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2014年6月29日 (日)

嵐のコンサートで盛り上がった週末の東京ドームの片隅で~野球殿堂博物館で審判員と公式記録員に関するトークイベントを連日開催

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この週末
(2829)、東京ドームでのコンサートが行われる中、21番ゲートの脇に入口のある野球殿堂博物館「審判員ってどんな仕事?」「記録員ってどんな仕事?」というトークイベントが行われた。28()にはNPBの元審判部長で現在は野球規則委員や審判技術委員長として活躍中の井野修氏が、29()には元NPB公式記録員の石井重夫氏がトークイベントを行った。


(写真上:嵐のコンサートで来場したファンでごった返しになる開演間近の東京ドーム22番ゲート。写真下:同時刻の王ゲート)

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2014年6月28日 (土)

【最後の勇者】中嶋聡実働年数28年到達の大偉業!

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ファイターズの中嶋聡バッテリーコーチ兼任捕手が
27日のゴールデンイーグルス戦で八回から捕手として途中出場。今季一軍公式戦初出場となり、阪急ブレーブスでのルーキーイヤー1987年以来28年連続公式戦出場となった。実働年数28年となり、昨年まで27年で並んでいた山本昌に先んじて工藤公康29年に次ぐ単独2位となった。既に投手以外の選手では史上1位になっているが、パ・リーグでの実働も27年となり、野村克也26年を抜くパ・リーグ記録更新となった。


“阪急ブレーブス最後の生き残り”として旧ブレーブスファンからも注目を集める中嶋聡がまた一つ大偉業を達成した。


(写真:2010年のオープン戦で木田優夫とバッテリーを組んだ中嶋聡。当時木田41歳、中嶋40歳。公式戦で実現すれば歴代最高齢バッテリーになるところだったが…。 2010年3月撮影)

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2014年6月27日 (金)

四年に一度、サッカーW杯の年にしでかす建山義紀…。

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ファイターズから海外FA権を行使してアメリカに渡っていた建山義紀が阪神タイガースでプレーすることになった。クローザーのオ・スンファンの前を固めるリリーバーに不安のあるタイガースが、ヤンキースの3Aを解雇された建山に目を着けた。果たしてファイターズ時代のように短いイニングを抑えてチームに貢献する投球が出来るか?



建山はファイターズ時代から四年に一度の周期で節目の行動をとっていたが、今回のタイガース入りもまさに当てはまる。


(写真:タイガース入団が決まった建山義紀。武井壮に似てる!? 20053月撮影)

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2014年6月22日 (日)

Art×Baseball展に行ってきた。

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日、神保町のギャラリーcorso17日から開かれているArt×Baseball展」に行ってきた。会場で原画で展示される、昭和20年代野球倶楽部の皆さんによる、「昭和野球かるた」が秀逸だという噂を聞いて気になっていた。


(写真:会場の壁一面に並んだ昭和野球かるたの原画)

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2014年6月21日 (土)

スワローズ戦で二軍落ちした中村勝と鵜久森淳志、それぞれの一週間後

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約一ヶ月ぶりに鎌ヶ谷に観戦に来た。一軍のセパ交流戦は佳境を迎えつつあるが、ファイターズの一週間前の交流戦のカード、スワローズ戦で二人の選手が二軍落ちとなった。一週間前の土曜、
14日に先発して2イニングで2失点すると、二回裏の打順で代打を送られて降板。翌日に登録抹消となった中村勝と、奇しくもその中村の代打で登場した鵜久森淳志が翌15日の同カードで、1点ビハインドの九回裏二死三塁で代打に登場。一球もバットを振らずに追い込まれると粘りを見せたが空振り三振に終わり、翌16日にリフレッシュ休暇の意味合いの強い谷元圭介と共に登録を抹消された。


村も鵜久森もあれから一週間、相手はファームとは言え同じスワローズ戦。中村は先発、鵜久森は「六番・左翼」でスタメン出場。


いみじくも今日のスワローズ戦は中村に始まり鵜久森に終わるという試合展開になった。


(写真上:同点で迎えた九回裏二死一塁からセンターのフェンスを直撃するサヨナラ二塁打を放つ鵜久森淳志。写真下:サヨナラ打を放った鵜久森と、一塁から長躯生還した森本龍弥を祝福するファイターズナイン。)

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2014年6月15日 (日)

クローザーからの転向…山口俊は3連勝だが

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ベイスターズで昨年まで
111セーブを挙げながら、今一つ安定感が欠けていた山口俊が先発に転向し、三試合連続勝利投手と結果を残している。クローザーから見事な転身ぶりだ。一方、クローザーからセットアッパー転身を申し渡されていながら、なかなか一軍復帰の声を聞かないのが昨年まで166セーブを挙げているファイターズの武田久


今シーズンはインフルエンザで4月に一度登録を抹消され、体調が戻って一軍に復帰した際にはセットアッパーとしての昇格だったが二度の登板内容に納得がいかない武田久本人からファームでの再調整の申し出があり再び登録抹消。その後イースタンではセットアッパー的に1イニングの登板を何度か繰り返しているが、まだ一軍復帰との声を聞かない。


ファイターズはアンソニー・カーター、宮西尚生、マイケル・クロッタ、増井浩俊と勝ちパターンの継投が一応確立されている。武田久はこの中に割って入ることが出来るのだろうか…。


(写真:最終回で無く、試合途中に登板してイニングを終えた武田久。セットアッパーになると、勝利の歓喜の握手はなくなる…。 2014年4月撮影)

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2014年6月 7日 (土)

「迷走の巨人」…四番打者キューバの至宝に代打起用

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1対
3でライオンズに敗れた7日のジャイアンツ。デビュー即“80代巨人軍四番打者”となりながらなかなか期待通りの結果が出ない「キューバの至宝」フレデリク・セペダについに代打が送られた。


かつて原辰徳監督自身が「聖域」と語ったとされるジャイアンツの四番打者に代打が起用されること自体異例だが、デビュー戦から18戦目でついに「キューバの至宝」も見限られたか…。


(写真:四番18試合目にしてついに代打を送られた第80代巨人軍四番打者フレデリク・セペダ。20145月撮影)

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2014年6月 2日 (月)

敗戦処理。的ロッテオリオンズ~千葉ロッテマリーンズ歴代ベストナイン-マイセレクトベストナインVol.7

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毎月2日、昨年2月にスタートしたマイセレクトベストナインを偶数月に、 敗戦処理。が生観戦したプロ野球- my only one game of each yearを奇数月の2日に掲載しています。今月はマイセレクトベストナインの第7弾。



敗戦処理。は昨年の生観戦で、初めてプロ野球の試合を生観戦してから四十年目となった。そこで旧近鉄バファローズを含めた十三球団の、初めて生観戦をした1974(昭和49)以降、即ちリアルタイムに見た時代のベストナイン、ベスト一軍メンバー28人を自分なりに選んでみることにした。

1974年という年はジャイアンツの連続優勝がV9で止まった年であり、セーブが記録として制定された年である。そして日本ハムが日拓ホームから球団を買収し、ファイターズがスタートした年である。翌年にはパ・リーグで指名打者制が採用されるなど、大きな節目の時期でもある。


そして敗戦処理。は今年の生観戦で生観戦歴四十周年となった。NPBは今年を“プロ野球80周年”と称している。日本のプロ野球の約半分を網羅していることになる。


なお、先月10日に初めて雁の巣球場での生観戦を果たしたが、「生」観戦した野球場(65)-雁の巣球場は7月2日に掲載し、敗戦処理。が観戦したプロ野球2010年編は9月2日以降の掲載とします。


マイセレクトリアルタイムベストナインVol.7-ロッテオリオンズ~千葉ロッテマリーンズ

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2014年6月 1日 (日)

原貢氏、首都大学野球連盟創立50周年の年に逝去

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31日、巨人軍は原辰徳監督の実父、原貢氏が5291040分、入院先の神奈川県相模原市内の病院で心不全のため死去したと発表した。79歳だった。531日のバファローズ対ジャイアンツ戦は原監督と、原貢氏の孫に当たる菅野智之には弔い合戦だったことになる。


金子千尋がノーヒットノーランを逃した試合として刻まれる試合だったがもう一つのドラマが存在した。



(写真:2004年12月、首都大学野球連盟創立40周年記念試合で一枚の写真に収まる原貢氏と原辰徳監督=当時は読売グループの人事異動で退団)

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