラザですね。
長い低迷から脱却しての優勝となった1999年の時のクローザーですからね。
金城を外してペドラザというのも考えたのですが、アンダースローの抑えというインパクトが強かったのでしょうか…。
> 73年以前も選考対象に入れると
野村・杉浦・広瀬あたりも入るでしょうかね?(^^)
そうでしょうね。
私が初めて生観戦した1974年からを対象にしたので外しましたが、南海ホークスを語る上では外せない大選手だと思います。
ちなみに野村と広瀬は生で現役時代を観たことがあります。
コメントをありがとうございました。出来ればまた次回お付き合いいただく場合にはハンドルネームで結構ですのでお名前をご記入下さい。
投稿: 敗戦処理。 | 2013年4月 7日 (日) 21時37分
ダイハード打線時代のの選手が目立ちますね(^^)
私としてはクローザーはペドラザのイメージです。
73年以前も選考対象に入れると
野村・杉浦・広瀬あたりも入るでしょうかね?(^^)
投稿: | 2013年4月 7日 (日) 18時07分
坪江様、初めまして。コメントをありがとうございます。
> 南海情報すごいですね、なかなかできないと思います。
ありがとうございます。
まだあと十球団あります。二ヶ月に一球団の割合でと考えているので、結構ハードです<笑>。
投稿: 敗戦処理。 | 2013年4月 3日 (水) 22時34分
はじめまして、ブログ楽しく読ませて頂きました。
坪江といいます。
南海情報すごいですね、なかなかできないと思います。
投稿: 坪江 | 2013年4月 3日 (水) 13時14分