ファイターズ、今年も東京ドーム主催試合8試合の合計観客動員記録を更新!
9月1日から3日までの対マリーンズ三連戦で、今年も年8試合のファイターズにとっての東京ドーム主催試合が完了した。今年はファイターズの北海道移転後では初となる東京ドームでの対ライオンズ戦が4月に組まれたが、その二連戦に幸先良く連勝したファイターズが8試合を5勝3敗で乗り切った。
そして、今年は年間8試合制が定着した2007年以降では入場者数が最多となる227,077人、一試合平均28,385人を記録した。
北海道に移転して12年。道民の皆さんに完全に浸透して定着し、そして支えられて今日を迎えているファイターズだが、まだまだ東京、関東のファンも熱くファイターズを応援する!
(写真:9月3日の今季東京ドーム主催試合最終戦を終え、ライトスタンドのファンに挨拶するファイターズナイン)
ファイターズは本拠地を北海道に移転した2004年のシーズン以降も定期的に東京ドームで主催試合を行っている。移転当初の2004年にはライオンズを除く四球団と三連戦を1カードずつ組んで年間で12試合を行ったが、その後徐々に減少し、移転四年目の2007年から現行の年間8試合制が定着した(2011年は東日本大震災に伴う日程変更に伴い三試合が中止になり、札幌ドーム開催に振り替えられたため5試合のみ開催)。
実は昨年、7年ぶりに土日開催を組み、そのカードを「レジェンドシリーズ」と称してユニフォームの復刻企画などを実施した結果、入場者数が8試合制以降では最多の、合計218,678人を記録していた。そして今年はそれをまた更新する227,077人を記録した。
実は東京ドームでの主催試合の一試合の平均入場者数では、実数発表になった2005年以降で上述の通り東日本大震災の影響で年間5試合のみになった2011年の28,041人が最多で、昨年でも27,335人と及ばなかったが、今年の一試合平均入場者数は28,385人となってこちらも最多となった。因みに2011年には7月21日の対ゴールデンイーグルスでダルビッシュ有と田中将大の予告先発で行われて入場者数が44,826人を記録。これはファイターズが北海道に移転してから行われた東京ドームでの主催試合での最多入場者数でもある。
昨年と今年の入場者数増は土日開催のカードが組まれたことが大きく寄与しているのは間違いないが、平日の入場者数も安定している。入場者数が20,000人を切った試合が昨年は1試合で、今年はゼロだ。
ファイターズの鎌ケ谷でのファームの試合と、この東京ドームでの主催試合を運営する首都圏事業部のトップ、成田龍太郎事業部長は昨年の12月に行われたファイターズのOBとファンが同席する式典で、昨年の東京ドーム主催試合の入場者数が8試合制で最多だったことを発表してファンに感謝の意を語っていたが、今年もまた感謝の思いを語ることだろう。試合ごとに企業スポンサーとタイアップして、その見返りに相当量の無料入場券がばらまかれている等の噂もある。先日の対マリーンズ三連戦では100枚にものぼる無料招待券をさばかなければならない人からもらった招待券で、大谷翔平の登板試合を観に来たという敗戦処理。の知人もいた。有料入場者数がどのくらいなのかという疑問も無くは無いが、後楽園の時代から応援している敗戦処理。には東京ドームでの主催試合が盛り上がることは大歓迎。これ以上試合数が減ったら困る。
敗戦処理。は8試合制になった2007年から、その8試合のためのシーズンシートを契約している。2006年にファイターズが25年ぶりのリーグ優勝、44年ぶりに日本一になり、25年間も優勝から遠ざかるその間、ずっと応援していた自分に自分で記念の褒美を買おうと考えた結果、東京ドームのシーズンシートを購入した。ジャイアンツ戦じゃあるまいし、ファイターズの東京ドームの試合なら前もってシーズンシートを契約しなくても、いつでも行けるのでせっかくだからエキサイトシートを契約した。早いもので、9年が過ぎた。
平日の試合が多く、仕事との兼ね合いで観戦出来なくなるケースも多々あるが、幸いにも2010年の3月末の試合を欠席したのを最後にそれからは何とか生観戦を続けている。
1日からの対マリーンズ三連戦も、三日間続けて仕事場から直行。平日の試合開始が昨年から18:30に繰り下がったのが幸いし、幸運にもほとんどの試合で、勝つにせよ負けるにせよ試合の山場を目撃出来ている。
三連戦で唯一の勝ち試合となった1日の試合では逆転した四回裏の途中から生観戦。半ば自滅とも思えるマリーンズ投手陣の制球難などに乗じ、ファイターズが効果的に追加点を重ねていった。そしてルイス・メンドーサが大量リードを背景にアウトを積み重ね、最後まで一人で投げきった。
今節は金曜日に試合がなく5試合だが、頭の試合で先発投手が完投勝利とは大きい。ヒーローインタビューには来日中の両親に、奥さん、ジュニアも加わり五人の大所帯。おかげで、9点も取りながら打者のお立ち台は無し。
そしてもはや恒例となったヒーロー選手のハイタッチサービス。メンドーサファミリー総出でのハイタッチを期待したが、さすがにメンドーサだけだった<笑>。
翌2日は大谷が先発。平日では異例、上述の2011年のダルビッシュと田中の投げ合い以来の3万人超えとなる31,077人が来場。19:30頃に敗戦処理。が東京ドームに着くと、当日券を求めるファンが長蛇の列をなしていたが、大谷目当てで来場したファンの期待に応える内容とは言えなかった…。
この試合では珍しい3-2-6の併殺プレーがあった。ファイターズが2点を追う八回裏、無死満塁から西川遥輝が放った打球は一塁ゴロ。一塁走者の陽岱鋼の目の前で一塁手の高濱拓也が捕球。高濱は目の前で止まった陽には目もくれずにバックホームして三塁走者を本塁封殺。そして捕手の田村龍弘が、スタートの遅れた陽を刺そうとして二塁に送球し、陽が封殺。3-2-6の併殺が成立した。
このシーン、帰宅してGAORAの中継を録画したものを見たら、実況アナは陽の二塁での封殺をタッチアウトと言っていた。確かに遊撃手の鈴木大地は滑り込んでくる陽にタッチしているようにも見える。冷静に考えればわかることだが、打者走者が一塁でアウトになっていないのだから、一塁走者の陽はフォースプレーで、二塁ベースを踏んでいればタッチの必要は無い。
仮に高濱が先に目の前の陽にタッチしていたら、ホームがフォースプレーでなくタッチプレーになる。それでも高濱がバックホームしただろうか。おそらくは自ら一塁ベースを踏むか、ベースカバーの投手に送球して打者走者との併殺を狙い、ファイターズは1点を入れていただろう。高濱が先にホームに送球したのは大正解だった。
ただ、GAORAの放送席ではVTRを流しても実況アナは一塁走者の陽をタッチアウトと勘違いし、解説の金村曉も特に訂正しなかった。
余談だが敗戦処理。が3-2-6の併殺を生で観るのはこれで三度目で、いずれも東京ドーム。
一度目は1996年のジャイアンツ対スワローズ戦で、一死満塁からジャイアンツの吉村禎章が放ったあわやセンターに抜けるかというライナーの打球を投手の伊東昭光が右手で捕りに行き、右手にあたりグラウンドに落ちた。伊東はその打球を捕ってバックホーム。捕手の古田敦也はスタートの遅れた一塁走者を刺すために二塁に送球して3-2-6の併殺となった。一塁走者は元木大介だったと記憶しているが、打球がライナーだったため、スタートが遅れたことを責めることは出来ない。伊東の執念と古田の好判断でジャイアンツの勝ち越しのチャンスが消えた。ただライナーを直接右手で止めようとした伊東は指を骨折した。
二度目は2013年の3月のオープン戦、ジャイアンツ対ホークス戦でのプレー。一死満塁で打者は藤村大介。ホークスの内野陣は前進守備で、藤村の打球は前進守備の一塁手へのハーフライナー。これをホークスの一塁手がワンバウンドで捕球してバックホーム。三塁走者を封殺し、捕手がスタートの遅れた一塁走者を刺そうと二塁ベースカバーの今宮健太に送球。この時は今宮もタッチプレーと勘違いし、二塁に間に合わないと思って諦めてスピードを緩めた一塁走者の脇谷亮太を挟殺しようと一、二塁間に追いかけていき、ほどなくタッチしてアウトにした。ここまで書き連ねればわかるだろうが、今宮はタッチの必要は無く、二塁ベースを踏めばよい。このプレーでは、三塁に達していた二塁走者が今宮と脇谷の一、二塁間のプレーを見てホームを伺うタイミングを計っていたが、状況を考えたらすぐにでも全力でホームを狙うべきだったろう。3月のオープン戦でまだプレー勘が万全ではなかったのか…!?
話を戻そう。大谷は、投手としては東京ドームで登板するのが、まだどちらかというと打者中心だった一年目の2013年6月26日の対ホークス戦で先発して以来だったが、その試合の入場者数は40,210人。これは2005年以降の東京ドームでのファイターズ主催試合では上述の2011年のダルビッシュと田中が投げ合った試合に次いで二番目に多い入場者数だった。
そして今季、その二試合に続く三番目に多い入場者数の試合があった。8月の「レジェンドシリーズ」で斎藤佑樹が先発した試合。
斎藤は入団五年目で東京ドーム公式戦初登板だった。さすがは佑ちゃん。今季8試合中で最多であり、上述の二試合に次ぐ多さの39,901人を記録。ファンは何だかんだ言いながらもまだ佑ちゃんを見放してはいない。
そして、東京ドーム主催試合の最終戦となった3日の試合ではこのシーンに触れない訳にはいくまい。七回表、一死一塁から角中勝也に死球を与えたシーン。セーフティー気味にバントの構えを見せた角中に対し、吉川光夫が投じた一球はインハイどころか顔の近くに。途中までバントをしにいった角中が慌ててバットを引くが間に合わず死球。角中はもんどりうってその場に倒れたが角中はこの死球で指を骨折した。
一塁側のエキサイトシートから見ていた限りでは、角中が倒れた後、球審のジェスチャーが明確でなく、かつ一塁走者の荻野貴司も一、二塁間にいたままで二塁に進まなかったので、マリーンズベンチから直ちにトレーナーが出てきたもののファウルの判定かと最初は思った。
その間にファイターズベンチからは厚澤和幸コーチがマウンドに上がり、角中の代走に指名された岡田幸文が一塁に走り出すと栗山英樹監督が笠原昌春球審に何やら抗議。これが意外と長引き、4分を超えた。
抗議の時間が5分を超えると遅延行為として退場処分を課されるので測ったように抗議を切り上げたが、ツイート等を見ると、マリーンズファンは角中への死球そのものよりも、栗山監督の長い抗議に腹を立てていた感じだ。要約すると『ウチの選手を骨折させておいてよくファウルだ(あるいは打ちにいった)等と抗議出来るな』、『骨折させておいて(リリーフの)谷元の肩が出来るまでの時間稼ぎとは何事だ』というニュアンスのものが多かった。
結果は吉川が、続く、前の打席で同点本塁打された清田育宏に安打を打たれて一死満塁になったところで谷元圭介にスイッチ。アルフレド・デスパイネにあわや左翼線を抜かれそうな打球を打たれ、西川のファインプレーに救われて犠飛となったが最少失点にとどめたとはいえ痛い1点を追加された。
角中は左手の薬指と小指の骨折と診察され、全治6~8週間で今季絶望になり、本当に気の毒で申し訳ない結果になったが、リリーフの投入のための時間稼ぎの抗議というのはどう考えても当たっていないと思った。
この回、栗山監督は当然に吉川の替え時を考えてはいたはずで、谷元を含め何人かの投手を準備していたはずだ。タイミングとしては右打者が続くし、前の打席で本塁打を打たれた清田の場面でのスイッチも考えていただろう。だが角中の死球を、一塁ベンチから見ていてバットを引いていないと見た栗山監督は本気で判定に抗議したのだろう。
栗山監督にしてみれば、球審に判定を覆すことを求めているのだから、この時点では投手交代を告げない。抗議を終えてから投手交代を告げるのも一つの選択肢だが、マウンドに上がっていた厚沢コーチがマウンドから降りた(ファウルラインをまたいだ)ので次打者の清田の打席では投手を交代出来ない。結果、判定を受け入れざるを得なかったあげく投手交代のタイミングも逃す羽目になり、谷元を一死満塁で四番打者相手という過酷な場面での投入を余儀なくされた。結果的には投手交代のタイミングを誤ったと見なさざるを得ない。
厚澤コーチが栗山監督の抗議が続いているにもかかわらずマウンドから降りてきたと言うことは、抗議は別として交代を考えていなかったとも解釈出来るが、どちらにしても交代機を誤ったと見なさざるを得ない。ただどちらにせよ、少なくともリリーフの谷元の準備のための時間稼ぎとの抗議とは考えにくい。
だが、そうはいっても栗山監督の長い抗議で、ことさらにマリーンズファンが反発する気持ちは理解出来なくもない。後味が悪かったことは確かだ。
懐かしのユニフォームの復刻でも話題を呼んだ「レジェンドシリーズ」も三回を経て東京時代を網羅。来年は新たな方向性を目指すだろう。来年、今年超えを目指すなら、どんな仕掛けをするか。
普通に考えたら、旧本拠地での試合の入場者数は徐々に減っていくものだが、ファイターズの東京ドーム主催試合は年数が経つにつれて逆に入場者数が増えている。20,000人を切る試合が少なくなったと書いたが、移転当初(実数発表になった移転二年目の2005年)当時はむしろ20,000人を超える試合の方が少なく、平日で20,000人を超えた試合は2006年、2007年に1試合ずつあるだけだった。
球団にとっても、東京ドーム主催試合は商売になっているのだろう。まだちょっと気が早いが、来年も少なくとも試合数を減らさず、かつ出来れば1カードは週末開催をキープして、敗戦処理。のような東京時代からのファンを満足させて欲しい。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント