日本のプロ野球はホントに今年で80周年なのか!?
正確には“それを以てNPBが日本プロ野球創立80周年と銘打つことに若干の違和感を覚える。”と言うべきだろうか…。
確かにNPBの公式サイトのトップページには“今年は日本に初めてのプロ野球チームである大日本東京野球倶楽部が誕生して80年となります。” と新年の挨拶文があり、横に80周年記念のロゴマークが描かれている(2014年1月6日現在)。
また「プロ野球70年史1934→2004」(ベースボール・マガジン社)によると、既に先行していた学生野球が東京六大学野球を中心に人気を博している中「アメリカのプロチームを招いて日本のアマチームと試合をさせ、本当の野球とは何かというものを見せたい」と読売新聞社・正力松太郎社長が企画して初めての日米野球が実現したのが1931年(昭和6年)。
その三年後には当時のアメリカ大リーグのスーパースター、ベーブ・ルースを含めた全米チームが来日して二度目の日米野球が行われるのだが、当時の文部省が「学校選手は職業野球選手(アメリカ)と試合をしてはいけない」と野球統制令を発していたため日本側は大学を卒業していた野球選手で全日本チームを結集。沢村栄治もその中に含まれていた。正力は職業野球チームの必要性を強く意識し、それが1934年(昭和9年)12月26日の大日本東京野球倶楽部の正式発足に繋がる。12月の出来事ではあるが、80年前の1934年の出来事である以上、今年が80周年と呼んで間違いない。
だが、出来たのは大日本東京野球倶楽部、即ち後の読売ジャイアンツだけである。当たり前のことだが、1球団では試合が出来ない。日米野球で全米チームとの対戦がままならなかったということは学生野球との戦いも出来ない…。
NPB(日本野球機構)の前身、日本職業野球連盟が創立されたのは二年後の1936年(昭和11年)の2月。この年の4月29日に日本職業野球として初めての公式戦が行われて名古屋軍が8対5で大東京軍に勝った。ではこの間、大日本東京野球倶楽部は何をしていたのかというと、1935年(昭和10年)には実業団のチームと練習試合をしたり、アメリカ遠征して試合をしていた。その間に第二、第三の職業野球チームが誕生し、翌1936年(昭和11年)から日本の職業野球チーム同士の対戦が始まるのである。しかしこの年はまだ、春季、夏季、秋季に分けて7球団で各1回対戦の総当たり戦の大会やトーナメント大会が数回行われたに過ぎなかったが、続く1937年(昭和12年)から本格的なリーグ戦が行われる様になった。
そう考えると、ジャイアンツが今年を球団創立80周年と称するのは合点がいくが、NPBとしてのスタートは日本職業野球連盟が創立された1936年(昭和11年)と考えた方が自然なように思える。
昨年、加藤良三前コミッショナーがジャイアンツとタイガースでアメリカで開幕戦を行おうといろいろ動いていたのは今年がプロ野球創立80周年に当たるからその目玉企画としてであった。結果、断念せざるを得なかったが、基本的にはNPBとしてはジャイアンツの前身の大日本東京野球倶楽部の創立を日本のプロ野球の始まりとして起算していることは間違いない。だが、この考え方が“巨人軍は球界の盟主”、“巨人あってのプロ野球”という考え方の温床になっていると言ったら言い過ぎであろうか?
ジャイアンツが球団創立80周年を記念して、ほぼ丸一年後に創立されたライバルのタイガースを相手に野球の本場アメリカで開幕戦を行いたいと考えるのは周年行事として素晴らしい発想だと思う。ただし実現するには当然アメリカ大リーグの協力も必要になるし、日本のプロ野球のトップであるコミッショナーがそのために動くのも理解出来る。そもそも加藤前コミッショナーはコミッショナー就任時から日本のプロ野球をアメリカで行いたいという構想を抱いていた人だ。渡りに船とばかりに、プロ野球80周年の記念行事にしたいと話が大きくなったのかもしれない。だが周知の通り、採算が合わないというのが最大の要因でこの企画は昨年の時点で見送られた。実現すれば80周年の目玉企画だったろうが…。
最初のプロ野球チームが結成された年をスタートとして起算することで70周年も60周年も50周年も西暦で1の位が4の年に行われていたのだから今さら1936年をスタートでと主張したところで覆るものでないだろう。ただ敗戦処理。はジャイアンツファンであるので今までジャイアンツの球団創立50周年、60周年、70周年という形で意識してきた。
ジャイアンツの創立50周年の年には王貞治を監督にして日本一を目指し、秋の日米野球には前年のワールドシリーズを制したボルチモア・オリオールズを招聘し、真の日米決戦を行うと大目標を掲げ、そのために王を助監督として監督業を勉強させて万全を期して1984年(昭和59年)のシーズンに臨んだが、残念ながら開幕から転けてカープの後塵を拝した。日米野球は日本シリーズを制したカープとオリオールズの対抗戦になったが、そもそもファンも「大リーグのチームは物見遊山で来ているだろう」程度の感覚で、しかもそれでも日本のチームは勝てないのだからどうしようもなかった。
余談だが当時“巨人は1の位が9の年(昭和で。西暦だと4の年)には優勝出来ない”というジンクスがファンに知られていて、実際その通りになった。
ジャイアンツの創立60周年の1994年には出来たばかりのFA制度を利用して落合博満を獲得。オリオンズとドラゴンズで付けていた背番号6を希望するも、篠塚利夫が付けていたので60周年と「巨人軍第60代四番打者」に因んで60番を付けさせたのが奏効したか、リーグ優勝、日本一を果たした。70周年の年には球団の歴史を重んじて、開幕戦の始球式に川上哲治元監督を招くなど随所に歴史を支えてきた偉大なOBを起用したが、堀内恒夫新監督率いるチームは3位に終わった。また球界全体としては、2004年はオリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの合併発表に端を発した球界再編騒動に揺れた年であり、周年事業どころか存続が危ぶまれた年だった。
正直、個人的にはNPBとして1934年をスタートとしての○○周年と数えているとの実感がこれまで無かった。それゆえNPBとして今年80周年と銘打つのにはいささかの違和感を覚えざるを得ないのである。球団が集まって連盟が発足し、リーグ戦、トーナメント大会などが初めて開催された1936年をスタートの年と考えた方がNPB、日本のプロ野球としてはスッキリするような気もするのである。
今さら歴史を曲げる訳にはいかないのだろうが、二年後の2016年こそNPBの80周年にふさわしいと個人的には思う。
【参考文献】
「プロ野球70年史1934→2004」(ベースボール・マガジン社)
「読売巨人軍75年史 1934~2009」(読売巨人軍)
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