高橋由伸と金本知憲
のっけから前振りを否定する形になるが、金本知憲新監督はジャイアンツ戦中心の先発ローテーションを見直し、セ・リーグ優勝のスワローズをターゲットとしての先発ローテーションを組む構想を披露したそうだ。
◆金本監督、打倒ヤクルト 悲願Vへ巨人ローテ封印
(日刊スポーツ、2015年11月27日)
それはまあ、今季2位だったジャイアンツより、優勝したスワローズをターゲットにするというのは理にかなっている。ただ、そういった理を超えて、常にライバル意識を燃やしてきたのがジャイアンツとタイガースだったはず。和田豊前監督は現役時代に、「巨人戦よりヤクルト戦の方が気合いが入る」と口にした後輩選手を説教したと言う。野村克也監督のID野球が席巻していた頃だろう。だが、高橋由伸監督はまだしも、生え抜きでない金本監督はジャイアンツを過剰に意識する必要は無いと考えるのだろうか?
もっとも、今季3位に終わったタイガースは、優勝したスワローズには13勝12敗と勝ち越した。3位争いをしたカープと、宿命のライバルであるジャイアンツに対し、それぞれ8勝15敗2分け、9勝16敗とともに7個の負け越しを喫したことが記念すべき80周年の年に輝かしい成績を残せなかった一因と思えるが…。
冒頭にも書いたとおり、高橋新監督と金本新監督は年齢こそ7歳の差があるものの、誕生日は同じ4月3日。高橋新監督はかつてチームメートだった上原浩治と生年月日が一緒であることは有名だが、7歳差がある同じ誕生日の二人にライバル意識を燃やして欲しいものだ。
敗戦処理。がいささか気になると書いたのは、現役時代のこの二人の関係である。
金本がFA権を行使してタイガースに入団したのが2003年。そこから金本が現役を引退する2012年までの10年間。この二人はライバル関係にあるジャイアンツとタイガースの中心選手として君臨した。この二人をライバル視した報道や論評をほとんど目にしなかったが、敗戦処理。は因縁を感じる。
金本が移籍した2003年にタイガースはあの1985年の日本一以来18年ぶりのリーグ優勝を果たす。二年後の2005年にも再び優勝を果たし、カープから移籍してきた金本は成績のみならずリーダーシップを発揮してファンから「アニキ」と親しまれる存在になっていた。
一方のジャイアンツは同じタイミングで主砲の松井秀喜がFA権を行使してジャイアンツを去り大リーグのニューヨーク・ヤンキースへ。主砲に去られたジャイアンツはロベルト・ペタジーニやタフィ・ローズと言った国内で実績のある外国人の大砲を補強するなどの手を打ったが、2003年から2006年まで、球団史上初めて四年間優勝から遠ざかるという失態を演じた。
松井無き後のジャイアンツにはファンにカリスマ的任期を持つ清原和博の存在があったが、ジャイアンツというチームの性質上、高橋由が新たなチームリーダーになるべく期待されたのは言うまでもない。
だが結果が結果だから言われてしまうのかもしれないが、高橋由がジャイアンツを引っ張ってチームを優勝に導くという形にはならなかった。
たった四年間、優勝から遠ざかっただけで暗黒期のように言われてしまうのもジャイアンツならではと言われるが、この間、生え抜きではない小久保裕紀を主将に任命するなど、高橋由にリーダーシップを求められないが故のジレンマがあったようだ。
ジャイアンツは2007年からリーグ3連覇を果たすなどジャイアンツとしてのプライドを取り戻したかに思えたが、ここでもチームリーダー的役割を果たしたのはFAで移籍してきた小笠原道大であり、2012年からの3連覇では原辰徳監督の口から「(阿部)慎之介のチーム」という言葉が発せられるようになった。
ジャイアンツは原前監督の退任が発表されてから高橋新監督の発表までに空白の期間があったから、新監督人事にいろいろな憶測が立った。結果的にはジャイアンツの監督としては王道の、生え抜きのジャイアンツのエースか中心打者という高橋由で落ち着いたが、松井が抜けてリーダー性を求められるようになってからの高橋由には選手としても苦難の道を歩まされてきていた。
故障が目立ち、初めて出場試合数が100を切った入団8年目の2005年から引退する今季2015年までの11年間で高橋由が規定打席に達したのは2007年の一度だけ。つまりレギュラー選手としての最低限のつとめである規定打席に達したことすら松井退団後は3回しかなかったことになる。その2007年にしたって、小笠原やイ・スンヨプといった移籍組に押し出されるかのように一番打者が定位置となっていた。この2007年の133試合、自己最多の35本塁打に、自己2位の打点88、打率.308は立派の一言に尽きるが、やはりクリーンアップを打ってこそと物足りない思いをしたファンも少なくなかったはずだ。そしてその2007年を最後に、高橋由は規定打席に達しなくなる。
物足りないというと、原前監督の現役時代も、あのONと比較されたがためにファンに物足りなさを与えていた。その原前監督と高橋監督の共通性として、週刊ベースボール11月16日号(ベースボール・マガジン社)で石田雄太氏が連載「閃・球・眼」で「若大将とプリンス」と題して原と高橋由を比較している。
興味深いのは、その原の数字が、ある選手の生涯成績とかなり似通っているところだ。
原辰徳は、6012打数1675安打、ホームラン382本、打点1093、通算打率.279。
その選手が6028打数1753安打、ホームランは321本、打点986。通算打率は.296。
じつはこれ、原から監督の座を受け継いだ高橋由伸の通算成績である。原は新人王と打点王、MVPを獲得しているが、高橋はそのどれも獲得していない。結局、高橋は打撃3部門のタイトルは一つも獲れず、通算成績では、ほぼ同じ打数でホームランは原を下回り、ヒット数と打率で原を上回っている。
正直、これは物足りない。
ONと比較されるが故に物足りなさを感じさせた原前監督の現役時代と同様、石田氏の論評では原の現役時代と比較されているが、主砲としての松井と比べられ、やはり物足りなさを感じさせる高橋由。原前監督は監督としての長きにわたる君臨で、監督としての評価はONを凌駕したと言って差し支えあるまい。好き嫌いは別にして。
松井はまだジャイアンツの監督になったことはないから、これからは高橋由が監督として松井と比較されることはないが、一部のファンやマスコミは、松井が監督就任を断ったから現役選手である高橋由にお鉢が回ったと思っている。不本意であっても高橋由は今後も松井の影に脅かされるのかもしれない。
金本は晩年こそ、連続出場記録の継続のために、言い方は悪いが晩節を汚すかのような出場形態を記録してしまったが、だからといって金本の鉄人ぶりにいささかの価値の下落を招くものではない。仮にマイナスがあったとしても、タイガース球団はそのマイナスよりも、加入した当初の2003年と2005年の金本の立ち振る舞いのプラスの方を高く評価したのだろう。
金本のタイガース入団(と松井のジャイアンツ退団)を境にした2003年からのジャイアンツとタイガースの浮沈ぶりを振り返ると、高橋新監督率いるジャイアンツが不安に思えてしまう。
ここまで書いたことは敗戦処理。の妄想に過ぎない。高橋由伸が金本知憲をどう思っているかわからない。敗戦処理。の妄想がもしも的を射たものであるならば、高橋由がジャイアンツの監督として乗り越えなければならないのは先輩、松井秀喜の影ではなく、ライバル球団タイガースの監督、金本知憲の存在感ということになるが…。
ジャイアンツとタイガースが揃って新監督を迎えるのは2004年にジャイアンツの監督が原から堀内恒夫に代わり、タイガースの監督が星野仙一から岡田彰布に代わった時以来。だが、比較的稔大の近い新監督同士となると、1975年に二学年差の長嶋茂雄と吉田義男が揃って新監督になった時以来。あのときは長嶋新監督が息子・一茂のすすめに従って当時としては大きな「背番号90」を背負うことを決めれば、吉田監督は「それなら私は逆で…」と言って「背番号1」を選び、ライバル意識を演出した。
高橋新監督に否定的なことばかり書いてしまったが、金本監督に打倒巨人と言わせるような采配を高橋新監督に期待したい。やっぱりジャイアンツとタイガースには常に意識し合うライバル関係であって欲しい。
参考エントリー
審判(とタイガースファン)に負けたのではない。金本知憲に負けたのだ。
拙blog2008年5月8日
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