「マー君、あと二年したらダルビッシュみたいになれるかな」
これは田中将大がファイターズ時代のダルビッシュ有と初めて投げ合った試合の後の、当時のゴールデンイーグルス、野村克也監督のコメントだ。
2007年9月19日、東京ドームでのファイターズ対ゴールデンイーグルス戦。田中幸雄の引退セレモニーが催された試合が田中とダルビッシュの初対戦だった。ダルビッシュに8回を無失点に抑えられ、0対6と完敗したゴールデンイーグルスの野村監督は試合後の会見で田中をダルビッシュと比較した。
「(ダルビッシュには)お手上げだよ…。ダルビッシュって今何年目だっけ?三年目か…。マー君、あと二年したらダルビッシュみたいになれるかな」
田中はダルビッシュの二歳年下。ダルビッシュと同じく7年間で日本球界を旅立った。
(写真:国内では最後に田中将大とダルビッシュ有が投げ合った試合での一コマ。ダルビッシュの投球を横目に見ながら次のイニングに備えて投球練習する田中将大。 2011年7月撮影)
まるでダルビッシュ有を追うように、田中将大も実働7年を経てFA権取得前にポスティングシステムで大リーグ球団への移籍を果たした。ポスティングシステム自体がダルビッシュの時と今回では異なるから、動いたお金で比較するのはナンセンスだが、田中も特に昨年の24勝0敗という圧倒的な存在感を以てファイターズ時代のダルビッシュと甲乙付けがたい素晴らしい投手になったと言えよう。
代表的な投手成績の羅列で、田中とダルビッシュを比較してみよう。田中とダルビッシュが共に日本に在籍したのは田中が入団した2007年からダルビッシュが移籍する前の2011年までの5年間しかいないが、この間の比較ではなく、それぞれの入団1年目同士、2年目同士という形で成長の度合いも合わせて比較してみよう。
ダルビッシュ(以下“ダ”=2005年入団)
田中将大(以下“田”=2007年入団)
試合数、勝敗、セーブ、投球回数、奪三振数、自責点、防御率の順。
1年目
ダ 14試合5勝5敗 94・1/3 52K 37 3.53
田 28試合11勝7敗 186・1/3 196K 79 3.82
2年目
ダ 25試合12勝5敗 149・2/3 115K 48 2.89
田 25試合9勝7敗1S 172・2/3 159K 67 3.49
3年目
ダ 26試合15勝5敗 207・2/3 210K 48 1.82
田 25試合15勝6敗1S 189・2/3 171K 49 2.33
4年目
ダ 25試合16勝4敗 200・2/3 208K 42 1.88
田 20試合11勝6敗 155 119K 43 2.50
5年目
ダ 23試合15勝5敗 182 167K 35 1.73
田 27試合19勝5敗 226・1/3 241 32 1.27
6年目
ダ 26試合12勝8敗 202 222K 40 1.78
田 22試合10勝4敗 173 169K 36 1.87
7年目
ダ 28試合18勝6敗 232 276K 37 1.44
田 28試合24勝0敗1S 212 183K 30 1.27
日本通算
ダ 167試合93勝38敗 1268・1/3 1250K 281 1.99
田 175試合99勝35敗3S 1315 1238K 336 2.30
もっとセイバーメトリクスの項目を挙げれば多角的な比較を出来るのかもしれないが、その方面には敗戦処理。は疎い。
勝利数の差は高校卒の一年目の開幕から先発ローテーションに入っていた田中の方が多い、のかと思ったがこの比較で見ると、6年目を経過した時点では75勝で並んでいた。ラストイヤーで差が付いたことになる。ダルビッシュも7年目には自己最多の18勝を挙げたが田中は24勝0敗。負け数もラストイヤーに逆転した。
ダルビッシュが完全に先発ローテーションに入った2006年からファイターズは優勝争いの常連と生まれ変わるが、田中は明らかに他球団より戦力の劣るメンバーで新規参入球団として旗揚げしてから3年目のゴールデンイーグルスに入団。在籍中に昨年の優勝を含めて二回しかAクラス入りを果たしていない。二人の背後にあるチーム力の差が歴然としていたことを考えると、田中の99勝の見方が変わってくる。
ただ、田中の24勝0敗に優るとも劣らないのがダルビッシュの2007年から2011年までの5年連続防御率1点台という実績。これは日本球界ではダルビッシュのみが実現した記録だ。4年連続でも金田正一と稲尾和久しかいない。金田と稲尾、この二人の異名は“天皇”と“神様”だ。ダルビッシュは何と形容されるのだろう…。
さて、次に田中とダルビッシュの直接対決を振り返ってみよう。田中とダルビッシュが同じ試合で先発投手として投げ合ったのは共に日本球界に在籍していた2007年から2011年の間で四回だった。多いのか少ないのかは何とも言えないが…。
【2007年9月19日・東京ドーム】
モ 000 000 000 =0
F 110 000 40× =6
モ)●田中(6・2/3 5)、佐藤-嶋
F)○ダルビッシュ(8 0)、金森-鶴岡、中嶋
本塁打)金子誠4号ソロ(田中・2回)、田中賢3号2ラン(佐藤・7回)=ランニング本塁打
初対決は、田中のルーキーイヤー。まだこの頃はゴールデンイーグルスのエースは岩隈久志が君臨していた時期だが、田中は9月中旬というタイミングで既に10勝を挙げていた。翌日のサンケイスポーツによると「東京ドームは苦手です。マウンドから見た“絵”がダメ。しっくりこない。だから試合に勝とうとだけ。田中?どんな球を投げんのかなあ、くらいですね」と、まだダルビッシュは田中など眼中にないという感じだったようだ。一方の田中はスポーツニッポンによると「ピッチャーと対戦する訳じゃない。1点もやらなけりゃチームは勝てますから」と語ったという。
なおこの試合ではネット裏にダルビッシュが当時婚約中だったサエコがいたこともあってか、ダルビッシュはヒーローインタビューで味方打線の援護に関して聞かれると「2点で僕としては充分だったので楽しく投げられました」と豪語した。
そして一週間後、中六日で今度は札幌ドームに場所を移して二度目の直接対決。
【2007年9月26日・札幌ドーム】
モ 000 100 000 =1
F 000 000 002×=2
モ)●田中(8・1/3 2)-嶋
F)ダルビッシュ(8 1)、○武田久-鶴岡、高橋
素晴らしい投手戦だったが、ダルビッシュは0対1の八回を終えた時点で降板していたので田中に投げ負けた形になった。田中は九回裏に安打三本を集中されてファイターズに逆転サヨナラ負けを喫してしまった。田中にしてみれば「ダルに勝って勝負に負けた」と言った感じだったろう。
二年後、今度はゴールデンイーグルスの本拠地で三度目の直接対決。
【2009年8月7日・日本製紙クリネックススタジアム宮城】
F 010 000 000 =1
モ 001 020 00× =3
F)●ダルビッシュ(8 3)―鶴岡
モ)○田中(8 1)、有銘、Sグウィン-嶋
正真正銘、田中がダルビッシュに投げ勝って、チームも勝った。
そして現時点で最後の直接対決となっている国内最後の直接対決はダルビッシュにとってファイターズの最終年。
【2011年7月20日・東京ドーム】
モ 010 000 000 =1
F 000 300 00× =3
モ)●田中(8 2)-嶋
F)○ダルビッシュ(9 1)-鶴岡
本塁打)稲葉7号2ラン(田中・4回)
この試合は、前日に二人の予告先発がなされたこともあり、44,826人のファンが詰めかけた。
ファイターズは北海道に移転してからも毎年一定数の東京ドーム主催試合を行っているが、移転後の最多入場者数だ。普段はファイターズ戦では観客を入れない内野二階席を試合のスポンサー企業が貸し切りにしていたというのも大きかったが、試合開始の時点で当日券も売り切れた。
この試合は珍しい、両チームとも選手交代のない試合だった。つまり両軍ともDHを含む10人しか試合に出なかった。それ故に梨田昌孝、星野仙一の両監督は特に判定に抗議する場面もなかったのでグラウンドに出ることもなく、わずかに佐藤義則投手コーチが田中が逆転された後にアドバイスにマウンドに行っただけだった。当然試合時間も短く、たったの2時間23分で終わった。
完投勝利のダルビッシュはヒーローインタビューで相手が田中だったことに関して聞かれたが「相手は意識せずに自分のピッチングをしたいと思ってました」と答えた。
二人がお互いを強く意識しだしたのは2008年の北京五輪の代表メンバーに共に選ばれた時という見方もあるようだが、パ・リーグきっての好対決であることを考えると、直接対決四回はやはり少ないか…。個人的にはその最初と最後が東京ドームで行われたこともあって共に生観戦出来たのは名誉なことだと自負している。
この試合はダルビッシュが最後に東京ドームで投げた試合となった。
四度の直接対決。判定すれば二勝二敗と言ったところだろうか…。ただ田中は初対決の日の野村克也監督のコメントに照らし合わせると、少なくともダルビッシュに肩を並べた投手と言っても良いだろう。
田中のヤンキースはダルビッシュのレンジャーズと同じアメリカン・リーグ。今季この続きを見てみたいものだ。
なお、気の早いファンの中には次回2016年に計画される大リーグの日本での公式戦(開幕戦)開催をヤンキースとレンジャーズの対戦に!という声が挙がっているようだ。実現して、東京ドームと札幌ドームで一試合ずつ行ったら面白いと思う。だが大リーグに詳しい人によると、2000年から四年おきに開催されている大リーグのチームの日本での開幕戦開催の対戦カードは東京への移動距離に極力差が出ない対戦で組まれているそうだ。2004年なら松井秀喜のいるヤンキースと距離の変わらない球団、2008年なら松坂大輔、岡島秀樹のいるレッドソックスと距離の変わらない球団、2012年ならイチロー、岩隈久志、川崎宗則のいるマリナーズと…というように目玉選手のいる球団と条件のほぼ等しい相手球団を見つけているそうだ。
最後に、ダルビッシュに続いて、田中までもが高い評価で大リーグの球団から契約を求められるのは日本球界のレベルとして喜ばしいことなのかもしれないが、日本の野球を対象の主眼に置く敗戦処理。にとってはやはり寂しいという感情が先に立つ。
ポスティングシステムはどんなに方式を変えようと、敗戦処理。に言わせれば海外FA権実取得の選手に移籍を叶えるための裏技である。日本人選手のポスティング移籍第一号のイチローの印象が強いが、大学卒、あるいは社会人経由での入団選手が海外FA権取得時だとピークが過ぎている恐れがあるから、選手会が求めるFA権取得期間の短縮に応じない代わりに救済措置として設けているという形態であって欲しく、最も早い年代で行くことが可能なダルビッシュや田中のような高校卒一年目から一軍でバリバリ活躍する選手がFA取得前に高跳びするのは日本球界として素直に喜んで良いのかという疑問が残るのである。
先般、野茂英雄が野球殿堂入りを果たした。これは野茂の開拓者精神が評価されたことはもちろんのこと、日本の野球殿堂でありながら日本以外の国での活躍も評価の対象であることを意味している。名球会も日本でスタートした記録なら日米合算で勝利数や安打数をカウントすると言うが、日本での実働年数が短いままに大リーグに行ってしまうのは寂しい。不成立ではあったがかつての岩隈のように、せめて海外FA権取得の前年にポスティングで挑むように待って欲しいものだ。
ダルビッシュも田中も日本での勝ち星は100勝未満。将来的に名球会入りしたら過半数が大リーグでの白星ということになりかねない。
でも今回の田中の移籍劇を見ると、ゴールデンイーグルスのファンも含め、田中の移籍を歓迎するかのようなファンが多かったようだ。この流れだと前田健太も今季終了後、戦力ダウンを懸念するファンを圧倒的に上回る移籍に好意的なファンに背中を押されて大リーグに挑むことになるのだろうか…。
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