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2015年10月 3日 (土)

大功労者の最後の舞台がビジター試合で良いのか!?

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球界最年長現役選手、ドラゴンズの山本昌が現役引退を表明。
7日の対カープ戦(マツダスタジアム)で現役最後の登板を果たす予定らしい。世代交代が急務とされるドラゴンズ。一時代を築いた超ベテラン選手の現役引退表明が相次いだが、ついに現役最年長のレジェンドまでが今季限りでの現役引退を表明した。


しかし、残念なことにその最後の舞台は本拠地のナゴヤドームではない。ドラゴンズは既に今季のナゴヤドーム主催試合を終えている。


現役選手としては今季で引退を表明した谷繁元信兼任監督の最後の舞台も、最初に入団したベイスターズの本拠地、横浜スタジアムという縁の深い場所ではあったが、ドラゴンズファンで埋まるナゴヤドームではなかった。


シーズン終盤とはいえ公式戦での引退出場演出に賛否両論があるのはさておき、偉大な選手ほど本拠地で盛大に送り出してあげるのが本人はもちろん、ファンも納得するのではないか。和田一浩小笠原道大、朝倉健太にはナゴヤドームの試合で最後を飾らせてあげたものの、谷繁、山本昌にはビジターとは何とも残念だ。


何とかならなかったのだろうか…。



山本昌は、現役引退会見で最後の登板に関して言及していたが、対戦相手となるカープが、CS進出をタイガースと激しく争っていることに配慮していた。現役を引退する選手の最後の花道としての出場は対戦相手にも、それこそアメリカ大リーグで言われる、
unwritten rule が存在して暗黙の了解のうえでなされているであろうことは多くのプロ野球ファンなら気付いていることだろう。山本昌が気を遣うのもむべなるかな。


同じく今季限りでの現役引退を決めている和田一浩は引退会見で、落合博満GMに呼ばれて来季の構想に入っていない旨を告げられて現役引退を決めたと言っていた。だとすると、実質的に和田は首になったことになる。このことからもわかるように、ドラゴンズ球団における落合GMの編成権には超ベテラン選手への引導渡し役も含まれていることがうかがえる。もっとも、山本昌が現役引退を報告した相手は白井文吾オーナーだったそうだが


ドラゴンズは、誰が見てもわかるくらい、世代交代が急務だ。能力の衰えが目立つ選手に、引導を渡すのも、編成権を持つ落合GMの役目に含まれるだろう。ただ、彼らは功労者だ。現役最後の花道を演出して上げるのも、落合GMのお仕事ではないのだろうか?


シーズン終盤の日程表とにらめっこをし、最後の花道の日程を定めた上で、そこから逆算して選手への引退勧告、そしてその返答期限を考えるのもGMの仕事の一つであるべきだ。


数々の最年長記録を更新した山本昌と、3018試合出場という日本プロ野球の記録を塗り替えた谷繁の選手としての最後の花道がビジターゲームでは、地元ファンは複雑な心境だろう。


落合GM自身、現役を引退する時には特にセレモニーもなかった。オリオンズからトレードでドラゴンズに入り、フリーエージェントでジャイアンツ入り。そしてジャイアンツとの三年契約を全うすると、自由契約を願い出て最後にファイターズでプレーしたのだが、いかんせんファイターズ時代は年齢的な衰えが目立ち、二年間、主砲としての役割を果たせなかった。


ファイターズ二年目の
1998年限りで現役引退をするのだが、最後の出場はビジターで古巣のマリーンズ戦。当然ながらチームは、落合が在籍していた「ロッテオリオンズ」ではなくなっていたし、球場も川崎球場ではなく、落合がオリオンズでプレーしていた頃にはまだ出来ていなかった千葉マリンスタジアムだった。この年のファイターズはシーズン途中までは首位を走っていたがまさかの大失速。ライオンズに逆転優勝をさらわれた。最終戦、まだ可能性としては優勝の望みがかすかに残っていたが当時の上田利治監督のDHでのスタメン出場の打診を断り、代打の一打席に終わった。当時のマリーンズでエース格になりつつあった黒木知宏の前に一ゴロに倒れた。三冠王3回を始め、多くのタイトルを獲得した80年代を代表するスラッガーの最後にしては、特に花束贈呈などの演出もなく、何とも寂しい終わり方だった。


落合は「オレ流」というフレーズの通り、球界の慣習に必ずしもこだわらない言動をしてきた。自身の引退に関しても独特のこだわりがあって、演出を拒否したのかもしれない。それは落合自身の出処進退に関することなら「オレ流」を貫くのもいいだろう。だがもしも、自分が管理者だから「オレ流」を管理下の選手達に強要出来ると考えているとしたら、さすがにそれは違うだろう。


個人的にはジャイアンツからFA宣言をしていた小笠原道大を獲得した際、自分が現役時代に付けていた背番号の数字を二桁並べた「36」を提示したという話を聞いて、たまたま空いていた番号の中で若い数字を選んだらそうなったのかもしれないが、「オレ流」にも程があるなと思った。もちろんその当時には拾ってもらった感謝の気持ちの方が大きかったが…。



山本昌にしろ、谷繁にしろ、現役引退を決めた時期が遅いから、既に本拠地での試合が終わっていたというのが実態かもしれない。だがそれなら、他球団でその年限りに現役を引退する選手のセレモニーのほとんどが、本拠地の試合で行われているのは何故か?


他球団で出来ていることが、何故ドラゴンズでは出来ないのか?


落合GM批判はひょっとしたら筋違いで、別に犯人がいるのかもしれない。だが、引退する功労者に最後の舞台を用意するのも球団の責務だと敗戦処理。は思う。そしてその最後の舞台から逆算して水面下での、引退勧告、あるいは進退に関する話し合いが行われるのが普通の球団では当たり前の出来事なのだろう。


一般的に消化試合といわれるような試合であっても、公式戦である以上、相手が空気を読まなければならないような演出は如何なものかという議論とはまた別の次元で、最後の花道について考えることを書いてみた。公式戦で行うことについてはあらためて書ければと思う。

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コメント

野球好き様、コメントをありがとうございます。

> 山本選手をバカにするのはやめてください
彼は最後の最後まで勝ち星が欲しかったんです
勝つために現役を続けたかったんです

であれば、「(進退を)自分で決めろ」といった落合GMの親心が裏目に出ましたね。

例えば和田選手は、ある日落合GMに呼ばれ、来季の構想に入っていない旨を告げられ、引退を決意したそうです。

ナゴヤドームでファンに最後の勇姿を見せることが出来ましたが、実質的には戦力外だったということになります。

> 最後まで勝つための調整を行い、しかしそれは叶わず引退となった男の生き様を見れただけで充分です

ならばカープ戦の先発登板は余計でしたね。

カープのAクラス入りがかかっていた最終戦に打者一人とは言え登板させたことは、山本昌の生き様を観ることが出来て充分だと語るファンにとっては不要でしょうし、カープとタイガースに失礼です。

来月のオープン戦であらためて正式に「引退登板」をやるそうですから、それを目に焼き付けて欲しいですね。

投稿: 敗戦処理。 | 2016年2月21日 (日) 21時51分

山本選手をバカにするのはやめてください
彼は最後の最後まで勝ち星が欲しかったんです
勝つために現役を続けたかったんです
そうそうに戦力外を告げて本拠地でお膳立てなんかしたらかえって気の毒であります
最後まで勝つための調整を行い、しかしそれは叶わず引退となった男の生き様を見れただけで充分です

投稿: 野球好き | 2016年2月20日 (土) 07時41分

野球次郎様、コメントをありがとうございます。

> 山本昌投手は左手の怪我さえ無ければ、本拠地ナゴヤドームで引退セレモニーを行う事が出来たはずです。
事実、その故障はかなり長引き最終戦にギリギリ間に合った形です。

打者一人に投げるだけであれば、ナゴヤドームの試合でも投げられたような気がします。

斎藤隆投手の最終登板みたいになったかもしれませんが…。


> 早い時期から今季絶望と言われていた山本昌投手が最後に投げられただけでファンとしては満足でした。

ファンがそう思えば一番でしょうが、本拠地で投げられれば、もっと喜ぶファンもいたように思いますが…。

来春のナゴヤドームのオープン戦でセレモニーを行うという話もありますね。楽しみです。

投稿: 敗戦処理。 | 2015年12月13日 (日) 15時40分

はじめまして。
中日ファンです。

山本昌投手は左手の怪我さえ無ければ、本拠地ナゴヤドームで引退セレモニーを行う事が出来たはずです。
事実、その故障はかなり長引き最終戦にギリギリ間に合った形です。
早い時期から今季絶望と言われていた山本昌投手が最後に投げられただけでファンとしては満足でした。

投稿: 野球次郎 | 2015年12月13日 (日) 14時45分

xyz様、コメントをありがとうございます。

> 次シーズンオープン戦での引退試合といえば、ブレーブスの山田久志投手と福本豊選手の引退試合を思い出します。(1988年引退、1989年引退試合実施)

思い出しました。ありましたねぇ。

> 引退試合のときは、山田投手と福本選手は阪急のユニフォームを着用し、ほかの選手は新生オリックス・ブレーブスのユニフォームを着用しました。
(福本選手は、オリックスのコーチとして就任するため、退場後にオリックス・ブレーブスのユニフォームに着替えていました。)

こういう細かい演出は、引退試合には不可欠ですよね。

> ここまで書いてふと思ったのは、同時期に南海ホークスを引退し、引退試合を行うぐらいの選手がいたらダイエーはどうしていたのかということです。
当時の中内新オーナーは、大阪のことは目もくれず、福岡に対するアピール一色でした。

気がつきませんでしたが、確かにそれは微妙ですね。

> そう考えると、その年のうちに引退試合を行うというのも、無理はないのではという気もしています。

マリーンズで現役引退した吉井理人が、引退してすぐにファイターズの投手コーチになりましたが、マリーンズが翌春のファイターズ相手に主催するオープン戦で引退セレモニーをしたケースがありましたが、極めて希有なケース。

やるタイミングとしては、シーズン終盤しかない、ということになるのですかね。

投稿: 敗戦処理。 | 2015年10月10日 (土) 23時06分

次シーズンオープン戦での引退試合といえば、ブレーブスの山田久志投手と福本豊選手の引退試合を思い出します。(1988年引退、1989年引退試合実施)
この時は、引退時のホーム最終戦が「さようなら阪急ブレーブス」の試合でもあったことが影響した思います。
引退試合のときは、山田投手と福本選手は阪急のユニフォームを着用し、ほかの選手は新生オリックス・ブレーブスのユニフォームを着用しました。
(福本選手は、オリックスのコーチとして就任するため、退場後にオリックス・ブレーブスのユニフォームに着替えていました。)

ここまで書いてふと思ったのは、同時期に南海ホークスを引退し、引退試合を行うぐらいの選手がいたらダイエーはどうしていたのかということです。
当時の中内新オーナーは、大阪のことは目もくれず、福岡に対するアピール一色でした。
そう考えると、その年のうちに引退試合を行うというのも、無理はないのではという気もしています。

投稿: xyz | 2015年10月 9日 (金) 21時49分

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