巨人時代はジャイアンツ球場がメインだった市川友也が東京ドームで殊勲の九回同点弾!
いやはや、ヒーローインタビューでインタビュアーから「古巣、ジャイアンツ時代の本拠地、東京ドームでの活躍」と振られて、「僕はジャイアンツ球場がメインだったので」と自虐ネタで笑わせた今日(21日)のヒーロー、市川友也だったが、率直に言って、ジャイアンツ時代はジャイアンツ球場でもあまり出場機会を得られなかった印象がある。
2013年のオフシーズン、正捕手の鶴岡慎也がFA移籍で流出することを見込んでファイターズがジャイアンツに捕手獲得のトレードを申し入れ、市川に白羽の矢が立った。人間、何が幸いするかわからない。ジャイアンツではファームでも充分な出番をもらえなくなっていた市川が、捕手が手薄になったチームに移籍したら二番手の座を射止め、打撃でも進境著しい一面を見せるまでになった。
(写真:2点ビハインドの九回裏、無死一塁から同点本塁打を放つファイターズの市川友也)
楽しみにしていたファイターズの「レジェンドシリーズ」の日がついにやってきた。「日本ハム」になって初期の頃のユニフォーム、大沢啓二監督の下、リーグ優勝を果たした1981年に使用していたユニフォームを着てのバファローズとの三連戦。今日は平日。仕事を終えて東京ドームに駆けつけるということで、初代オーナー大社義規氏生誕100周年記念セレモニーや初代監督中西太氏の始球式には当然間に合わず、四回裏からの生観戦となった。
先発の吉川光夫がトニ・ブランコに3ラン本塁打を浴びて0対3のビハインドから2点を返すところを観ることが出来た。
ただ直後の五回表に糸井嘉男にソロ本塁打が出て2対4と点差を広げられると、その後、バファローズの継投の前にファイターズ打線が沈黙。もしもあと十数分遅れて球場に着いていたら、そしてあのまま2対4で敗れていたら何も収穫のない生観戦になっていたかもしれないが、野球は何が起きるかわからない。
バファローズは五回二死の時点で先発の松葉貴大からスパッと海田智行にスイッチすると、六回からは白仁田寛和、岸田護、平野佳寿、佐藤達也とつないで逃げ切りをはかる。継投の顔ぶれと順番に違いはあるものの、2位に浮上した昨季のバファローズの勝ちパターンを彷彿とする試合運びだった。一方のファイターズも、五回4失点の吉川の後を谷元圭介、マイケル・クロッタ、乾真大とつないで無失点を続け、2対4のまま最終回へ。
先頭の石川愼吾の代打、大谷翔平が粘って佐藤達から四球を選ぶと、続くはスタメン「八番・捕手」の市川友也。打撃好調とは言え、ここは西川遥輝を使ってさらにチャンスを拡げる狙いかと思ったら、実は大野奨太が風邪を引いていて、石川亮を一軍に上げてきてはいるものの、延長戦を視野に入れたら代打を送りづらいケースだった。市川はファウルで粘っていたが、フルカウントになっても一塁走者の大谷はスタートを切らない。二刀流の大谷は不測のアクシデントを恐れてか、塁上では無理をさせないチーム事情があるが、ここではそれが併殺という最悪の結果への伏線となりかねない、等と不安が頭をかすめながらの応援だったが、市川が振り切った打球はレフトスタンド前列に飛び込んだ。同点弾!(冒頭の写真)
2011年にジャイアンツ対タイガース戦を生観戦した際に目の前で實松一成が藤川球児からサヨナラ安打を放った時には、スタンドでその場から動けなくなり、涙が頬を伝うのがわかったが、その時に似た感動に席で震えた。
鳥肌が立つという表現がオーバーでない感情だった。
冒頭で市川のファイターズへの移籍を2013年オフと書いたが、ジャイアンツでの最後の一年となった2013年の市川はジャイアンツでも微妙な立場だった。この年のジャイアンツは高校卒ルーキーの辻東倫などほんの一部の選手以外はほとんどの選手がシーズンのどこかで一度は一軍に上がっていたが、市川は最後まで声がかからず、公式戦最終戦の日に一軍入りを果たした。
そして最終戦、同点の九回裏、無死満塁となって一塁走者の阿部慎之助の代走として市川は出場を果たした。三塁走者が生還すればサヨナラで試合終了。サヨナラの走者より後の塁で、本塁封殺で走者入れ替わりでもしない限り、ほとんど重要性のない走者だ。まぁ、プロ野球の選手なら誰でも代走が務まる状況だ。試合は村田修一がセンターの頭上を超えるサヨナラ安打を打つのだが、当時球場で撮影した映像を見ると、打球を追いながら二塁方向に走り出す一塁走者の市川を確認することが出来る。
因みにこの年のジャイアンツの捕手の出場状況を振り返ってみよう。
【一軍】阿部慎之助119試合、實松一成32試合、加藤健12試合、井野卓9試合、河野元貴9試合、鬼屋敷正人1試合。
【二軍】鬼屋敷正人52試合、河野元貴45試合、市川友也26試合、井野卓25試合、加藤健24試合、芳川庸5試合
早い話が、ファームでも三番手の捕手。この時点で28歳。ジャイアンツはこの年の秋のドラフトで次期正捕手候補の小林誠司の交渉権を得ており、トレードの申し入れがあれば、市川がはじき出される土壌は出来ていたと言えよう。そんな男が昨年、ファイターズでは一軍に定着して69試合にマスクをかぶった。大野の104試合に次ぐ二番目の多さだった。ここでジャイアンツの育成、編成を批判するのは止めておく。市川の努力が花開いたということにしておこう。
同点に追いついてからは、はっきり言ってファイターズがもらったと思った。リードしていたバファローズは「勝利の方程式」を惜しげもなくつぎ込んだ結果、残すはアレッサンドリ・マエストリと古川秀一のみとなったが、ビハインド用の投手で凌いできたファイターズはクローザーの増井浩俊を始め、宮西尚生、白村明弘を残している。焦ることはない。消耗戦に持ち込んでもファイターズが勝てると思った。最もその場合、二年ぶりの日付跨ぎを余儀なくされるが…<苦笑>。
十回裏、マエストリから先頭の田中賢介がラッキーな内野安打で出ると、中田翔のあわや併殺打という遊ゴロを安達了一が弾くエラー。中田の長打警戒で外野陣が深く守っていて田中賢が三塁を陥れると、バファローズは無死一、三塁から近藤健介を敬遠しての満塁策。前の打席で併殺打のブランドン・レアードに代打の切り札、矢野謙次の出番かと思ったがレアードがそのまま打席に入り、高々とセンターに打ち上げてサヨナラ犠飛となった。
4時間を超すロングゲームとなったが、最後まで東京ドームで生観戦したファイターズファンにとっては応えられない結末となった。
市川には天国の大沢親分が「あっぱれ!」と褒めてくれたことだろう。そうだ、大社義規オーナーと大沢親分に「ファイターズはこんなに強いチームになりましたよ」と報告出来るゲームだった。
「レジェンドシリーズ」は始まったばかり。札幌ドームで行われた三試合と合わせて4戦4勝。今季の東京ドーム主催試合3戦3勝。土日の二試合は試合開始から観戦予定。あと二日間、あの熱狂を思い出す好ゲームを期待したい。
22日は斎藤佑樹が東京ドーム初見参!
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