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2013年8月10日 (土)

【検証】昭和56(1981)年間柴茂有15勝0敗、勝率1.000

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日、ゴールデンイーグルスの田中将大がホークス戦で今季16勝目。開幕から土つかずの16連勝となり、これまでの間柴茂有(ファイターズ)斉藤和巳(ホークス)の開幕15連勝を抜く日本新記録となった。

新たな記録が達成されると、それまでの記録保持者がクローズアップされる。斉藤和巳や、惜しくも14連勝で止まった篠原貴行(当時ホークス、現ベイスターズ)の事は覚えているけど、「間柴って誰?」「普通に変換すると“真柴”じゃん!?」とか言う向きの人もいるだろう。しかもこの間柴、150敗で年間勝率1.000を達成している。これは二リーグ制以降、日本のプロ野球で規定投球回数以上の投手で唯一の記録だ。

そこで昭和56(1981)年、ファイターズのリーグ優勝にも大きく貢献した間柴茂有の150敗、勝率1.000を検証してみる。


(写真:開幕から土つかずの15連勝を達成した間柴茂有の快挙を報じるスポーツニッポン紙面の複写=昭和56年9月19日付)

間柴茂有(ましば しげくに)。後楽園時代のファイターズを知るファンにとっては懐かしい名前だ。今回、ゴールデンイーグルスが開幕から土つかずの連勝を続け、斉藤和巳と共に従来の記録保持者ということで名前が挙がっているが、テレビのスポーツニュースで懐かしい当時の投球映像がちらっと流れるのを見ることが出来た。今は一体何をしているのだろうか?

元々はホエールズに所属していた左投手で、ホエールズ当時には逆に三年がかりで13連敗も記録していたという、期待されながらなかなかそれに応えられない投手でファイターズにトレードで入ってきた。ジャイアンツV9戦士だった高橋一三に次ぐ左の先発要員として頭角を現し、記録達成の前年、昭和55(1980)年には10勝7敗で先発ローテーションに定着した。“アメージングルーキー”と言われ、22勝を挙げた木田勇ばかりが注目を浴びた年だったが…。

当時二シーズン制のパ・リーグでこの年の後期にファイターズは旧バファローズなどと終盤まで激しく優勝を争い、惜しくも優勝を逃した。五年契約の切れる大沢啓二監督は一度は辞意を表明したが大社義規オーナーの強い慰留にあい続投。カープから抑えの切り札江夏豊を獲得し、翌年の優勝を目指していた。

だが、江夏獲得のために長年エースとして君臨していた高橋直樹を交換で放出。間柴ら、中堅クラスの先発陣のレベルアップが不可欠と見られていた。だが、間柴が予想以上の大活躍をしてしまった。

投手としてのタイプは速球派ではなく、低めの両サイドを丹念に付く投球が生命線で、右打者の膝元へのカーブ、スライダーがこの年は特に決まっていた。独特のスライダーは間柴のスライダーということで“まっすら”とも呼ばれていた。ホエールズ、ファイターズ、ホークスで実働21年、通算500試合登板81勝83敗2S、防御率4.14。ファイターズでの15勝0敗イヤーがあっても通算成績が負け越しているのが間柴らしい。


では、この年の間柴の登板を振り返ってみよう。


シーズン初登板は4月8日の本拠地後楽園での対ライオンズ戦の先発。この試合で何と間柴は1イニング持たずにKOされる。打者7人に被安打4、味方のエラーも絡み初回に5失点。普通なら敗戦投手になってもおかしくない内容。間柴の後を受けた右投げのサイドスロー、高橋正巳がロングリリーフしている間にファイターズ打線が爆発。高代延博の逆転満塁本塁打で七回裏に逆転。間柴の敗戦投手の可能性が無くなった。この後、八回表無死一塁から登板した江夏が同点に追いつかれ、九回表には田淵幸一に決勝本塁打を打たれてファイターズは敗れるのだが記録上、間柴に勝敗は付かず。

続く登板は4月14日の日生球場の旧バファローズ戦での先発。勝利投手の権利を得る五回まで投げて被安打7の自責点2。5対2と3点リードで降板した。この後、岡部憲章が2イニング、江夏が2イニング投げて5対4で逃げ切って間柴が初勝利。15連勝のスタートを切った。ちなみに江夏がこの試合でこの年の初セーブ。

二度の先発登板で首脳陣の心証が悪かったのか、この後はリリーフでの登板が二試合続いた。4月20日の大阪球場でのホークス戦では先発の高橋里志が4回2失点の後に0対2と2点ビハインドの五回裏から二番手として登板。最後まで4イニングを無失点で投げきったが、藤田学に完封されて0対2のまま終了。一日おいた4月22日の後楽園でのオリオンズ戦では先発の高橋正、二番手の村上雅則の後を受けて4対5と1点ビハインドの六回表から三番手で登板。2イニング目の七回表に3点を奪われ、試合を決定づけてしまった。しかし4イニング投げて中一日で2イニングとは、最近の中継ぎ投手では考えられない…。

4月27日の後楽園での旧バファローズ戦で先発に復帰した間柴だったが、初回に平野光泰に先頭打者本塁打を浴びるなど三回途中で2失点で降板したが、その直後の三回裏にファイターズが4点を奪って逆転。間柴の敗戦投手の可能性が消えた。その後、間柴の後を継いだ二番手の高橋里が五回表に再逆転され、中盤は両軍ともに点の取り合いになるがファイターズは7対8で惜敗した。

間柴はその翌日の4月28日の西武球場でのライオンズ戦にリリーフ登板。この翌年に二十勝を挙げる工藤幹夫が先発で3回途中で6失点。二番手に岡部で間柴は5対6と1点ビハインドの四回裏から登板するも、3イニング目の六回裏に“必殺仕事人”大田卓司に2ランを浴びてリードを拡げてしまう。

昨今のファイターズならこの辺で、いやあるいはもっと早く鎌ヶ谷に強制送還されるところだが、当時は鎌ヶ谷が無かったので、もとい他にこれといった投手がいなかったのか、間柴は一軍に残り、再び先発のチャンスを与えられる。

日付相手 球場 スコア 投手起用
4/8L 後楽園 6-7 ■間柴 2/3 4高橋正6 1/3 1●江夏2 1
4/14Bu 日生 5-4 ○間柴5 2岡部 2 1S江夏2 1
4/20H 大阪 0-2 ●高橋里4 2間柴4 0
4/22O 後楽園 4-8 ●高橋正3 2/3 5村上1 1/3 0間柴2 3杉山2 0
4/27Bu 後楽園 7-8 ■間柴2 0/3 2●高橋里2 2/3 3高橋正1/3 1村上1 2杉山3 0
4/28L 西武 6-8 ●工藤2 2/3 6岡部1/3 0間柴3 2杉山2 0

(対戦相手:L=西武ライオンズ、Bu=近鉄バファローズ、H=南海ホークス、O=ロッテオリオンズ、B=阪急ブレーブス。○=勝利投手、●=敗戦投手、S=セーブ。投手起用の欄はイニング-自責点の順。 ■は間柴が降板持に敗戦投手になる可能性が逢った試合。以下同じ。)


5月3日の川崎球場でのオリオンズ戦に先発した間柴は八回まで無失点、最終回に落合博満の犠飛で1失点して3対1とされて完封こそ逃したものの完投で2勝目を挙げた。

これで波に乗るかと思うとそうはいかないのがこの時期の間柴。続く登板は5月9日の平和台球場でのライオンズ戦(ライオンズ主催)での先発。間柴は三回途中で4失点、0対4の時点でKOされるが、ファイターズ打線が五回に大逆転。間柴の敗戦投手が消え、10対9と大逆転勝ちで間柴の後の二番手で4イニングを投げた杉山知隆が勝利投手に、2回2/3のロングリリーフの江夏にセーブが付いた。

早い回でKOされたからか続いては中三日で5月14日の後楽園での旧バファローズ戦に先発。二回までに5点を取り、五回裏にも4点を取る打線の援護に恵まれてスイスイと投げ、七回と八回に失点するも大量援護に守られて9回4失点で完投勝利。ファイターズはこの試合で勝率を五割に乗せて3位に浮上していた。

続いては中五日で5月19日の平和台球場でのホークス戦(ホークス主催)に先発。二回に2点を先制され、そのまま試合が進む危ない展開だったが、六回表に2点を返して同点、七回表に島田誠の犠飛で勝ち越した。間柴は七回まで2失点の好投。八回と九回を江夏が抑えて3対2で逆転勝利。間柴は4勝目。なお、この試合で江夏が日本プロ野球初となる十二球団すべてからセーブを記録。

交流戦がなかった時代、パ・セ、両リーグに少なくとも二球団ずつ所属しないと出来ない記録だ。

続いては中四日で5月24日の後楽園でのオリオンズ戦に先発。初回に2失点し、二回裏に追いついて2対2となるも、三回表に再び2失点。2対4とされて三回表無死で降板するも、その裏に打線が1点を返し、五回裏に逆転し、間柴の敗戦投手が消えた。試合は六回を終えて降雨コールドでファイターズの勝利。

間柴は中二日で5月27日の西宮球場でのブレーブス戦に先発の工藤が三回途中でKOされた後にリリーフ登板するが自らも1/3イニングで5失点して火に油を注いでしまった。


日付相手 球場 スコア 投手起用
5/3O  川崎  3-1  ○間柴9 1
5/9L 平和台 10-9 ■間柴2 2/3 4○杉山4 3S江夏2 2/3 1
5/13Bu 後楽園 10-4 ○間柴9 4
5/19H 平和台 3-2 ○間柴7 2S江夏2 0
5/24O 後楽園 5-4 ■間柴2 4○岡部4 0
5/27B 西宮 2-8 ●工藤2 1/3 3間柴2/3 5杉山5 0


この後は登板間隔が空いて6月4日の後楽園でのホークス戦に先発。味方が三回裏に5点を先取、間柴も六回までは無失点で完勝かと思った七回表に間柴がホークス打線に捕まる。久保寺雄二のタイムリーと新井宏昌の3ランで一気に5対4の一点差に迫られると岡部と交代。岡部がこの回に追いつかれ、八回にホークスに勝ち越されてファイターズは無念の逆転負け。敗戦投手にならない間柴が、逆に勝利投手の権利を得て降板して勝利投手を逃したのはこの試合が初めてだった。ファイターズはこの試合で借金1に転落。前期首位のオリオンズとは5.5ゲーム差の4位と厳しい状況に置かれた。

またまた登板間隔が空いて6月17日の後楽園での旧バファローズ戦に先発。被安打5、与四死球1で約一年十ヶ月ぶりの完投勝利。5勝0敗となった。

前期最後の登板は6月25日。山内一弘監督率いるオリオンズが二年連続で前期優勝を決めた翌日の藤井寺球場での旧バファローズ戦に先発の成田文男が三回途中で降板した後を受けて2/3イニング投げた。

ファイターズの前期成績は31勝31敗3引き分けの4位。大沢監督が不退転の決意で臨んだシーズンとしては不本意な成績だった。間柴の成績も15試合に登板して5勝0敗。だが敗戦投手の可能性を残して降板した試合が四試合もあり、安定した成績とは言えない状態だった。間柴もチームもこうなると、後期に賭けるしかない。


日付相手 球場 スコア 投手起用
6/4H 後楽園 7-8 間柴6 1/3 4●岡部1 3江夏1 2/3 1
6/17Bu 後楽園 4-0 ○間柴9 0
6/25Bu 藤井寺 3-4 ●成田2 1/3 2間柴2/3 0村上2 0木田1 0杉山2 0


後期の初登板は7月7日の後楽園で行われたブレーブス戦。1対4とリードされた七回表に四番手として登板。3イニング目の九回表に2点を奪われ、試合を決定づけた。

その三日後の7月10日の日生球場での旧バファローズ戦に先発。七回途中2失点で江夏のリリーフを仰いだものの、勝利投手。

続く7月16日の後楽園でのホークス戦での先発は7回1失点。2対1とリードを保って降板し、江夏が2イニングを締めた。

オールスターゲーム前の最終戦となった7月22日の大阪球場でのホークス戦に中五日で先発。八回途中まで1失点の好投で後を江夏に託し、8勝目となった。後期最初の7月は先発に戻ってから三試合で三勝と安定してきた。


日付相手 球場 スコア 投手起用
7/7B 後楽園 2-6 ●高橋正5 3村上1/3 0杉山2/3 1間柴3 2
7/10Bu 日生 6-2 ○間柴6 1/3 2S江夏2 2/3 0
7/16H 後楽園 2-1 ○間柴7 1S江夏2 0
7/22H 大阪 4-1 ○間柴7 1/3 1S江夏1 2/3 0


オールスター後の初登板は8月2日、札幌円山球場で行われた旧バファローズ戦。この試合で間柴は無四球完投で9勝目を飾った。新聞記事ではこのあたりから“間柴、無傷の○連勝”という書き方になってくる。

当時のパ・リーグで左打者が主体の旧バファローズとホークスは比較的、左投手を苦手にしていた。大沢監督は間柴をこの両チーム相手に優先してぶつけた。登板間隔が空いて8月14日の大阪球場でのホークス戦に先発すると、9安打を浴びながら完封勝利を記録した。ついに無傷の10連勝!前後期連覇を目指す首位のオリオンズにゲーム差無しと肉薄している。

続いては1ゲーム差で首位を走るオリオンズとの直接対決となった8月21日の後楽園でのオリオンズ戦に先発。味方が一回裏に1点、二回裏に3点とオリオンズ先発の三宅宗源から幸先良く4点を先取するも、三回途中で3失点でKOされてしまう。試合は6対6で迎えた五回表に三番手の木田が一死満塁から庄司智久に決勝打となる走者一掃の右中間三塁打を浴びるなどで突き放された。

間柴はこのあと中四日で8月26日に相性の良い旧バファローズ戦(日生球場)に先発。トニー・ソレイタの満塁本塁打など打線の援護にも恵まれ、九回完投、自責点1、失点2の好投だった。


日付相手 球場 スコア 投手起用
8/2Bu 札幌円山5-1 ○間柴9 1
8/14H 大阪 7-0 ○間柴9 0
8/21O 後楽園 9-11 間柴2 2/3 3杉山1 0●木田2/3 4工藤4 2/3 1
8/26Bu 日生 11-2 ○間柴9  1


首位に立って迎えた9月1日の後楽園での旧バファローズ戦に間柴は先発。3対1のリードで迎えた五回表に2点を奪われ3対3とされると、そのまま均衡が保たれて続いた。九回を投げきった間柴に対し、九回裏のファイターズは先頭の柏原純一が平凡な遊ゴロを放つがこれを吹石一恵のお父さんがファンブルしてサヨナラの走者となると、二死一、二塁から“ボンバー”こと古屋英夫が左中間にサヨナラ二塁打を放った。間柴は被安打11ながら粘りの完投勝利。

そして圧巻が中五日で先発した9月7日の後楽園でのホークス戦。先発した間柴は三回表に門田博光に先制3ランを浴び、そのまま0対3で試合が推移した。間柴は四回以降を無失点に抑え、0対3のまま迎えた九回裏に四死球でつかんだチャンスからソレイタのエンタイトル二塁打でまず1点を返すと、続く井上弘昭の三ゴロで1点差とし、二死から古屋がレフト前に同点タイムリーを放ち、最後は勝負強い男、岡持和彦がセンターの頭上を越すサヨナラ安打。岡持にとっては前年の木田の二十勝目を決めたサヨナラ本塁打に続く快挙だった。これで開幕から土つかずの13連勝となり、一リーグ時代の昭和22年のタイガース、御園生崇男、昭和41年のルーキー堀内恒夫の開幕13連勝に並ぶ日本タイ記録となった。堀内は参議院議員のルーキーとして記録を作るか?


【昭和56(1981)年9月7日・後楽園】
H 003 000 000  =3
F 000 000 004× =4
H)●山内孝、水谷-吉田
F)○間柴-大宮
本塁打)門田41号3ラン(間柴・九回)


ファイターズも残り試合が14試合で2位のブレーブスに1.5ゲーム差を付けていて、悲願の後期優勝にまっしぐら。間柴を最後まで投げ切らせたのは記録のためというよりツキに託したのかもしれない…。

そして再び中五日で9月14日の西宮での2位ブレーブスとの直接対決に先発。8月21日のオリオンズとの直接対決での先発では三回途中でKOされた間柴だったが、この日も1点の先制を受けながら三回裏に2失点して逆転され、五回表に同点にしてもその裏に勝ち越されるイヤな展開だったが粘り強く投げ、ファイターズ打線が七回表に一挙4点を奪って逆転。九回表にも3点を追加し、尻上がりに調子を上げた間柴が完投し、9対3でブレーブスに逆転勝利。ゲーム差を2.5に拡げた。

後期優勝までマジック4で迎えた9月18日の後楽園でのライオンズ戦にこの年初めて中四日で先発した間柴はこの試合も一回と二回に1点ずつ献上して0対2とされるが、三回以降ファイターズ打線が小刻みに得点して逆転。八回途中に3対2の一点リードのまま江夏にバトンタッチ。ついに開幕15連勝となり、チームも6連勝で後期優勝マジックを3とした。

この後、9月23日にマジック対象チームのブレーブスが敗れてファイターズの後期優勝が決まった。ファイターズは試合が無く、ブレーブス敗戦の報を受けて無人の後楽園球場で大沢監督が胴上げされた。だがこの日、セ・リーグでジャイアンツがリーグ優勝を決めたので扱いは小さかった…。

間柴は登板感覚的には優勝決定後の試合に登板も可能だったが、プレーオフの調整を優先させるため、登板を回避した。間柴は1リーグ時代の昭和12年秋の御園生崇男の11勝0敗以来、二リーグ制後は初となる勝率1.000を達成した。


日付相手 球場 スコア 投手起用
9/1Bu 後楽園 4X-3 ○間柴9 3
9/7H 後楽園 4X-3 ○間柴9 3
9/13B 西宮 9-3 ○間柴9 2
9/18L 後楽園 4-2 ○間柴7 1/3 2S江夏1 1/3 0


この年の間柴は27試合に登板、15勝0敗、防御率3.46(リーグ8位)。

間柴はこの後、二シーズン制下でのオリオンズとのプレーオフでも好投。ファイターズの1勝1引き分けで迎えた10月11日のプレーオフ第三戦(後楽園)に先発。被安打4、1失点の完投勝利でファイターズのリーグ優勝に王手をかけた。前日が九回終了で5時間17分を要する5対5の引き分け試合と重苦しい空気を一掃した。結局プレーオフはファイターズが3勝1敗1引き分けで19年ぶりのパ・リーグ優勝を決めた。

間柴はジャイアンツとの後楽園決戦といわれた日本シリーズでもファイターズ先勝の後の第二戦(ファイターズがホーム)に先発。七回まで無失点に抑えるも、1対0とリードして迎えた八回表にロイ・ホワイトにライトに逆転2ランを浴びてしまった。ツキ男間柴もこの後にはどんでん返しがなく、1対2でこの年初の黒星を喫した。間柴は第六戦にも先発したが2回3失点で再び敗戦投手。間柴の神通力が切れたファイターズは2勝4敗で敗れ去った。

なお前年の昭和55年を黒星で終えていた間柴の連勝記録は15連勝で翌昭和57年に引き継がれた。初登板となった4月6日の後楽園での旧バファローズ戦に2失点完投勝利で連勝記録を16と伸ばしたが、次の登板となった4月12日の大阪球場でのホークス戦に2失点完投ながら0対2でチームが敗れて敗戦投手になり、16連勝で止まった。


昭和56年の間柴は前期にはツキに恵まれて敗戦投手を免れるケースも目立ったが、後期には安定。15連勝の内、10連勝を後期だけでマークしたことでもうかがえるように安定感抜群だった。12試合に登板、内11試合に先発した後期は一試合を除いて勝利投手になっているわけだから抜群の安定感であった。だが後期のMVP、年間のMVPとも江夏が選ばれた。

これまで見てきたように、間柴の15連勝は田中将大や、斉藤和巳と比べると幾分ツキに恵まれた要素があったのは確かなようだ。当時のファイターズ打線は島田誠、高代、トミー・クルーズ、柏原、ソレイタ、古屋、井上、大宮龍男、菅野光夫と並ぶ繋がりと迫力を兼ね備えた打線で、抑えには盤石な江夏がいた。だが7月の3勝がすべて江夏の助けを借りたものだったのが8月以降は7勝中6勝が完投と江夏の負荷を軽くした。間柴の安定と共に後期のファイターズが優勝街道を走ったといって過言では無いだろう。ツキにプラスして進化する実力、そしてチーム全体の進化があっての15連勝、年間勝率1.000だったろう。

間柴が二桁勝利を挙げたのはこの年と前年の昭和55年と、昭和58年の三回だけ。通算81勝83敗の内訳は昭和45年から昭和52年までのホエールズ時代に13勝27敗。昭和53年から昭和63年までのファイターズで66勝55敗。平成元年と翌年のホークスで2勝1敗。いわゆる一発屋というには実働21年は長い。不思議な投手だった。


最後に、田中の記録達成を祝福する間柴のコメントが10日付けのスポーツ報知に載っている。記者との一問一答の形だ。抜粋して引用する。


- 田中の連勝を、どう見ていたか。

「13連勝ぐらいのときに、周りから『名前が出てる』と言われて気が付いた。14勝目のときはサヨナラだったが、自分のときも同じようなことがあった。13勝目のときだったか、同点で降板する予定で、その裏にチームがサヨナラ。そういうこともあったから、連勝が続いていったんだと思う」

- 田中に願うことは。

「自分のときは次のシーズン、通算17連勝をかけた試合で負けて、その後に風疹にかかったり、血行障害になったりしたけど…。ただ、連勝記録は抜かれたが、(2リーグ以降)唯一のシーズン勝率10割は、並ばれることはあっても抜かれることはない。だから田中君には、どんどん行ってほしい」


田中将大でも並べても抜けない年間勝率1.000。田中はさらに高次元の成績で勝率1.000を記録するのだろうか…。


多少は見やすいかも…Excel版、間柴の昭和56年「S.Mashiba1981.xlsx」をダウンロード


【参考文献】
「日本プロ野球記録大百科2004」(日本野球機構)
「プロ野球70年史」(株式会社ベースボール・マガジン社)
「プロ野球人名事典」(森岡浩 日外アソシエーツ)
読売新聞縮刷版 昭和56年4月~10月、昭和57年4月 読売新聞社
スポーツニッポン昭和56年9月14日付け、同19日付け

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コメント

肉うどん様、こちらこそ、いつもコメントをありがとうございます。

> 間柴さんの連勝、そんなこともありました。当時はドキドキしながら新聞記事を追いかけていました。あのころは情報もないうえにこちらに分析力もないので、何故、大洋では平凡に見えた(失礼)投手が急に活躍しはじめたのか、半信半疑でモヤモヤしていました(今でも不思議ではありますが)。

そうですよね、ネットもCS放送もなかった時代でしたからね…。間柴の投げている試合も、巨人戦中継の“他球場の途中経過”で知るなんてレベルでしたね…。

巨人戦中継にはそういうメリットもあったのですが、逆に困ったのがパ・リーグに疎い実況アナの「南海の先発は山内」という紹介。三人いるだろ<苦笑>!

> 。「一発屋」でしたらファイターズの伝統だったんですけど(これはあまり笑えませんねぇ)。

木田勇を筆頭に、間柴もそうでしょうが、工藤幹夫に岡部…。

投稿: 敗戦処理。 | 2013年8月30日 (金) 22時35分

いつもありがとうございます。

間柴さんの連勝、そんなこともありました。当時はドキドキしながら新聞記事を追いかけていました。あのころは情報もないうえにこちらに分析力もないので、何故、大洋では平凡に見えた(失礼)投手が急に活躍しはじめたのか、半信半疑でモヤモヤしていました(今でも不思議ではありますが)。他にもマッシー村上さんがちょこっと活躍した年があったと思います。「一発屋」でしたらファイターズの伝統だったんですけど(これはあまり笑えませんねぇ)。

投稿: 肉うどん | 2013年8月30日 (金) 15時40分

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