嵐のコンサートで盛り上がった週末の東京ドームの片隅で~野球殿堂博物館で審判員と公式記録員に関するトークイベントを連日開催
先週の「Art×Baseball」 に続いて、この週末も試合の観戦ではなく、野球に因んだトークイベントに行ってきた。野球殿堂博物館の野球殿堂ホールで28日(土)には「審判員ってどんな仕事」と題して、NPBの元審判部長で現在も野球規則委員や審判技術委員長として活躍する井野修氏(60歳)のトークイベントを、29日(日)には「記録員ってどんな仕事?」と題してNPBの元公式記録員の石井重夫氏(67歳)のトークイベントがそれぞれ開催された。ともに博物館への入場料を別にすれば、無料で聞くことが出来る。
トークイベントと称していたが、両日とも井野氏、石井氏が一人で喋りながら進めていくので実質的には“講演会”という形式だった。
なお、この両日、敗戦処理。は当然知らなかったのだが、東京ドームでは嵐のコンサートが開かれる。
初日は開場が15時だったにもかかわらず、11時開始のトークショーに合わせて敗戦処理。が向かうと22番ゲートや21番ゲート前は黒山の人だかり。しかもこの日はジャイアンツの主催試合のチケット前売り初日とも重なっていた。
井野氏は審判役を試合に出ない控え選手が務めていた時代の話から始まり、道具の変遷を語りだした。懐かしいアウトサイドプロテクターを持ち出し、膨らませ方を実演する一方、まだ宅配便が普及していない時代に遠征で持ち運ぶのは若手審判員の仕事で、三連戦で球審を務める審判員の体格が大・中・小ならば三種類のアウトサイドプロテクターを一人で持ち運ばなければならなかった苦労話などをされていた。
初めて大リーグの審判学校に留学したのが井野氏を含む同世代の当時の審判員で、富沢宏哉審判部長から命ぜられて1981年に行った。その時にインサイドプロテクターが大リーグで普及し始めていて、それを日本に持ち込んだとか。
インサイドプロテクターを装着することによって大きな動作がとりやすくなったり、いろんなポーズが取れるから遠くから見る観客にもわかりやすいなどの多くの利点がある一方、やはり構造上、ファウルボールなどが直撃してしまった場合の衝撃の大きさはアウトサイドプロテクターの比ではないそうだ。
で、痛さのついでに男性の大事な部分を守るためのカップを披露。
既に現役を引退した井野氏は手持ちのカップが無く、写真のカップはこの日の秋田でのスワローズ対ジャイアンツ戦で球審を務める笠原昌春審判員から借りたそうで、もちろん未使用<笑>。未使用の理由は「僕には大きすぎるから」と笠原審判員の物まねをして説明していたが、似ているか似ていないかを判断出来る客は居なかった。このサイズで大きすぎるということは…以下自粛。
因みに聴衆は百人弱といったところか。最前列には大リーグの事情に詳しい池井優先生の姿があった。また、森健二郎審判員のお父様も来場されていたらしい。トークショー終了後、池井先生と井野氏は名刺交換をしていた。
トークの中で審判時代に接した選手や監督の話をもっとするかと思ったが意外に少なかった。選手や監督から皮肉っぽく「審判員は俺たちと違って首にならないからいいよな」と言われるが、選手と違って契約金も退職金もない。首になる人は少ないが、全員一年契約なので10月の終わりに来年の契約予定を示す連絡が来ないとドキドキすると言い、実際に三、四年に一人首になっているという。
井野氏は「自分は野球界のことしかわからないが…」と断った上で、某球団のドラフト1位ルーキーにはルーキー時代から態度が大きい選手が多いと言っていた。そんな中、例外的に礼儀正しい選手がいて、新人の頃からスター選手になっても謙虚さに変化が無く、挨拶も元気よく丁寧な選手が一人いたそうで、「こういう選手が活躍、大成すれば…」と思っていたら、活躍の度が過ぎてアメリカで活躍するようになってついには国民栄誉賞まで受賞したと、松井秀喜とわかるように説明していた。
また、監督の抗議にもそれぞれ性格がよく表れるということで同年代の落合博満や、抗議は長くても5分以内なので3分くらいで確認すると切れてしまう星野仙一、さらには長嶋茂雄や若松勉の抗議の様子を語っていた。
この後は井野氏が探してきたお宝グッズの争奪ジャンケン大会。井野氏が女性ばかり贔屓していて、男性は苦戦していた。最後に二問限定の質疑応答があり、最初の質問者が「1990年にそれまでの六人制から四人制に代わった時の苦労話を」と聞くと、「一番触れて欲しくない問題<苦笑>」と前置きしながら「事前に何の連絡もなくいきなり決まったんですよ」「雲の上の人達が決めたので」と告白。「それでその年の開幕戦でああいうこと(ジャイアンツ対スワローズ戦で篠塚利夫が内藤尚行から放ったライトポール際の疑惑の本塁打)があって、それ以後皆過剰に意識しすぎていた」という話をしていた。
終了後に井野氏と話を出来るタイミングがあれば鎌ヶ谷でファンとのコミュニケーションを大事にする山崎夏生技術委員の話を出来ればと思ったが、サインを求める長蛇の列。
断念した。
続く29日は元公式記録員の石井重夫氏のお話。
前日に井野氏が「審判時代に、東京ドームに来る時は試合開始の二時間前に入るようにしていたからその時間でも既に総武線は混んでいたけど今日はガラガラだった」と話していたが、この日はトークショーの開始時刻と嵐のコンサートの開始時刻が同時と言うことで水道橋駅はごった返し。
もちろん女性ばかり。水道橋駅の改札を出て、東京ドームの22番ゲート付近まで行く間に見かけた男性は警備の人とダフ屋くらいだった。
阿部慎之助も何だか可哀想に見えてきた<笑>。
石井氏は公式記録員の仕事の領域について触れ、日本が最も公式記録員が確立されていると語っていて、先日の大リーグでのダルビッシュ有の完全試合がかかっていた試合で内野と外野の間にどちらの野手にも触れずに落ちた打球が当初“エラー”と判定されたことに言及して、移動の大変な大リーグではリーグ所属の公式記録員をあっちこっちに移動勤務させるのは得策でないので、各地区ごとにベテランの新聞記者など信頼のおける人物に委託しているからああいうことが起きると言っていた。日本の公式記録員を派遣して欲しい云々の話があったが無理があるとして実現しなかったとも。
興味深かった話の一つが、試合のスコアシートの記入方法の慶応式と早稲田式。もちろん由来は両大学。
この写真だとわかりづらいかもしれないが、どちらも上が慶応式で、下が早稲田式。後世の人が見てわかりやすいのが慶応式で、その試合の推移を知らない後世の人が見ても、後から自責点と非自責点を分けられるほどだという。1985年に野球殿堂入りした山内以九士氏の考案によると言う。一方で誰でも書けて自分でわかりやすいのが早稲田式だそうだ。石井氏は個人で楽しむ分には早稲田式を薦めていた。敗戦処理。も亜流ながら早稲田式をアレンジした記入方法を採り入れている。
スコアブックでよく質問されるのが「“三振”を何故“K”というのか?」という質問だそう。石井氏は野球の用語、習慣には由来のはっきりしないものが多いと断った上で、「私が子供の頃には見逃し三振では(振ってないから)振り逃げが出来ない」「ファウルを36本打ったらアウト」などという根拠不明な迷信があったといった上で、strike outのsは盗塁(stolen base)等多用するのでsの次に目だつkが三振の代名詞として採用されたという説を主張していた。
また、規則の盲点の事例として、自らが公式記録員として関わった甲子園球場での雨中のタイガース対カープ戦で、「試合は五回を終わらないと成立しない」からといって負けているカープが五回裏途中に「こんな雨じゃ試合にならないから中止、ノーゲームにしてくれ」と抗議してきて、協議した結果、さらに雨が強くなって試合を終わりにした。プロ野球の公式戦は五回を終了しないと成立しないが「5回表を終わった際、または5回裏の途中で打ち切りを命じられた試合で、ホームチームの得点がビジティングチームの得点より多いとき」は公認野球規則4.10正式試合の(c)の(2)としてノーゲームでなくコールドゲームになる。カープの監督のルールミスというと、野村謙二郎監督の「DH今村」がいまだに交流戦の時期になるとぶり返されるが、野村監督と一文字違いの、野村監督の前に最後にAクラスになった監督も勘違いしていたのである。
また、この話に関連して、先発投手が五回を投げ切らなくても勝利投手になれるケースがあり得るという話になり、それが五回終了でコールドゲームになって試合においてのみ、先発投手が四回を投げきっていれば勝利投手の権利を有するということとの説明があった。
こんな流れで質疑応答に入った。敗戦処理。はダルビッシュの完全試合がかかっていた試合で七回に起きた右翼手と二塁手の間に飛んだ飛球がどちらにも触れずに落ちたのに公式記録員が当初右翼手のエラーと判定されたのは公認野球規則10.01(b)(1)「記録員は、いかなる場合でも、記録に関する規則を含む本規則の条項に反するような記録についての決定を下してはならないし、記録に関する規則を厳重に守らなければならない。(以下略)」に反しているのではないか?という質問を考えていたのだが、質問を変えた。
「今年ソフトバンクと日本ハムの試合で同点の九回裏一死二、三塁で三振の際に投球を捕手が後逸して、その間に三塁走者がホームインしてソフトバンクがサヨナラ勝ちした試合がありまして、翌日のスポーツ紙各紙には“サヨナラ振り逃げ”と大きな見出しが出ましたが、実際には打者は振り逃げをせず打席でサヨナラの走者のホームインを見届けていました。記録上は三振と暴投だと思いますが、記録上は『サヨナラ振り逃げ』ではなくて『サヨナラ暴投』なのではないでしょうか?『サヨナラ振り逃げ』はマスコミ用語ですか?」と質問した。
石井氏は「良い質問ですね」と誉めてくださり、もしも二死だったら走者がホームインしても打者走者が一塁に生きないとホームインは成立しないが、一死または無死なら打者走者は走る必要は無い。三塁走者のホームインは打者の“振り逃げ”とは直接関係なく暴投によるものだから『サヨナラ暴投』が適切で、でも『サヨナラ振り逃げ』と書いた方が劇的なのでマスコミはそうしたのでは?と解説してくださった。
これで謎が解決したのだが、その後スポーツライター田尻耕太郎氏の記事で、公式記録として『サヨナラ振り逃げ』となっているとの記事を発見してしまった。
確かに冷静に考えれば、このサヨナラのシーンは松田宣浩の打席の途中での出来事ではない。打者(またはその代打者、代走を含む)はアウトになるか、得点するか、残塁するかのいずれかになる。松田は空振りの三振だが捕手がダイレクト捕球していないのでアウトになっていない。かといって一塁にも達していないが、記録上は松田はアウトになっていないし得点もしていないから“残塁”なのだ。本塁に残塁すると言うことはあり得ないから便宜上松田は一塁に残塁したことになり、記録上は『サヨナラ振り逃げ』になるのだろう。無死や一死でのサヨナラ勝ちのシーンでは打者走者が一塁に達する必要が必ずしもないシーンが多いが、例えば同様のシーンで、打者が外野に“安打”を放っても打者走者が一塁に達するより先にサヨナラの走者がホームインするケースもある。この場合ホームインの時点でサヨナラ勝ちで試合終了だが記録上は『サヨナラ安打』となる(公認野球規則10.06(f))。
他の質問では「暴投とパスボールの境界がわかりにくい」とか「サヨナラのピンチにスクイズを仕掛けられたとき、間に合わないとわかっていてもホームに投げる。この場合は『サヨナラ野選』になるのか?」とか「公式のスコアシートを一般のファンが閲覧することは出来るのか」等の質問が出た。石井氏は一つ一つ丁寧に答えていた。「暴投とパスボールの境目は投球がバウンドしたかがほとんどですね」「昔は『サヨナラフィルダースチョイス』としていた時代もありました。しかしそれこそ打者の一塁への走りは関係ない。こういう場合は『サヨナラ安打』と記録します」「三田の日本野球機構にお越しいただければ閲覧は可能なはずです。但し版権その他で、コピーは個人的趣味の範疇でしか認められないはずです」と。個人的にも、暴投とパスボールの区別はわかりづらい。安打か失策かはスコアボードのHが点灯するかEが点灯するか注視していればわかるが、暴投かパスボールかは表示されないので困ることがある。因みに最後の質問例はサイコロ野球ゲームの第一人者である牧啓夫氏の質問。「プロ野球ナイト」やその忘年会でひときわ存在感を示していた牧氏は敗戦処理。の事を覚えてくれていたようで、終了後に挨拶出来、話が出来たのは何よりだった。
井野氏、石井氏とも、最新の「公認野球規則」を手に持って話を進めるシーンがあり、ともに昨年から横書きになった事を読みづらそうに言っていた。失礼ながら、そういう世代の方なのだろう。だが、だからこその経験に基づいた深い話も多く、非常に勉強になった二日間だった。来月にはセイバーメトリクス絡みのトークショーのチケットを購入済みで、こちらも相当な来場が見込まれている様だ。確かにセイバーメトリクスも野球の見方を深くするには必要不可欠なものかもしれないが、野球に深く興味を持つならば、まず規則を正しく把握することだろう。敗戦処理。が応援しているチームの例で言えば、25日のベイスターズ対ファイターズ戦での三本間での挟殺プレーを「3フィートオーバー」だと主張する人はよく野球規則を読んで欲しいと思う(公認野球規則7.08(a)【注1】)。
余談だが、そのセイバーメトリクス講座が行われる当日、同時間帯に鎌ヶ谷でファイターズの試合がある。チケットを取ってしまったが、やっぱり「生」観戦の魅力は捨てがたい。う~ん、どうしたものか…。
【筆者注】お二人の話をメモをとって要約したので、いわゆる“てにをは”は正確でないと思いますが、発言の趣旨の誤引用は無いと思います。
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