敗戦処理。的近鉄バファローズ~大阪近鉄バファローズ歴代ベストナイン-マイセレクトベストナインVol.5
毎月2日、昨年2月にスタートしたマイセレクトベストナインを偶数月に、 敗戦処理。が生観戦したプロ野球- my only one game of each yearを奇数月の2日に掲載しています。今月はマイセレクトベストナインの第5弾。
敗戦処理。は昨年の生観戦で、初めてプロ野球の試合を生観戦してから四十年目となった。そこで旧近鉄バファローズを含めた十三球団の、初めて生観戦をした1974年(昭和49年)以降、即ちリアルタイムに見た時代のベストナイン、ベスト一軍メンバー28人を自分なりに選んでみることにした。
1974年という年はジャイアンツの連続優勝がV9で止まった年であり、セーブが記録として制定された年である。そして日本ハムが日拓ホームから球団を買収し、ファイターズがスタートした年である。翌年にはパ・リーグで指名打者制が採用されるなど、大きな節目の時期でもある。偶数月の2日に一球団ずつ掲載している。
マイセレクトリアルタイムベストナインVol.5-近鉄バファローズ~大阪近鉄バファローズ
今回も最初に定義を説明しておこう。
●調査期間は敗戦処理。が初めてプロ野球を生観戦した1974年(昭和49年)から執筆時期(公式戦完了済みシーズン)まで。したがって1973年(昭和48年)までの成績は含まない。
●親会社の変更は同一球団と見なす。
●期間内でも他球団に在籍していた期間の成績は含まない。
●主要個人成績(試合数、打率、安打、本塁打、打点、盗塁、勝利、セーブ、防御率等)記録も重視するが、敗戦処理。が受けたインパクトも重視する。
●外国人枠は設けない。
●同一人物の選手と監督との重複選出、複数球団での選出は可。
●ベストメンバー9人(パ・リーグは10人)を含む一軍28人と監督を選ぶ。
●この定義は適宜変更される事もあるかもしれない。
※1973年(昭和48年)までの成績、記録を含めないのは過去を軽視しているのではなく、自分がリアルタイムに観ていない選手達を記録だけで比較する事がかえって非礼にあたると考えたからである。ある意味、自分史のまとめである。
今回は旧バファローズ、即ち近鉄バファローズから大阪近鉄バファローズと名を変え、2004年を以てオリックス・ブルーウェーブと合併して事実上球団の歴史の幕を閉じた旧バファローズのマイセレクトベストナインを選んでみる。この球団に限って対象年度は1974年~2004年となる。
1974年というと、バファローズはまだ優勝を経験していない。「パ・リーグのお荷物」の様にも言われていたが、この年、ブレーブスで一時代を築いた西本幸雄監督を招聘。1979年(昭和54年)の球団創立以来初優勝に向けて、地道に選手達を鍛えていく。
西本監督の元で1979年、1980年とパ・リーグ二連覇を果たしたあとはまた平凡な成績の年が続くが、長くコーチを務めていた仰木彬を監督に据えた1988年、黄金時代のライオンズを猛然と追いかけて逆転優勝目前のところまで迫ったが、あの有名な「10・19」で涙を呑む。緻密さの手本のように管理されたライオンズの野球とは対照的に選手達の豪快な個性を前面に闘うバファローズのスタイルは、アンチ・ライオンズの立場を取るファンをも巻き込み、翌1989年にはブレーブスをも交えた三つ巴の死闘を制してリーグ優勝を果たす。
その後も野茂英雄の獲得によってさらに球団のカラーを明確にしていったが、再びライオンズの後塵を拝する年が続く。そして野茂を手放してしまった以降は精彩を欠くシーズンが続く。
日本生命球場、藤井寺球場といかにも古き良き時代の在阪パ・リーグの球場を本拠地にしていたが、1997年に大阪ドームに移転。2001年に梨田昌孝監督の元、前年の最下位から突如覚醒。初優勝以来ほぼ十年周期でリーグ優勝していたが、いつも日本シリーズでは敗れっぱなしで、そして2004年突然のオリックス・ブルーウェーブとの合併表明があり、大騒動に発展した末、このシーズン限りで合併によって球団史に幕を閉じた。
【投手】
近鉄バファローズの球団史に燦然と輝く大エースと言えば、異論なく鈴木啓示。通算317勝の大エース。敗戦処理。が唯一リアルタイムに“通算300勝達成”を知っている300勝投手だ。鈴木は第一回のプロ野球ドラフト会議の指名選手だが、1974年からのみを対象にする本企画でも鈴木の勝利数は172勝となり、対象期間中の球団最多勝利になる。
鈴木以外に対象期間中に100勝に達した投手はおらず、94勝の柳田豊、85勝の村田辰美が続く。奇しくも三人とも、初優勝からの連続優勝の1979年、1980年を中心に活躍している。
野茂英雄は実働期間が五年と短く、合計数が伸びない。阿波野秀幸も全盛期が短かった。
抑え投手では赤堀元之の139セーブが最多で、大塚晶則の120セーブがこれに続く。
○1974年~2012年成績。
鈴木啓示 実働12年 349試合172勝122敗2S、防御率3.29
柳田豊 実働13年 403試合94勝114敗28S、防御率3.96
村田辰美 実働15年 400試合85勝90敗10S、防御率4.28
高村祐 実働13年 286試合83勝101敗9S、防御率4.26
山崎慎太郎 実働11年 254試合80勝86敗3S、防御率4.00
野茂英雄 実働5年 139試合78勝46敗1S、防御率3.15
井本隆 実働9年 247試合74勝57敗7S、防御率3.80
小野和義 実働10年 220試合68勝62敗3S、防御率4.09
阿波野秀幸 実働8年 175試合67勝56敗4S、防御率3.49
勝利数で上位の投手を並べたが、ことごとく防御率が4点台か3点台後半というところが、何よりもこのチームの特徴を表していると思える。
この中から一人を選ぶとすると、四年連続最多勝利の野茂も捨てがたいが、やはり「近鉄の顔」であり、期間中最多勝利の鈴木啓示を選ぶ。
【捕手】
西本監督時代の「アリナシ」コンビに尽きるだろう。他球団を含めても同時期に同一球団にこれだけレベルの高い捕手が二人揃った例は希有だと思われる。では捕手として出場したのが多いのはどちらか?
有田修三 1974年~1985年 830試合
梨田昌孝 1974年~1988年 1105試合
有田修三の方が捕手として出場が多かったのが1975年から1978年と1982年、梨田昌孝の方が多かったのは1974年と1979年から1981年、1983年から1985年。出場試合数、正捕手の年数ともに梨田が上回っている。有田には鈴木啓示専用捕手のイメージがあるが、決してそうではなく梨田と甲乙付けがたい捕手だったことは強調しておきたい。攻撃面の比較もしておこう。
有田修三 1058試合 643安打107本塁打357打点、打率.247
梨田昌孝 1254試合 844安打111本塁打434打点、打率.256
有田の方がパンチ力があって強打者というイメージがあったが、梨田も案外負けていないことがうかがえる。捕手としての出場数の多さも踏まえ、ベストナイン捕手は梨田を選ぶ。
【一塁手】
一塁手というポジションは往々にして打力優先でメンバーが決められがちだが、代々打線の売りのチームだけに猛者揃い。1974年にはホークスを解雇されて獲得したクラーレンス・ジョーンズが38本塁打で本塁打王を獲得、二年後の1976年にも本塁打王に輝いた大砲だが、三振も多い典型的な本塁打か三振かのタイプで、在籍四年間で一度も打率が二割五分を超えなかった。
その後はそれまで主に外野を守っていた左の巧打者小川亨が一塁を守ることになった。
三振が少なくミートのうまい打者だったが、三振を避けるために早いカウントから積極的に打つタイプではなく、むしろツーストライクまではじっくり球を見極めるタイプだった。小川の後にはリチャード・デービス、ハーマン・リベラといった個性的な外国人助っ人を獲得して一塁を守らせたが、1990年からは石井浩郎が一年目から打線の中軸を担うが、三塁手との併用という印象も否めない。
石井と入れ替わりでジャイアンツからトレードされた吉岡雄二がブルーウェーブと合併する前年の2003年までレギュラーを務めた。
ジョーンズ 実働4年456試合 327安打114本塁打255打点、打率.223。本塁打王2回
小川亨 実働7年737試合 601安打66本塁打276打点、打率.294。
デービス 実働5年461試合 564安打117本塁打322打点、打率.331。6試合連続本塁打(85年)
石井浩郎 実働7年619試合 657安打133本塁打398打点、打率.300。打点王、最多安打各1回
吉岡雄二 実働8年743試合 691安打116本塁打375打点、打率.279。
※ 小川は一塁手に専念した1978年以降を対象とする。
デービスも短期間ながら強烈なインパクトを残した選手だが、東尾修との乱闘事件には情状酌量の余地があるとしても大麻所持は言語道断。ベストナインとしては石井の方がふさわしいだろう。
【二塁手】
これはもう大石大二郎だろう。球団が存続していれば梨田の後か、その後くらいに監督に就任していたことは間違いなかっただろう。福本豊の連続盗塁王を13年で止めて1983年に60盗塁で初の盗塁王を獲得(福本の盗塁数は55)すると、翌年も46盗塁で二年連続盗塁王。この年は本塁打も自己最多の29本と長打力も発揮した。盗塁王を四回獲得した。
大石大二郎 実働17年 1892試合1824安打148本塁打654打点415盗塁、打率.274
水口栄二 実働13年 1211試合971安打42本塁打328打点42盗塁、打率.268
強いて対抗馬を挙げれば水口栄二だが、ここは大石の独壇場。大石大二郎で決まりだ。
【三塁手】
これは三世代に別れる。1974年~初優勝当時の正三塁手、羽田耕一、羽田からポジションを奪った金村義明、金村と入れ替わるように登場した中村紀洋。
羽田耕一 実働16年 1770試合1415安打213本塁打778打点、打率.254
金村義明 実働13年 1053試合862安打122本塁打436打点、打率.260
中村紀洋 実働13年 1383試合1294安打307本塁打916打点、打率.267
中村が流浪の民となるのは近鉄バファローズが消滅してからのこと。球団消滅により実働年数が13年にとどまっている分、羽田に及ばない記録もあるが(1974年以前を含む)球団記録の307本塁打(土井正博は305本塁打)を評価して中村を選ぶ。
【遊撃手】
あの「江夏の21球」、1979年の日本シリーズ第7戦の九回裏、一死満塁でスクイズ失敗。近鉄バファローズ球団史を語る上で避けて通れないあのシーンの張本人、石渡茂がこのポジションで最も多く試合に出ている。どうしてもあのシーンで語られがちだが、ショートの守備は「蟻地獄」との異名が付くほど、打球が石渡のグラブに吸い込まれていくようだった。
石渡茂 実働11年 976試合748安打48本塁打263打点80盗塁85犠打、打率.252
真喜志康永 実働6年 370試合150安打14本塁打53打点7盗塁43犠打、打率.207
村上隆行 実働4年 353試合313安打51本塁打142打点20盗塁11犠打、打率.263
吉田剛 実働16年 947試合442安打16本塁打153打点122盗塁106犠打、打率.243
※ 村上の実働期間は外野にコンバートされる前の遊撃手だった期間に限定。
実働期間では石渡より吉田剛が上回るが、遊撃手としての出場に限定しても吉田709試合、石渡900試合と石渡が上回っている。また年間の規定打席に達した回数が石渡の6回に対して、吉田は1回もない。村上隆行が早々と外野に転向したのが残念な気もするが、ここは石渡を選ぶ。
【外野手】
新井宏昌 実働7年 838試合873安打52本塁打322打点、打率.299
大村直之 実働11年 1207試合1216安打61本塁打377打点、打率.279
栗橋茂 実働16年 1550試合1301安打215本塁打701打点、打率.278
佐々木恭介 実働8年 892試合806安打92本塁打374打点、打率.289
鈴木貴久 実働15年 1501試合1226安打192本塁打657打点、打率.257
平野光泰 実働12年 1150試合1051安打107本塁打423打点、打率.265
ブライアント 実働8年 773試合778安打259本塁打641打点、打率.261
村上崇幸 実働12年 969試合585安打93本塁打314打点、打率.258
ローズ 実働8年 1081試合1187安打288本塁打824打点、打率.289
※ 村上の成績は外野にコンバートした1988年以降
さすがに常に<!?>打高投低をチームカラーとしてきた「いてまえ打線」、豪快で個性的だった顔ぶれが並ぶ。
2001年に、昨年スワローズのウラディミール・バレンティンに破られるまで日本タイ記録だった年間55本塁打を放つなど、通算288本塁打(球団歴代3位)を放って本塁打王3回、打点王2回、最優秀選手1回のタフィ・ローズが当確。
ローズと同じ実働8年間で、遜色のない259本塁打を放ったラルフ・ブライアントも選びたいが、ブライアントは外野手としての出場が321試合だったのに対し、指名打者としての出場が449試合と指名打者としての出場の方が多かったので指名打者部門で選ぶことにする。そうすると外野の残り二人は、期間中の最多安打の栗橋茂と、それに次ぐ鈴木貴久を選びたい。
西本監督時代の栗橋、仰木彬監督時代の鈴木、梨田監督時代のローズと三世代から満遍なく選ぶことにする。
なおベストナインの選には入れることは出来ないが、西本監督時代に足のスペシャリストとして活躍した藤瀬史郎を28人枠に入れる。実働7年、436試合の出場で247打席しか立っていないが、117盗塁。それでいて盗塁刺(盗塁失敗)はわずか28で盗塁成功率.807!あの「江夏の21球」のドラマの引き金となった二盗成功(相手捕手の悪送球が重なって三塁へ)も印象強い。
【指名打者】
外野手の項目で触れたようにブライアントを選ぶ。
1979年の球団初優勝と翌1980年の連覇の立役者になったチャーリー・マニエルも捨てがたいが在籍がその二年間だけではブライアントに太刀打ち出来ない。
【監督】
最後に監督を選ぶ。
西本幸雄(1974年~1981年)1040試合510勝460敗70引き分け、勝率.526。リーグ優勝2回
関口清治(1982年~1983年)260試合115勝122敗23引き分け、勝率.485。
岡本伊佐美(1984年~1987年)520試合239勝242敗39引き分け、勝率.497。
仰木彬(1988年~1992年)650試合363勝264敗23引き分け、勝率.579。リーグ優勝1回
鈴木啓示(1993年~1995年)348試合167勝171敗10引き分け、勝率.494。
水谷実雄(1995年)42試合16勝25敗1引き分け、勝率.390
佐々木恭介(1996年~1999年)535試合250勝274敗11引き分け、勝率.477
梨田昌孝(2000年~2004年)688試合344勝334敗10引き分け、勝率.507。リーグ優勝1回
リーグ優勝経験監督が三人いるが、「パ・リーグのお荷物」とまで言われた球団を一から鍛え上げ、リーグ二連覇を果たすまでに成長させた西本監督と、在籍五年間、常にAクラス、勝率五割以上をキープした仰木監督に絞っていいだろう。勝率では仰木監督が上回るが、やはり弱かったチームを鍛え上げて育てた西本監督の功績を尊重して西本監督を選ぶことにする。
それでは敗戦処理。が選んだマイセレクトリアルタイムベストナインで打順を組んでみる。
(二)大石大二郎
(遊)石渡茂
(指)ブライアント
(三)中村紀洋
(中)ローズ
(一)石井浩郎
(左)栗橋茂
(右)鈴木貴久
(捕)梨田昌孝
(投)鈴木啓示
“投手が鈴木なら捕手は有田だろ!”というツッコミが聞かれそうだが、ここは個別に。この中で石井だけが日本シリーズを経験していないのが切ない。
最後にマイセレクトリアルタイムベスト一軍28人を選ぶ。
【投手】
鈴木啓示、井本隆、阿波野秀幸、野茂英雄、高村祐、石本貴昭、村田辰美、柳田豊、佐野重樹、大塚晶則、赤堀元之
【捕手】
梨田昌孝、有田修三
【内野手】
小川亨、石井浩郎、R・デービス、大石大二郎、水口栄二、中村紀洋、羽田耕一、石渡茂
【外野手】
T・ローズ、鈴木貴久、大村直之、R・ブライアント、佐々木恭介、栗橋茂、藤瀬史郎
次回は阪神タイガース編を予定。
【参考文献】
・「THE OFFICIAL BASEBALL ENCYCROPEDIA 第4版」社団法人日本野球機構
・「プロ野球人名事典2003」森岡浩編著、日外アソシエーツ
・「近鉄バファローズ球団史1950-2004」ベースボール・マガジン社
・「近鉄バファローズ大全」洋泉社MOOK
・CD版「野球の記録で話したい Baseball Stats Lounge」
広尾晃氏
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コメント
パタクマ様、コメントをありがとうございます。
> 近鉄バッファローズのベスト選手は本当に素晴らしいと感じました。
どうもありがとうございます。
> トレーナーになり、近鉄バッファローズの選手にお世話になったパタクマにはとても心から感謝致します。
> 実際は近鉄のコンディショニングコーチを「立花さん」がされていた期間が中心でした………あ~あ懐かしい!
Oh!そうでしたか。思い入れの深い人に読んでいただくのはことさらに嬉しいです。
> 栗山監督宛に直談判してみようと考えています、「新生最強ファイターズ」を見たいと想っております。
ぜひ!
投稿: 敗戦処理。 | 2014年3月 2日 (日) 20時24分
敗戦処理さんへ
近鉄バッファローズのベスト選手は本当に素晴らしいと感じました。
トレーナーになり、近鉄バッファローズの選手にお世話になったパタクマにはとても心から感謝致します。
実際は近鉄のコンディショニングコーチを「立花さん」がされていた期間が中心でした………あ~あ懐かしい!
強いチームには理由が御座います、今のジャイアンツもそうですが【チーム構想の重要性】と期間を設定した育成環境が正しく機能するかどうかです。
栗山監督宛に直談判してみようと考えています、「新生最強ファイターズ」を見たいと想っております。
投稿: パタクマです。 感謝…合掌 | 2014年3月 1日 (土) 13時32分