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2015年6月11日 (木)

ファイターズのブランドン・レアード、あのドン・ジマーらと並ぶ球団史上歴代最多記録達成!

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ファイターズの新外国人、ブランドン・レアード内野手が
11日の対ジャイアンツ戦で今季第9号の本塁打を放った。


実はこの本塁打によって、レアードは球団史上歴代最多タイ記録を達成。セネタース~東急フライヤーズ~急映フライヤーズ~東急フライヤーズ~東映フライヤーズ~日拓ホーム・フライヤーズ~日本ハムファイターズ~北海道日本ハムファイターズと連なり、今年球団創立70周年を迎えたこの球団での歴代最多タイ記録を樹立した。


(写真:球団創立70周年の年に球団歴代最多記録を達成したファイターズのブランドン・レアード内野手。2015年3月撮影)

 

一体何が球団歴代最多タイ記録なのかというと、前身球団を含む、ファイターズの一塁手以外の外国人の内野手(二塁手、三塁手、遊撃手)の最多本塁打記録をブランドン・レアードが達成したのだ。


ファイターズファンの方は記憶をたどって欲しいのだが、ファイターズの外国人選手で、一塁手以外の内野手で過去に活躍した選手がいただろうか?


一塁手なら、外野やDHとの併用の選手を含めれば一昨年のパ・リーグ本塁打王に輝いたミチェル・アブレイユや、北海道移転元年の2004年にパ・リーグで本塁打王に輝いたフェルナンド・セギノールをはじめ、東京時代にも活躍した外国人選手はいるが、一塁手以外の内野手だとなかなか浮かばないだろう。


活躍の定義をどうするかにもよるが、一年間レギュラーポジションを確立させたということを活躍の基準と考え、その基準として年間の規定打席に達成した選手を探してみると、日本ハムファイターズになって二年目の1975年に所属したゲーリー・ジェスター内野手まで遡らなければならない。


1975年に入団したジェスターは、この年の130試合全試合に出場。内訳は三塁手として129試合、遊撃手として12試合、二塁手として1試合。成績は451打数109安打9本塁打45打点。打率.242。ファイターズに所属したのはこの年だけで、翌1976年にはセ・リーグの大洋ホエールズでプレーするが、同じく一年間のみの所属。


敗戦処理。はこの時期には野球を観ているが、あまり印象に残っていない。ただ、球団ではなく親会社の日本ハムのCMに出ていた記憶がある。


一般的に、外国人助っ人は打力優先で獲得するケースが目立ち、結果として連係プレーなどが求められる一塁手以外の内野手を獲得するケースはファイターズに限らず少ない。それでも他球団を観れば、ブレーブスなどで活躍したボビー・マルカーノ、ベイスターズのロバート・ローズ、ドラゴンズのケン・モッカなどが活躍しているがファイターズではいない。


このジェスターをはじめ、何人かの一塁手以外の内野の外国人選手が9本の本塁打を記録しているのがこれまでのファイターズの選手の最多記録で、レアードは早くも球団歴代最多タイ記録となったのである。


ここで、最近出版された、ベースボール・マガジン社「東映フライヤーズ全史」を観て、セネタースから連なるこの球団の、一塁手以外の内野手の外国人選手を調べてみよう。


名前

入団年 試合数 打数 安打 本塁打 打点 打率 出場内訳(二塁手 三塁手 遊撃手)
ドン・ジマー                      
1966 87試合 203打数37安打 9本塁打 20打点 打率.182 二塁 1試合 三塁4試合 遊撃79試合

ジム・レドモン
 

1973年 73試合 230打数56安打 5本塁打 24打点 打率.243 二3 三068

ゲーリー・ジェスター
1975年 130試合 451打数109安打  9本塁打 45打点 打率.242 二112912

エリック・アルモンテ 

2005年 34試合 88打数17安打 3本塁打 8打点 打率.193 1027

ホセ・マシーアス 

2006年 73試合 227打数52安打 3本塁打 21打点 打率.229 18320

アンディ・グリーン 

2007年 18試合 61打数12安打 0本塁打 3打点 打率.197 0180

ボビー・スケールズ 
2011年 80試合 287打数75安打 9本塁打 30打点 打率.261 6600

 

70年の歴史がありながら、該当するのが今季のレアードを含めても8人しかいないというのは驚きだ。そして過去の7人はいすれもファイターズのユニフォームを一年しか着ていない。


何と、セネタース~フライヤーズ~ファイターズと連なるこの球団の第1号外国人内野手(一塁手以外)はドン・ジマーだ。ファイターズでの実績こそ35歳で来日した1966年の一年間だけで、最晩年だけに芳しい成績を残せなかったが9本塁打を放った。敗戦処理。もそうなのだが、現役引退後にニューヨーク・ヤンキースのベンチコーチとしてジョー・トーリ監督を支えた時期のあの巨体のイメージが印象深い日本のファンも少なくないだろう。2003年のアメリカン・リーグのチャンピオンシップのレッドソックス戦での乱闘の際に、ペドロ・マルティネス投手に突進して投げ飛ばされたシーンは衝撃だった。この時72歳だったそうだ。昨年6月になくなられた。ジマーのフライヤーズでの遊撃手としての79試合出場は、球団歴代最多に当たる。


二人目はわずか一年間だけだった日拓ホーム・フライヤーズの1973年に途中入団したジム・レドモン。この選手も遊撃手が本職だったようだ。ここまでは敗戦処理。はリアルタイムで観た記憶が無い。


そして上述のジェスター。セネタース時代から通じて、唯一、年間の規定打席に到達した選手だ。


その後は北海道移転後の選手。移転後にファンになった方も記憶している選手だろう。


リック・アルモンテは当時の監督が外国人のトレイ・ヒルマンだったこともあってか、日本で成績が上がらなかったにもかかわらず、辛抱強く起用されていた。遊撃手とあって、生え抜きの人気選手であった金子誠に出場機会が失われることになり、ヒルマン監督ともどもファンの反感を買った。千葉マリンスタジアムでの試合では、呆れたファンから「もういいから鎌ケ谷に行け」というヤジが飛ぶと、それを聞いた別のファンから「鎌ケ谷じゃなくて成田行け」とヤジを飛ばしたのが印象的だった。


ホセ・マシーアスは開幕ダッシュには貢献したと思う。本エントリーの対象になっている外国人選手の中で唯一、日本シリーズに出場している。リーグ優勝や、日本一達成の記者会見でSHINJOら主力選手の後方にサングラス姿で立って「SHINJOのSPか<>」と笑いを取った。


アンディ・グリーンは日本一になった翌年の2007年に入団した。「二年越しの恋人」と言われた片鱗を見せることもなく早々と二軍落ち。54日の「みどりの日」には既に二軍落ちしていて鎌ケ谷で勇姿を観た。


ボビー・スケールズ2011年のシーズン途中に、正二塁手である田中賢介の故障の穴を埋める期待で入団した。主に一番打者を打ち、ジマー、ジェスターに並ぶ9本塁打を放ったが、同年シーズン限りで解雇された。翌2012年にはオリックス・バファローズにシーズン途中から入団した。


他球団を見渡しても、一塁手以外の外国人選手は少ないという意見も出てくるだろうけど、他球団は探せば活躍した選手が出てくる。


H トニー・バナザード 198820本塁打、打率.315。二塁手
Bs ボビー・マルカーノ 197827本塁打94打点、打率.322。打点王。二塁手
M ルイス・クルーズ 2015年 56試合、13本塁打、47打点、打率.278。二塁手L スティーブ・オンティベロス 198317本塁打85打点 16勝利打点 打率.321 最多安打、最多勝利打点。三塁手
モ ホセ・フェルナンデス 200628本塁打88打点、打率.302。三塁手で91試合出場
G ジョン・シピン 197927本塁打74打点、打率.313。二塁手
T トーマス・オマリー 199215本塁打62打点、打率.325。三塁手で110試合出場
C アンディ・シーツ 200325本塁打75打点、打率.313。遊撃手
D ケン・モッカ 198431本塁打93打点、打率.316。三塁手
B ロバート・ローズ 199937本塁打153打点、打率.369。首位打者、最多安打、打点王。二塁手
YS デーブ・ヒルトン 197819本塁打76打点、打率.317。二塁手
 マリーンズのクルーズの成績は今季、611日現在。


実は東京時代には数々の個性的な外国人助っ人を獲得してきたファイターズだが、北海道に移転してからは野手はどのポジションでも「当たり」が少ない。2004年から2014年までの11年間で、規定打席に達した外国人の野手が、セギノール、ターメル・スレッジ、アブレイユ、ホアン・ミランダの4人しかいない。


そんなスカウティングだから、開幕前にはジェレミー・ハーミッダはともかくレアードにはあまり期待していなかった。オープン戦の時期に今季は外野一本で行くと見られた西川遥輝が三塁を守るケースが時に見られ、レアードが「外れ」だった際に備えているのかなどと邪推したものだった。


実際、開幕ダッシュには貢献したかと思える今季の新外国人選手の二人だが、一通りの他球団との対戦を終えて弱点を見抜かれたのか、ハーミッダは打撃不振で登録抹消を経験。レアードも、この球団タイ記録に王手をかけた、第8号を放った5月21日の対ゴールデンイーグルス戦の時点では打率が.213あったのだが、タイ記録を達成した今日の試合を終えての打率は.182にまで落ちた。公表されている身長が185cmだから、よく言われる身長打率だ<苦笑>。この原稿は第8号の時点で八割方準備していたのだが、一時はお蔵入りも覚悟した<苦笑>


これほど打撃不振で、最近では三塁守備まで安定感に欠けている感のあるレアードだが、契約上の縛りでもあるのか、二軍落ちしないし、それどころかスタメンも外れない。今のペースで低打率でも試合に出続けていれば、オールスター前には球団歴代最多新記録の10剛本塁打を達成するかもしれない。


9本塁打で球団タイ記録というのが、この球団の外黒人選手獲得の拙さを物語っている。とはいえ東京時代はいわゆるスラッガータイプの外国人に関しては上述のようにファンを魅了する選手を発掘している。このタイプで日本の野球にフィットする外国人選手を見いだせないのであれば、いっそのこと、二塁、三塁、遊撃手は鎌ケ谷の育成システムに任せた方がいい。それが出来ずに、何年かに一度、内野手の外国人助っ人を獲得しては期待外れの結果に終わるのは、ドラフトで獲得した時には内野だった選手を外野に回して開花させる例が多く、内野手がもぬけの殻になって自前での育成に手が回らないからではないか。


「(ファイターズでは)内野手で入団して外野にコンバートされるのがエリートコース」というジョークがよく言われるが、そのしわ寄せが外国人助っ人に泣かされる遠因になっているとしたら、ドラフト戦略も一部見直しが必要かもしれない。


【参考資料】
「完全保存版 東映フライヤーズ全史 よみがえる‶暴れん坊たち″の熱い記憶」株式会社ベースボール・マガジン社刊
THE OFFICIAL BASEBALL ENCYCLOPEDIA 2004」社団法人日本野球機構
「北海道日本ハムファイターズ オフィシャル・ガイドブック 2004」株式会社北海道日本ハムファイターズ

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