「ドカベン」こと香川伸行さんの急逝に思う
52歳、心筋梗塞だっただそうだ。冒頭にも書いたように、平均寿命を超えた人だろうと若い人だろうと、人がなくなったという話を聞くのは寂しい。高校時代の豪打ぶりをリアルタイムで見ていただけに、親近感もある。
ニックネーム「ドカベン」の由来は言わずもがな水島新司の漫画「ドカベン」だが、本家の山田太郎同様、香川伸行さんもただのデブではなかった。既にニュース報道などでの回想映像でご覧になった方も多いだろう入団四年目の捕手でのベストナイン受賞という頭角ぶりに加え、一時は打力を活かすために三塁手への転向も検討され、1986年には三塁手として21試合に出場した。しかし残念ながらピーク期は短く、1980年から福岡ダイエーホークス初年度の1989年まで、十年間で選手生活を終えた。その後は野球評論家として活動する一方、讃岐うどんの通信販売など事業にも進出した。
現役時代よりさらに大きくなった身体の変貌ぶりが「あの人は今!?」的にメディアに取り上げられることも少なくなかった。それらの取り上げ方の中には、急性腎不全による療養生活にまで踏み込むものもあり、引退後の生活が決して順風満帆ではないことをうかがわせていた。
冒頭の写真は2010年1月2日に東京ドームで行われた、香川さんの母校、浪商がかつて甲子園で名勝負を刻んだ法政二高とのOB戦に香川さんが出場した時に撮影したものである。名勝負を繰り広げたのは香川さんよりはるか上の世代、故・尾崎行雄さん、柴田勲の時代だが、香川さんら若手OBも多く参加していた。香川さんの登場にスタンドはどよめいたが、普通に考えて健康体ではないなと言う印象を受けた。
敗戦処理。から見て、香川さんはちょっと年上の世代。子供の頃に野球に興味を持ち、高校野球にも興味を持った頃は高校野球の選手は手の届かない年上の選手だったのに、いつしかそれが同世代になる、そのちょっと前の世代の選手だ。甲子園での低弾道の本塁打、プロに入って一年目の初打席での旧バファローズの右のエース、井本隆からの特大弾、ジュニアオールスターでの、何故か一軍選手なのに選ばれたジャイアンツの角三男から放った本塁打など思い出が多いが、上述のように一軍でブレイクしたと言えるほどの活躍は四年目の1983年だった。あのまま順調に成長して欲しかったが…。
またまた個人的な話になって恐縮だが、最近お世話になった本人の訃報に接することが多くなった。数年前まではお通夜やお葬式に参列すると言っても、お世話になっている人の親御さんなどというケースがほとんどだったが、このところご本人、それも年齢的には働き盛りの、何で?と思わせられる人の訃報に接することが少なくなくなった。ほんの一週間前に、普通に会って話した人の訃報なんてことも…。香川さんに関しても、元旧バファローズ他の佐野慈紀によると、9月23日に一緒に仕事をしたという。なくなられる3日前だ。
元プロ野球選手に限ったことではないだろうが、全く異なる分野に進み、生活環境が激変することに伴う肉体的、精神的影響というものが、本人の自覚以上に打撃を与えているなんてこともあるのかもしれない。素人なので軽々には言えないが…。
先般、大学時代の仲間と集まる、約五年に一度の大規模なOB会に参加してきた。卒業してから四半世紀が既に過ぎており、実は早過ぎる死を迎えた仲間も若干ではあるがいるのだが、集まった仲間は変わらぬ元気さで良い刺激をもらった。様々な紆余曲折はあるが、健康であることが一番大事だと痛感した。
香川さんのご冥福をお祈りするとともに、自分もいつそういう危機が訪れるかもしれないという自覚を心の片隅に常に持つようにしたいと思った。そして冒頭の写真をかつてツイッターでネタ的に使用したことを申し訳なく思い反省するとともに…。
敗戦処理。も少なくとも一般的な平均寿命の半分以上はもう生きている、いや、生き終えたのだから…。
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