タイガースナインのパフォーマンス「グラティ」今季限り!?
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今朝(25日)のスポーツ報知と日刊スポーツの1面によると、ジャイアンツの大田泰示が入団以来背負っていた「背番号55」を剥奪されることになったようだ。来季は「背番号44」となる模様。
言わずもがな、松井秀喜の退団以来空き番になっていた「背番号55」を2009年の入団から大田が付けており、松井のようなスケールの大きな長距離砲に育って欲しいという期待を受けたのだが、入団から五年間、いまだ一軍定着すらなしえていない。
日刊スポーツもスポーツ報知も“背番号を変えて心機一転”と前向きに書いてはいるが、新しい背番号が44と数字が小さくなるとはいえ実質的には降格なのは明らか。
重みのある背番号を背負っていたから打てなかったのか、単なる未熟さなのか…。
(写真:打席で観客から執拗に「背番号が泣いてるぞ!」とヤジられ、観客に逆ギレして「うるせぇ、オラァ!」と怒鳴り返した大田泰示。 2011年7月撮影)
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22日の日刊スポーツによると、ファイターズが新しいアマスカウトとして、ジャイアンツの原辰徳監督と東海大学時代に三遊間を組んでいた原田(旧姓西本)豊氏を採用することが内定したという。原田氏は東海大卒業後には社会人に進み、プロ経験こそ無いものの都市対抗出場歴や、協和発酵や母校の柳井高校の監督を歴任した。同校監督を今年の4月に退任しており、来年1月にファイターズのアマスカウトに就任するという。
ファイターズと東海大学といえば、2011年のドラフト会議でジャイアンツ入団を希望していた菅野智之をファイターズが1位指名したことでその後関係が悪化したと言われている。
また、原監督の甥である菅野の交渉権を取り損ねたジャイアンツも翌2012年には例年組まれていた3月初旬の札幌ドーム開催の対ジャイアンツオープン戦がなくなったこと等から、関係が悪化したと思われた。
これらは邪推だが、後述するように日本の球界の慣行からすると、強ち邪推と一笑に付して済ますものではないかもしれない。
だが、一年間の遠回りを経て菅野はジャイアンツに入団。今春にはオープン戦も開催され、このオフには市川友也の金銭トレードが両球団の間で成立。両球団の間に雪解けの傾向が見られた中、東海大学野球部OB、それも原監督と同期で三遊間を組んだ原田氏がファイターズのアマスカウトに就任するという。
これは東海大どころか首都大学野球連盟の首領と言われる原貢総監督のお許しが出たということか!?
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13日、ファイターズは来季のコーチングスタッフを発表した。目玉は白井一幸内野守備走塁コーチ兼作戦担当の7年ぶりの復帰と一般には見られているだろうが、個人的には柏原純一が一軍打撃コーチに就任することが感慨深い。
大沢啓二監督の元、後楽園球場を本拠地にパ・リーグ優勝を果たした昭和56年(1981年)の不動の四番打者にしてチームリーダー。♪ピッピッ、ピピピピピピピ、ピッピッ、ピピピピピピピ、ピッピッ、ピピピピピピピ、かっとばせぇかしわばら~ 耳を澄ませば聞こえてくる柏原コール。現役引退後はドラゴンズやタイガースでコーチを経験しているが、ファイターズでは2002年からプロスカウトを勤めていたもののコーチ就任は初めて。
懐かしい後楽園V戦士の現場復帰。現役時代にチームを何度も救った勝負強さをファイターズナインに引き継いで欲しい。
(写真:敗戦処理。が現役時代の柏原純一に往復ハガキに書いてもらったサイン。消印を見ると1980年になっている。)
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11日、日本プロ野球最高の賞の一つと言える、正力松太郎賞が発表され、ゴールデンイーグルスを日本一に導いた星野仙一監督が受賞。24勝0敗と圧倒的な力で優勝の原動力となった田中将大は特別賞となった。昨年の原辰徳監督、阿部慎之助のようなW受賞もあるかと思ったが、昨年の選考時に次回から一人に絞ることが決められ、議論の末、星野監督に正力松太郎賞が贈られることになった。
確かに、チームを日本一に導いた監督が選ばれるケースが多い賞ではあるが、第1回の王貞治を始め、選手の単独受賞の例も少なくない。
前人未踏、そして空前なばかりでなく絶後かもしれない成績で日本一の原動力となっても正力松太郎賞は選手より監督の方が優先されるものなのだろうか?
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拙blog11月4日付エントリーついにジャイアンツから戦力外通告-小笠原道大はどうなるか!?ではスポーツニッポンの飛ばし記事<!?>を真に受けて書いてしまったが、結局ジャイアンツは戦力外通告の通告期限の8日までに小笠原道大内野手に戦力外通告をしなかった。取りあえず一安心、と思ったら10日、小笠原はFA権を行使する旨を表明した。
11日の各スポーツ紙の報道を見渡すと、小笠原は実質的にはジャイアンツの構想から外れているが、2007年からの三連覇への貢献度などを鑑み、“戦力外通告”という形を避けたかった球団側と小笠原が話し合った結果、小笠原がFA宣言をして、戦力外通告でも自由契約という形でもなく自分の道を選択出来る様になった。というニュアンスのようだ。
なお、小笠原がFA移籍した場合、移籍先の球団はジャイアンツに人的補償や金銭補償をする必要がないCランクの年俸と見られている。昨年オフの空前の大幅減俸が結果的に吉と出た!?
(写真:FA権を行使して、他球団での現役続行を目指すことを表明したジャイアンツの小笠原道大 2013年6月撮影)
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NPBは今日10日、静岡県の静岡草薙球場で一回目の合同トライアウトを実施。所属球団から戦力外通告を受けながらも現役続行を希望する60人以上の選手がアピールした。同時に今日から各球団は、戦力外通告を受けた選手との交渉が解禁され、このトライアウトを受験していない選手を含め、戦力外通告を受けた選手と交渉できる。
だが、報道によるとジャイアンツから戦力外通告を受けた谷佳知には古巣のバファローズからオファーがあり、谷は受験予定だったトライアウトの参加を取りやめたという。あれ?今日が解禁なのに、何で谷はトライアウト受験を取りやめたの?
(写真:現役続行をアピールする谷佳知を1面にした今月5日のスポーツ報知の1面。右端の小見出しに注目!“他球団オファーなければ10日受験”は違反です!?)
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このところベテラン選手に厳しい現実が直面するニュースばかり飛び交っている中、前向きなニュースが飛び込んで来た。マリーンズの渡辺俊介が大リーグに挑戦するという。一歳上の上原浩治や高橋尚成の活躍に影響を受け、今このタイミングしかないと挑戦を思い立ったという。
「37歳という年齢もあり、厳しい挑戦になるとは思うが、腹をくくって(米国へ)行くことにしました」
渡辺は海外FA権を取得しているが、今回は球団と話し合って自由契約にしてもらい、挑戦するという。交渉については代理人の団野村氏に一任するという。
本人も危惧するように37歳と、投手としては分岐点にさしかかる年齢。だが海外では稀少な(日本でもそうだが)アンダースロー。獲得に名乗り出る球団があって欲しいものだ。
日本を代表するアンダースローがメジャーのマウンドに立つ姿を見てみたいがどうなるだろうか?
(写真:まさに地を這うような投球フォームの渡辺俊介。来季はこのフォームがメジャーで見られるか!? 2005年11月)
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覚悟はしていたが、ジャイアンツは小笠原道大に戦力外通告をした模様だ。4日のスポーツ紙が報じている。今季は6月5日の対ファイターズ戦でサヨナラ本塁打を放って健在ぶりを見せたものの22試合の出場にとどまり36打数9安打、本塁打はその1本だけで8打点に終わった。
6月29日に出場選手登録を抹消されてからは、ファームで実戦に出場しながら調整を続けていたが、以後一軍に復帰することはなかった。一部報道によると、クライマックスシリーズに際して招集を見送られたのは“故障”が理由だそうだが、日本シリーズの40人枠にも加われなかった。
スポーツニッポンによるとドラゴンズなどが獲得に興味を示しているそうだが…
(写真:ジャイアンツ球場でのイースタン・リーグ公式戦に臨む小笠原道大。今のところこの試合が最後の目撃。 2013年8月31日撮影)
※ このエントリーは11月4日付のスポーツニッポンに掲載された記事に基づいて11月4日に作成しました。結局期限までにジャイアンツから戦力外通告を受けることはありませんでした。なお小笠原道大内野手は10日、FA権を行使する表明をしました。
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日本シリーズ第7戦はゴールデンイーグルスが3対0でジャイアンツを下し、四勝三敗で球団創立初の日本一に輝いた。奇しくも、拙blog10月22日付け「楽天が巨人に勝つ日」!? が現実のものとなった(写真出すんじゃなかった…)。
賛否両論あるようだが、星野仙一監督は公式戦優勝、クライマックスシリーズ制覇に続いて日本シリーズ優勝のマウンドにも田中将大を送り込んだ。田中の第1戦先発を回避した時点では“昭和の日本シリーズ野球”をしないのかと思わせた星野監督だったが、最後は“昭和の日本シリーズ野球”を演出した。第6戦で9イニング、160球を投じた田中だったが、二安打を打たれながらも九回表を無失点に凌ぎ、三度目の胴上げ投手になった。
東北楽天ゴールデンイーグルスを応援し続けてきた皆さん、本当におめでとうございます。
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これまで当blogで毎月2日に交互に掲載していた 敗戦処理。が生観戦した野球場が59ケ所の観戦球場を出し尽くしたので当面、先月スタートしたマイセレクトベストナインを偶数月に、 敗戦処理。が生観戦したプロ野球- my only one game of each yearを奇数月の2日に掲載していきます。シーズン中、また新たに初めての球場で観戦したら臨機応変にはさむようにします。
1974年(昭和49年)に初めてプロ野球を生観戦した敗戦処理。はその後毎年、途切れることなく数試合から十数試合を生観戦しています。そこで一年単位にその年の生観戦で最も印象に残っている試合を選び出し、その試合の感想をあらためて書いていきたいと思います。年齢不詳の敗戦処理。ですが同年代の日本の野球ファンの方に「そういえば、あんな試合があったな」と懐かしんでもらえれば幸いです。
【回想】敗戦処理。生観戦録- my only one game of each
year第36回 2007年(平成19年)編
(写真:一日で二度見ることが出来た優勝胴上げ。上が昼間見たファーム日本選手権を制したドラゴンズの辻発彦二軍監督の優勝胴上げ。下が夜に九回表から観戦したファイターズのパ・リーグ優勝出トレイ・ヒルマン監督の胴上げ。2007年9月撮影)
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