内海哲也が球団史上三人目の100勝サウスポーに!
いくら左投手が右投手に比べて少ないとはいえ、長い歴史を誇るジャイアンツで内海で左投手による100勝が三人目とは意外だ。
ジャイアンツ在籍期間中に通算100勝以上を挙げた投手は内海哲也で16人目。勝ち星順に並べてみよう。
別所毅彦 221勝
中尾碩志 209勝
堀内恒夫 203勝
スタルヒン199勝
藤本英雄 183勝
斎藤雅樹 180勝
桑田真澄 173勝
槙原寛己 159勝
城之内邦雄141勝
江川卓 135勝
大友工 129勝
西本聖 126勝
藤田元司 119勝
上原浩治 112勝
高橋一三 110勝
内海哲也 100勝
(青文字が左投手)
圧倒的に右投手が多い。ジャイアンツの左投手は意外に勝ち数が伸びていない。
通算400勝の金田正一はジャイアンツに五年間在籍したがジャイアンツでの勝利数は47勝。
1977年(昭和52年)と1978年(昭和53年)に二年連続15勝を挙げた新浦寿夫は全盛期が短く80勝。高橋尚成は二桁勝利をコンスタントに挙げられず79勝。宮本和知も66勝にとどまった。逆にFA移籍で在籍期間が七年と短い工藤公康が53勝と健闘している。なお、球団最多セーブタイ(93セーブ)の角三男は29勝。珍しいところでは「打撃の神様」川上哲治さんが投手として11勝を挙げている。
昨年FA移籍した杉内俊哉が「背番号18」を背負うことになった時、“ジャイアンツのエースナンバーに左投手のイメージがない”という声が一部のファンから挙がった。
このデータを見ると、そういう印象を持つファンの気持ちがよくわかる気がする。
左投手最多勝の中尾碩志さんの現役時代を敗戦処理。は知らない。漫画「侍ジャイアンツ」(集英社)に出てきた鬼コーチという印象があるくらいだ。次いで多い高橋一三は敗戦処理。が初めて目の前でサインを書いてもらったプロ野球選手。
V9時代の左腕エースで堀内恒夫に次ぐ投手陣の№2的位置づけであった。しかし公式戦、日本シリーズでのいわゆる胴上げ投手になる機会は堀内より多かったという。両肩が下がった感じからの投げ方で“えもんかけ”と呼ばれていた。V9最終年の1973年(昭和48年)の年間23勝は圧巻だたが、この年をピークに成績が急降下。1975年(昭和50年)にジャイアンツが球団史上初の最下位に終わった年のオフに冨田勝と共にファイターズにトレード。トレードの相手は張本勲だった。
高橋一は現役引退後はファイターズの監督候補にも挙がったが本人が体調に十分な自信がなく断っていたという。引退後に指導者としてジャイアンツに復帰して二軍監督などを歴任した。
内海はこの両先輩に次ぐ球団史上№3として名が残る。しかも来年あたり高橋一三の勝利数を抜き、第2位になる可能性もある。
内海の100勝達成にケチをつけるつもりは毛頭無いが、ジャイアンツは左投手を育成するのが苦手なのだろう…。
FA制度が出来てから川口和久を皮切りに河野博文、工藤公康、前田幸長、野口茂樹、藤井秀悟とFA宣言した左投手に食指を動かしてきた。トレードでも阿波野秀幸、野村貴仁、河本育之、高木康成、須永英輝、阿南徹、青木高広を獲得してきた。
今シーズンに入ってから獲得した青木は高木康の左肩痛が長引きそうだからということでの緊急補強のようだが、ファームから左投手を上げてまかなうという発想はおそらく無いのだろう。
昨年はファームでリリーフで場数を踏んだ辻内崇伸が今年は実戦で投げていない。昨年育成選手から支配下登録された岸敬祐、大立恭平はその後一軍に上がれず。大立は自由契約を志願してホークスに入団した。
山口鉄也と高木京介が戦力になっているが、他にいないので特に山口には負荷がかかっているのが実態。川口、阿波野と左投手だった人がコーチをしていても左投手は育ってこない…。
内海は敦賀気比高校時代に旧ブルーウェーブからドラフト指名を受けたものの入団拒否。祖父の五十雄さんが川上哲治さんや千葉茂さんらと同期のジャイアンツの選手だったこともあってジャイアンツ入りにこだわった。東京ガスを経て2003年のドラフト自由獲得枠でジャイアンツに入団。入団以来背負っている背番号26は祖父五十雄さんが1938年(昭和13年)から二年間付けていた番号で五十雄さんが初代。だがそんな巨人一家の血筋を受けていながら、春季キャンプを視察した金田正一のことを知らず、原辰徳監督から「このお方をご存じか」と聞かれて「金村さん…」と答える大失態をやらかした。余談だが臨時コーチを務めていた広岡達朗はこの話を聞いて激怒。二軍選手の練習を中断させ、球団の歴史、諸先輩の業績を知識として身につける必要性を説教したという。
そんな内海だったが、二年目の2005年にプロ入り初勝利を挙げると、翌2006年には12勝を挙げた。この年から昨年まで七年間で六度の二桁勝利、2011年と2012年にはセ・リーグの最多勝利、2007年には最多奪三振のタイトルを獲得している。
先発ローテーション投手の活躍の目安として挙げられる二桁勝利を六度経験しているが、2009年に9勝止まりだったのが悔やまれる。この世界、れば・たらは禁物だが2009年に二桁勝利を挙げていれば昨年まで七年連続二桁勝利継続となるところだった。
その2009年もシーズン最終戦に先発。勝てば二桁10勝となるところだった。内海は6回2失点の好投で、1点リードの状態でリリーフ陣に託したがリリーフ陣がリードを保てなかったのだ。試合後に現役引退セレモニーを予定されていた城石憲之がこのお方の前で安打を放ち、その後タイムリーで同点のホームを踏んだのだ。
いわゆる引退への花道として空気を読んだ結果だったのだが、内海はこの試合の前にも10勝目を前にして足踏みしていたので致し方なかった。
もっともこの2009年は内海にとってはWBCの日本代表に選ばれながら本来の活躍が出来ず代表監督を務める原監督から「ニセ侍」と罵られたことの方がインパクトが大きかったかもしれない。
そのトラウマは今年の第3回WBCにも引きずられたか、二大会連続で代表メンバー入りを果たしたものの期間中に調子が上がらず、あのコールド勝ちをしたオランダ戦でも12対0の状況でリリーフして先頭打者に四球を出し、4失点する有様だった。
そうした大舞台でのネガティブな印象があるからか、ジャイアンツファンの間でも内海を「エース」と認める向きは少ないかもしれない。敗戦処理。が野球に興味を持ち始めてからに限っても堀内恒夫、江川卓、斎藤雅樹、上原浩治には「エース」という称号を贈るのに躊躇はないが、上原以降、ジャイアンツに「エース」と呼べる存在はまだ出ていないと思う。変な例えだが、今一つ頼りない四番打者を“四番目の打者”と揶揄することがあるが、投手にそれに相当するフレーズがあれば内海に当てはまりそうだ。拙blogでも内海を「エース」と表現したことはほとんど無いと思う。
おそらくはファンの間でも「エース」というものは絶対的なものであって相対的なものでない。その年代で一番頼りになる投手を「エース」と呼ぶのでなく、ある基準に達したものを「エース」と呼ぶのだろう。原監督は自分が現役時代に背負ってきた「巨人の四番」を聖域と表現したが、ファンにとって「エース」も聖域なのだろう。ジャイアンツファンの多くが内海をジャイアンツ投手陣の中心的存在と認めていながらも、“絶対的”が要求される「エース」とは思っていないのであろう。ただ、その“絶対的”「エース」が存在しないチームでも複数の安定感ある投手を擁していれば優勝出来るのが今のプロ野球なのだろう。
今朝のスポーツ報知に内海の手記が載っているが、それによると今年の初登板を前に原監督が「マエケンとのエース対決だ」と全体ミーティングで初めて「エース」と言ってくれたという。将来的には40代まで現役投手を続け、200勝も達成したいと語っている。
200勝はぜひ達成してほしいが、細く長くではファンは「エース」とは思わないだろう。引き合いに出して申し訳ないが、山本昌には頭が下がるが山本昌が「エース」と呼ばれたのは今中慎二と二枚看板だった時代くらいで、近年なら川上憲伸や吉見一起がドラゴンズの「エース」だろう。ファンが求める「エース」像とはそういうものではないか?
昨年内海は日本シリーズでMVPに輝いているが、何年か後にファンに語り継がれるのは日本シリーズでの二勝よりその前のドラゴンズとのクライマックスシリーズでの中三日での熱投だろう。トニ・ブランコに同点本塁打を浴びて交代を告げられたときの無念そうにグラウンドにボールを転がした内海の姿の方がファンには印象に残っているのではないか。
安定した成績を残すが、どこか「エース」と呼ぶほどではない存在。でも優勝するためには欠かせない存在。しかし記録上は球団史で三人目の記録という希少価値も持った存在…。
以前ほど200勝投手が出ない時代、100勝する前に海を渡る投手が出る時代。他球団の指名を断って三年遠回りしたいわく付きの投手が入団十年目で100勝。いろいろな見方があると思う。
後輩の澤村拓一が今一つ伸び悩んでいるように、菅野智之も早晩壁に突き当たるかもしれない。そう考えると、やっぱり内海にジャイアンツの投手陣を引っ張ってもらいたくなる。でも「エース」とはなかなか認められない。
本当は今の時代にピッタリの「エース」なのかもしれない…。
ジャイアンツファンはこれからも内海には時折期待を裏切られるだろう。でも誰もが内海に期待する。ジャイアンツに「エース」が出てくる時、その時にジャイアンツファンは「内海って凄かったな」と振り返るのかもしれない。
注.OB投手の写真は2007年または2012年のOB戦にて撮影した写真を使用。
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コメント
チェンジアップ様、返信ありがとうございます。
> >オレンジユニのことですか?
> ええ、救命胴衣みたいと、言われてるソレ。
昔の黄ばんだユニが懐かしい。
少なくとも私にはセンスが理解出来ません。
多少、去年の方がマシだった気が…。
あと、ドラゴンズの赤いのも…。
投稿: 敗戦処理。 | 2013年7月10日 (水) 22時19分
こんにちは。
>オレンジユニのことですか?
ええ、救命胴衣みたいと、言われてるソレ。
昔の黄ばんだユニが懐かしい。
杉内の話が出たとこで、言うと杉内、川口、阿波野、金田、工藤、河本、メイ、ヒルマンなど、他所から来たイメージですね。
菅野で言うと、江川や桑田など、物議を醸した入団が右だし。
巨人に拘らず、左腕の話だと右利きと左利きの割合が9:1らしいので、そこは考慮すべきでしょうね。
その9:1を考えると300勝以上だと右が、米田、小山、スタルヒン、別所で、左が、金田、鈴木という2:1という割合だから、やはり左有利でしょうね。
山本昌が右投げなら、とっくに引退してるでしょう。
って、左腕論に展開して良いですか?
投稿: チェンジアップ | 2013年7月10日 (水) 11時59分
チェンジアップ様、コメントをありがとうございます。
> こんばんは。色々考えると、巨人の左腕って、何か地味なんですよね。高橋尚成とか今の内海にしても。
右が、江川とか桑田とか槇原、上原と濃いだけかも。
やっぱりそういう印象をお持ちですか。
杉内にエースナンバーの「背番号18」をという話になった時、移籍組云々とは別に「左投手に18番って…」という声がジャイアンツファンからも出ていました。
> 半分冗談ですが、星飛雄馬が1番、存在感あるかも!?とかね。
ある年代の人はそうかもしれませんね<笑>。
> 関係ないですけど、今の巨人のユニフォームはどうにかなりませんかね?
オレンジユニのことですか?
投稿: 敗戦処理。 | 2013年7月 9日 (火) 23時44分
こんばんは。色々考えると、巨人の左腕って、何か地味なんですよね。高橋尚成とか今の内海にしても。
右が、江川とか桑田とか槇原、上原と濃いだけかも。
半分冗談ですが、星飛雄馬が1番、存在感あるかも!?とかね。
子供の頃、巨人くんというマンガがあったが、小学生投手の滝巨人が左腕でしたね。
関係ないですけど、今の巨人のユニフォームはどうにかなりませんかね?
投稿: チェンジアップ | 2013年7月 9日 (火) 20時35分
のんき様、コメントをありがとうございます。
> 左のエースというと、私の見ている中では、江夏投手の印象が強いです。
ああなるほど。まあ私とだいたい同年代ですものね…。
> 私の中での「エース」のイメージは、太めでタフで、ふてぶてしい態度で、馬力がある感じがする投手です。投球スタイルは、「打てるなら打ってみろ」という責めの投球ができる投手でピンチには三振の狙える投手です。
わかります。単に残す数字でなく、ファンに与える存在感、信頼感があってこそ「エース」ですね。
> 内海投手は、細めで、人間的にもできていて、どちらかというと打たせてとる好青年投手という印象があります。よって、私の中での「エース」のイメージとはちょっと違うかなと思います。
やっぱりそう思いますか。内海の実力、貢献度を認めながらも、「『エース』と言うのとはちょっと…」というファンは少なくないと思います。
> 巨人が左のエースがなかなか育たないのは、左の有望な投手が入団すると、マスコミに注目され、周囲がいろいろとアドバイスをして、本来の自分のフォームをくずしてしまい、故障しがちになってしまうからではないかと予測します。
小野仁、金刃憲人、辻内崇伸…
> 打たれて周囲に罵倒されても、卵を投げられても、ふてぶてしさを貫き、ぶれないような投手が「エース」になる資質があるのではないかと予測します。
卵を投げられたかどうかは知りませんが、監督に「ニセ侍」とか「論ずるに値しない」とか酷評されながらも今日ある内海はその点では立派な「エース」の有資格者ですね。
> 敗戦処理。様の「エース」とは、どんな感じですか?
ちょっと感覚が古いかもしれませんが、投げた試合は勝つにしろ負けるにしろ責任を負う。その投手で負けたら仕方がないと味方もファンも思う。こういった要素を持ってなおかつ勝率の高い投手でしょう。
例えばジャイアンツでは江川卓は「エース」だったと思いますが、一般には20勝を挙げてMVPにも選ばれた1981年がピークと思われているでしょうが、敗戦処理。的「エース」観ではその年もさることながら、31試合に登板して19勝12敗に終わり、チームも優勝を逃した翌1982年の江川こそ「エース」だったと思います。
まず、31試合に登板して19勝12敗と言うことで登板した試合、全部に責任を負っています。また、19勝全てにおいて、この年の抑え投手だった角にセーブが付いた試合がなく、江川完投がほとんどでした。
この年、江川が投げた試合に角が登板したのは一度だけで、あの有名な、ナゴヤ球場での終盤の首位攻防戦で、6対2とリードした九回裏にまさかの大乱調で同点に追いつかれ、十回裏にサヨナラの走者を出した時点で江川から角にスイッチしました。
角がサヨナラ安打を打たれ、サヨナラの走者を出した江川が敗戦投手になりました。
他に最近ではダルビッシュ有でしょう。
もしお時間がありましたら、拙blog2011年1月4日付ダルビッシュ有は負けても凄いんです!をご覧下さい。
http://mop-upguy.cocolog-nifty.com/baseball/2011/01/post-1724.html
セ・リーグと異なるDH制ということもありますが、ダルビッシュは敗戦投手になる試合でも並みの先発投手より長く投げます。
勝ち試合でも投球数に応じてマウンドを降りますが、中継ぎ投手不要で抑えに繋ぐパターンが多かったです。
自分が投げる試合の精度はもちろんのこと、チームの前後の試合にも好影響を及ぼすダルビッシュに敬意を表し、私は「エース」でなく「大エース」と呼んでいました。
投稿: 敗戦処理。 | 2013年6月20日 (木) 00時20分
チェンジアップ様、コメントをありがとうございます。
> こんばんは。巨人の生え抜き左腕って、連想出来ないもんですね、昔から。去年とかも、考え込んでしまった。
特にジャイアンツファンでない人が考えると、なおさらそうだと思います。
> エースナンバーは右が18で、左が21というのが日本の野球の定番みたいですね。
それこそ、堀内恒夫→18、高橋一三→21 の世界ですね。
> ところで、新浦は何故、韓国に?
いわゆる、“故郷に錦”というものでしょう…
投稿: 敗戦処理。 | 2013年6月19日 (水) 23時56分
敗戦処理。様、こんばんは。のんきです。
左のエースというと、私の見ている中では、江夏投手の印象が強いです。
私の中での「エース」のイメージは、太めでタフで、ふてぶてしい態度で、馬力がある感じがする投手です。投球スタイルは、「打てるなら打ってみろ」という責めの投球ができる投手でピンチには三振の狙える投手です。
個人的には、勝利数や防御率などの数字では表せないマウンド上での堂々とした態度で「エース」か否かを判断しています。
内海投手は、細めで、人間的にもできていて、どちらかというと打たせてとる好青年投手という印象があります。よって、私の中での「エース」のイメージとはちょっと違うかなと思います。
巨人が左のエースがなかなか育たないのは、左の有望な投手が入団すると、マスコミに注目され、周囲がいろいろとアドバイスをして、本来の自分のフォームをくずしてしまい、故障しがちになってしまうからではないかと予測します。
打たれて周囲に罵倒されても、卵を投げられても、ふてぶてしさを貫き、ぶれないような投手が「エース」になる資質があるのではないかと予測します。
敗戦処理。様の「エース」とは、どんな感じですか?
のんき
投稿: のんき | 2013年6月19日 (水) 21時45分
こんばんは。巨人の生え抜き左腕って、連想出来ないもんですね、昔から。去年とかも、考え込んでしまった。
活躍とかは関係ないですが、宮本とかね、すっかりタレントですけど。
リリーフだけど角とか。
エースナンバーは右が18で、左が21というのが日本の野球の定番みたいですね。
ところで、新浦は何故、韓国に?
投稿: チェンジアップ | 2013年6月19日 (水) 18時03分
シュボ様、コメントをありがとうございます。
> 私が野球を興味を持った年の巨人の先発の記憶が斎藤雅、桑田、槇原、宮本、香田、ケアリーでした。
ケアリーいましたね。
最初は抑えの切り札と期待された左投手でしたね。
開幕早々の東京ドームでのカープ戦で、ジャイアンツが八回裏に大野から緒方が逆転ツーランを打ち、さあこれで勝てるぞという九回表に登板してあっという間に打たれて引っ繰り返された試合を生で見ました。
しかも逆転されたあとに、なおも二死一、三塁で一塁走者が牽制球に引っかかった振りをして一塁に牽制球を投げさせてその間に三塁走者がスタートしてホームインされるという失点をし、抑え失格の烙印を押されたように記憶しています。
その後中継ぎに回っていましたが、先発も何試合かしたと記憶しています。
ドラゴンズ戦で延長戦で投手を使い果たし、最後の投手として出てきて、一死三塁というサヨナラの場面でケアリーに打席が回り、まだ野手が残っているにもかかわらず代打を送れないというのがありました。投手は与田だったか森田だったか…。
結果はスリーバントスクイズを試みるもファウルで三振。その次の回に勝ち越されて負けたという試合もありました。
> 最後にこう締めくくられておりますがまさにその通りだと思います。
今までにない巨人のエースそういう印象です。
まあ人間的にも素晴らしい話は聞きますしチームもまとめていますから、
将来的には指導者としても未来の巨人を支えてくれる事を期待しています。
もちろん内海を「エース」と認めているファンもいるでしょうし、そういう意見を否定するつもりもありませんが、歴代のエースと比べると、ちょっとインパクトに欠ける点もあると思います。
ご指摘のようにリーダーシップなども含めた上でのエースなのかもしれませんね。
投稿: 敗戦処理。 | 2013年6月19日 (水) 00時02分
こんばんわ。
私が野球を興味を持った年の巨人の先発の記憶が斎藤雅、桑田、槇原、宮本、香田、ケアリーでした。
それより古い時代は話でしか聞いておりませんでしたが今回の内容を読み左投手の活躍は多くはないのだなと数字上でも実感しました。
ケアリーは左投手ですが1年だけでしたし、その前、その後もコンスタントに先発していたのが宮本でした。ただ、3本柱が居てエースというイメージはありませんでした。その後、高橋尚が先発ローテに入りますが上原がいてやはり絶対的なエースというイメージがありませんでした。
内海は統一球の年に2年続けて最多勝を獲りました。これは打たせてとる投球の内海にはまった為と思います。三振ピッチャーではない投手は結果はどうあれ、
ボールにはまず当てられる事が多いわけでその場合は飛ばない方が有利だからでしょう。しかし、その前の時代も10勝以上を4回していますのでただ単純に統一球の恩恵を受けていたわけではないでしょうから投球術というのを持っている投手ですよね。同じ贔屓チームの日本ハムの武田勝とはまた違うのですが、うまく表現できなくて申しわれないですがそんな印象です。
>>本当は今の時代にピッタリの「エース」なのかもしれない…。
最後にこう締めくくられておりますがまさにその通りだと思います。
今までにない巨人のエースそういう印象です。
まあ人間的にも素晴らしい話は聞きますしチームもまとめていますから、
将来的には指導者としても未来の巨人を支えてくれる事を期待しています。
そして簡単ではないですが、まずは200勝ほんとに達成する日も期待していますが。
投稿: シュボ | 2013年6月18日 (火) 21時36分