敗戦処理。的ロッテオリオンズ~千葉ロッテマリーンズ歴代ベストナイン-マイセレクトベストナインVol.7
毎月2日、昨年2月にスタートしたマイセレクトベストナインを偶数月に、 敗戦処理。が生観戦したプロ野球- my only one game of each yearを奇数月の2日に掲載しています。今月はマイセレクトベストナインの第7弾。
敗戦処理。は昨年の生観戦で、初めてプロ野球の試合を生観戦してから四十年目となった。そこで旧近鉄バファローズを含めた十三球団の、初めて生観戦をした1974年(昭和49年)以降、即ちリアルタイムに見た時代のベストナイン、ベスト一軍メンバー28人を自分なりに選んでみることにした。
1974年という年はジャイアンツの連続優勝がV9で止まった年であり、セーブが記録として制定された年である。そして日本ハムが日拓ホームから球団を買収し、ファイターズがスタートした年である。翌年にはパ・リーグで指名打者制が採用されるなど、大きな節目の時期でもある。
そして敗戦処理。は今年の生観戦で生観戦歴四十周年となった。NPBは今年を“プロ野球80周年”と称している。日本のプロ野球の約半分を網羅していることになる。
なお、先月10日に初めて雁の巣球場での生観戦を果たしたが、「生」観戦した野球場(65)-雁の巣球場は7月2日に掲載し、敗戦処理。が観戦したプロ野球2010年編は9月2日以降の掲載とします。
マイセレクトリアルタイムベストナインVol.7-ロッテオリオンズ~千葉ロッテマリーンズ
今回も最初に定義を説明しておこう。
●調査期間は敗戦処理。が初めてプロ野球を生観戦した1974年(昭和49年)から執筆時期(公式戦完了済みシーズン)まで。したがって1973年(昭和48年)までの成績は含まない。
●親会社の変更は同一球団と見なす。
●期間内でも他球団に在籍していた期間の成績は含まない。
●主要個人成績(試合数、打率、安打、本塁打、打点、盗塁、勝利、セーブ、防御率等)記録も重視するが、敗戦処理。が受けたインパクトも重視する。
●外国人枠は設けない。
●同一人物の選手と監督との重複選出、複数球団での選出は可。
●ベストメンバー9人(パ・リーグは10人)を含む一軍28人と監督を選ぶ。
●この定義は適宜変更される事もあるかもしれない。
※1973年(昭和48年)までの成績、記録を含めないのは過去を軽視しているのではなく、自分がリアルタイムに観ていない選手達を記録だけで比較する事がかえって非礼にあたると考えたからである。ある意味、自分史のまとめである。
オリオンズからマリーンズと連なるこのチームはいろいろな意味で不思議なチームだ。遡れば毎日オリオンズから連なるこのチームは球団創立以来昨年までの通算成績が4144勝4072敗356引き分けで勝率が.504と通算で勝ち越しているのだ。本企画の対象初年度の1974年に金田正一監督の元で日本一になっているが、次に日本シリーズに優勝するのが「ボビー・マジック」が炸裂した2005年だから、三十年間優勝から遠ざかっていたことになる。しかもその間、山内一弘監督の時代に1980年、1981年と当時のパ・リーグの二シーズン制で連続して前期優勝を果たす(ともにプレーオフで敗退)など好成績の年もあったが三十年間でAクラスに入ったのは7回だけと低迷していた。それでも通算勝率が五割を割ることがなかったのはひとえに本企画対象以前の年度にたんまり貯金を重ねていたと言うことだ。
金田監督の後任の山内監督の時代には当時の二シーズン制のパ・リーグにおいて1980年、1981年にそれぞれ前期優勝を果たすがプレーオフで日本シリーズ進出を逃していた。その後稲尾和久監督でAクラスになってからに移す前の川崎球場時代にはスタンドに閑古鳥が鳴き、様々な伝説が作られた。
1992年に本拠地を川崎球場から千葉マリンスタジアムに移転したことが大きな転換期になったことは間違いないが、移転してすぐに結果が出たわけではない。二度目の監督就任だった金田監督は成績低迷だけでなく審判団への蛮行なども問題視され、移転を機にチームカラーを一新したい意向もあったのだろう。八木沢荘六を監督に迎えたが最下位、5位、5位と低迷。1995年に広岡達朗GM、ボビー・バレンタイン監督体制で2位になるが、これが10年ぶりのAクラス。ただ広岡、バレンタイン体制も一年で空中分解。翌1996年に江尻亮を新監督に迎えてBクラスに落ちると、広岡GMまで退任。再びバレンタインが監督に就任してリーグ優勝する2005年まで9年連続でBクラスに低迷した。この期間が球団最大の暗黒時代といえよう。
ただ、この頃からパ・リーグもライオンズとホークスの二強時代からファイターズなどその年の好調チームが割って入る様になり、マリーンズもAクラスというレベルなら2007年、2010年、2013年と落ちてはすぐ上がりという感じになってきた。2010年にはシーズン最終戦で3位を確保して臨んだクライマックスシリーズで日本シリーズ進出軒を勝ち取り、日本シリーズではセ・リーグの覇者ドラゴンズを破って日本一になった。当企画の対象期間で1974年、2005年、2010年と3度の日本一はライオンズ(10回)、ジャイアンツ(7回)、スワローズ、バファローズ(各4回)に次ぎ、カープ、ホークスと並ぶ5位タイだ。
【投手】
このチームの大エース、村田兆治は対象初年度の1974年には既に金田監督の絶大の信頼を得ていた。パ・リーグの最優秀選手こそ金田監督の実弟でもある金田留広が受賞したが、村田も大車輪の活躍をした。通算215勝のうち、1974年以降に181勝を挙げている。エースの勲章の一つである20勝以上を1976年に記録しているが、他に15勝以上が、肘の故障から奇跡の復活で「サンデー兆治」の異名を取った1985年の17勝を含め4度。
このチームで1985年の村田以後、シーズンに17勝以上した投手はいない。最も近いのが2007年の成瀬善久の16勝で他に15勝を挙げたのが1995年の伊良部秀輝、2003年の清水直行、2005年の渡辺俊介だけ。黒木知宏は1999年の14勝が自己最多だ。対象期間中に100勝以上挙げたのが村田以外に110勝の仁科時成と水谷則博しかいないということもあり、ベストナインの投手部門は村田兆治とする。
【捕手】
オリオンズ~マリーンズと連なるこの四十年間で長く正捕手を務めた選手は法政大学で江川卓の球を受け、プロ入り後は村田兆治と名コンビだった袴田英利と現役の里崎智也の二択だろう。
1978年の入団で村田と同じく1990年限りで引退するまで実働13年間で911試合に出場した袴田に対して、2000年から昨年まで実働期間で袴田より一年長い14年間の里崎が既に1000試合出場を越えて1072試合出場。橋本将と併用されていた時期もあったが長く扇の要を担っている点を評価してベストナインの捕手部門は里崎智也とする。
続いては内野手だが、まずは三冠王3度の落合博満を内野のどのポジションにするかを定める。落合が在籍した1979年から1986年までの8年間の守備位置別出場数を調べると、一塁手として209試合、二塁手として239試合、三塁手として404試合。予想通り三塁手としての出場が最も多かった。デビューが二塁手だったが二塁手としての出場が一塁手としての出場数を上回っているのが意外だった。若い頃の落合は身体がよく動いたのだろう。落合の8年間の成績は三塁手部門で選考の対象とする。
【一塁手】
現役の福浦和也が正一塁手の座を射止めて長い。昨年までで通算安打数も1839本に達している。他に長く一塁手として出ていた選手というと愛甲猛、レオン。愛甲の通算1253試合出場、1068安打も立派な数字には違いないが福浦とは比べものにならない。レオンも兄のリーに比べれば在籍期間が短いこともあり、通算本塁打130本で福浦と愛甲を上回り、五年間で打率.309の安定感も捨てがたいが、ここは福浦に敬意を表し、ベストナインの一塁手は福浦和也とする。
【二塁手】
名球会入りしている山崎裕之は1978年を最後にライオンズに移籍してしまったため対象時期では五年間のみの在籍と短く実績に乏しい。期間中でチーム全選手中最多の2064試合に出場した堀幸一の独壇場だろう。ベストナインの二塁手は堀幸一とする。
【三塁手】
福浦、堀の選考過程から考えると、1974年以降に限定しても、1448試合、226本塁打、1396安打の「ミスターロッテ」有藤道世、有藤を上回る1732試合に出場して1525安打、232本塁打の「幕張のファンタジスタ」こと初芝清、そして現役で昨年まで1194試合、1184安打、84本塁打の今江敏晃から選ぶのが筋だが、前述した三冠王3回の落合博満をこのポジションで選考する以上、無視するわけにはいかない。三ポジションにまたがる9年間の落合の成績は849試合、954安打、954安打、242本塁打で打率が.332。圧巻という他ない。242本塁打は在籍期間の長い有藤、初芝、堀を上回り、レロン・リーに次ぐ期間中球団2位。三冠王3回で、その間に首位打者5回、本塁打王、打点王各3回。最多安打1回。「ミスターロッテ」を落とすのは忍びないが、ベストナインの三塁手は落合博満とする。
【遊撃手】
水上善雄、小坂誠の一騎打ちか、ともに後年、他球団の飯を食っているが、指導者になって鎌ヶ谷で指導している共通点がある。
14年間で1364試合、939安打の水上が9年間で1098試合、986安打の小坂を抑えて受賞としたい。小坂には期間中で西村徳文に次ぐ球団2位の265盗塁という記録もあるが、ここは水上善雄を選ぶ。
【外野手】
内野で三ポジションにまたがった落合と同様に内野(二塁手)から外野に転向した西村は現役時代の通算成績が内野手時代と外野手時代でほぼ同数。ただタイトル(盗塁王、首位打者)の大半を内野手時代に獲得しているので、外野手部門には入れないことにした。また、レロン・リーは外野手としての出場が297試合なのに対してDHとしての出場が979試合なのでDH部門とする。
そうなると、1974年日本一の時の日本シリーズMVPの弘田澄男(1121試合、1079安打、244盗塁)、10・19の同点本塁打の印象が強い高沢秀昭(894試合、833安打、首位打者1回)、現役のサブロー(1616試合、1273安打、121本塁打)、新人から二年連続打率三割を記録した横田真之(876試合、723安打)が際立つ。サブローと弘田をまず選び、最後の一人は微差ながら高沢を選ぶ。ベストナインの外野手部門はサブロー、弘田澄男、高沢秀昭とする。
【指名打者】
ここはレロン・リーで決まりだろう。外国人選手ながら通算打率の規定打数である4000打数を超え、1315試合ながら1579安打、打率.320。打率.320は日本のプロ野球の通算打率第1位に当たる。283本塁打は球団最多に当たる。
【監督】
最後は監督を選ぶ。1974年から昨年までの監督の通算成績を列挙する。
金田正一(~1978年)301勝285敗55分け、勝率.514。優勝、日本一1回、プレーオフ出場2回
山内一弘(1979年~1981年)182勝171敗37分け、勝率.516。プレーオフ出場2回
山本一義(1982年~1983年)97勝145敗18分け、勝率.401。
稲尾和久(1984年~1986年)185勝175敗30分け、勝率.514
有藤道世(1987年~1989年)153勝213敗24分け、勝率.418。
金田正一(1990年~1991年)100勝134敗6分け、勝率.427。
八木沢荘六(1992年~1994年)139勝202敗4分け、勝率.408。
ボビー・バレンタイン(1995年)69勝58敗3分け、勝率.543
江尻亮(1996年)60勝65敗3分け、勝率.489
近藤昭仁(1997年~1998年)118勝147敗5分け、勝率.445
山本功児(1999年~2003年)324勝352敗14分け、勝率.479。
ボビー・バレンタイン(2004年~2009年)425勝392敗20分け、勝率.520。プレーオフ/CS進出2回、優勝、日本一1回
西村徳文(2010年~2012年)191勝213敗28分け、勝率.473。CS進出1回、日本一1回
伊東勤(2013年~)74勝68敗2分け、勝率.521。CS進出1回
あくまで、のべの計算だが、のべ14人の監督のうち、のべ6人の監督が勝率五割以上なのだから、なんだかんだ成績の安定したチームと言えよう。2009年に日本一になった西村監督はレギュラーシーズンの成績は3位ながら、CSを勝ち抜き、さらには日本シリーズを勝ち抜いての日本一で、リーグ優勝は果たしていない。バレンタイン監督の2005年は当時の規定がプレーオフを勝ち上がったチームが優勝と言うことで優勝はしたが、レギュラーシーズンの勝率は2位。1974年は当時の2シーズン制で後期に優勝し、プレーオフで勝ち上がっての優勝扱いだが、年間の勝率でも1位だった。したがって、期間中三度の日本一を経験しているが、レギュラーシーズンの勝率1位は一度だけ。
この期間中にレギュラーシーズン勝率1位が一度しかないのは、球団創立まだ9年のゴールデンイーグルスを別にすれば他にホエールズ~ベイスターズの一球団だけである。また、対象期間中の日本シリーズ出場、優勝率100%もこの三球団だけ。複数回出場で優勝率100%はオリオンズ~マリーンズだけ。
その日本一を経験した金田、バレンタイン、西村の三監督を比較すると、金田も二期の監督成績を合計すると勝率が.489と負け越し。西村も日本一達成の年でも貯金8の年間3位で残り二年間が最下位と5位では通算勝率.473と振るわない。二期合計で494勝450敗23分けで勝率.523のバレンタインが優勢。レギュラーシーズン勝率1位の経験こそ無いが日本一に輝いた2005年の84勝は毎日オリオンズから連なる球団史で年間最多勝。ベストナインの監督部門はボビー・バレンタインを選ぶ。
なお、日本一に輝いた三監督以外の監督で最も長くチームを率いたのが五年間率いた山本功児なのだが、山本功は一度もAクラスを経験していない。生え抜きのOBでもなく、よく五年間もクビが繋がったなと当時不思議に思っていたが、調べると、五年とも年間で負け越していながら、借金の最多が10で他四年はいずれも借金が1桁なのだ。最後の2003年は借金1で4位。バレンタイン復帰の動きがなかったらなおも首が繋がっていたかも…。
それでは一通り選び終わったところで、敗戦処理。が選ぶマイセレクトベストナインでオーダーを組んでみる。
(中)弘田澄男
(二)堀幸一
(一)福浦和也
(三)落合博満
(指)レロン・リー
(右)サブロー
(左)高沢秀昭
(捕)里崎智也
(遊)水上善雄
(投)村田兆治
最後に一軍登録と同じ28人を選ぶ。
【投手】
村田兆治、仁科時成、水谷則博、小宮山悟、清水直、小林雅英、藤田宗一、河本育之、成本年秀、薮田安彦、渡辺俊介、倉持明、黒木知宏
【捕手】
袴田英利、里崎智也
【内野手】
福浦和也、レオン、堀幸一、今江敏晃、有藤道世、落合博満、初芝清、水上善雄、小坂誠
【外野手】
サブロー、弘田澄男、レロン・リー、高沢秀昭
次回は広島東洋カープ編を予定。
【参考文献】
・「THE OFFICIAL BASEBALL ENCYCROPEDIA 第4版」社団法人日本野球機構
・「2014ベースボールレコード・ブック」ベースボール・マガジン社
・「プロ野球人名事典2003」森岡浩編著、日外アソシエーツ
・CD版「野球の記録で話したい Baseball Stats Lounge」
広尾晃氏
・「俺たちの川崎・ロッテオリオンズ」ベースボール・マガジン社
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