一日に優勝胴上げを二度見た敗戦処理。の一番長い日【回想】敗戦処理。生観戦録-第36回 2007年(平成19年)編
これまで当blogで毎月2日に交互に掲載していた 敗戦処理。が生観戦した野球場が59ケ所の観戦球場を出し尽くしたので当面、先月スタートしたマイセレクトベストナインを偶数月に、 敗戦処理。が生観戦したプロ野球- my only one game of each yearを奇数月の2日に掲載していきます。シーズン中、また新たに初めての球場で観戦したら臨機応変にはさむようにします。
1974年(昭和49年)に初めてプロ野球を生観戦した敗戦処理。はその後毎年、途切れることなく数試合から十数試合を生観戦しています。そこで一年単位にその年の生観戦で最も印象に残っている試合を選び出し、その試合の感想をあらためて書いていきたいと思います。年齢不詳の敗戦処理。ですが同年代の日本の野球ファンの方に「そういえば、あんな試合があったな」と懐かしんでもらえれば幸いです。
【回想】敗戦処理。生観戦録- my only one game of each
year第36回 2007年(平成19年)編
(写真:一日で二度見ることが出来た優勝胴上げ。上が昼間見たファーム日本選手権を制したドラゴンズの辻発彦二軍監督の優勝胴上げ。下が夜に九回表から観戦したファイターズのパ・リーグ優勝出トレイ・ヒルマン監督の胴上げ。2007年9月撮影)
これまでこのシリーズではある年度の一年間の野球観戦の中で最も印象に残っている一試合を選んで取り上げてきたが、今回の2007年に関しては一試合ではなく一日を選んだ。
9月29日、土曜日。ファーム日本選手権が山形県野球場で組まれており、ジャイアンツがイースタン・リーグ優勝を決めた時点で敗戦処理。はチケットの手配をした。ところがその後、ファイターズのパ・リーグ二連覇が同じ日に決まる可能性が出てきた。ファイターズは前日の28日に西武ドームでライオンズ戦、29日、30日と千葉マリンスタジアムでマリーンズ戦。このいずれかでリーグ優勝を決める可能性が高くなってきた。28日は平日で西武ドーム生観戦は困難。ただ幸い、29日はファーム日本選手権がデーゲーム、マリーンズ対ファイターズがナイトゲームと時間帯がずれている。山形、千葉とめちゃくちゃ離れているが、優勝決定の瞬間くらいは生で見ることが出来るかもしれない。ファイターズファンの知人がレフトのビジター応援席で観戦予定とのことで、29日に優勝決定の可能性がある場合は参戦することにした。もちろん翌30日のチケットも押さえた。
そして当日、ファイターズは勝てば優勝という形になった。
近年ではファーム日本選手権は地方球場で一年ごとに場所を変えて行っているが、この年と前年はゴールデンイーグルスがファームの本拠地にしている山形県野球場(現ネーミングライツは荘内銀行・日新製薬スタジアムやまがた)で行われた。
最寄り駅はJR左沢線羽前長崎駅なのだが、JR山形駅からシャトルバスが出ているので乗り込んだ。
ドラゴンズ
(左)澤井直久
(遊)岩崎達郎
(二)森岡良介
(一)新井良太
(右)堂上剛裕
(三)柳田殖生
(中)平田良介
(捕)田中大輔
(投)川井進
ジャイアンツ
(中)松本哲也
(三)寺内崇幸
(遊)坂本勇人
(右)亀井義行
(左)田中大二郎
(一)三浦貴
(二)岩舘学
(捕)星孝典
(投)深田拓也
試合が動いたのは二回裏、イースタン・リーグで防御率1位に輝いたジャイアンツの先発、深田拓也がバットでも活躍。安打と敵失でつかんだ二死一、二塁から左中間を深々と破るタイムリー二塁打で2点を先制した。
ドラゴンズの先発川井進(現登録名・雄太)には不用意な2失点だったろうが、続く三回裏にはこの年ルーキーだった坂本勇人には安打を打たれたもののアウトをいずれも三振で奪う。
だがこの回で降板。2点ビハインドの四回裏から吉見一起が登板。吉見はこの年、ドラゴンズのファームで唯一規定投球回数に達していた。
深田は投げる方も絶好調で四回まで無安打に抑えていたが、五回表に先頭の堂上剛裕にソロ本塁打を打たれる。
ジャイアンツが2対1と1点リードで迎えた六回表、ドラゴンズは先頭の吉見に代打を使わず。だがその吉見がレフト前に安打して口火を切ると、二死三塁から森岡良介がセンターオーバーの逆転2ラン。
ジャイアンツはここで深田を諦めて酒井順也を投入。しかしドラゴンズは新井良太と堂上剛の連続二塁打で1点を追加し、四球を挟んで平田良介のセンター前タイムリーとさらに2点を追加。酒井は一死を奪えず真田裕貴に交代。
ドラゴンズは八回にも平田が東野峻からライトオーバーのツーランで7対2とすると、吉見はその裏まで5イニングを無失点、最終回は金剛裕樹が締めた。
【2007年9月29日・山形県野球場=ファーム日本選手権】
D 000 014 020 =7
G 020 000 000 =2
D)川井、○吉見、金剛-田中
G)●深田、酒井、真田、東野、越智-星、實松
本塁打)堂上剛1号ソロ(深田・5回)、森岡1号2ラン(深田・6回)、平田1号2ラン(東野・8回)
深田は当時、敗戦処理。が拙blogや某掲示板で「深田は第二の成瀬になる」と期待して書きまくっていた投手。
まだファームにいたマリーンズの成瀬善久が好投した試合を観た直後に、やはり好投した深田を観たからだが、ほとんど一軍では活躍出来ずに戦力外通告を受けた。引退後はジャイアンツアカデミーの講師になったと聞いた。ある試合で深田が不甲斐ない投球でKOされたとき、敗戦処理。の近くで観ていたファンから「どこが『第二の成瀬』なんだよ…」との声が聞こえてきたときには青くなった…。
当時の資料を見ると試合時間が3時間6分となっていたから午後4時を回ったくらいだったろう。通常試合後にセレモニーの類があればそこまで見届ける敗戦処理。だが、この日に限ってはそうは言っていられない。マリンスタジアムは18時試合開始。試合時間が3時間だとすると21時。それに間に合うには19時56分に東京駅に着く17時05分山形駅発の新幹線に乗らなければならない。行きと同じシャトルバスで山形駅に戻るという選択肢もあるが、帰りのシャトルバスはセレモニー終了後に出るという設定で、行きには約40分を要した。羽前長崎駅を16時40分に出るJR左沢線があるのでそれに間に合うよう羽前長崎駅に向かった。羽前長崎駅から山形駅までは20分。何とか間に合った。
JR左沢線、東海道新幹線とも見事にダイヤ通りの運転をし、東京駅に19時56分に到着。ここから長い長い京葉線のホームまで小走りで向かい、20時07分発の京葉線に乗り込んで20時38分に海浜幕張駅到着。そこからはタクシーで千葉マリンスタジアムに向かった。
千葉マリンスタジアムに着いたときには試合は既に九回表。もちろん道中に試合の経過は追っていた。3対1でファイターズがリードして終盤にさしかかっていたことはわかっていた。
九回表、3対1でファイターズがリードで無死一、三塁。打席に二番の田中賢介を迎えたところでマリーンズが四番手の小林雅英からサウスポーの高木晃次にスイッチしたところから敗戦処理。は生観戦。
ここから田中賢と稲葉篤紀が連続タイムリーで高木をあっさりとKO。さらに代わった荻野忠寛から途中出場の陽仲壽がレフト線にタイムリー二塁打。この後も飯山裕志の犠牲フライ、稲田直人の2点タイムリー二塁打と打ちまくって敗戦処理。到着後だけでも6点を加え、9対1とした。
最終回はMICHEALで締めて二年連続リーグ優勝を決める瞬間を生で観ることが出来た。
【2007年9月29日・千葉マリンスタジアム】
F 000 001 206 =9
M 000 000 100 =1
F)○スウィーニー、武田久、MICHEAL-高橋、中嶋
M)●久保、藤田、小宮山、小林雅、高木、荻野-里崎
本塁打)両軍とも無し
ファイターズナインはマウンド付近で胴上げした後、敗戦処理。らが陣取るレフトスタンド近くまで来てくれて挨拶をしてくれた。
前回2006年編“鬼の目にも涙”落合博満が涙声になった敵地東京ドームでのV胴上げ で紹介したとおり、敗戦処理。は相手チームの優勝胴上げを観るばかりで贔屓チームの優勝胴上げを生で観る機会に恵まれなかった。前年の2006年にアジアシリーズでトレイ・ヒルマン監督の胴上げを生で観たのに続き、ようやく二度目。近年ではジャイアンツの優勝の瞬間を何回か生で観る機会を得ているが、この時点ではまだだったので感慨もひとしおだった。
関東圏にはファームを含めNPBの常打ち球場が集中しており、昼の部と夜の部で移動してのダブル観戦も複数の組み合わせで可能だが、この長距離ダブル観戦はさすがに四十年弱の野球観戦歴でも他にない。それゆえに一番長い日と名付けたのだ。
なお、次回2014年1月2日には今年(2013年)の「生」観戦のなかから最も印象に残った試合を選んで取り上げる。そして2014年3月2日には、2008年編 こんな東京ドームは初めて!-初めて観た日本シリーズ第7戦 は昨年11月2日に掲載済みなので、2009年編を掲載する予定です。
【参考資料】
「2008ベースボール・レコード・ブック」ベースボール・マガジン社
スポーツ報知2007年9月30日付
「12球団全選手カラー百科名鑑2007」日本スポーツ出版社
拙blog2007年9月29日付 2007ファーム日本選手権観戦記-敗戦処理。の長い一日!?
同2007年9月30日付幕張で歓喜のVの瞬間に間に合った!!-敗戦処理。の長い一日<完結編>
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