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2014年9月 2日 (火)

“埼玉のダル”高校卒ルーキー公式戦初登板を勝利投手で飾る!【回想】敗戦処理。生観戦録-第39回 2010年(平成22年)編

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毎月2日、昨年2月にスタートしたマイセレクトベストナインを偶数月に、
敗戦処理。が生観戦したプロ野球- my only one game of each yearを奇数月の2日に掲載しています。今月は敗戦処理。が生観戦したプロ野球- my only one game of each yearの月。


1974(昭和49)に初めてプロ野球を生観戦した敗戦処理。はその後毎年、途切れることなく数試合から十数試合を生観戦しています。そこで一年単位にその年の生観戦で最も印象に残っている試合を選び出し、その試合の感想をあらためて書いていきたいと思います。年齢不詳の敗戦処理。ですが同年代の日本の野球ファンの方に「そういえば、あんな試合があったな」と懐かしんでもらえれば幸いです。


【回想】敗戦処理。生観戦録- my only one game of each year39回 2010(平成22)


(写真:見事にプロ入り初登板を先発勝利で飾り、撮影用にウイニングボールにキスをする中村勝。2010年8月11日撮影)



早いものだ。中村勝がファイターズに入団して今季で五年目となった。今回取り上げる、2010年の生観戦のmy only one game は中村勝のルーキーイヤーの公式戦初登板の試合だ。



前年秋のドラフト会議、ファイターズは花巻東高の菊池雄星を1位指名するも抽選で交渉権の獲得を逃し、外れ1位として春日部共栄高の中村を指名した。
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その端正なルックスから「埼玉のダル」と早くも異名が付いた。



北海道に移転してからのファイターズは育成重視の球団方針で好結果を残しているが、高校卒の新人投手にも一年目から一軍登用のチャンスを与えている。2005年のダルビッシュ有は別格としても、球団によっては一年目には身体作りに専念させることもある高校卒一年目の投手を一年目に一軍に登用している。



2004年 須永英輝 5試合0勝2敗 122/3 防御率9.24
2005年 ダルビッシュ有 14試合5勝5敗 941/3 防御率3.53
2006年 木下達生 2試合0勝1敗 8回1/3 防御率7.56
2007年 吉川光夫 19試合4勝3敗 931/3 防御率3.66
2008年 豊島明好 2試合勝敗無し 2回 防御率0.00


効果の程は定かではないが<苦笑>、特段投手陣に人材を欠いているわけでもないのにこうした傾向が出ているのは育成プログラムの一環に組み込まれているということだろう。


2009年に唯一の高校卒ルーキー投手だった土屋健二が一軍登板無しに終わったが、2010年、中村勝にチャンスが回ってきた。


敗戦処理。は中村初先発を知ってこの試合に足を運んだ訳ではないが、それまでのイースタンでの登板試合を観ることが出来ていなかったので新鮮な思いで観戦することが出来た。


2010年8月11日、千葉ロッテマリーンズ対北海道日本ハムファイターズ第17回戦。千葉マリンスタジアム


ファイターズ
()田中賢介
()森本稀哲
()稲葉篤紀
()小谷野栄一
()糸井嘉男
()紺田敏正
()中田翔
()鶴岡慎也
()金子誠
()中村勝


マリーンズ
()西岡剛
()今江敏晃
()井口資仁
()キム・テギュン
()福浦和也
()サブロー
()大松尚逸
()清田育宏
()的場直樹
()渡辺俊介



この年のファイターズは前年、2009年のリーグ優勝から一転、開幕ダッシュにつまずいたのがたたり、Bクラスを抜け出せずにいた。クローザー武田久が開幕早々にリリーフ失敗を重ね、接戦を拾えないのが響いた。この時期、三年目の中田翔がようやく開花の兆しを見せ、初本塁打を皮切りに11試合で8本塁打のハイペースで打ちまくっていた。


一方のマリーンズは前年までのボビー・バレンタイン監督体制に区切りを付け、マリーンズ一筋の西村徳文新監督となった。西岡剛が一番打者としてチームを引っ張り、ホークス、ライオンズに次ぐ3位に位置していた。


試合は、一回表のファイターズの攻撃が三者凡退で終わり、中村が初登板のマウンドに上がった。先頭の好調西岡は中村のプロ一球目を狙い打ったが高々と上がる右中間のフライ。ライトの紺田敏正が落下点に入り、難敵を打ち取ったかと思いきや、マリンスタジアム特有の風に煽られたか紺田が落球。大きく弾く間に西岡は三塁まで進んだ。いきなり無死三塁のピンチを迎えた。
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先発投手は、立ち上がりにつまずくと自分のペースを掴めないことが多い。経験豊富な先発投手でも立ち上がりには細心の注意を払うという。そんな立ち上がりに、プロ一年目で初めて一軍に上がって初めての公式戦マウンド。中村の不安はいくばくかとスタンドから不安視したか、中村は落ち着き払っていたのか、逆に開き直ったか、アウトは自力で取るしかないと悟ったのか、三番の井口資仁にこそ四球を与えたが二番の今江敏晃、四番のキム・テギュン、五番の福浦和也を三振に仕留めて無失点に凌ぎ切った。
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「先輩野手達はこれで奮起しなきゃ嘘だろ!」



敗戦処理。のみならず多くのファイターズファンがそう思ったろうが、ファイターズ打線はマリーンズの先発、渡辺俊介を攻めきれない。三回表には二死から満塁のチャンスを作るも、この年にパ・リーグの打点王に輝く、四番の小谷野栄一が遊ゴロに倒れ無得点に終わった。


チャンスの後にピンチあり。その裏、中村は西岡と井口に二塁打を打たれ、先制点を奪われる。さすがに動揺したか、キム・テギュンと福浦に連続四球でさらに二死満塁と一気に崩されそうな場面だったが続くサブローを二飛に打ち取って最少失点にとどめた。


今度はピンチの後にチャンスありで、直後の四回表、初回の守備では風に泣かされた紺田が風を味方にしてセンター前にポテンヒット。これが二塁打になると、続く中田が歩いた一死一、二塁から鶴岡慎也がライト前に運び、紺田を還して同点。さらに続く金子誠がレフト前に運んで満塁とし、一番に帰って田中賢介がライトに犠牲フライを打ち上げてファイターズが逆転に成功した。
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続く五回には先頭の稲葉篤紀がライト前に運んで出塁すると、小谷野が今度は左中間を破り、稲葉が一塁から一気に生還。小谷野は一気に三塁を狙って憤死するも、二死から紺田が再び安打を放ち、中田がセンターのフェンスを直撃するタイムリー三塁打。この回2点を追加した。



逆転してからの中村は四回裏、五回裏と三者凡退の投球で初登板初勝利の権利を手中に。昇り調子で3点差、もう少し投げさせるかと思ったが五回までで99球。無理をさせずに六回から継投に入った。
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六回裏は林昌範が走者一人を出したものの無失点に凌ぐが、七回裏に登板した三番手の加藤武治が誤算。今江と井口にタイムリーを浴び、あっという間に1点差に。なおも二死二塁と一打同点のピンチとなり、ファイターズは加藤武を見限り、たまらず建山義紀を投入。武田久絶不調時には代役でクローザーを務めていた建山は武田久がクローザーに復帰してからはその前の八回を担うことが多くなっていたが、ここは前倒し登板。
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敗戦処理。としてもここまで来たら、ファイターズの勝利より、中村に勝ち星を付けたいとの思いが強くなった。そのためには逆転はもちろん同点にされるのも許されない。このピンチを凌がなければならない。建山は期待に応え、キム・テギュンを三振に仕留めた。



八回裏は宮西尚生が三人で片付け、1点差のまま最終回に。最後は安定感を欠く武田久の投入。斉藤俊雄と今江に安打を打たれて二死一、二塁。一打同点、長打が出れば逆転サヨナラというピンチを招くが、井口の芯で捉えたかに思えたライナーの打球がレフトの森本稀哲のほぼ正面に飛び、何とか1点差を守りきった。そして中村にファイターズではダルビッシュ有以来の高校卒ルーキー一年目の初登板初勝利を達成した。


2010811日・千葉マリンスタジアム】
F 000 220 000 =4
M 001 000 200 =3
F)○中村、林、加藤武、建山、宮西、S武田久-鶴岡
M)●渡辺俊、古谷、小野-的場、斉藤
本塁打)両軍とも無し


中村はこの次の登板で同じマリーンズ相手に唐川侑己と投げ合うが、これは日本のプロ野球史上、初めて平成生まれの投手同士の先発対戦 となった。新しい世代の投手の台頭を予想させたが、その試合で初黒星を喫すると、結局ルーキーイヤーの一軍生活は4試合の登板、1勝2敗に終わった。


残念ながら中村はその後伸び悩んでいる。三年目の2012年にはシーズン終盤に先発ローテーション入りを果たして2勝を挙げ、ジャイアンツとの日本シリーズでも第4戦に先発した。奇しくもこの時投げ合った宮國椋丞も平成生まれ。日本シリーズで平成生まれの投手が先発で投げ合ったのも昨年までこの一度のみ。その試合では中村、宮國とも無失点のまま降板、二人とも翌年のさらなる飛躍を予感させる登板であったが、宮國も伸び悩み、中村も昨年は自己最多の13試合に登板したものの1勝4敗と期待に応えきれなかった。


だが今季、既に今季だけで昨年までの通算勝利数4勝を上回っている。登板ごとに出来の良い時とそうでない時のギャップが大きく、何度か登録抹消も経験しているのがもどかしい。一昨年のMVP、吉川光夫が昨年に続き精彩を欠き、ベテランの域に達している木佐貫洋武田勝も先発ローテーションに入れない状況で、後輩の上沢直之大谷翔平が中心の先発ローテーションに中村に定着してもらいたいのだが。


当時の観戦記エントリーはこう締めくくっていた。


まだまだ先でいいからダルビッシュとの二本柱になって欲しいと思う。そしていずれ「○○の中村」と呼ばれる後輩が出てくるような存在になって欲しいと思うし、焦らなくていいからいつか「俺はあの中村のデビュー初白星の試合を生で観たんだ。」と敗戦処理。が自慢する存在になって欲しい。今日は本当にありがとう。


敗戦処理。の気持ちは変わらない…。



【参考エントリー】
blog2010年8月11日付「埼玉のダル」中村勝、見事プロ初登板初勝利を果たす!!
【参考資料】

2011ベースボール・レコード・ブック」ベースボール・マガジン社


なお、次回は2011年篇を11月2日に掲載予定です。

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