敗戦処理。的東北楽天ゴールデンイーグルス歴代ベストナイン-マイセレクトベストナインVol.13
偶数月2日、一昨年2月にスタートしたマイセレクトベストナインを掲載してきましたが、今月はマイセレクトベストナインの第13弾。いよいよ大トリ、東北楽天ゴールデンイーグルスの登場。
敗戦処理。は一昨年の生観戦で、初めてプロ野球の試合を生観戦してから四十年目となった。そこで旧近鉄バファローズを含めた十三球団の、初めて生観戦をした1974年(昭和49年)以降、即ちリアルタイムに見た時代のベストナイン、ベスト一軍メンバー28人を自分なりに選んでみることにした。
1974年という年はジャイアンツの連続優勝がV9で止まった年であり、セーブが記録として制定された年である。そして日本ハムが日拓ホームから球団を買収し、ファイターズがスタートした年である。翌年にはパ・リーグで指名打者制が採用されるなど、大きな節目の時期でもある。
そして敗戦処理。は昨年の生観戦で生観戦歴四十周年となった。NPBは昨年を“プロ野球80周年”と称した。日本のプロ野球の約半分をリアルタイムに共有していることになる。
マイセレクトリアルタイムベストナインVol.13-東北楽天ゴールデンイーグルス
今回も最初に定義を説明しておこう。
●調査期間は敗戦処理。が初めてプロ野球を生観戦した1974年(昭和49年)から執筆時期(公式戦完了済みシーズン)まで。したがって1973年(昭和48年)までの成績は含まない。
●親会社の変更は同一球団と見なす。
●期間内でも他球団に在籍していた期間の成績は含まない。
●主要個人成績(試合数、打率、安打、本塁打、打点、盗塁、勝利、セーブ、防御率等)記録も重視するが、敗戦処理。が受けたインパクトも重視する。
●外国人枠は設けない。
●同一人物の選手と監督との重複選出、複数球団での選出は可。
●ベストメンバー9人(パ・リーグは10人)を含む一軍28人と監督を選ぶ。
●この定義は適宜変更される事もあるかもしれない。
※1973年(昭和48年)までの成績、記録を含めないのは過去を軽視しているのではなく、自分がリアルタイムに観ていない選手達を記録だけで比較する事がかえって非礼にあたると考えたからである。ある意味、自分史のまとめである。
早いもので、もう東北楽天ゴールデンイーグルス(以下、ゴールデンイーグルスと略記)が加わって11年目のシーズンになっている。あの球界再編騒動からそれだけの歳月が過ぎたと言うことだ。感慨深い。本企画では終了済みのシーズンまでを対象とするから、昨年まで10年間の記録、成績を対象とする。そしてそれはこれまで先に掲載した各球団とは異なり、ゴールデンイーグルスの球団史そのものを意味することになる。
8月9日の対ファイターズ戦で嶋基宏がプロ入り通算1,000試合出場を達成した。NPB史上472人目の記録であったが、ゴールデンイーグルスの選手としては初めての記録だった。球界に参入して11年目のシーズンにようやく1,000試合出場の選手が誕生したのだ。
ゴールデンイーグルスはその誕生のいきさつから、球団創立当初から戦力的に苦戦を強いられ続けてきた。球団創設元年の2005年は年間100敗の大台に到達するのではないかと言うほどの黒星量産。辛うじて大台は免れたが、最終的に136試合で38勝97敗1分け、勝率は.281。もちろん最下位だったが、5位のファイターズにすら25ゲーム差も離れていた。初めてのAクラスは五年目の2009年だったが、翌年からまたBクラスに逆戻り。9年目の2013年に念願のリーグ優勝、日本一に輝いた。
今回のベストナインを選考するにあたり、球団創立以来のポジション別最多出場選手を調べてみて驚いた。当然、この2013年の優勝メンバー主体になると最初は想像していたのだが、必ずしも2013年優勝メンバーばかりではないのである。記録を重視するなら、個人成績に関しては2005年の1本塁打、1安打、1勝と2013年の1本塁打、1安打、1勝は等価値と考えることにした。そうすることで、長くこのチームで実績を残している選手がピックアップされるように選んでいった。
この球団のベストナイン、ベスト監督、ベスト一軍入り28人を選ぶ。
【投手】
これはもう、岩隈久志と田中将大の二択にしかならないだろう。
岩隈は分配ドラフトで一度はオリックス・バファローズに割り振られてしまうがこれを岩隈本人が固辞し、バファローズからゴールデンイーグルスにトレードされるような形でゴールデンイーグルス入りする形になった。したがって岩隈の日本球界での経歴は大阪近鉄~オリックス~東北楽天という表記が正しい。岩隈は2010年シーズン終了後にポスティングシステムでの大リーグ入りを目指すが落札したオークランド・アスレチックスと岩隈との間で入団契約に至らずゴールデンイーグルスに残留。翌年オフに海外FA権を取得して大リーグ入りを叶えた。結局ゴールデンイーグルスには7年間在籍。
田中は2006年のドラフト会議でゴールデンイーグルスが交渉権を獲得。2013年に24勝0敗という恐ろしい数字を残してチームを初のリーグ優勝、日本一に導いてそれを手土産にポスティングシステムで海を渡った。ゴールデンイーグルスの在籍期間は岩隈と同じ7年間。
両投手のゴールデンイーグルス在籍期間の通算成績を列記しよう。
岩隈久志 146試合65勝48敗0S。1001回2/3、747奪三振 自責点349 防御率3.14
10勝以上3回、内20勝以上1回(21勝)。防御率1点台、2点台各1回。
田中将大 175試合99勝35敗3S。1315回、1238奪三振、自責点336。防御率2.30
10勝以上6回、内20勝以上1回(24勝)。防御率1点台3年連続3回(2011~2013)、防御率2点台2回。防御率2点台以下5年連続5回(2009~2013)。
岩隈は球団創立元年など初期に援護に恵まれない面があったことを考慮する必要があろうが、田中が成績で圧倒している。
なお、この両エースに次ぐ球団歴代三位の勝利数は近年故障に泣かされている永井怜の43勝と両エースには水を開けられている。11年間で二十勝投手を二人も輩出したことをファンは誇りに思ってよいだろう。本企画の対象年度の1974年以降に複数の二十勝投手を輩出している球団はカープの5人!(金城基泰、外木場義郎、池谷公二郞、高橋里志、北別府学)を筆頭にジャイアンツ(江川卓、斎藤雅樹、上原浩治)、ブレーブス(山田久志《2度》、今井雄太郎、佐藤義則)、
ファイターズ(高橋直樹、木田勇、工藤幹夫)の3人、タイガース(小林繁、井川慶)といるが、ベイスターズ、スワローズからは一人も二十勝投手が誕生していないし、今世紀に入ってからの二十勝投手が4人しかいないうちの2人がゴールデンイーグルスの投手だと言うことは誇りに思うべきだろう。
ゴールデンイーグルスの投手部門のベストナインには田中将大を選ぶ。
【捕手】
上述した様に嶋基宏が球団史上初の通算1000試合出場を果たしていることを考えても嶋で当確と考えるのが妥当。
嶋は昨年まで、捕手としての出場が913試合。もちろん球団トップだが、第2位の藤井彰人の捕手としての出場数が413だから、嶋の半数にも満たない。
嶋はルーキーイヤーの2007年に早くも125試合も捕手として出場。前年までの正捕手、藤井をいきなり上回る出場数だった。野村克也が監督に就任して二年目で、正捕手候補として眼鏡にかなったのだろう。翌2008年こそ85試合と、87試合にマスクの先輩・藤井に逆転されるが、三年目の2009年に再び逆転すると、この年以降はずっと嶋は100試合以上にマスクをかぶり続けている。藤井は2010年を最後に、FA権を行使してタイガースに移籍する。
2011年の東日本大震災発生後の言動でも注目を集めた嶋基宏を、東北楽天ゴールデンイーグルスのベストナイン捕手に選ぶ。
【一塁手】
チーム初期の打の中心、山崎武司を一塁手とするか、指名打者とするかをまず考えなければならない。山崎のゴールデンイーグルスでの出場数は一塁手としては131試合、指名打者としての出場は751試合と指名打者としての出場の方が圧倒的に多い。山崎は指名打者部門の候補とする。
となると、一塁手として活躍した選手をピックアップすると。ホセ・フェルナンデスが347試合で、一塁手としては最多出場。フェルナンデスは三塁手として186試合に出場しているが、山崎と同じ理由によりフェルナンデスを一塁手として候補とする。ただし成績はポジション別に分けることが出来ない。ゴールデンイーグルス在籍中に残した成績全てを対象とする。535試合に出場して538安打、71本塁打、317打点。打率.281。
現役の銀次は一塁手としてフェルナンデスに次ぐ227試合に出場。チーム事情により三塁手に回ることもあり、三塁手として131試合に出場。2011年から併用状態が続いているが、三塁手としての出場試合数が一塁手としての出場を上回ったのは2012年の一度だけ。なお二塁手としても2012年の72試合を筆頭に85試合出場している。銀次の昨年までの通算成績は398試合に出場して437安打、12本塁打、175打点。打率は三割を超えて.306。
他に一塁手として100試合以上出場しているのは山崎以外に吉岡雄二、フェルナンド・セギノール、リック・ショートといるが、年間で100試合以上一塁手として出場したのはフェルナンデスと銀次(と山崎)のみ。リックは2008年に球団初の首位打者を獲得しているが、この年のメインは12試合出場の一塁手ではなく、122試合に出場した外野。事実上フェルナンデスと銀次の一騎打ちと考えてよいだろう。
銀次の打率三割は素晴らしいが、それ以外の成績で上回るフェルナンデスをベストナインの一塁手に選ぶ。
【二塁手】
2012年6月、シーズン途中にベイスターズから移籍してきた藤田一也が二塁に定着してから、捕手の嶋と共にチームのセンターラインが固まり、2013年のリーグ優勝、日本一達成を守備面で藤田が支えたことに異論を挟む人は少ないだろう。だが二塁手としての出場数では、旧大阪近鉄バファローズから分配ドラフトで入団した高須洋介の643試合に比べると、藤田は2位ながら318試合と遠く及ばない。藤田との交換トレードで入れ替わりにゴールデンイーグルスからベイスターズに移った内村賢介も311試合と藤田と遜色ない。
これまでのポジションを、10年間を均一に考えて出場数の多い(各成績の通算成績が上位になる)選手を優先に選んできたが、やはりこの球団の10年間を振り返って特別な一年に当たる2013年にスポットライトを浴びた選手を残さなければならないだろう。田中、嶋はトータルの成績で選んだが、2013年枠を設けようか迷うところだ。
三選手の成績を比較しよう。
高須洋介 829試合、784安打、15本塁打、266打点、54盗塁、134犠打、打率.279
藤田一也 335試合、320安打、3本塁打、99打点、11盗塁、85犠打、打率.277
内村賢介 398試合、231安打、1本塁打、72打点、68盗塁、89犠打、打率.261
実働期間が長い分、藤田より高須に軍配が上がる。だが藤田は2013年と2014年に二塁手として共にパ・リーグのベストナインとゴールデングラブ賞を受賞している。これは高須、内村にはない強みだ。2013年は優勝のご祝儀的投票も中にはあったかもしれないが、チームが最下位に落ちた2014年にも受賞している。これは守備力が重視される二塁手というポジションを守る者として大きな栄誉だ。
ベストナインの二塁手には藤田一也を選ぶ。
【三塁手】
歴代で三塁手として出場の多い選手を挙げていくと、筆頭は草野大輔の384試合で、2位が一塁手部門でベストナインに選んだフェルナンデスの186試合。草野の半数にも届かない。圧倒的1位だ。次が二年間在籍の中村紀洋の161試合でその次が共に他のポジションと掛け持ちの高須、銀次の131試合でその次には2013年に一年間だけ在籍したケーシー・マギーの130試合。年間で100試合以上三塁を守ったのはこの年のマギーのみ。マギーはゴールデンイーグルスを退団後、NHKの人気朝ドラ「あまちゃん」に芸能プロダクションのマネージャー役として出演するなど俳優に転身し、その後はモデルとして人気を得るなど多方面で活躍している<冗>。
草野の通算成績は629試合、526安打、26本塁打で204打点。打率は.278。だが成績以上に、入団一年目の冬に30歳を迎えたほどの遅咲きのドラフト指名だった男が36歳になるシーズンまで実働7年間頑張ったことは特筆に値する。
中村はドラゴンズからFA移籍で入団。移籍一年目の2009年に77試合で58安打、2本塁打、26打点で打率.221と低迷。球団として初めてAクラスに進出したトシだったが完全に蚊帳の外だった。翌2010年は、マーティ・ブラウン監督の下、129試合に出場と盛り返したが、126安打、13本塁打、64打点、打率.266と平凡な成績に終わった。この年限りで退団。二年間通算で206試合、184安打、15本塁打、90打点、打率.250では草野の対抗馬となり得ない。
一年間の在籍ながらその一年でチームのリーグ優勝、日本一に大きく貢献して印象深い三塁手のマギー(144試合、150安打、28本塁打、93打点、打率.292)を選ぶことも考えたが、ここは草野の7年間を尊重したい。ベストナインの三塁手部門には草野大輔を選ぶ。
【遊撃手】
一年目の2005年に7選手、二年目の2006年には6選手を起用するなどなかなかレギュラーを固定出来なかったこのポジションに2007年、彗星のように現れたのがドラフト5位で三菱ふそう川崎から入団した渡辺直人。前年の草野で味をしめたか社会人野球で百戦錬磨のベテラン内野手を獲得したのが奏功。一年目から遊撃のポジションで119試合に出場。ベイスターズに移籍するまでの四年間、毎年100試合以上の出場を記録した。
渡辺のベイスターズへの移籍は衝撃だった。2010年オフは上述の如く、岩隈のポスティング移籍が成立寸前で破談となって岩隈は残留となった。これで球団は岩隈のポスティング移籍による収入を得られなかったばかりか、その岩隈にも高額な年俸を払わなければならなくなった。またこのオフには日本人メジャーリーガーの出戻り選手として松井稼頭央、岩村明憲の両選手を獲得。新監督の星野仙一が推し進めたと言われる一連の補強は、言葉は悪いが岩隈の売却益を見込んでの獲得と推測され、それが失敗したため渡辺を金銭トレードすることで少しでも差額を小さくしたと噂された。ゴールデンイーグルスのファンでない敗戦処理。にしてみれば、設立当初は既存他球団から余剰戦力を分けてもらっていた球団がついに戦力がだぶつくまでになったなと思ったものだが、当のゴールデンイーグルスファンにはそれどころではない衝撃だったのは言うまでもない。
渡辺の成績は四年間で491試合、450安打、3本塁打、110打点、97盗塁、74犠打で打率は.265。
結果的に渡辺を追い出す形になったのが松井稼。2014年に外野にコンバートされるが、四年間の成績は498試合、487安打、37本塁打、195打点、39盗塁、11犠打、打率.266。松井稼は38歳になる年度の2013年に遊撃手として123試合に出場したが、これは敗戦処理。が調べた限りでは38歳になる選手としては初の守備率の規定出場数(チーム試合数の3分の2=96試合以上)に達した選手である。37歳なら宮本慎也、石井琢朗、金子誠、井端弘和といるのだが38歳では松井稼だけである。
渡辺と松井稼では同じ遊撃手でもタイプが異なるので、主にオフェンス面での成績を比較するのは渡辺にとって酷だが、松井稼の遊撃手としての希少性をも評価してベストナインの遊撃手部門には松井稼頭央を選ぶ。
【外野手】
外野手として最初に名前が挙げられなければならないのは、ゴールデンイーグルス誕生のきっかけとなった大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併騒動で合併される側の旧バファローズの選手会長として立ち上がった礒部公一。結局合併を阻止出来ず、新規参入球団として誕生したゴールデンイーグルスとの分配ドラフトでは当然合併球団への割り振りを拒否。球団側も理解を示し、ゴールデンイーグルスへの移籍が決まった。その闘う姿がファンに支持されたか、球団初年度の2005年のオールスターゲームのファン投票で、外野手部門でSHINJOに続く2位に入った。だが磯部はこの年の成績自体は平凡で、122試合で128安打、16本塁打、51打点、打率.264にとどまった。現役引退までの5年間で395試合、376安打、25本塁打、148打点、打率.266。
チーム二年目の2006年にドラゴンズから移籍してきた鉄平が磯部の低調に取って代わった感じだった。キャリアハイはパ・リーグ首位打者に輝いた2009年の打率.327。2013年オフに後藤光尊とのトレードでゴールデンイーグルスを出るまでの在籍8年間で、この2009年を含め、打率三割以上が3回。外野手としての出場が869試合を数え、これは2位の聖澤諒の682試合に200試合近く差を付けている。8年間の通算成績は887試合、850安打、41本塁打、333打点、打率.281。
聖澤は通算176盗塁が球団最多記録になっている。これは2位の渡辺直97を倍近く離して圧倒している。入団三年目の2010年に外野のレギュラーポジションをつかみ、今日に至るが、2011年をピークに成績が下降気味なのが気になる。通算成績は716試合で629安打、15本塁打、195打点、176盗塁、打率.279。昨年は5年ぶりに出場試合数が100試合を割り、規定打席にも達しなかった。
出場数で鉄平、聖澤に次ぐのが牧田明久。2005年から在籍している現役選手は投手の小山伸一郎とこの牧田だけ。ただ小山伸が2005年から2014年まで毎年出場記録が残っているのに対し、牧田は2008年が不出場。年間の規定打席に達した年度がなく、最多出場は2012年の123試合。10年間通算で593試合、327安打、22本塁打、134打点、打率.244。
鉄平より一年早く首位打者を獲得したのが2008年のリックで.332。リックはその前年の2007年にも打率.330でファイターズの稲葉篤紀に次ぐ2位だった。リックはいろいろなポジションを守り、一塁手、二塁手、三塁手、外野手としての出場実績があり、名前がショートなのに遊撃手としての出場がなく、最多出場は外野手としての264試合。首位打者を獲得した2008年も外野手で122試合出場している。4年間の在籍だが419試合、474安打、23本塁打、171打点、打率.317。
この中で選考に入る。球団史という点では磯部を入れたいところだが、その磯部より在籍期間が短いものの打撃での活躍が大きかったと見なせるリックを選び、鉄平、聖澤とタイトルホルダー三人で固めたい。磯部を外すのはいわば断腸の思い。鉄平、聖澤諒、リックの三人をベストナインの外野手として選ぶ。
【指名打者】
これは山崎武司の独壇場と言っても過言ではないだろう。山崎武司の指名打者としての出場は751試合。これは山崎がゴールデンイーグルスに在籍していた2005年から2011年までの7年間のチーム試合数992試合の約76%に当たる。10年間で山崎以外に指名打者として出場した選手の合計ののべ出場試合数が784だから、ゴールデンイーグルスの指名打者=山崎と言って良い程だ。因みに2位は2013年から二年間在籍したアンドリュー・ジョーンズで232試合。山崎は2007年に43本塁打、108打点で本塁打王、打点王の二冠王。7年間の通算成績は908試合、820安打、191本塁打、568打点、打率.252。安打、本塁打、打点は今も球団最多記録。山崎武司をベストナインの指名打者部門で選ぶ。
【監督】
球団創立二年目からチームを築き上げた野村克也監督か、悲願の初優勝に導いた星野仙一監督か。歴代監督の成績を列記しよう。
田尾安志(2005年)38勝97敗1分け、勝率.281。
野村克也(2006年~2009年)256勝302敗10分け、勝率.459。クライマックスシリーズ進出1回。
マーティ・ブラウン(2010年)62勝79敗3分け、勝率.440。
星野仙一(2011年~2014年)279勝277敗20分け、勝率.502。リーグ優勝、日本一1回。
※ 星野仙一監督は2014年に体調不良による休養期間があるが、星野監督の成績に含めた。
初年度の田尾安志監督の成績は致し方ない面があるが、その状態から引き継いで、就任四年目にして初のAクラス入りを果たした野村監督の功績も筆舌に尽くしがたい。ただ、マーティ・ブラウン監督を挟み、満を持して招聘した形の星野監督の、実際にリーグ優勝、二歩日を果たした実績の前には野村監督でも苦しい。田中の24勝0敗という規格外の好成績があったものの、やはり実績を優先せざるを得ない。星野仙一をベストナインの監督に選ぶ。
それでは一通り選び終わったところで、敗戦処理。が選ぶマイセレクトベストナインでオーダーを組んでみる。
(中)聖澤諒
(二)藤田一也
(右)鉄平
(指)山崎武司
(一)フェルナンデス
(左)リック
(遊)松井稼頭央
(捕)嶋基宏
(三)草野大輔
(投)田中将大
最後に一軍登録と同じ28人を選ぶ。他球団は多めに候補を挙げてそこから絞り込んでいったが、このチームは歴史が浅い悲しさか、28人そろえるのに苦心した。
【投手】
田中将大、岩隈久志、永井怜、則本昂大、美馬学、片山博視、有銘兼久、青山浩二、小山伸一郎、ダレル・ラズナー、福盛和男
【捕手】
嶋基宏、藤井彰人
【内野手】
山崎武司、ホセ・フェルナンデス、藤田一也、草野大輔、松井稼頭央、銀次、高須洋介、渡辺直人
【外野手】
聖沢諒、鉄平、リック・ショート、岡島豪郎、礒部公一、牧田明久、アンドリュー・ジョーンズ
これで十三球団が出そろった。過去の十二球団に興味をお持ちの方はお手数ながら左端のカテゴリー別、敗戦処理。的チーム別歴代ベストナインをクリックしてこれまでの球団を参照されたい。
こんな独りよがりな企画にお付き合いいただいた皆さんに感謝します。
【参考文献】
・『2015ベースボールレコード・ブック』ベースボール・マガジン社
・『プロ野球人名事典2003』森岡浩編著、日外アソシエーツ
・CD版『野球の記録で話したい Baseball Stats Lounge』
広尾晃氏
・『日本プロ野球監督列伝1936-2014』ベースボール・マガジン社
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