今年の1枚–2015年
今年もあと数時間で、2016年にバトンタッチする。敗戦処理。的には昨年に続き、生観戦数が激減、特に一軍戦は定番の、ファイターズの東京ドームでの主催試合は今年も8試合、全てを生観戦したが、ジャイアンツ戦は最初と真ん中と最後だけ<苦笑>。近年にない激減ぶりだった。
2位に終わったジャイアンツがクライマックスシリーズのファイナルステージまで進むと確信して、ファイナルステージの最終戦のチケットを確保したが実現せず。「プレミア12」も大会が始まる前から決勝戦(と三位決定戦の共通)チケットを確保して侍ジャパンが世界一になる瞬間を見逃すまいと意気込んだが、結果はご承知の通り。
そんな一年だったが、野球場で下手の横好きとばかりに撮りまくった写真の中から、今年の1枚を選んでみた。
この写真は、今年8月21日に東京ドームで行われたファイターズ対バファローズ戦で、2対4とリードされた九回裏に、ファイターズの市川友也が無死一塁から同点となる2点本塁打を放った時のスイングの写真だ。翌8月22日付のエントリー巨人時代はジャイアンツ球場がメインだった市川友也が東京ドームで殊勲の九回同点弾!で冒頭に使用した写真だ。
この写真を「今年の1枚」に選んだ理由は、今年、球場で生で観ていて最も感動した瞬間だったからだ。
この試合の展開は上記エントリーを参照していただきたいが、エントリーのタイトルでも書いた様に、ジャイアンツでは一年目を除いてあまり重用されていなかった市川が、ファイターズに移籍してから頭角を現し、一軍での出場機会を重ねるごとに捕手らしくなっていったのだが、打撃ではあまり期待出来る戦力とは言えなかった。ましてや相手が長打を警戒する場面で長打を放つとは、応援する身でありながら期待していなかった。
この場面も、2点ビハインドの九回裏の先頭打者は石川慎吾で、代打に大谷翔平が起用されて粘った上で四球を選んだ。バファローズのマウンドにはこの当時クローザーとしてマウンドを任せられていた佐藤達也がこの回からマウンドに上がっていた。ファイターズとしては下位打線なのでどんどん代打攻勢で行くのかと思ったが、「八番・捕手」でスタメン出場している市川に代打を送らない。ベンチには控え捕手として大野奨太と石川亮がいる。代打要員としては左打ちの西川遥輝と右打ちの矢野謙次が控えていた。市川はこの試合3打数0安打、何故代打を送らないのか理解しかねた。
実はあとで判明したのだが、大野が風邪気味で体調不良。実質的には控え捕手は石川亮ひとり。それでも延長戦になったらDHの近藤健介にマスクをかぶらせる手もあるのだから、代打が送られないのが不思議だった。そして市川の打席の間、ネクストバッターズサークルには「九番・右翼」でスタメン出場している杉谷拳士に代わり、矢野が準備していた。
ならばファンとしては市川にチャンスをさらに拡げて欲しい、と期待して見ていたらフルカウントになった。フルカウントになっても一塁走者の大谷が投球と同時にスタートを切らない。大谷は同点の走者ではない。最悪の三振ゲッツーを避けたいということだったのだろうが、スタートを切らないと内野ゴロで併殺という可能性も高くなる。「二刀流」の大谷に危険なプレーをさせられないのがスタートを切らせない理由なのは想像出来たが、市川に代打を送らないのなら、大谷に代走西川を出すべきではないかなどと考えていたら、市川の放ったレフトへの大飛球はそのままレフトスタンドに消えていった。
失礼ながら期待以上の結果に、我を忘れて席で飛び上がった。周囲のファイターズファンと誰彼かまわずハイタッチやハグをし市川がベースを一周してナインに祝福されながら一塁ベンチに消えるのを見たら、新たな感動が胸を覆った。
話は四年前に飛ぶが、2011年の5月のジャイアンツ対タイガース戦で、實松一成が藤川球児からサヨナラ安打を打ったのを生で観た時の感動を思い出した。あのときも歓喜のあと、じわじわと涙が出るのを自覚し、しばらく席から動けなかった。少し経ってヒーローインタビューが始まる時、逆に悔しい思いをしたタイガースファンの見知らぬ人から「あんた、實松のファンなのか、そりゃ嬉しいだろ。今日はよく打った。ゆっくり味わってな…」と声をかけられて我に帰った。
この時の市川にもそれと似た様な感慨に浸った。これで同点となった試合は、十回裏にファイターズが4対4の同点からブランドン・レアードのサヨナラ犠牲フライでサヨナラ勝ちという決着を迎えるのだが、レアードとともにヒーローインタビューに呼ばれた市川はインタビュアーの「古巣、ジャイアンツ時代の本拠地、東京ドームでの活躍…」と振られて、「僕はジャイアンツ球場がメインだったので」と自虐気味に答えて、スタンドのファンに受けていたが、敗戦処理。の印象ではそのジャイアンツ球場ですら、市川がマスクをかぶっていた印象が薄い。ファイターズは2013年のオフに、正捕手だった鶴岡慎也がFA権を行使して移籍することを見込んで、ジャイアンツに捕手のトレードを申し込んだ。ジャイアンツとの間で市川の金銭トレードが成立したのだが、加藤健でもなく、河野元貴でもなく、鬼屋敷正人でもなく市川だったのは、はっきり言えばジャイアンツでの評価の低さだろう。
市川は東海大相模高から東海大学に進み、社会人の鷺宮製作所を経て2009年秋のドラフトで4位指名されてジャイアンツに入団した。入団時は「背番号27」。実はジャイアンツではV9時代の名捕手、森昌彦以降で初めて捕手が「背番号27」を付けた。捕手としての期待の高さがうかがえる背番号。ルーキーイヤーには開幕一軍入りを果たしたが、一軍定着はならず。その後はファーム暮らしが長くなり、ファームでも出場機会が増えなかった。
そんな市川が、あまり古巣では出場経験がなかったにせよ、東京ドームでの試合にまさかの同点本塁打を放ったのだから、感慨深いこと、この上ない。特にこの試合は、ファイターズにとっては「レジェンドシリーズ」の試合で、今回のテーマは日本ハムとして球界に参画した初期のユニフォームで、この時期にリーグ優勝を果たして、ジャイアンツとの日本シリーズも実現している。本拠地を同じ後楽園とした日本シリーズで、ファイターズがホームになってもジャイアンツがホームになっても、スタンドの観客はジャイアンツファンが圧倒多数だったが、ファイターズの歴史は北海道に移転するまではジャイアンツとの後楽園、東京ドームでの共同使用の歴史。そんな歴史の絡みもあって、市川の一打に感慨深い面があったし、その瞬間を生で観ることが出来たのはファンとして最高だ。だからこの1枚を選んだのだ。
一方でジャイアンツファンとして市川の放出、放出後の急成長を考えると、確かにもったいない思いをするが、トレードの時点で、既にドラフト会議で正捕手・阿部慎之助の後継者候補の小林誠司の交渉権を確保していたから、余剰戦力になるのは仕方ないと思えた。だが、阿部、實松に次ぐ捕手として加藤と肉迫するくらいの捕手に育てられなかったのかとも思える。やはり、ジャイアンツのファームの育成能力に疑問を持たざるを得ない。
そんな意味で、「今年の1枚」に次ぐ、2枚目に来る写真を掲載しよう。
この写真は今年1月11日付エントリー球春近し、ジャイアンツの新人合同自主トレを観てきた! で掲出した写真だ。3000m走というメニューに挑戦する新人選手達の後方に、サインをする選手と順番を待つファンの長蛇の列。このサインをしている選手はこのオフにジャイアンツがFAで獲得した相川亮二の人的補償としてスワローズから指名され、この前日にスワローズへの移籍が決まった奥村展征だ。急だったのだろう、奥村は引き続きジャイアンツ球場で自主トレをしていたのだが、移籍を惜しむファン達に快く日付入りで読売巨人軍奥村展征とサインしていたのだ。
一年前にはグラウンドで新人合同自主トレに挑んでいた選手が選手が一年後にはもうトレード。ジャイアンツのプロテクト選手の選び方が物議を醸していたが、ジャイアンツの育成の実態の一面を映す1枚ということでこの1枚を「次点」としたい。
ところで市川は上述した様に、東海大相模高から東海大学に進んだ選手。ジャイアンツでは原辰徳監督、菅野智之と同じ経歴だ。ファイターズとジャイアンツの関係は、2011年秋のドラフト会議でファイターズが菅野を1位指名したことで軋轢が生じたと言われている。この翌年には毎年行われていた札幌ドームでのジャイアンツとのオープン戦が行われなくなり、近年多発していた両球団間でのトレードも行われなくなっていた。ジャイアンツがたとえ余剰戦力だったにしても、市川をファイターズにトレードしたことは雪解けの証だと個人的には思っている。オープン戦はその翌年には再開し、今年は矢野を含む複数トレードも成立した。ジャイアンツとファイターズ両球団を応援する敗戦処理。にとっては、市川は上野動物園のパンダ、ランランとカンカンの様な存在なのだ<笑>。
P.S.
【今日のオマケ】
この1枚も最終候補<笑>
家のパソコンの壁紙にしています。
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コメント
jiRo様、明けましておめでとうございます。
コメントをありがとうございます。
> 今年も宜しくお願いいたします。
こちらこそ、今年もよろしくお願いいたします。
> 今年は是非一度、ご挨拶できればと…
こちらこそよろしくお願いいたします。
私もめっきり鎌ケ谷に行く回数が減ってしまいましたが、ぜひタイミングが会えば!
投稿: 敗戦処理。 | 2016年1月 1日 (金) 17時28分
今年も宜しくお願いいたします。
自分も昨年は殆ど行けず…
今年は是非一度、ご挨拶できればと…
投稿: jiRo | 2016年1月 1日 (金) 01時15分