休養中のライオンズ伊原春樹監督辞任で止まるライオンズのパ・リーグ記録
ライオンズが西武ライオンズとなって四年目の1982年に広岡達朗監督でリーグ優勝、日本一を果たして以来、広岡監督の後を継いだ森祇晶、東尾修、一回目の伊原春樹、伊東勤、渡辺久信と六代続いた監督による連続優勝のパ・リーグ記録が伊原監督の辞任で止まることになる。田辺徳雄監督代行が監督代行のまま続けると言うことは今季中は登録上は伊原監督で、自力優勝の可能性が消えたとはいえまだ逆転優勝の可能性はある。リーグ優勝を果たせば伊原監督が優勝監督ということになるのかもしれないが、実質的には田辺監督代行によるものであろうし、連続優勝は六代で止まることになる。しかしこれはパ・リーグの記録だ。
パ・リーグでは過去にも黄金時代を築いた球団はあるが、これほど長く、多くの監督が替わっても優勝を続けられた例はない。かつてのホークスは鶴岡一人と野村克也の間に監督を務めた飯田徳治に優勝経験がないし、鶴岡監督は一度退任して蔭山和夫が監督に就任したが、直後に死去していた。
阪急ブレーブスも西本幸雄と上田利治の二代のみ。近年の福岡移転後のホークスも王貞治の監督期間が長かったためか、秋山幸二と二代のみだ。もちろんセ・リーグに目を移せば、リーグ初期からのジャイアンツが水原茂、川上哲治、長嶋茂雄、藤田元司、王貞治、藤田元司、長嶋茂雄、原辰徳と八代続き、しかも一リーグ時代に遡ればさらに続くということを考えると、さすがと言わざるを得ないが、それでもライオンズの六代はパ・リーグ記録である。
ちなみにジャイアンツの八代、ライオンズの六代に続くのは、カープの古葉竹識、阿南準郎、山本浩二による三代、ファイターズで継続中のトレイ・ヒルマン、梨田昌孝、栗山英樹による三代だ。ファイターズでは栗山監督の来季続投が早くも決まった様で頑張って欲しいが、次の監督も気になる。そもそも栗山現監督に限らずヒルマン、梨田も監督に就任するまでファイターズ球団とは縁の無かった人物。ファンの間では次期監督として白井一幸内野守備走塁コーチ兼作戦担当の支持が高いようだがどうなるか?ジャイアンツとライオンズにOBによる継承が続いているだけに注目される。
ライオンズでは広岡→森以後、コーチ経験が浅い若手指揮官を積極的に登用しているのが目立つが、若手指揮官の抜擢には必ず百戦錬磨の№2を片腕として付けている。東尾には須藤豊を、伊東には土井正博を、渡辺にも最初は黒江透修を付け、黒江が一年で辞任すると再び土井を付けた。この流れからすると、敗戦処理。は渡辺の後は潮崎哲也二軍監督の抜擢で、№2のお目付役に伊原を付けるのだろうと勝手に推測していた。
だが実際にはその伊原が№2ではなく監督に就任してしまった。伊原監督の、野球以前に若手の襟を正そうとした取り組みは必ずしも間違いではなかったと敗戦処理。は思っている。ただ「寛容力」を標榜する監督の下で六年間過ごしてきた選手達に伊原の手法を持ち込むには何らかのプロセスが必要だったのだろうが、それなしで叩き込もうとして失敗したのではないか。
ライオンズファンの中には伊原監督就任の時点でブランクの長さを危惧していた人も少なくないようだが、最初のライオンズ監督を退団してすぐにブルーウェーブの監督を務めた後、ジャイアンツで四年間コーチをしていた。
ここから先は敗戦処理。の推測だが、ジャイアンツのコーチになった伊原はヘッドコーチという監督に次ぐ№2の座に上り詰めたとはいえ、自分が監督になることは100%ないということを自覚していただろう。だとすればやることは唯一つ。自分のさらなる出世が無いとしたらヘッドコーチとしての評価を高める以外になく、それはジャイアンツの場合、優勝して監督の片腕に徹することだろう。伊原がジャイアンツにコーチとして在籍した四年の内、三年間でリーグ優勝を果たしている。この手腕をライオンズで発揮してもらおうと何故考えなかったのか?
いずれにしろライオンズは引き続き監督代行のままでチームを指揮する田辺徳雄の下でチームを再建しなければならない。強かった時代のユニフォームを復刻した次には強かった時代のマインドが戻ってくるか?パ・リーグの順位争いはまだまだ混沌としそうだ。
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