2009年10月 2日 (金)

「生」観戦した野球場(52)-鴨川市営球場

01 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。だからどうしたと言われればそれまでですが。

毎月2日、この「生」観戦した野球場と「敗戦処理。生観戦録- my only one game of each year」のいずれか一方を掲載していますが、今月は先月26日に新たに鴨川市営球場にて初の生観戦をしましたのでこちらのコーナーでいきます。「敗戦処理。生観戦録- my only one game of each year」は来月に回します。

1974年3月に初めて後楽園球場でプロ野球を生観戦して以来、いろいろな野球場でプロ野球を観てきました。チケット代よりもはるかにかかる交通費をかけて北へ南へ…。社会人になって多少経済的に余裕が出てからは「十二球団の本拠地をすべて回ろう」と考え、それを2000年に達成してからは地方球場、ファームの試合を行う球場を積極的に回りました。そうしてついに50を超えました。

なおバックナンバーは左欄のカテゴリー別から敗戦処理。が「生」観戦した野球場を選び、ダブルクリックして下さい。

52回 鴨川市営球場 観戦球場ファイル-52

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2009年8月 2日 (日)

「生」観戦した野球場(51)-上尾市民球場

01 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。だからどうしたと言われればそれまでですが。

毎月2日、この「生」観戦した野球場「敗戦処理。生観戦録- my only one game of each yearのいずれか一方を掲載していますが、今月は昨日(1)新たに上尾市民球場にて初の生観戦をしましたのでこちらのコーナーでいきます。「敗戦処理。生観戦録- my only one game of each year」は来月に回します。

1974年3月に初めて後楽園球場でプロ野球を生観戦して以来、いろいろな野球場でプロ野球を観てきました。チケット代よりもはるかにかかる交通費をかけて北へ南へ…。社会人になって多少経済的に余裕が出てからは「十二球団の本拠地をすべて回ろう」と考え、それを2000年に達成してからは地方球場、ファームの試合を行う球場を積極的に回りました。そうしてついに50を超えました。

なおバックナンバーは左欄のカテゴリー別から敗戦処理。が「生」観戦した野球場を選び、ダブルクリックして下さい。

51回 上尾市民球場 観戦球場ファイル-51

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2009年6月 2日 (火)

「生」観戦した野球場(50)-マツダズームズームスタジアム広島

1974年3月に初めて後楽園球場でプロ野球を生観戦して以来、いろいろな野球場でプロ野球を観てきました。チケット代よりもはるかにかかる交通費をかけて北へ南へ…。社会人になって多少経済的に余裕が出てからは「十二球団の本拠地をすべて回ろう」と考え、それを2000年8月に達成してからは地方球場、ファームの試合を行う球場を積極的に回りました。そうしてついに50に達しました。

なおバックナンバーは左欄のカテゴリー別から敗戦処理。が「生」観戦した野球場を選び、ダブルクリックして下さい。

50回 マツダズームズームスタジアム広島 観戦球場ファイル-50

01 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていましたが、先月

17日にカープ対ジャイアンツ戦を生観戦した新しいカープの本拠地、マツダズームズームスタジアム広島(マツダスタジアム)50個目の観戦球場となりました。そこで先月に引き続きこのコーナーを復活し、「敗戦処理。生観戦録- my only one game of each year」は来月に回します。

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2009年5月 2日 (土)

「生」観戦した野球場(49)-楽天イーグルス利府球場

01_2 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数もうすぐ50。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていましたが、48の観戦球場をすべて網羅したため、「敗戦処理。生観戦録- my only one game of each year」に切り替えていました。このたびゴールデンイーグルスのファームの新しい本拠地となる楽天イーグルス利府球場での生観戦を果たしましたので久々にこのコーナーを復活させようと思います。なおバックナンバーは左欄のカテゴリー別から敗戦処理。が「生」観戦した野球場を選び、ダブルクリックして下さい。

49回 楽天イーグルス利府球場 観戦球場ファイル-49

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2008年12月 2日 (火)

「生」観戦した野球場(48)-中井中央公園野球場

Photo いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いています。ストックが少なくなってきたので「敗戦処理。生観戦録- my only one game of each yearと交互に隔月で、2日に書いていますが、今回の、2005年9月10日に観戦した中井中央公園野球場で敗戦処理。が生観戦した48の球場すべてを掲載したことになります。なおバックナンバーは左欄のカテゴリー別から敗戦処理。が「生」観戦した野球場を選び、ダブルクリックして下さい。

48回 中井中央公園野球場 観戦球場ファイル-44

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2008年10月 2日 (木)

「生」観戦した野球場(47)-フルキャストスタジアム宮城

03 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いています。ストックが少なくなってきたので「敗戦処理。生観戦録- my only one game of each year」と交互に隔月で、2日に書いていこうと思います。なおバックナンバーは左欄のカテゴリー別から敗戦処理。が「生」観戦した野球場を選び、ダブルクリックして下さい。

47回 フルキャストスタジアム宮城 観戦球場ファイル-43

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2008年8月 2日 (土)

「生」観戦した野球場(46)-山形県野球場

01 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いています。ストックが少なくなってきたので「敗戦処理。生観戦録- my only one game of each year」と交互に隔月で、2日に書いていこうと思います。なおバックナンバーは左欄のカテゴリー別から敗戦処理。が「生」観戦した野球場を選び、ダブルクリックして下さい。

46回 山形県野球場 観戦球場ファイル-42

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2008年6月 2日 (月)

「生」観戦した野球場(45)-サンマリンスタジアム宮崎

01

いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いています。当面、月に1回、毎月2日に書いていこうと思います。なおバックナンバーは左欄のカテゴリー別から敗戦処理。が「生」観戦した野球場を選び、ダブルクリックして下さい。

45回 サンマリンスタジアム宮崎 観戦球場ファイル-41

(写真:日本で三つしかない内外野総天然芝のサンマリンスタジアム宮崎の内観。好天でなく写真写りも今一…。)

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2008年5月 2日 (金)

「生」観戦した野球場(44)-藤井寺球場

03_2  

 

いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いています。当面、月に1回、毎月2日に書いていこうと思います。なおバックナンバーは左欄のカテゴリー別から敗戦処理。が「生」観戦した野球場を選び、ダブルクリックして下さい。

記念すべき40個目の観戦球場は旧バファローズの元本拠地、藤井寺球場でした。

44回 藤井寺球場 観戦球場ファイル-40

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2008年4月 2日 (水)

「生」観戦した野球場(43)-阪神鳴尾浜球場

03

 

いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いています。当面、月に1回、毎月2日に書いていこうと思います。なおバックナンバーは左欄のカテゴリー別から敗戦処理。が「生」観戦した野球場を選び、ダブルクリックして下さい。

43回 阪神鳴尾浜球場 観戦球場ファイル-39

  

  

(写真:ネット裏観客席から撮影したグラウンド)

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2008年3月 2日 (日)

「生」観戦した野球場(42)-小瀬スポーツ公園野球場

01   いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いています。当面、月に1回、毎月2日に書いていこうと思います。なおバックナンバーは左欄のカテゴリー別から敗戦処理。が「生」観戦した野球場を選び、ダブルクリックして下さい。

42回 小瀬スポーツ公園野球場 観戦球場ファイル-38

 

(写真:正面に「野球場」とだけしか書かれていない独特な外観の小瀬スポーツ公園野球場)

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2008年2月 2日 (土)

「生」観戦した野球場(41)-熊谷運動公園野球場

01 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いています。当面、月に1回、毎月2日に書いていこうと思います。なおバックナンバーは左欄のカテゴリー別から敗戦処理。が「生」観戦した野球場を選び、ダブルクリックして下さい。

41回 熊谷運動公園野球場 観戦球場ファイル-37

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2008年1月 2日 (水)

「生」観戦した野球場【特別編】-これまでに取り上げた観戦球場一覧

いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について以前は月に2回、最近は月に1回、毎月2日に書いていますが、前回12月2日エントリー分で40個の野球場に触れましたのでここらで総集編というか、索引をと考えました。当ブログをスタートした2006年2月の第1回、後楽園球場を皮切りに観戦した順に書き連ね、途中新たな観戦球場が増えた場合には途中に挿入しました。そんな訳で40個の球場を取り上げましたが、40個目の球場は未紹介です。偶然にも40個目は意味深な野球場になってしまいましたが、それはその順番までお預けとさせていただいて、今月はこれまでに取り上げた40球場の索引です。

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2007年12月 2日 (日)

「生」観戦した野球場(40)-平塚球場

03 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いています。当面、月に1回、毎月2日に書いていこうと思います。なおバックナンバーは左欄のカテゴリー別から敗戦処理。が「生」観戦した野球場を選び、ダブルクリックして下さい。

40回 平塚球場 観戦球場ファイル-36

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2007年11月 2日 (金)

「生」観戦した野球場(39)-松山中央公園野球場

01 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いています。当面、月に1回、毎月2日に書いていこうと思います。なおバックナンバーは左欄のカテゴリー別から敗戦処理。が「生」観戦した野球場を選び、ダブルクリックして下さい。

39回 松山中央公園野球場 観戦球場ファイル-35

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2007年10月 2日 (火)

「生」観戦した野球場(38)-静岡県営草薙野球場

01_37 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いています。当面、月に1回、毎月2日に書いていこうと思います。

38回 静岡県営草薙野球場 観戦球場ファイル-34

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2007年9月 2日 (日)

「生」観戦した野球場(37)-群馬県営敷島公園野球場

01 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いています。これまでは月に2球場、基本的に毎月1日と16日に掲載してきましたが、気がつけば観戦した球場のストックも徐々に底をつき、このペースで書いていけばあと半年持たないという状態です。そこで当面、月に1回、毎月2日に書いていこうと思います。今回は順序を変えて先月11日に初めて観戦した群馬県営敷島公園野球場を取り上げます。観戦後にすぐ書き込もうかと思ったのですが結局月1の2日になってしまいました。

37回 群馬県営敷島公園野球場 観戦球場ファイル-48

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2007年8月 2日 (木)

「生」観戦した野球場(36)-南長野運動公園野球場

02_15 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いています。これまでは月に2球場、基本的に毎月1日と16日に掲載してきましたが、気がつけば観戦した球場のストックも徐々に底をつき、このペースで書いていけばあと半年しか持たないという状態です。そこで当面、今回から月に1回、毎月2日に書いていこうと思います。ただシーズン中に新たな球場に行ったらその球場を含め月に2回というペースで加筆していこうと思います。

36回 南長野運動公園野球場 観戦球場ファイル-33

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2007年7月 1日 (日)

「生」観戦した野球場(35)-水戸市民球場

いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いています。これまでは月に2球場、基本的に毎月1日と16日に掲載してきましたが、気がつけば観戦した球場のストックも徐々に底をつき、このペースで書いていけばあと半年しか持たないという状態です。そこで当面、今回から月に1回。シーズン中に新たな球場に行ったらその球場を含め月に2回というペースで加筆していこうと思います。

35回 水戸市民球場 観戦球場ファイル-32

2003年9月6日にイースタン・リーグ公式戦、ファイターズ対ジャイアンツ戦観戦に訪れた茨城県水戸市の水戸市民球場を取り上げる。初めにお断りしておくが、敗戦処理。は間違いなくこの日のこの試合を水戸市民球場で生観戦しているのだが、球場の内観を写した写真が無いのである。デジタルカメラを持っての観戦だったが、記憶媒体を忘れてしまったのである。球場や試合内容よりその事の方が印象に残っている<苦笑>

茨城県の県庁所在地にある球場だけに、ベースボール・マガジン社から発刊された「球場物語2」によると、1989年から1992年には一軍公式戦が開催されたようだが、その後は専ら年一回の秋口のイースタン・リーグ公式戦開催が主。今年は日程表に開催予定が見当たらないが、5月に欽ちゃん球団とイースタン・リーグ混成のフューチャーズとの試合がこの球場で組まれ、片岡安祐実がプロの投手から安打を放ったことで話題になった。

JR水戸駅のバスターミナルから出ている桜の牧高校行きバスに乗って約25分の市民球場前で下車するのが最も確実な行き方だが、本数が少ないのがネックである。「市民球場」と謳っている割には市街地からかなり離れた場所にある。水戸駅からタクシーで行くと15分ほどで辿り着くが、タクシー代金は2000円を下らないという。またイースタン・リーグの試合が行われる場合、ナイトゲームで開催されることが多く、敗戦処理。のように東京から通う場合は帰りのJR常磐線特急、スーパーひたちの最終電車を気にしなければならないというジレンマがある。両翼が93mで中堅が120mという球場でネット裏には屋根のある席もあり、お弁当などを置ける台のある席もある。見易い球場であることは確かだが、立地が問題か。その点で県内でも今年もセ・パ交流戦でジャイアンツ対ライオンズ戦が組まれた ひたちなか市民球場が本流になっているのだろうか。

上述のように地方球場には珍しく、屋根と台のある席があったので当時敗戦処理。が試行錯誤していた表計算ソフトでのスコア記録が残っているので興味のある方は参照いただきたい。

ちなみにこの表計算ソフトを利用したスコアブックはその後発展していない<苦笑>

※ 次回掲載は8月2日(木)を予定しています。

「20030906FsVSG.xls」をダウンロード

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2007年6月16日 (土)

「生」観戦した野球場(34)-高崎市城南球場

02_14 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

34回 高崎市城南球場 観戦球場ファイル-31

2003年8月16日にイースタン・リーグ公式戦、スワローズ対ジャイアンツ戦観戦に訪れた群馬県高崎市の高崎市城南球場を取り上げる。JR高崎駅から上信電鉄に乗り換えて南高崎へ。ここから歩いて10分ほどの所にあるのだが、歩いても歩いても住宅街で、「どこに野球場があるのか?」という雰囲気の中に突然野球場、運動施設が現れるという感じだ。

両翼が95mで中堅が120m。外野が天然芝で内野は土。ナイトゲームが出来る設備を有する。プロ野球で使う群馬県の球場というとオープン戦でジャイアンツが主催試合を行っていた前橋総合運動公園野球場の方が一般的には知名度が上だろうが、近年、スワローズやライオンズのファームがジャイアンツを相手に行うイースタン公式戦が定期的に行われていて地元には根付いているという。

今年5月にこの球場で行われたライオンズのファームとジャイアンツとの試合では河原純一や江藤智が出場して他の選手より大きな歓声を浴びていたそうだが、球団の本拠地のない地域での試合開催では地元出身選手か、かつて一軍で活躍した有名選手でもいないとスタンドが盛り上がらないという側面がある。敗戦処理。が観戦した四年前の試合でも元木大介がスタメン出場して先制タイムリーを放って大きな拍手を受けていたが、元木が途中で退いてからは何かスタンドが静かになった感じがしたほどだ。

ファームをセとパではなく、東と西で分けているのは移動にかかる費用を削減できるからだろうが、イースタン・リーグは「イースタン」(=東日本)と名付けられていても一球団を除き関東に集中しているのが実態。東日本全域での試合開催が無理ならば、群馬、茨城などでの開催を少しずつでも増やして欲しいものだ。

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2007年6月 1日 (金)

「生」観戦した野球場(33)-越谷市民球場

01_15 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

33回 越谷市民球場 観戦球場ファイル-30

今年のゴールデンウイークには初めて訪れる球場での観戦が相次いだため先月の二度の紹介では直近に観戦した球場について書いてきたが、再び順を追って書いていこう。4月16日付エントリーで29個目の観戦球場となったさいたま市営大宮球場を取り上げたので、その五ヶ月後に訪れた越谷市民球場を取り上げる。

切りの良い30個目の観戦球場は埼玉県越谷市にある越谷市民球場となった。20021014日の体育の日。秋季教育リーグ、ジャイアンツ対カープ戦を生観戦した。

東武伊勢崎線の越谷駅からバスで10分ほどの「総合公園」で下車するとすぐなのだが、この試合の日には通常の便以外に臨時便がでていたようだ。近年では秋季教育リーグは宮崎県でのフェニックスリーグというのが定番になっているがこの年はこの球場他、関東地方で集中して行われた。ジャイアンツの相手がウエスタンのカープということからもわかる通り交流戦的意味合いもあり、この辺が各リーグ内での対戦を原則とする春季教育リーグとは様相を異にする。

プロ野球での使用は、専らイースタン・リーグで一軍戦での使用はないらしい。2007年の日程表を観ると一試合だけ組まれており、422日にジャイアンツ対マリーンズ戦が行われた。

敗戦処理。が観戦したこの時のジャイアンツ対カープ戦ではジャイアンツの三番手として登板した当時新人の林昌範が印象に残った。ダイナミックなフォームからの快速球でカープ打線を手玉に取っていたが、2イニング目にこのシーズンから一軍で頭角を現し始めたカープの栗原健太にセンターオーバーの特大アーチを浴びているが、スケールの大きさを感じた。林を生で観たのはこの時が最初でなく春季教育リーグでの鎌ヶ谷だったと記憶しているが第一印象でのインパクトではその二年前の條辺剛のド迫力に接した時に近いものだった。ちなみに蛇足ながら林は鎌ヶ谷の隣の船橋市出身ということもあり、鎌ヶ谷ではビジターながら結構な拍手で迎えられていた。

球場に対する印象はこれといってなかったが、資料によると両翼98m、中堅122mとなっている。二軍戦レベルの球場に事欠かない埼玉県下でもこれだけの広さを持つ球場は(ライオンズの本拠地を別にすれば)なかなか無いだろう。ライオンズのファームや、スワローズが埼玉県下でのイースタン開催に力を入れている。そしてその受け皿としての球場が整っている。サッカー熱の強い埼玉県にあって、このような市民球場の存在は野球界としては心強いものがあろう。

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2007年5月16日 (水)

「生」観戦した野球場(32)-小田原球場

02_12 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

32回 上府中公園小田原球場 観戦球場ファイル-47

前回の横浜ベイスターズ総合練習場に引き続き、最近新たに観た球場について書きたいと思います。今年の5月5日の「こどもの日」にイースタン・リーグのシーレックス対ジャイアンツ戦を生観戦した小田原球場です。1974年に初めて観た後楽園球場から数えて47個目の観戦球場です。

1949年に小田原城跡内に建設された市営球場を前身に持ち、小田原市制施行50周年を記念して1990年に現在の上府中公園内に建設された。両翼が95mで、中堅が122m。外野が天然芝で内野は土。ナイトゲームの設備がある。ベースボール・マガジン社から発売中の「球場物語2」によると「天気の良い日には富士山が見えることも。」と書いてあるが、この日は見えなかった。

小田原球場でのシーレックス主催試合は毎年行われているようだが、ゴールデンウイーク期間に開催されるのは二年ぶり。昨年は6月に対マリーンズ戦が組まれた。そのためか毎年球場に足を運んでいる地元の客が多いようで、敗戦処理。が入場の列に並んで待っている間にもこんな会話が聞こえてきた。

「今日は工藤とか、門倉を見たいね。」

「ああいうベテランはこういう遠征には来ないんだよ」

「でもオレが小学生の時、遠藤が出てきたぜ。無茶苦茶球が速かった」


「それは遠藤に見せかけた大門ってオチじゃないだろうな<>

「ジャイアンツの二軍監督は吉村か。じゃ守備コーチは栄村か?」

「いや、たしか緒方だよ」

小田原球場に行くには、小田急小田原線の新松田駅から富士急行バスの小田原行きに乗るか、逆にJR小田原駅から新松田駅行きのバスに乗ってバス停「西大友」で降りて徒歩3分。と、イースタン・リーグが発行している「プロ野球イースタン・リーグ観戦ガイド2007」のイースタン・リーグ公式戦開催球場一覧に書いてある。小田急線沿線に住んでいる敗戦処理。は小田急多摩線から小田急小田原線に乗り継いで新松田に辿り着いた。新松田、小田原間のバスは本数が少なく、午前中は毎時15分発があるのみだということはわかっていたが、予定より早く1040分頃に新松田に着いた。前回の横浜ベイスターズ総合練習場で懲りているので駅前の小田急OXで弁当類を買い込んでいたら、西大友を経由して小田原に向かうバスが目の前を走り去ってゆくのが見えた。イースタン・リーグ開催に合わせ、特別便が10:4511:45に設定されていたのだ。冷静さを欠いた敗戦処理。はあと30分待てば良いところを1時間待たなければならないのかと勘違いし、駅から球場最寄りのバス停まで約15分という情報から大してタクシー代もかからないだろうと思ってタクシーで球場に急行した。

料金は2,180円。大失敗だった。

冷静に考えれば、バスを待つか、新松田駅から目と鼻の先にあるJRの松田駅まで歩き、JR御殿場線で約10分の「下曽我」駅で降りて約15分歩けば良かったのだ。もっともJR御殿場線ルートに気付いたのは試合後の帰り道だったが。

タクシーで球場に着くと、当日券を求める長蛇の列。これだけで10分くらいかかったのだが、内野自由席を購入して入ろうとすると、これまた長蛇の列。聞くと入口を外野席一ヶ所、内野席一ヶ所に限定しているのだ。入口自体は他にも何カ所かあるのだが、チケットを切って客を入れるのが外野と内野各1ヶ所。これはあまりにも少ない。並んでから入るのに約20分かかった。先程の会話はその時に聞かれたものなのだが、常連?と地元の顔見知りが多いようで、知り合いを見つけては途中から列に加わる面々がいるのでなかなか進まない。もっともこれは地方球場ではよくある光景なのだが<苦笑>

球場に入り、席に座った。球場そのものは先に書いたプロフィールで、特にこれといった独特の特徴はない。富士山を眺めることが出来なかったのは残念だった。

01_23 この日はシーレックス対ジャイアンツ戦。シーレックスの田代富雄監督とジャイアンツの高校卒ルーキー田中大二郎外野手が地元小田原市出身ということで大きな拍手と歓声を受けていた。地方球場開催でありがちな両軍監督への花束贈呈の後に、田代監督と田中にも花束が贈られていた。

田中は高校卒ルーキーながら同じく高校卒ルーキーの坂本勇人とともに開幕からスタメンに抜擢されている。坂本がずっと「三番」に座り続けているのに対し、田中は最近「五番」から「七番」に降格されている。どうやらプロに入って最初の壁にぶち当たっているようだ。一番まずい時期の凱旋試合になってしまったようでこの日の四打席も死球、三振、三振、四球と平凡なものだった。

01_24 スタンドには田中を応援する横断幕も掲げられていたが、田中がかつて所属していたのだろうか、地元少年野球チーム一行がネット裏に大挙し、監督だかコーチだかの引率者が田中の打席ごとに「大二郎」コールを子供達に煽る。地元のヒーローを子供達に下の名前で呼ばせて平気でいる大人の無神経さには呆れた。手にしているメガホンはスワローズの応援グッズ。自分のチームの子供達だけでなく、他のチームの子供達にも応援を強要する。試合前にシーレックスのナビゲーターのケチャップ氏が巧みな話術で、地方球場にありがちな子供達のファウルボール争奪戦を自重するように「保護者」に呼び掛けていたのを台無しにしていた。周囲の観客の様子を見ると、やはり呆れた感じで見ている人が多かった。せめてもの救いはもう一方の一塁側からは「田中選手頑張れ~!」という統率の取れた黄色い声が流れたことか。

敗戦処理。が観戦した5月の上旬はちょうど高野連の特待生制度に対する制裁が注目を浴びていた時期で、高野連の頑なな姿勢に「子供達が野球から(特待生制度を認めている)他のスポーツに流れてしまう」という懸念の声が挙がっているが、今日の周囲から白い眼で観られていても気が付かない指導者や、ケチャップ氏が注意せざるを得ないような、スタンドで走り回る子供を注意できない引率者が幅を利かすようならば、高校どころか、小学生のうちに他のスポーツに流れてしまうのではないかという気がする。

試合は地元シーレックスが九回裏二死から、それもツーストライクと打者が追い込まれ「あと一球」の状態からの逆転サヨナラ勝ちで大いに盛り上がったが、ファームの試合にしては異例とも思える3,164人の観客はケチャップ氏の試合前のマイクパフォーマンスの感覚ではジャイアンツファンの子供の方が多いようで、果たして喜んだ人の方が多かったのかどうか?

試合後、行きにタクシーで来たためバス停のありかを知らない敗戦処理。は「プロ野球イースタン・リーグ観戦ガイド2007」のイースタン・リーグ公式戦開催球場一覧の略地図を信じて、球場から15分のJR御殿場線「下曽我」駅に向かった。略地図は文字通りの略地図で、途中の目印もろくに書いていないのだが、なんとなく歩いていたら、本当に15分で駅に着いた。下曽我から松田へ行くのは夕方の時間帯で一時間に2本。また松田駅について下曽我に行く電車のダイヤを見たら昼前の時間帯は一時間に1本で、11:01分松田発があった。来年もあったらこの時間に乗ろう。

最後にJR御殿場線はJR東海なのでスイカやパスモが使えないことを付記しておこう。

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2007年5月 1日 (火)

「生」観戦した野球場(31)-横浜ベイスターズ総合練習場

02_10 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

31回 横浜ベイスターズ総合練習場 観戦球場ファイル-46

ほんの三日前に観戦したベイスターズ総合練習場を今回は取り上げよう。本ブログ、4月28日付またフューチャーズの試合を観てきました。で書いたようにイースタン・リーグ チャレンジマッチを観戦した。チャレンジマッチ自体は既に一度観戦済みで半ばこのグラウンド目当てでの観戦と言って良い。何故ならこのグラウンド、公式戦には滅多に使用されない。試合を観戦する機会が限られているからだ。

シーレックスの本拠地が横須賀スタジアムとなったのは1997年でそれまで平塚球場を本拠地にしていた時代には時々公式戦でも使用されていたようだが、本拠地を横須賀スタジアムにしてからはなくなり、近年は教育リーグで使用される程度で、もっぱら文字通り練習場なのである。

場所は東京方面からだと、京急線で横須賀スタジアムの最寄り駅、追浜の二つ先にある安針塚駅から徒歩10分。

安針塚駅には改札が一つしかなく、改札をでたところに横浜ベイスターズ総合練習場までの案内図が書かれているので、これさえ見ておけばまず迷わず行けるだろう。

一時代、いや二時代前くらいの学園ドラマ、そう、中村雅俊が教師役に扮する学園ドラマのロケ地に設定されそうなのどかな雰囲気が漂う駅回り。駅前にスーパーがあるが、コンビニのように弁当を扱っている様子が無く、この店で買い出しは期待できない。グラウンドまでの道に弁当屋さんがあるが、この日はたまたま休みだったようだ。京急線に乗るまでに買っておいた方が無難だろう。

(練習場にはジュースの自動販売機があるのみ)

* なおJR横須賀線・田浦駅からも徒歩10分程度で行けるらしい。

そして実際に10分ほど歩くとベイスターズ総合練習場が見えてくる。センター後方の関係者入り口が見えて一安心。ただしファンはもう少し歩いてネット裏に回り、ネット裏のスタンド(定員367人)で観るか、ネット裏の通路の長椅子から観るかに限られる。

02_11 総合練習場というだけあって、左中間後方には大きな室内練習場が見え、その脇には選手達の寮がある。そのレイアウトのせいかシーレックスのベンチは三塁側。その三塁側ベンチの先に独立したブルペンがあるのだが、ブルペンのすぐ横が何と横須賀本港!正直、久々にインパクトのあるグラウンドに巡り逢ったという感じだ。

ファイターズを応援する敗戦処理。としては球団の地域戦略に関して一軍はホークスを目標に、二軍はシーレックスを目標にして欲しいと考えているが、シーレックスにはファイターズでいえば鎌ヶ谷に相当する横須賀スタジアム以外にこの総合練習場があるのだから、スケールが違いますね。

ただ観戦して一つ苦になったのが、風の強さ。

海が近いからといってしまえばそれまでだが、敗戦処理。観戦日には千葉マリンスタジアムも真っ青の猛風だった。主に左中間方向からネット裏に向かって風が押し寄せてくる感じだったから打者にとってはアゲンストだったろう。試合途中から寒さも襲ってきてしんどい観戦となったこともあり、インパクトの強さに拍車がかかった。天候、気象状況に恵まれての観戦だったら、もっと違ったことを書いたろうが…。

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2007年4月16日 (月)

「生」観戦した野球場(30)-さいたま市営大宮球場

01_109 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

30回 さいたま市営大宮球場 観戦球場ファイル-29

東武野田線で大宮駅から二駅離れた大宮公園駅から徒歩約15分。敗戦処理。は2002年5月19日のイースタン・リーグ公式戦、スワローズ対ジャイアンツ戦を観戦にこの球場を訪れた。この前年の浦和市、大宮市、与野市の合併により「さいたま市営大宮球場」という名称になったが、プロ野球ファンにはそれ以前の「大宮市営球場」という呼び方の方がしっくりくるかもしれない。

なおかつこの球場から歩いていける距離にある「大宮公園野球場」(=県営大宮球場)の方が日米野球でベーブ・ルースやルー・ゲーリッグ、ビクトル・スタルヒンがプレーしたことや、高校時代の長島茂雄が特大の本塁打を放ってプロのスカウトやマスコミに名を売った球場として知られているため、この「さいたま市営大宮球場」の方が地味な印象がある。

最近ではスワローズやライオンズの二軍が埼玉県内での主催試合を増やす意向で使用されるが観客動員のために相手はジャイアンツというパターンが多いようだ。他には高校野球、東京新大学リーグなどが常時使用している。

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2007年4月 1日 (日)

「生」観戦した野球場(29)-西武第二球場

04_4いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

29回 西武第二球場 観戦球場ファイル-28

ライオンズのファームの本拠地として、イースタン・リーグで使用される球場。一軍の本拠地が近年ネーミングライツで名称が変わっており、そのネーミングライツを得た企業がファームのチーム名にも企業名をつける権利を得ているがファームの本拠地球場は「西武第二球場」という名称から変わらない。

それもそのはずで、ネーミングライツを得ようという企業にはそれぞれ思惑があるだろうが、追加料金を払ってまで買うほどの価値を見いだせない球場といって差し支えないだろう。

一軍の本拠地の裏にあり、その先に若手選手の合宿所もあり、練習、育成環境としては申し分のない場所にあるが、「西武ライオンズ球場」が出来た時の、大リーグの本拠地球場にも負けない豪華さといった印象からすると、ファームの球場のあまりの粗末さぶりには落胆せざるを得ない。

単なる空き地に囲いをつくっているだけと言っても良い環境で、観客席らしきものもネット裏に数えるほどあるだけで、そこ以外で観るファンは一塁側や三塁側のネット越しに土手に座って観戦するしかない。いっそのこと外野の後方で観戦しようかと思うと、場内アナウンスが聞こえない。観戦するには不自由が多い球場といわざるを得ない。

またマリーンズの浦和球場同様、スタンドがないため観戦時の目線がグラウンドレベルになるので、打者がゴロを放った時、その打球方向を瞬時に判断するのが困難という非常に厄介な問題がある。敗戦処理。はグラウンドを俯瞰で眺めながら観戦するのが好きなので個人的にはこういう球場は歓迎しない。(冒頭の写真からも目線の低さがわかるでしょう)

ただしマニアックな見方をしようと思えば、一、三塁側のブルペンのすぐ脇で観戦することが出来、登板を間近に控えたプロの投手が徐々に集中力を高めながら投球練習をする姿を目と鼻の先で見ることが出来る。

敗戦処理。が初めて生観戦した2002年5月3日のライオンズ対ファイターズ戦の時には三塁側ブルペンのすぐ脇に陣取ったが、ブルペン付近で素振りをしようとしたファイターズの選手が三塁塁審から「そこは素振り禁止だ。やめなさい」と注意を受ける声がはっきりと聞き取れたし、ファイターズの白井一幸二軍監督(当時)がピンチにマウンドに行く制限に関してミスをした時には球審がベンチ前に来て説明している内容も聞き取れたほどだった。さらにいえば、ファイターズのブルペンからは投手陣やブルペン捕手達による、とても仕事中とは思えないくだらない雑談まで聞こえてしまった。

以前にも書いたが、ファームの本拠地グラウンドが整備されていない球団は、少額であっても入場料を取れる体裁を整えるべきだと思う。少額であっても入場料を取り、ファームといえども選手達にお客さんからお金をいただいているという緊張感を持たせるべきだと思うからである。プロ野球選手の仕事は究極的にいえば投げるとか打つとかのプレーのみではなく、それによってファンの財布のひもを緩めさせ、球団の収入を増やすことであり、それが出来て初めてプロ野球選手として給料を上げて欲しいとか要求できるのである。

特にライオンズの場合、大学生、社会人出身の即戦力タイプだけでなく、例えば近年なら中島博之や中村剛也といった選手がファームから這い上がってくる土壌がある。そうした選手達にプロとは何ぞやを気づかせる意味でも、入場料を取れる設備にして欲しいのである。

スワローズの宮本慎也がこのオフの契約更改でファームの専用球場の施設改善を訴えていたが、その戸田球場と似たり寄ったりの西武第二球場をも、それこそ松坂マネーあたりで何とかしてもらいたいものだ。大幅なリニューアルが無理なら、せめて観客用の椅子を整備するなり、ファームの試合のためにわざわざ足を運んでくれるお客様をもっと大切にするという発想も欲しいところだ。

ライオンズのファームは、飯能市などの埼玉県内各市での主催試合を増やし、地元埼玉の新たなるファンを開拓しようという姿勢を見せているが、その試合で興味を持ったファンが、いざファームの本拠地に行ってみたら「うちの近くの高校野球の予選に使っている球場の方がよほどマシ」という印象を持つのが関の山だろう。

球団として今はもっと他に大切な大きな問題があるが、ぜひとも善処してもらいたい。

【関連エントリー】

「生」観戦した野球場(4)-西武ライオンズ球場(2006.3.16)

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2007年3月16日 (金)

「生」観戦した野球場(28)-八王子市民球場

01_92 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

28回 八王子市民球場 観戦球場ファイル-27

東京の八王子市にある八王子市民球場。冒頭の写真にもあるように、のどかな感じの典型的な地方球場という感じだ。最寄り駅は八王子ではなく、JR中央線で新宿方面からだと八王子の一つ先の西八王子。駅から歩いて10分ほどの位置だ。この地域は高校野球では西東京地区に分類されるが高校野球の予選の場として使われている。プロ野球ではイースタン・リーグの試合に年一回程度使用される。

敗戦処理。が生観戦したのは2002年4月13日のイースタン・リーグ公式戦、ジャイアンツ対ライオンズ戦。試合開始の約一時間前に敗戦処理。が到着するとライオンズが守備練習を始めていた。たまたま視線の先に、とてもプロ野球選手とは思えない、特にライオンズの選手とは思えないずんぐりむっくりの体型の男が三塁の守備位置でノックを受けていた。もうお気付きだと思うが、「おかわり君」こと中村剛也だ。今から五年前のことだし、とてもスムーズなフィールディングとは言えなかった。スタメン発表で中村が「六番・一塁」で出ると知り、「なるほどな」と思ったものだった。一時期のライオンズのファームには右投げ左打ちの一、二番打者タイプが乱立していたので「ライオンズも変わったなぁ」と思ったものだった。敗戦処理。の気まぐれスコアブックによると第二打席でチョン・ミンテからライトのフェンスを直撃するシングルヒットを放っている。一見詰まった感じの当たりがライナーであっという間にライトの頭を越えたのが印象的だったのを憶えている。

あのずんぐりむっくりが、一塁やDHではなく三塁手として華々しく売り出したのはさすがに意外だったが、ファームの試合を観に行くと、時々こういう原石に巡り会うことがあるから楽しい。この一ヶ月後にライオンズのファームの試合を観戦した時には中村はスタメン落ちしていたが、未知なる若手は日によって全然調子が違う<苦笑>。実際には「こいつは凄い!」と思った選手の大半は大成しないのだが<苦笑>

実は東京を本拠地にするファーム球団はない。ジャイアンツ球場も稲城市ではなく川崎市だ。第24回で紹介した大田スタジアムともども開催される回数が少ない。ジャイアンツのファームは親会社読売新聞の拡販活動の一環として一軍が行かない地方に試合を組んでいる(この日の試合もチケットなどを仕切っているのは読売新聞社の関連の読売情報開発という会社で、球場の外では観客に当日のスポーツ報知を配布した他、読売、報知の定期購読を募っていた)が、もう少し「地元」というものに目を向けるべきだろう。八王子以外に以前は立川でもジャイアンツの二軍戦を行っていたが、東京の西側の拠点と言える八王子、立川はジャイアンツにその気がないならスワローズをターゲットにし、二軍戦の招致に力を入れた方がよいだろう。

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2007年3月 1日 (木)

「生」観戦した野球場(27)-札幌ドーム

01_90 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

27回 札幌ドーム 観戦球場ファイル-26

今回は敗戦処理。が応援するファイターズが2004年から本拠地にしている札幌ドームを取り上げる。札幌ドームは2001年6月にこけら落としが行われた。日本で六番目のドーム球場である。こけら落としのカードは例年札幌円山球場で行われていたジャイアンツの年一回のいわゆる札幌シリーズで、6月26日からの三連戦。対戦相手はドラゴンズで福留孝介が札幌ドーム第1号の本塁打を放った。

札幌ドームが他のドーム球場と決定的に異なる点は屋根やスタンドを可動式にすることで隣接するサッカー施設を全天候で使用できる点。北海道という土地柄必要不可欠なシステムと言えよう。こちらはJリーグのコンサドーレ札幌がホームグラウンドとして使用しているが、同クラブがJ2に降格してからは、より使用料の安い施設で試合を行うようにシフトされ、降雪等に悩まされる時期のみ札幌ドームを使用するようになったという。

ドームが出来た時点ではプロ野球チームが本拠地として使用する話がまとまっていた訳ではない。最初に手を挙げたのはファイターズではなくライオンズ。埼玉県の所沢にある本拠地をそのままに、札幌ドームを準本拠地と設定し、年間2030試合程度の公式戦を行う構想を当時の堤義明オーナーが語っていた。

実際ライオンズはジャイアンツがこけら落としをした約半月後、マリーンズを相手に札幌ドームで三連戦を主催した。

ライオンズが「準本拠地化」という新たな概念を打ち出したのは、本拠地の西武ドームでの観客動員が頭打ちになっているので、これまでプロ野球チームの本拠地になったことのない地域に足を伸ばすという発想があったのだろう。ただし完全移転となると自社で所有する西武ドームの利用価値がなくなるため、二股をかけるしかなかったのだろう。そうは言えない堤オーナーはこの当時「(札幌では)増やしても30試合にとどめたい。北海道という土地は各地の人たちと交流があり、いろいろな球団の主催でゲームをやれば各地の出身の人が楽しめるから」と答えていた。

当時この件に関して@niftyのベースボールフォーラムの議論系の掲示板の常連の論客の一人が、「ライオンズの選手達は所沢の本拠地の近くに住んでいる選手が多く、札幌で試合を開催するたびに彼らが羽田空港まで車で移動するのは道路渋滞や時間を考えると強烈なストレスになる」と懸念していたが、幸いにもその懸念は杞憂に終わった。東京ドームを本拠地とするファイターズが全面移転を打ち出したのである。

十二球団で最も多くのファンを持つジャイアンツと本拠地を同じにすることで差別化、独自性を打ち出せなかったファイターズは東京ドームが出来た当時こそ主催者発表ながらリーグトップの観客動員を誇っていたがその後は年々ジリ貧状態で、抜本的な打開策が必要な時期だった。2002年3月21日、日刊スポーツなどが一面でファイターズの北海道移転計画を報じた。

これに慌てたのがライオンズ。2002年の開幕戦を両リーグ同一日にし、出来るだけ日本全国各地で試合を行おうという企画に乗って、開幕戦を所沢でなく札幌ドームで行うことにしたくらいで、オーナーの準本拠地化構想に沿う実績造りをしていたところに寝耳に水だった。

地元札幌、北海道の人々の声も、松坂大輔、松井稼頭央らスター選手の多いライオンズとはいえ、完全な移転でない形では「オラが街のチーム」との愛着を持てないと思ったのだろう。まだSHINJOも在籍しておらず全国区の選手などいないものの、完全に移転する球団の方に思い入れが強くなるのは当然だろう。

この両球団による札幌ドーム争奪戦には裏があり、ファイターズが札幌ドームに移転してしまうと、空いた東京ドームはその分を埋めようとして、石原慎太郎東京都知事が構想を持っているといわれる後楽園競輪の復活話が本格化する(東京ドームの位置は後楽園競輪の跡地)。そうなると西武グループが運営する西武園競輪にとっては客足が奪われて大きな打撃を負いかねないというのっぴきならない背景があったのではないかと、この当時インターネットの巨大掲示板で囁かれたものだった。ファイターズの札幌ドーム移転が明らかになったこの年、親会社の日本ハムの食肉偽装問題が発覚したのは偶然ではないとも巨大掲示板では囁かれた。もちろん根拠があっての話ではないが。

敗戦処理。の札幌ドーム初観戦はファイターズの移転計画が明らかになるちょっと前の2002年3月9日、ジャイアンツ対ライオンズのオープン戦だった。松井秀喜、清原和博による二者連続本塁打が飛び出し、圧倒的に多いジャイアンツファンを驚喜させたが試合は引き分けだった。その後ファイターズが移転してから2004年と2006年にそれぞれゴールデンウイークに生観戦した。これまではすべてデーゲームなので、今度はナイトゲームも観てみたいものだ。

ご承知の通り昨年、移転三年目のファイターズが日本一を勝ち取った。特にシーズン終盤から、地元ファンによる圧倒的なホームアドバンテージの元で試合が行える環境が整った。東京ドーム時代、ヘタをすると本拠地なのに相手チーム応援団の熱気に圧倒されかねなかった時代を知るものにとって隔世の感がある。甲子園とも、福岡ドームとも異なる独特の雰囲気が球場全体を覆っているといわれる。

奇しくも今夜、今年初めての札幌ドームでのファイターズの試合が行われる。小笠原道大が抜けてチーム力の低下が懸念され、スーパースターSHINJOの引退で集客力のダウンも間違いない中、ファイターズが道民球団として本当に定着するかはこれから一、二年が勝負だと思う。「札幌、北海道の人達は熱しやすいが冷めやすい」といわれる。球団としては何が何でも東京ドームバブルの二の舞いは避けなければならないし、札幌ドーム側としてはチームの強弱に左右されない、長く安定した動員力があって初めて「オラが街の球団」だという危機感があるだろう。先日表明したネーミングライツの件は札幌ドーム自体の問題ではなく札幌市自体の歳入増大計画の一環と聞いているが、昨年の大ブームに浮かれない、地に足のついた将来展望に基づいての計画であれば肯定したい。

ちなみに札幌ドームのネーミングライツをどんな企業が買うのか、@niftyのベースボールフォーラムの北海道日本ハムファイターズ掲示板で予想してみたのでご一読いただければ幸いである。3700.札幌ドームの命名権はどこへ?

01_91 初観戦した2002年時の札幌ドーム内観。冒頭の、昨年5月に撮影した写真と比べると、この頃あった内野席のネットが取り外されているのがわかる。横浜スタジアムという前例があるものの、結構大胆だ。

(見分けづらいですね。ゴメンナサイ)

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2007年2月16日 (金)

「生」観戦した野球場(26)-鶴岡ドリームスタジアム

01_11いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

26回 鶴岡ドリームスタジアム 観戦球場ファイル-25

今回は敗戦処理。が2001年9月に観戦した鶴岡ドリームスタジアムの番だ。日本では他に神戸のスカイマークスタジアムと、宮崎のサンマリンスタジアムだけという内外野とも天然芝のスタジアム。しかもこの球場がオープンした1999年6月の時点では日本で唯一の存在であった。しかし、ああしかしそれなのに、敗戦処理。は観戦時に撮影した画像を紛失してしまった。もったいない話である。野球場紹介のコーナーでは書き出しにその球場の写真を掲載しているが、そういった事情で観戦した試合のチラシを掲載した<苦笑>

今書いたように希少価値のある内外野天然芝球場ということもあって、国際試合に挑む前のチームが強化合宿に使うことでも有名だ。

敗戦処理。が観戦したのは2001年9月23日のイースタン・リーグ公式戦、ファイターズ対ジャイアンツ戦。その前夜に神宮球場でスワローズとジャイアンツのリーグ優勝を賭けた天王山を観戦して酔いしれた敗戦処理。にとって朝の7:20に東京駅を出る東北新幹線に乗るのはしんどかったが、新庄駅から在来線二線を乗り継いで鶴岡からタクシーに乗って試合開始の12:3010分前に球場にたどり着いた。

(実際には鶴岡駅から路線バスが出ている。)

当時球場で配布された「梨に向かって打て」(ファイターズ鎌ヶ谷の会発行)によると、当時ファイターズに在籍していた現役唯一の東京大学出身である遠藤良平が東大時代に四年間鶴岡市で合宿をしており、1999年には出来たばかりのドリームスタジアムをも使用したことでファイターズ戦をという話になったという。

遠藤は0対7とリードされた三回表に矢野諭に次ぐ二番手として登板。2イニングを投げて自らの牽制悪送球を元に1失点。呼んでくれた鶴岡市サイドの期待に応える結果とは言えなかった。試合そのものも一回表にファイターズの守備ミスや矢野の制球難でジャイアンツが6点を先行し味気なくなってしまったのが残念だった。ちなみにこの試合の開催の架け橋となったファイターズの遠藤はこのシーズン限りで二年間の現役生活に幕を閉じ、ファイターズのフロントに転身している。

ナイトゲームの設備もあるが、収容人数が12,000人というのが淋しい。作った当時に内外野天然芝の球場が他になかったこともあり、「ドリームスタジアム」という名称が付けられたようだ。前出の「梨に向かって…」によると球場の芝保護のため、週に二日、球場を使用しない養生日を設けているという。後発の二球場も同じだろうが、ファンの夢を実現する場として、美しさを維持、さらにいえば発展させて欲しいものである。

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2007年2月 1日 (木)

「生」観戦した野球場(25)-相模原球場

05_2 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

25回 相模原球場 観戦球場ファイル-24

今回は相模原球場を取り上げる。神奈川県の相模原市にある球場で同県を保護地域にするベイスターズが一軍、二軍とも使用している。両翼が95mで中堅が120m、収容人数16,100人でナイトゲーム設備を整えた素晴らしいスタジアム。ちなみに市営でなく県営。

地元で本拠地球場以外を使用するといえばホークスの北九州市民球場が真っ先に浮かぶが、この相模原球場もベイスターズ、そしてファームのシーレックスに定期的に使用されている。また最近ではほとんど忘れられているが、ファイターズタウンが出来るまでファイターズのファームがこの球場を本拠地にしていた時期があった。だからという訳ではないだろうが、今季一軍戦として組まれているのが5月30日の交流戦、ベイスターズ対ファイターズ戦。

JR横浜線の淵野辺駅から、あるいは小田急線の相模大野駅からバスが出ており「淵野辺公園」で下車。

敗戦処理。の初めての観戦は2001年8月25日のシーレックス対ジャイアンツ戦。ナイトゲームだった。ベイスターズはここ以外にも平塚球場を使用することもあるが、本当に神奈川県の野球施設はレベルが高い。逆に参加校数が多く、かつ全国的にも有数のレベルといわれる神奈川県の高校野球を消化するには横浜スタジアム以外にこれほどの規模の球場が複数必要だということにもなろう。個人的には横須賀スタジアムより家から近いので、もっと週末の試合を増やして欲しいくらいだ。

神奈川県に程近い東京都民としては、プロ野球の本拠地以外にもこれだけのレベルの球場のある神奈川県が羨ましい限りだ。

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2007年1月16日 (火)

「生」観戦した野球場(24)-大田スタジアム

03_5 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

24回 大田スタジアム 観戦球場ファイル-23

前回の市営浦和球場の時に、「今後この球場のように地方の市民球場の類がどんどん出てきます」と書きましたが、今回の大田スタジアムがまさにそうです。ただ地方球場といっても、東京ですが。

1994年創設。JR京浜東北線大森駅からバスに乗って「大田スタジアム」下車。(東京モノレールの流通センター駅からでも徒歩15分で行けるらしい)だだっ広い通路を5~6分歩くと両翼97.6m、中堅122mで外野が天然芝で内野が土というきれいなスタジアムがある。

東京には意外に本格的な野球場が少ない。特に高校野球でいう東東京側は東京ドームと神宮球場を除くと一気に格が落ちる。そんな中でナイトゲーム設備もあるこの球場は重宝される。敗戦処理。が初観戦したのは2001年7月28日のイースタン・リーグ公式戦、ジャイアンツ対ファイターズ戦。この時はジャイアンツ主催だったが、その後のプロ野球使用状況を調べるとスワローズ主催のイースタン・リーグ公式戦が多い。また2004年3月28日にはスワローズ対カープの一軍のオープン戦が組まれ、東京で東京ドームと神宮球場以外の球場で一軍戦が組まれること自体が珍しいので話題となった。

03_6  いわゆる湾岸地域だからといってしまえばそれまでだが、スタジアムの周囲が狭くない。とにかく開放的なスペースで、本当に東京かと思える。そしてレフトスタンド後方には羽田空港から離陸する、または着陸する飛行機の行き来が見えるので、ナイトゲームで一塁側の内野席に座ると野球以外の楽しみ方も味わえる。ロッテ浦和球場の新幹線観察と並ぶ、二大暇つぶしといえよう。

もちろん敗戦処理。の観戦経験からすると、ナイトゲームでも試合終了後にバスの臨時便が出るので帰りはさほど心配ない。

ジャイアンツの二軍の本拠地であるジャイアンツ球場が稲城市ではなく川崎市にあるということを踏まえると、イースタン・リーグが関東に集中しているといいながら実は都内にファームの球場がないのである。これは正直都民の一人として淋しい。

まだ今シーズンのイースタン・リーグの日程が発表されていないが、もう少しこの球場での試合を増やして欲しいものだ。

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2007年1月 1日 (月)

「生」観戦した野球場(23)-市営浦和球場

04_1 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

23回 市営浦和球場 観戦球場ファイル-22

観戦した順に書いていき、途中新たな球場での観戦があったらそれをはさんでいくという方式で月に2回の割合でエントリーしていたら2007年第1回のこのコーナーは市営浦和球場になってしまいました。日本国内で40以上の野球場でプロ野球観戦をするということは、今後この球場のように地方の市民球場の類がどんどん出てきますので地方球場マニアの方はお楽しみに。

今回紹介する市営浦和球場は主にイースタン・リーグ公式戦で使用される。埼玉県に二軍の本拠地を置く球団はライオンズ、マリーンズ、スワローズの三球団だが、どの本拠地も、とても観客に野球を見せる球場とは言い難く、二軍とはいえまだまだ人気の高いジャイアンツ戦を組む時などは特に休日となるとキャパシティ的に各球場で対応しにくいため地方開催にすることが少なくない。近場だとこの市営浦和球場ということになり、敗戦処理。が観戦したのも2001年5月20日のマリーンズ対ジャイアンツ戦と同年6月30日のスワローズ対ジャイアンツ戦。因みにこの観戦時期に浦和市と大宮市と与野市の合併で「さいたま市」となったため今ではこの球場は「さいたま市営浦和球場」と称している。

場所はJR京浜東北線の北浦和駅から歩いて15分ほどの距離なのだが、敗戦処理。は根性がないのでバスで総合グラウンドまで行ってそこから歩いている。

敗戦処理。の気まぐれスコアブックで振り返るとマリーンズ対ジャイアンツ戦ではジャイアンツがマリーンズ先発のジェフリー・クベンカを攻めて二回表に小田幸平、堀田一郎、福井敬治の本塁打で打者一巡、5点を奪いこの回でKO。小野仁、三澤興一のリレーで8対5で逃げ切った。

マリーンズがこの年の開幕直後に獲得したジェフリー・クベンカは挙式の二日後に来日するというドタバタぶりで話題になったが一軍では3試合の登板にとどまった。この頃のマリーンズは外国人選手にはあまり恵まれなかったが覚えている人も少ないのではないか。

スワローズ対ジャイアンツ戦ではスワローズの山部太とジャイアンツの小野仁の投手戦。米野智人のタイムリーと堀田一郎のソロ本塁打による1対1の均衡が続き、延長十一回表にジャイアンツが永池恭男のタイムリーで1点を勝ち越して2対1で勝った。この頃の小野仁と山部のファームでの安定ぶりは素晴らしかった。明らかにレベルが違うように思えるのに、それでも一軍から声がかからない。堀田も同様。そういう視点でファームの試合を観戦することでもプロ野球の競争社会の厳しさや奥の深さを垣間見ることが出来る。敗戦処理。がファーム観戦の面白さにはまって行ったのもちょうどこの頃だった。

この試合には当時一軍で元木大介に遊撃手のポジションを奪われていた二岡智宏が調整出場したため二岡目当ての女性ファンが殺到し一ヶ月前のマリーンズ戦とは雰囲気が全然違ったのを今も憶えている。

イースタン・リーグの日程表を見ると、近年この球場でのプロ野球開催が激減していることがわかる。2005年はスワローズ主催試合が2試合、2006年はなし。ライオンズのファームが埼玉県内各地での主催試合を増やす一方でイースタン開催実績の豊富なこの球場での開催試合が減っているのが残念だ。地元としても、Jリーグ・浦和レッドダイヤモンズの本拠地、浦和駒場スタジアムの方に力を入れていてプロ野球の誘致に積極的でないのかもしれない。ただ特にマリーンズとスワローズは本拠地球場を手直しする気がないのなら、この球場をもっと活用することを考えるべきではないか?と敗戦処理。は思うのだが。

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2006年12月16日 (土)

「生」観戦した野球場(22)-ナゴヤ球場

01_80 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

第22回 ナゴヤ球場 観戦球場ファイル-21-

ナゴヤドームが出来るまでのドラゴンズの本拠地。ナゴヤドームが出来てからはドラゴンズのファームがウエスタン・リーグの主催試合に使用している。敗戦処理。がナゴヤ球場に観戦に訪れたのもファーム専用球場となってからの2001年。

2001年3月。ファームの試合では珍しいウエスタンに所属するドラゴンズとイースタンに所属するジャイアンツの対戦がナゴヤ球場で組まれた。春季教育リーグの一環だ。敗戦処理。は名古屋市在住の友人とともにナゴヤ球場に向かった。

しかし、敗戦処理。を乗せた新幹線が名古屋に到着した頃から雨が強くなり中止。しかたなく友人の案内で州崎球場跡地や野球とは関係のないイベントをしているナゴヤドームを訪れた後帰京した。

諦めきれない敗戦処理。は同じ年の5月12日に再びナゴヤ球場を訪れた。今度はウエスタン・リーグのドラゴンズ対サーパス神戸戦を観戦に。前回の教訓から梅雨に入る前の土、日の試合開催日を選び天気予報も注視しながらこの日を選んだ。

ジャイアンツとドラゴンズが幾度と無く死闘を繰り広げたナゴヤ球場はもはや外野席は開放せず、内野スタンドも老朽化は否めない。この日はこの年にドラゴンズがFAで獲得した川崎憲次郎が開幕前に痛めたヒジの故障後初の実戦登板と言うこともあって開門前に長蛇の列が出来たほどで、

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川崎がその後ヒジを再び痛め、超長期戦列離脱をしてしまったことを考えると、本当に貴重な観戦機会となった。 「ドラゴンズの川崎を生で観た!」は当時結構自慢できるネタになった<笑>。

一軍でのオープン戦以来の登板となった川崎。この時は超長期離脱するとは誰も予想し得なかった?

02_18

外野のスコアボードの上のバカでかい白球にレフトスタンド後方を走る新幹線と、まさにナゴヤ球場を満喫。そして試合の方で川崎登板以上にインパクトがあったのがドラゴンズ二番手の当時高校卒ルーキーだった中里篤史。川崎がFA補強なら中里はドラフト1位ルーキー。この顔ぶれならば開門前に長蛇の列が出来るのも頷ける。

それにしても、中里の球の速かったこと!

今となっては、一軍本拠地だった頃のナゴヤ球場に足を運ばなかったことが本当に悔やまれる。今から十年前、本拠地をナゴヤドームにバトンタッチしたナゴヤ球場の惜別イベントとしてドラゴンズとジャイアンツのOB戦が組まれた。もしも再びこの類のイベントが行われるとしたら、敗戦処理。は名古屋へと飛ぶだろう。しかし球団創立70周年に当たる今年に特に開かれなかったことを考えると、その時は本当にナゴヤ球場にサヨナラを告げなければならない時かもしれない。古き(狭き)良き時代の野球場が消えていくのはもうご免だが。

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2006年12月 1日 (金)

「生」観戦した野球場(21)-ロッテ浦和球場

01_67 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

第21回 ロッテ浦和球場 観戦球場ファイル-20-

前回のヤクルト戸田球場に続き、簡素というか質素というか、一見するとプロ野球の試合をする野球場とは思えないロッテ浦和球場を取り上げる。

JR埼京線、武蔵野線の武蔵浦和駅から歩いて約10分ほど。ロッテ浦和工場の施設のそばにロッテ浦和球場は存在する。今から十年くらい前であろうか、敗戦処理。がたまたまこのグラウンドのそばを通った時、「さすがロッテほどの大きな企業ともなると、従業員の(福利厚生の)グラウンドも立派なものだ」と思ったものだった。しかしそれがマリーンズのファームの専用球場とは思わなかった。当時は敗戦処理。自身、今ほどファームの試合に対する関心も薄く、スポーツ新聞のその日の試合予定欄にあるファームの「ロッテ浦和」と「市営浦和」が別の球場だという認識すらなかったほどだ。

資料によるとロッテ浦和球場の設立は1989年ということだから、一軍がまだ川崎球場を本拠地にしていた頃である。このチームのファームを愛するファンの人が「浦和ロッテマリーンズのファン」と名乗るのもわかるような気がする。

この球場ではホームチームのマリーンズが三塁側に陣取り、ビジターが一塁側に回っている。鎌ヶ谷スタジアムのように三塁側後方に寮と室内練習場があるという位置取りならわかるが、この球場ではそういうことはない。マリーンズの室内練習場からグラウンドに移動する選手達は公道を通ることになり、ファンはここでサインを求めたりしている。またビジターのファンはメインの入口からは入れず、脇に回って一塁側ベンチ後方の別の入口からスタンドに入らねばならない。もっともスタンドといっても一塁側、三塁側の数段の長椅子があるだけで、何とネット裏に観客席が存在しない!そのために収容人員は一、三塁側合計で200~300人程度と見受けられる。カードを問わず土、日は混み、キャパシティが無いため立ち見を余儀なくされる観客が少なくなる。常連客があとから来る仲間のために場所取りをするケースもあるので、確実に座って観戦するには試合開始の一時間半くらい前には着いておきたい。特に敗戦処理。の初観戦が2001年のゴールデンウイークの真っ只中、5月4日だっただけに余計にその印象が強い。

Dscf0124 観客席がグラウンドと同じ高さにあるため、一塁側の最後列から撮影するとこんな感じだ。

そしてこの一、三塁側の長椅子がグラウンドと同じ高さにあるため、グラウンドを俯瞰で観るということが出来ない。言い訳になるがこのコーナーでは冒頭に取り上げる球場の写真を掲げているが、他の球場のように内観を映していないのはそういう事情による。ライナーやゴロだと瞬間的に方向を把握できないこともあり、野手の動きで判断せざるを得ない場合もあり、観戦時には手製のスコアブックへの記載を欠かさない敗戦処理。にとってはあまり勝手の好い球場とは言えない。

また内野が土、外野が天然芝だがちょっとした雨で中止になることも少なくない。さほど遠くない戸田での試合が行われているのに浦和は中止ということもたまにある。

07 球場後方を走るMax

他に取り上げることといえば、レフト後方にJRの高架線があり、そこをMaxなどが走るのが頻繁に観られることだろう。応援しているチームが大きくリードされていたり、試合に飽きてきたら新幹線に注目するのも一興だ。

昨年、一軍の優勝とともにファームもイースタン・リーグとファーム日本選手権を制して日本一になったが、一軍の本拠地千葉とのさらなる地元密着化のための一環として将来的にファーム本拠地の移転も視野にあるという。

現在イースタン・リーグに属するチームではファイターズを別にしても二軍の本拠地が一軍の本拠地と同じ都道府県にない球団が六球団中の四球団もあり、それぞれ少なからず弊害もあるのだろう。この球場にはこの球場なりの味があり、その味も捨てがたいものはあるが、もしも千葉マリンスタジアムの近くに、あるいはそうでなくても千葉県内に移転するのであれば入場料を取れるような、観客に見やすいスタジアムを是非創って欲しい。前回のヤクルト戸田球場の際にも触れたが、ファームの選手達にもお客さんが金を払って観に来ているという自覚の元でプレーさせる環境下に置いて欲しいからだ。

00_2 【おまけ】昨年のファーム日本選手権を制した証の優勝旗

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2006年11月16日 (木)

「生」観戦した野球場(20)-ヤクルト戸田球場

01_66 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

第20回 ヤクルト戸田球場 観戦球場ファイル-19-

前回の横須賀スタジアムに続き、またもファームの本拠地球場を取り上げる。今回はスワローズのファームの本拠地、ヤクルト戸田球場。

これまでこのコーナーで取り上げたファームの本拠地球場はジャイアンツ球場、ファイターズスタジアム、横須賀スタジアム。これらはいずれも、観客から入場料を取って試合を見せるに値する施設であるが、このヤクルト戸田球場と、次回予定しているロッテ浦和球場はこれらの球場とは対極に位置する。

JR埼京線、武蔵野線の武蔵浦和駅から一時間に二、三本のペースで運行されている国際興業バス、下笹目行きで約10分かけて「彩湖道満グリーンパーク」で下車。ここから荒川の堤防を乗り越えた河川敷に「彩湖・道満グリーンパーク」というレクリエーション施設があり、野球やソフトボールのグラウンド、テニスコート、サッカー場兼陸上競技場などがあり、その一角にスワローズのファームの本拠地球場、ヤクルト戸田球場がある。

敗戦処理。がこの球場で初めて生観戦したのは2001年の4月29日だが、実はそれを遡ること約十年以上前に勤め先のレクリエーションで年一回、この施設でソフトボール大会とバーベキューを楽しんでいた。ある年、上司らと車でこの施設に向かう時、上司から「前から気になっていたけど、このいつも空いていて、奇麗なグラウンド、ここを借りられないのか」と聞かれた。運転していた先輩が「ここだと、バーベキューが出来る場所まで移動が面倒ですね」と適当に答えていたが、調べてみるとそのいつも空いているグラウンドがプロ野球のファームのグラウンドだったという訳だ。

資料によると両翼100mで中堅は122mという立派な広さを持つが、内野だけ人工芝で外野は天然芝というアンバランスさ。スコアボードは得点表だけで、選手の打順などは記載されていない。そもそも観客席といえるモノはネット裏の100人くらいが座れるかという長椅子(六段くらいだったか?)があるのみ。他には一、三塁側のネット沿いで立ったまま観戦するか、三塁側後方の土手に寝そべって観るしかない。このような状態なので、当然ながら入場料は無料。これで週末に人気のジャイアンツ戦を開催できるのかという疑問が生じるが、日程表を観るとこの球場で土、日に対ジャイアンツ戦を開催するのは年に一度か、二度でさいたま市営浦和球場に移されて開催されることが多い。

もちろんこういう球場の、ファンにとっての最大の利点は好きな選手を本当に間近で観ることが出来ること。特に試合中にボールボーイ、バットボーイを務める控え選手(たいがいは入団一、二年目の選手)は声援の内容によってリアクションしてくれることが多い。やみつきになるファンがいるのもわかる。反面、ファイターズファンで札付きのヤジおやじがここで発したスワローズの捕手へのヤジに選手本人が激怒して一触即発の雰囲気になるケースもあった(そのヤジおやじは後日出入り禁止になったそうだ)。

これまでに取り上げた立派すぎるファームの施設に比べて、選手達にプロ野球選手といえども一軍と二軍でこれほどに格差があるのかと思い知らせるにはこのような施設で奮闘させるにはこのようなレベルでも構わないと思うが、敗戦処理。の自論としてファームの選手といえどもプロのはしくれである以上、自分たちのプレーを観るためにファンの人が入場料を払って来ているという自覚を持たせることも重要で、そのためには最低限、入場料を取るに値する施設を備えるべきだと考えている。例えば、旧バファローズの二軍が老朽化したかつての一軍のホームグラウンド、藤井寺球場を使用していた時の入場料は300円。安い高いの問題ではなく、お客さんが金を払って観に来ているということを選手に自覚させるということは、いかに育成第一とはいえ、重要な問題だと思う。そうすることによって、プレーだけでなく、ファンサービスの基礎も身につけることが出来るだろう。この球場だけの問題ではなく、各球団には再考を促したい。

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2006年11月 1日 (水)

「生」観戦した野球場(19)-横須賀スタジアム

01_65 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

第19回 横須賀スタジアム 観戦球場ファイル-18-

今回はベイスターズ球団のファーム、湘南シーレックスの横須賀スタジアムを取り上げる。

敗戦処理。はイースタン・リーグに所属する7球団の本拠地はすべて観戦経験がある。第12回で取り上げた鎌ヶ谷スタジアムもファームの専用球場としては立派すぎるが、この横須賀スタジアムもファーム専用球場としては充分すぎる球場だ。ナイトゲームが出来る照明設備もあり、イースタンの試合のいくつかはナイトゲームで開催されている。(どうしても鎌ヶ谷と比較したくなるが)鎌ヶ谷に比べてさらに地元との一体感を強く感じる。それはファイターズタウン鎌ヶ谷が最寄り駅の東武野田線・鎌ヶ谷駅などからバス、タクシーなどで行かなければならないのに対し、横須賀スタジアムは最寄りの京浜急行線・追浜駅から一本道。しかも商店街のアーケイドにシーレックスの球団旗のバナーがいくつも掲げられており、初めて降り立った人でも容易に球場にたどり着ける。追浜駅から歩いて10分強程度の距離だが、この間、コンビニや弁当屋が豊富なのもありがたい。

Reck01_1 シーレックスのマスコット、レック君とDJのケチャップ氏

横浜ベイスターズがファームを「湘南シーレックス」と改称して独立採算、運営方式にしたのが2000年。2001年にはファーム固有のマスコットとしては十二球団初のレック君が登場。専用のDJがシーレックス一辺倒に盛り上げる。敗戦処理。がこの球場で初観戦したのは2001年のイースタン・リーグ開幕戦、シーレックス対ジャイアンツ戦だったが、場内アナウンスでシーレックスの選手が紹介される時に「7番、第一打席は見事な先制タイムリー、レフト、○○」などと一言添えていたのも印象的だった。観客が必ずしも常連でないということを考え、選手個々を完全に把握していないだろうという前提で、ファンに選手を印象づけようという狙いが見える。ファームの試合で試合後にヒーローインタビュー(シーレックスが勝った試合のみだが)を行うのも(少なくともイースタンの常打ち球場では)この球場(球団)が最初だろう。

また球場の売店では一軍並みのバリュエーションを誇るシーレックスグッズが並び、人気を博している。正直、ビジターチームのファン(敗戦処理。の場合はファイターズやジャイアンツ)としては肩身の狭い観戦を強いられるが、本来育成が目的であるファームの試合を興行として成り立つよう、そのための手段として地元との一体感を募らせようとする一連の演出には本当に頭が下がる。これらの改革が断行された裏には、まだ親会社がマルハだった時代の大堀隆球団社長の決断力、実行力が見逃せない。

改革の成果は早速出て、2000年には平均観客動員で1000人を超え、当時のファーム十二球団でナンバーワンとなった。ファームの独立採算運営は大成功とマスコミも評価したが、採算という面ではファームの選手の年俸は支出に含まれておらず、厳密な意味での経営的な成功といえるほどにはなっていない。また球団自体の経営全般が芳しくなくなってからは、球団内の改革により独立採算体制による無駄、弊害が槍玉に挙がり、結局球団内の一部門という形に統合された。大堀球団社長はTBSが球団を買収してからも残ったが、権限が狭まったようでファームの運営への注力が弱まったようだ。

さりとて、現在ファイターズや、かなり遅れてジャイアンツも追従するファームのサービス向上、興行化に関しての評価は揺るぎない。この球場で汗と泥にまみれた吉村裕基、小池正晃らがベイスターズを担う存在になりつつあるし、今シーズン限りで退任した牛島和彦監督が要望しても通らなかったとされる「補強」がままならない財政事情では、ますますこの球場、そしてファームの存在意義は大きくなる。

敢えて要望を出すとすればナイトゲームの照明の明るさをもう少し明るくして欲しい。

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2006年10月16日 (月)

「生」観戦した野球場(18)-広島市民球場

01_9 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

18回 広島市民球場 観戦球場ファイル-17

1990年代の後半に入ってから、出来るだけ多くの日本の野球場でプロ野球を観たいという衝動に駆られた敗戦処理。にとって、最初の目標は十二球団の本拠地をすべて回ろうということだった。首都圏の球場は早々と制覇したし、ドーム球場が増えたお陰で遠方の球場でも予定さえ取れれば観戦は困難ではなくなったが、最後に残ったのが広島市民球場だった。東京在住の敗戦処理。にとっては福岡ドームより近いとはいえ、何せ屋根のない球場なのでせっかく球場まで行っても雨天中止ではもったいない。しかし一つの目標として「二十世紀が終わるまでに十二球団本拠地観戦制覇を果たす」を掲げていたこともあり、2000年のお盆休みを利用して広島市民球場観戦計画を立てた。

2000年8月16日。敗戦処理。は名古屋在住の旧知の友人Y氏とともに広島に向かい、現地で共通の友人である広島市役所勤務のG氏と合流した。実は当時は広島市民球場でのカープ戦のチケットはチケットぴあや、イープラスなどで扱っておらず、東京あるいは名古屋在住の身では事前に前売り券を入手するのが困難だったので、G氏の協力無くしてはこの観戦旅行は成り立たなかったかもしれない。

もちろん、平和記念公園や原爆ドームを訪ねてから市民球場の門をくぐったのは言うまでもない。

カードはナイトゲームで、カープ対ベイスターズ戦、G氏が用意してくれたのはネット裏の二階席。お盆休みの時期でかき入れ時ではありながら、お世辞にも大入りとは言えない閑古鳥が鳴きそうな雰囲気であったが、どんよりとした夜空が望めることとともに、何とも言えない風情を感じたものだった。G氏は残念ながら仕事の関係でいったん職場に戻らねばならず、スタンドでの再会は試合終盤になったが、思い出話と野球談義に花が咲いた。

近年、球場のドーム化が進み、本塁打量産球場はついに神宮球場と、この広島市民球場くらいになった。神宮球場も個人的には賞味期限を過ぎていると思っているが、広島市民球場は新球場の構想がついに具体化されてきた。アメリカ大リーグに今なお残るクラシックなスタイルのボールパーク構想が今なお生きているのなら、何とかその路線で新球場を建てて欲しいものだ。少なくとも天然芝は残して欲しい。

個人的には12個あるフランチャイズ球場の内、1個や2個は狭い球場があっても構わないと思う。「広島」という、全ての日本人にとって特別な知である場所に、プロ野球草創期からの苦悩を思い起こさせる野球場を残しておく意義は充分にあるはずだと思うからである。だがさすがに球場とバスターミナルが密接しているのには驚いたが。

新球場は来年秋に着工、2009年春のオープンを目指すという。それまでにもう一度訪ねておきたい球場だ。

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2006年10月 1日 (日)

「生」観戦した野球場(17)-札幌円山球場

01_8 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

17回 札幌円山球場 観戦球場ファイル-16

今回は札幌ドームが出来るまで北海道で最大の野球場として広く活用されてきた札幌円山球場を取り上げる。

札幌ドームの開場が2001年6月。それまでは北海道の野球場といえば、東京在住の敗戦処理。にとっては札幌円山球場であった。

年に一度、たいがいは7月上旬に組まれたジャイアンツの札幌シリーズ。ジャイアンツの関本四十四の高木守道へのタッチプレーが元でトラブルが起こり、新宅洋志が関本に跳び蹴りを食らわした試合とか、ジャイアンツの投手陣が制球を乱し四球の記録を作った試合とか、当時若手だった中畑清がこのシリーズにめっぽう強かったとか、吉村禎章と栄村忠広の激突とか、1996年メークドラマ発祥の地として印象に強く残っている。

またこの球場とは直接関係ないが、ジャイアンツが札幌シリーズで遠征する度に当時の王貞治選手が山手養護学校を訪れることが報じられていたことも記憶にとどまっている。王が助監督、監督と立場が変わっても札幌シリーズの際の訪問は続き、監督を退任してジャイアンツのユニフォームを脱いでからは愛弟子の吉村らに引き継がれた。

敗戦処理。がこの球場を訪れたのは、2000年7月8日のライオンズ主催によるホークス戦。札幌円山球場でプロの試合が行われるのはこの年限りになるかもしれないということが囁かれており、観戦を決めた。

日程上、この年の最後の円山球場でのカードは7月30日のファイターズ主催によるマリーンズ戦であった。実際この試合にはパ・リーグ六球団の応援団が結集し、球場への感謝を表していた。本来ならその試合を観戦したかったが、スケジュールが合わないため、前述のライオンズ対ホークス戦の観戦となった。

試合は敗戦処理。の近くの席から見守った元タレントの奥さんの前で満塁本塁打を放った松井稼頭央の活躍でライオンズが快勝。松坂大輔をリリーフで登板させる東尾修監督の粋な計らいで札幌のファンを満足させていた。

なお昨年、2005年7月に開場70周年を迎えるにあたり、5年ぶりにプロ野球公式戦が開催された。交流戦のファイターズ主催試合で北海道留萌市出身の若松勉監督率いるスワローズ戦が5月28日に行われたのだ。

最後に知っている人は知っていると思うが、札幌円山球場にナイトゲームの設備がないのは、寒い札幌で夜間に野球をやる需要が少ないからではなく、すぐそばに市立の丸山動物園があり、照明が明るすぎると動物たちの睡眠に支障を来すからである。

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2006年9月16日 (土)

「生」観戦した野球場(16)-ナゴヤドーム

01_7 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

16回 ナゴヤドーム 観戦球場ファイル-15

今回はドラゴンズの本拠地、ナゴヤドームを取り上げる。第13回で取り上げた大阪ドーム(現.京セラドーム大阪)とともに1997年から稼働。それまでにドラゴンズの本拠地だったナゴヤ球場から引き継がれたが、ナゴヤ球場といえば狭い球場で本塁打量産球場のイメージがあった。

球場移転に伴いドラゴンズはチームの体質改善に迫られ、アロンゾ・パウエル、大豊泰昭らが淘汰され、移転前年にセ・リーグの本塁打王に輝いた山崎武司も打撃改造を余儀なくされた。同時期に狭い屋外型球場から広いドーム球場に本拠地を移した旧バファローズとどちらが先にドーム球場対応型に変貌するか敗戦処理。も個人的に注目していたが、星野仙一監督率いるドラゴンズはドーム移転三年目の1999年にリーグ優勝を果たし、バファローズはそれから遅れること二年、ドーム移転後五年目の2001年に梨田昌孝監督の元でリーグ優勝を果たした。球場への対応はドラゴンズの方が早かったようだが、さほど体質を変えず、基本的にはいてまえ打線のド迫力を前面に出す野球のままで広いドーム球場を本拠地に持ちながら優勝したバファローズに個人的には「あっぱれ!」を送りたい。

敗戦処理。はナゴヤドームが出来て三年目の四月に初めて生観戦を味わった。チケットの入手が困難とされたドラゴンズ主催試合を避け、ライオンズ対旧ブルーウェーブ戦を前もってチケットを入手した上で東京から名古屋に向かった。この年はライオンズに松坂大輔が入団した年で、敗戦処理。がチケット購入時(シーズン開幕前)に組んだローテーションではこの試合に松坂がプロ入り二度目の登板をするはずで、初めてのナゴヤドーム観戦と松坂vsイチローを生観戦出来れば一挙両得。チケット代も往復の新幹線代も高くないと勝手に目論んだものだった。

ところでこの観戦の時は三塁側のベンチのすぐ上あたりという好位置だったので気付かなかったが、その後いろいろなサイトの情報などによるとナゴヤドームには座ると死角が多くて観戦に不適な席が少なくなく、ファンからの評価が今一つ芳しくないことを知った。

以前にアットニフティのベースボールフォーラムで議論をよく交わしたKさんは「バーチャルナゴヤドーム」と題してナゴヤドームを様々な角度から分析した、大変骨の折れるHPを作成しておられた。「応援団」と称する一部の怪しい団体による不当な座席占拠などの問題にまで言及されていた力作だったが、いつの間にか閉鎖されていたので本人に確認したところ、ドーム側からHPで使用している写真に関する肖像権の問題を指摘されたため、閉鎖せざるを得なかったそうだ。「この辺の席が見づらい」とか、観戦に訪れるファンにはありがたいがドーム側にしてみれば不都合な情報が満載だったことが、一般的にはとりたてて問題視しない、一ファンによるHPへのクレームにつながったのではないかと敗戦処理。は感じたものだった。

ところで第13回で取り上げた大阪ドーム(現.京セラドーム大阪)には深刻な経営不振が取り沙汰されたが、東京に次ぐ大都市の大阪に建てられたドームですらそうなのだから、日本の三大都市に入っていない名古屋市のドームに同じような不安はないのかが気になるところですが、特にそんな話題がマスコミを賑わすこともないので、とりあえず大丈夫なのでしょうね。

初観戦がドラゴンズ戦でなかった敗戦処理。にとってドラゴンズ戦を観ずしてこの球場で観戦したとは言えないのではという後ろめたさがあったが、そうはいってもドラゴンズ対ジャイアンツ戦は超入手困難。なかなか機会を得られなかったが昨年、交流戦が実現しドラゴンズ対ファイターズ戦を日曜日のデーゲームということもあって日帰り観戦に成功した。本当は前日から休みを取って愛知万博見物との一泊二日旅行にしたいところであったが、仕事の関係その他で野球観戦のみの旅行になった。

試合はファイターズがフェルナンド・セギノールやSHINJOの本塁打で6対0とリードするも、DH制がないため不慣れな打席に入った先発投手の江尻慎太郎がファウルを打って手指をしびれさせてしまってその後逆転されるというファイターズファンにとっては最悪な試合展開だったが、旧知の友人であるY氏が現地をいろいろと案内してくれ、またファイターズファンで、高校野球を題材にした長編小説グリーンズの著者である梅田恒さんを紹介して下さったのは僥倖だった。

ナゴヤドームでの観戦は以上二回。次こそはドラゴンズ対ジャイアンツ戦を生観戦したいところ。今季は週末のカードになった際にデーゲーム開催も行われた。来年もあるようならナゴヤドームでのドラゴンズ対ジャイアンツ戦の生観戦を是非とも実現したいところである。

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2006年9月 1日 (金)

「生」観戦した野球場(15)-袖ヶ浦市営球場

01_48 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

15回 袖ヶ浦市営球場 観戦球場ファイル-45

これまでこのコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を生観戦した経験を持つ球場を初観戦した順に書いていった。だが先月の26日に、敗戦処理。にとっては45個目の観戦球場となった袖ヶ浦市営球場での観戦を果たしたので、今回は同球場について書いてみる。

千葉県袖ヶ浦市にある袖ヶ浦市営球場。両翼が98mで、中堅は122m。6基の照明灯があり、外野は天然芝で内野は土という、典型的な地方球場。ファイターズのファームが、毎年夏の週末に一試合ナイトゲームを開催している。敗戦処理。も以前から年に一度あるこの球場での観戦機会を狙っていたが、仕事が急に入ったりで実現しなかったが、2006年8月26日。ようやく生観戦が実現した。

「プロ野球 イースタン・リーグ観戦ガイド2006」(イースタン・リーグ発行)の巻末にあるイースタン・リーグ公式戦開催球場一覧によると、「内房線袖ヶ浦駅より徒歩約15分」とある。袖ヶ浦という場所に全く土地勘の無い敗戦処理。は一応このガイドブック記載の略地図のコピーを持って出かけた。

「JR内房線:袖ヶ浦駅」-東京都多摩市に住む敗戦処理。にとっては鎌ヶ谷よりも、千葉マリンスタジアムよりも遠い先にあるという感覚だ。何しろJR総武線の千葉駅で乗り換え、そこから約30分強という距離なのだ。

無人駅とまでは言わないが、トイレが男女の区別無く、改札を出るとタクシー乗り場とバス停のあるロータリーこそあるものの、頻繁にバスが出入りしているとは思えなかった。そもそも年に一度きりとはいえ、もはや定期戦ともいえるイースタン・リーグ公式戦を告知するものが何もない。持参した球場までの略地図を取り出したが、文字通り簡略すぎてわからない。だいたいの方角は何となく想像付いたので、その方向に歩き出した。遠くの方にローソンの看板が見えたので、そこで地図を確認しよう。迷ったらもう一度駅前に戻ってタクシーを待とうとも考え、歩き始めた。LAWSON袖ヶ浦駅前店に入ると、この日のファイターズ対ジャイアンツ戦の告知ポスターを見つけた。そこで弁当、ドリンク類を購入し、レジの店員さんに市営球場までの行き方を教わった。

01_49 試合の告知ポスター(筆者注.この写真は球場で撮影したものです。)

店員さんのアドバイス通りに道を進むと、薄暗い林道に入った。ここを抜けると市営球場にたどり着くそうだが、地元の小学校や民家はあるものの、とてもそのような施設があるようには思えない。しかも予定より早い到着で、まだ試合開始まで2時間以上あり、球場に向かう人の流れが無いのだ。それでも信じて歩いていくと、ローソンで道を聞いてから約15分、ようやくカクテル光線が見えてきた。

球場周辺には焼き鳥、焼きそばなどの食べ物の出店や両球団のグッズ売場が賑やかに並んでいる。当日券売場に向かうと、地方開催の二軍戦には珍しく、指定席という区分があった。個別の椅子席で区切られており、ネット裏と一、三塁のベンチサイドで、それ以外は長椅子の内野自由席と、外野の芝生席に別れている。指定席が1枚1,500円、内野自由席が1,000円、外野席は500円という価格設定だ。敗戦処理。はネット裏の指定席を購入した。

ネット裏から俯瞰でグラウンドを見ると、レフトスタンドの後方がすぐに団地、一軒家となっていた。この日はジャイアンツが三塁側でトランペットの応援部隊がレフトスタンドに陣取っていたが、近隣対策は万全だったのか、気になるところだ。

ちなみにファイターズ応援団、鎌ヶ谷常連ご一行は一塁側ライト寄りの芝生席に陣取って鎌ヶ谷スタイルでの応援を続けていた。ただ鎌ヶ谷と同じ千葉県内とはいえ、球場全体では8:2か9:1くらいの比率でジャイアンツファンの方が多いように感じられた。

ナイトゲームが始まると、さすがに神宮球場や横浜スタジアムでのナイトゲームよりはやや暗い感じがした。そのせいかどうか知らないが、ファイターズの捕手駒居鉄平は二度も高く上がる飛球を見失っていた。ファームの選手の場合、ナイトゲーム経験自体が少ないと言うこともあるようだが。

試合は0対0の投手戦で、帰りが心配な敗戦処理。にとっては好都合な早い展開だったが、なかなか点が入らないので逆に延長戦突入の心配をしなければならなくなった<苦笑>。結局七回表にジャイアンツが1点を先制し、そのまま1対0で逃げ切ったので心配は杞憂に終わった。試合終了後、行きよりもさらに暗くなった道を来た時と逆に一目散に歩き、ほぼ30分に1本しかない千葉、東京方面行きの内房線の21:07発に辛うじて間に合った。これもひとえに完封した木佐貫洋のお陰だ。

地域密着を謳い、鎌ヶ谷に根付いているファイターズが同県内の別の市で定期戦を持っているのにはそれなりの理由、戦略があるのだろうが、ビジターチームに圧倒的に人気があるようでは痛し痒し。それに、カビーをもう少し定着させたい<笑>。

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2006年8月16日 (水)

「生」観戦した野球場(14)-阪神甲子園球場

Photo_3 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

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14回 阪神甲子園球場 観戦球場ファイル-14

今回はタイガースの本拠地にして高校野球の聖地、阪神甲子園球場を取り上げる。

しかしこの球場、はっきり言って誰でも知っている。敢えて書くことがありません<苦笑>

敗戦処理。は夏の全国高校野球選手権大会を1990年代初期に観に行ったことがあるが、プロ野球の試合を初めて観たのは1998年4月25()のタイガース対ジャイアンツ戦、いわゆる「伝統の一戦」。因みに現時点(2006816日現在)で同球場でのプロ野球観戦はこの一回のみ。

クレジットカード会社経由であらかじめ内野指定席を購入し、球場と目と鼻の先にある甲子園都ホテル(現ノボテル甲子園)に宿泊の予約を入れておいた。東京に在住するプロ野球ファンにとって、この球場には特別の思いがある。得体の知れぬ荘厳さ、ジャイアンツの終生のライバルであるタイガースの本拠地であるということで、ある意味怖さのようなものも感じていた。

* ちなみに甲子園球場と目と鼻の先にあるホテルを手放した都ホテルは近鉄グループ。何ともはや<苦笑>

購入したチケットが一塁側内野指定席。今ではスタンド下に移されたブルペンがあったすぐ近くで、タイガース投手陣の投球練習を間近に体感出来る素晴らしい席だった。一塁側ということで、周りに少しはジャイアンツファンがいるのかと思ったら大間違いだったが<苦笑>

試合は何と、一回表にジャイアンツが大量9点を奪うという、ジャイアンツファンには答えられない試合展開だったが、ストレートに喜びを表せないのが残念だった。

その後21世紀に入り、2002年と2004年に夏の全国高校野球選手権大会を観戦。2002年には後にドラゴンズ入りし、既に退団した瀬間仲ノルベルト(当時日章学園3年・プロ入り後登録名を ホッシャ に変更)の超豪快な本塁打をまのあたりにする幸運にも恵まれた。とても高校生とは思えない弾丸のような打球で、スタンドがシーンと静まりかえってから沸き始めたことが印象的だった。あのような素晴らしい本塁打を放つ選手でもプロで大成出来ないと思うと、プロ野球のレベルの高さを痛感した。

Photo_7 ところで外野席側の入口脇に阪神タイガース史料館がある。球団史を飾る様々な品物が展示されている。東のプロ野球のメッカ、東京ドームに野球体育博物館があることを意識しているのか。

展示品で目を引いたのは、タイガース対ジャイアンツ戦で語り継がれているタイガースのジーン・バッキー投手と、ジャイアンツの荒川博打撃コーチによる乱闘シーンの写真。説明文によると「バッキー投手のビーンボールをきっかけに…」とある。タイガース球団はあの一投をビーンボール(故意に打者の王選手に狙って投げた)と認めていることになるが<>

大がかりな改修も予定されているそうだ。先の村上ファンドによる阪神電鉄株の騒動では、球界再編騒動の時と同様に「野球は文化だ」という言葉が大安売りされたが、阪神甲子園球場を観る限り、「野球は文化だ」と言っても恥ずかしくないのだが…。


関西特有のえげつないヤジ、奇麗な夜空、ウグイス嬢のアナウンス。すべてが想像していた以上で、まさに夢の空間だった。

ジャイアンツが一回表に9点を奪ったことを示すスコアボード。近年はこの逆ならよく見かけるのだが。

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2006年8月 1日 (火)

「生」観戦した野球場(13)-大阪ドーム

03_2いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

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13回 大阪ドーム 観戦球場ファイル-13

今回は旧バファローズの本拠地として1997年から使用されていた大阪ドームを取り上げる。東京ドーム、福岡ドームに次いでナゴヤドームと共にこの年から開業。旧バファローズと旧ブルーウェーブの合併後は合併球団のダブルフランチャイズの一つとなっているが、オリックスグループが90億円もかけて買い取ったとのことだから、来年から合併球団の実質的なホームグラウンドとして主催試合の開催数もシフトされていくことだろう。また紆余曲折はあったが、今年7月1日からネーミングライツにより京セラドーム大阪と称している。

敗戦処理。の初観戦は設立二年目の1998年4月11日、旧バファローズ対ホークス戦。前述のようにまだ「ドーム球場」自体が珍しい時期で、ましてや日本の首都東京に次ぐ大都市大阪に出来たドーム球場ということで敗戦処理。も期待したのだが、開業二年目早々の週末なのに、客の入りはまばらだったことに驚愕したことを憶えている…。

第一印象としては、巨大なショッピングモールというか、大型複合施設で、その中の一つの構成要素として野球場があるという感じ。例えば東京ドームの場合、プロ野球だろうが他のイベントだろうが開催している時にはそのチケットないし、何らかの入場証を提示して入場するがこのドームの場合にはただ中に入って商業施設を利用するだけなら、普通のデパートのように自由に出入り出来る出入口があったりする。(もちろん開催されているイベントによる)

日本で初めてのドーム球場である東京ドームが出来る時にそれまでの後楽園球場がジャイアンツだけでなくファイターズも利用しており、ドーム球場に移行しても稼働率が保証されているからこそ維持費などの回収にめどがつき、建設に至ったと報じられていたから、野球の試合やコンサートなどでの使用以外に、商業施設を多く入れてテナント料や売り上げの一部を収入源とするのは真っ当な判断と言えよう。ただその時の印象に限っていえば、それゆえに「野球場」としてのインパクトはさほど強烈ではなかった。実際に中に入ってみてグラウンドを見渡して広さを感じなかった。いわゆる多目的施設なのだろうが、肝心の野球場としての魅力を削いだことが後述する経営破綻の遠因ではないかと敗戦処理。は想像しているのだが。

その後1999年の11月に、旧バファローズの球団創立50周年の記念行事で旧バファローズとジャイアンツのOB戦が開催された時に敗戦処理。は生観戦した。「長嶋茂雄が背番号3のユニフォームを着、王貞治が背番号1のユニフォームを着る」貴重な機会ということで、名古屋在住の友人を伴って駆けつけた。長嶋巨人にカープから江藤智が移籍し、長嶋監督が背番号33を江藤に譲って栄光の背番号3を復活させることが判明したのはその約半月後。大阪まで行かなくても良かった<苦笑>?

それでも王さんのジャイアンツのユニフォーム姿はOB戦くらいしか観ることが出来ないし、長嶋さんを含め、ビジターの「TOKYO」のユニフォーム姿など、二度と見ることが出来ないかもしれないし、吹石徳一の娘ということで出演したタレントの吹石一恵の始球式も楽しめたから良かったか<笑>。

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左・背番号3のビジユニを着て三塁を守る長嶋茂雄

右・吉井理人、榊莫山氏とともに始球式を務めた吹石一恵

※長嶋茂雄は当時ジャイアンツの監督。吉井理人は当時大リーグ・メッツ所属。

それ以降まる五年も行っていないが、名前も変わったことだし、秋にでも行こうかなとは考えている。

その後構造上の問題で、ロックコンサートなどで観客がいわゆる縦ノリで盛り上がると近隣の住民から苦情が出るなどの弊害が露呈し、コンサート興行の開催に制約が加えられた。そもそもドーム球場の立地場所も諸々の事情から変更されたそうで、これにより旧バファローズの親会社である近畿日本鉄道の沿線から外れてしまい、ドームを訪れる観客の利用による運賃増収という目論見は無惨にも外れた。そんなこんなでドームの経営は当然うまくいかず経営破綻。球団同様、オリックスが90億円で買い取ったとされる。

また京セラがネーミングライツを買い取り、京セラドーム大阪と名乗ることになったが手続きの遅れ(?)で今年の4月からの予定が7月からにずれ込んだ。京セラはかつてホークス球団の親会社、ダイエーの経営破綻が明らかになった際に球団買収の噂が出た。今回のネーミングライツもいずれはオリックスから球団を引き継ぐための伏線との見方もあるが、西武ドームのネーミングライツを獲得したインボイスは「ネーミングだけで充分」とそれ以上踏み込むとリスクの方が大きくなることに気付いたようで、京セラの今後も注目される。

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2006年7月16日 (日)

「生」観戦した野球場(12)-ファイターズスタジアム

Dscf0013_1 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

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12回 ファイターズスタジアム 観戦球場ファイル-12

今回はファイターズのファーム本拠地、鎌ヶ谷・ファイターズスタジアムを取り上げる。

千葉県の鎌ヶ谷市という、それまでは梨の名産地としてしか知られていない場所に1997年1月、当時東京ドームを本拠地としていたファイターズの二軍の本拠地として誕生。総工費130億円という、渋チン球団とは思えない規模の一大プロジェクトだった。隣接する室内練習場、選手の合宿所「勇翔寮」とあわせてファイターズタウンと総称される。はっきりいって、ファームの施設としてはトップクラス。

周囲にこれといった施設がなく、ファイターズの選手達にとっても野球に専念しやすい環境。しかしその分一般ファンからはアクセスが不便という問題点もあるが、2001年からファーム公式戦開催日には13:00の試合開始に合わせ、最寄り駅の東武野田線・鎌ヶ谷駅(船橋駅から約10分)からシャトルバスが11:0011:3012:00発の3便出る。バス共通カードは使えないが、片道100円の直通約1015分。帰りは八回終了時から3便。小学生以下無料。また今シーズンから、土日、祝祭日の公式戦開催日に限り、東武野田線、新京成線、北総線の新鎌ヶ谷駅前から同じく片道100円のバスが11:10発、12:10発の2便出るようになった。(帰りは試合終了時から2便) しかしこちらは敗戦処理。が6月17日に試しに乗ってみたところでは約25分かかり、しかもシャトルバスのバス停という表示もなく、バスが停まっていない限りわかりにくい気がする。球団HPの「ファーム情報」コーナーにアクセス方法が出ているので初めて行く場合はそれを参照するか、駅で係員に聞いた方が無難だろう。ちなみに最寄り駅という点では「鎌ヶ谷駅」に一日の長があり、改札を出ようとするとファイターズのファームのポスターが貼ってあったり、改札を出て左がすぐバスロータリーがあるのでわかりやすい。客待ちのタクシーも多く、「ファイターズスタジアムまで」といえば通じる。料金は1,000円前後。

あ、そうそう球場には公式戦開催日・1日300円の駐車場もある。

もちろん、一軍が北海道に移転してからも変わらず運営されている。

両翼が100m、中堅122mと、当時の本拠地東京ドームに合わせて作られており、収容人員は2,400人だとか。

敗戦処理。がこの球場を初めて訪れたのは1998年3月14日。一軍のオープン戦:ファイターズ対マリーンズ戦。前年のこけら落としを始め、この当時は一軍のオープン戦も年に一試合程度行われていた記憶があるが、近年は専らファームの試合専用。

先日雑誌「野球小僧6月号」(白夜書房刊)で史上最強のファーム大特集ではこの球場でのファーム観戦手引きとして「地元ファンや昔からのコアな応援団の当意即妙の掛け合いは必聴」と紹介されている。これだけではわかりにくいが、要するにヤジがきついのである。

01_14この球場に何回か通ったことのある人なら誰でも知っている、あのかん高い声でのヤジ、笑い声で有名なKさんを始めとするヤジおやじ軍団がネット裏の前列に陣取って敵味方かまわずにベタなヤジを飛ばしまくる。今年に入ってからも過剰なヤジの自粛を促す貼り紙がスタンドに随所に掲げられたこともあったが、実際にヤジ軍団の中にはこの球場以外を含め、出入り禁止になってしまった人もいるという。敗戦処理。はその話を聞いた時、「あぁ、あの人だろうな」とピンと来たが、その人だった。

もちろんKさんは、かなりの高齢と思えるが今年も健在。敗戦処理。が年に数回この球場に行くようになって五~六年たつが、毎年最初の観戦時にKさんの姿を見かけると何故かホッとするものである。かつて西崎幸広に「鎌ヶ谷のヤジはきつかった」と嘆かせたこの球場の風物は今はそのターゲットを尾崎匡哉、陽仲壽、鵜久森淳志らに代えて冴えまくっている。

最近大社啓二オーナーが鎌ヶ谷のファイターズタウンをテーマパーク化する構想をぶち上げたことは本ブログでもファイターズタウン鎌ヶ谷、テーマパーク化への道で触れましたが、その大半が絵に描いた餅に過ぎないことは、その書き込みに対して寄せられたコメントからも明らかですが、そんななか鎌ヶ谷独自のマスコット、カビーはスタンドを明るくしてくれます。ファームのマスコットとしてはシーレックスのレック君の方が先輩に当たりますが、一軍のマスコットと連動しているファームのマスコット(カビーはB☆Bの弟に当たる)というのは日本初の試みだそうです。

01_15 試合前のイベントなどでファンと接したり、試合中にスタンドに出没してファンにサインをしたり写真撮影に応じたりするだけでなく、応援団と一緒になって太鼓を叩いたりして本当にファンと一体化している感じです。応援団に混じって応援するマスコットというのは珍しいと想います。また前述のヤジおやじ軍団に対しても、互いに首を絞めあったり、仲がよいようです<>

敗戦処理。が応援する球団のファーム本拠地ということでいつもより長くなりましたが、これまで書いてきたような魅力(?)があるからこそ、敗戦処理。は東京都多摩市の自宅から2時間以上かけてでもこの球場に足を運ぶのである。もちろん、現在の一軍の好調を支えている一、二番コンビ-森本稀哲、田中賢介を輩出したように選手育成の場としても充分に機能している場であることも付け加えずに筆を置く訳にはいくまい。   

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2006年7月 1日 (土)

「生」観戦した野球場(11)-グリーンスタジアム神戸

05 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

11回 グリーンスタジアム神戸 観戦球場ファイル-11

合併前の旧ブルーウェーブの本拠地。球団合併後はバファローズの二つある本拠地の一つ。現在はネーミングライツによりスカイマークスタジアムの名称で親しまれている。

出来たのは1988年。この年には旧ブルーウェーブの前身である「阪急タイガース」もとい、「阪急ブレーブス」の主催試合が一試合行われただけだったが、この年を最後にブレーブス球団が阪急からオリックスに身売りされると翌1989年からは数試合開催され、準本拠地のような位置づけになっていく。そして1991年からブルーウェーブはそれまでの阪急西宮スタジアムから本拠地をこのグリーンスタジアム神戸に移す。身売り時の「球団名称『ブレーブス』は変えない」というブルーウェーブの宮内義彦オーナーの言質が大方のファンが危惧した通りに反故にされて「ブルーウェーブ」と改称されたのもこの時。

【2008年5月4日追記】冒頭のグリーンスタジアム神戸の内観写真のレイアウトを変更しました。

敗戦処理。の初観戦は1996年7月5日のブルーウェーブ対バファローズ戦。普通の金曜日であるが有休を取り、この日の夜と翌日は福岡ドームでホークス対ファイターズ戦を観戦する二泊三日の野球観戦旅行を組んだものだった。

そして2000年には内野のダイヤモンドにそれまでの人工芝に変えて天然芝を敷いた。内外野とも天然芝の野球場は日本では少なく、他に山形県の鶴岡ドリームスタジアムと宮崎県のサンマリンスタジアム宮崎だけ。プロ野球の本拠地球上としては、人工芝に変身する前の後楽園球場以来だから25年ぶりの復活とも言えた。

敗戦処理。の二回目の観戦も、天然芝化に合わせて2000年9月のデーゲームだった。芝の美しさも鮮やかだったが、試合終了後に球場職員が大挙して観客を見送ったのが印象的だった。2000年といえばイチローがブルーウェーブに在籍した最後の一年。FAならまだしも、当時耳慣れなかったポスティングシステムで日本球界の宝を売り飛ばしてしまったことに驚かされたが、その二年後には球場の命名権を売り、2003年から「ヤフーBBスタジアム」と改称。売れるものは何でも売ってしまう経済性至上主義には賛否両論あるが、今度は逆に「大阪近鉄バファローズ」を吸収合併。さらには破綻した大阪ドームをオリックスグループとして90億円で購入。不思議な球団である。

02_3もちろんこの球場の魅力は芝の鮮やかさだけではない。最近でこそ東京ドームのエキサイトシートに代表されるファウルグラウンドに迫り出したより臨場感あふれる観客席や、横浜スタジアムや札幌ドームのように内野スタンドのネットを外して臨場感をあふれさせる演出を図る球場が出てきたが、そのようなアメリカ大リーグの「ボールパーク」を彷彿とさせるムード作りの先駆けは間違いなくこの球場で、天然芝の件と合わせ、フィールドシートの新設、内野席のネットを下げたのも日本の常打ち球場ではここが先駆けである。(ネットが低くなって観客によるボール争奪戦が激化-2004年8月撮影。ちょっとこの写真ではわかりにくいかな?)

大阪ドームとのダブルフランチャイズ制を将来的には解消しなければならず、オリックスグループが90億円を投じて大阪ドームを取得したことを考えれば、これまで二年間半々に開かれていたバファローズ球団の主催試合は徐々にかつ大胆にドームにシフトされるのは間違いなかろう。日本に三つしかない美しさを持つこの球場が宙に浮いてしまう日が遠からず来ることになる。そうなれば維持費の問題で再び人工芝に…などという話にもなりかねない。もったいない話ではあるが。

そうなってからでは遅い、と敗戦処理。は先月25日、バファローズ対ファイターズ戦を観戦に神戸まで足を運んだが、無情の雨で雨天中止だった。最寄り駅の総合運動公園駅に向かう地下鉄の車中で試合中止を知ったがとりあえず球場まで行ってみた。雨は小降り。ドーム球場ではないにせよ、人工芝の球場であれば日曜日のデーゲームというかき入れ時に開催が開催だったかもしれないが、この球場の最大の売りがこういう時ばかりは弱点になってしまうのだ。

Dscf0050_5 「グリーンスタジアム神戸」時代に二度、「ヤフーBBスタジアム」時代に一度生観戦しているだけに、「スカイマークスタジアム」と名乗っている間に一度は生観戦しておきたいと思い、ファイターズ相手では今季最後の土、日のデーゲームを狙ったのだったが。

そして皮肉にも、この書き込みがアップされる今日7月1日、大阪ドームは「京セラドーム大阪」として第二のスタートを切る。

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2006年6月16日 (金)

「生」観戦した野球場(10)-福岡ドーム

04 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

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10回 福岡ドーム 観戦球場ファイル-10

ホークス球団の本拠地として、日本では東京ドームに次いで二つ目のドーム球場として1994年にオープン。しかも屋根が開閉式であることと、外野フェンスの高さなど、これまでにないスケールの大きな球場。

敗戦処理。は翌1995年の4月30日に初観戦を果たした。カードはホークス対ファイターズ戦。以後、1996年、1998年、2003年に各1回観戦。東京在住なのでさすがにこの球場の観戦となると、数年に一回というのがせいぜいのペースにならざるを得ない。

敗戦処理。が観戦した約40個の球場のなかでナンバーワンを選べといえば、この球場になるだろう。

それまでの「日本の野球場は狭い」という概念を覆す壮大なスケール。ドーム球場なので観戦予定日に雨天中止の心配はまずないし、なおかつ屋根が開閉式。

ちなみに敗戦処理。は

1998年の8月に観戦した際に試合中に屋根が空くのを生で目撃したことがある。

03_1 試合途中に閉じていた屋根を空けているところ。

(1998年8月11日撮影)

また、東京から観戦に訪れる身としては隣接するホテルシーホークの存在も語らずにはいられない。敗戦処理。の観戦時は第1回を除き、すべてホテルシーホークでの宿泊を予約し、観戦がセットになっている「よくばりホークスプラン」でチケットをとっている。球場と目と鼻の先にあり、ナイトゲーム開催日には試合終了後までレストランが開いているので食事の心配も不要。初めて宿泊した1996年には客室の自動販売機のジュースが1本100円なのにも驚いた。さすがにダイエー系列のホテルだなと驚いたものだ。

そして2003年の5月に「よくばりホークスプラン」で宿泊した時には、高塚孟氏の著書が、まるで聖書が置かれているように客室に置かれていて冷蔵庫の中身とは別の意味で驚かされた。高塚氏は天文学的な負債を積み重ねていくダイエーグループの中で、ホークス球団の成績上昇に連動する形での球団、球場、ホテルのいわゆる「三点セット」の業績を劇的に向上させた牽引車たる人物。ひとつのサクセスストーリーのようにメディアでも持ち上げられた人物だが、客室に自著を置き、チェックアウト時にフロントで販売するというあからさまなやり方にいささかの胡散臭さを感じたが、その後の失脚はご存じの通り。

ちなみに球場とホテルがダイエーグループの手を離れてからは敗戦処理。はこの球場とホテルを訪れていない。球団の母体も変わってしまった今、あらためて訪れてみたいとは思っているのだが。

ダイエーグループが産業再生機構のお世話にならざるを得なかったのはこのドーム球場の建設費の負担が大きかったことと報道されている。どうあがいても返せない程の資金を投入し、自らが為した一件の街のスーパーからの大出世物語の成功を葬りかねない顛末となった大球場。

自分が興した商店が日本一のスーパーとなり、日本で12個しかないプロ野球チームのオーナーとなり、日本一の球場を建設し、監督には「世界の王」を招聘。そしてチームも日本一。しかしその球団に投下した資本が致命的となり、天文学的負債を出して産業再生機構のお世話に。-ある意味、これ以上ないドラマチックな人生だった。そしてホークスファンを始めとする多くのプロ野球ファンが、そうまでして作ったこの球場で野球の面白さを堪能したのもまた事実。個人的には今のネーミングライツも結構だが、どこかに「ダイエー」の文字を残して欲しかったと思っている。

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2006年6月 1日 (木)

「生」観戦した野球場(9)-千葉マリンスタジアム

06いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

第9回 千葉マリンスタジアム 観戦球場ファイル-9-

マリーンズ球団の本拠地、千葉マリンスタジアム。前回書き込んだ東京ドームがオープンした二年後、幕張にオープン。敗戦処理。はいわゆるこけら落としを観戦した。

平成2年(1990)3月24日、記念すべきこけら落としはジャイアンツと、マリーンズの前身、当時まだ川崎球場を本拠地にしていたオリオンズのオープン戦。ちなみに主催はジャイアンツだった。千葉の新名所、幕張に出来た本格的なスタジアムのこけら落としということで千葉県出身のスーパースター、長嶋茂雄氏が始球式をやるのではという噂も出ていたが長嶋氏は当日午前中に行われた式典には参加したものの試合を観にスタジアムに訪れたファンの前には現れなかった。始球式を務めたのは千葉市長。

千葉マリン名物の強い風は、こけら落としから全開で、球場内で購入した焼きそばが飛びそうになったり、原辰徳が小川博から放ったセンター後方の飛球が風に乗って満塁本塁打になるなど、いきなりその威力を発揮していた。ちなみに原の本塁打は千葉マリンスタジアム落成第2号で、この球場初の本塁打は六回表に飛び出した初芝清の3ランで、賞金30万円が送られた。

1992年からマリーンズが本拠地として使用。もっとも「マリーンズ」という名称は移転とともに名付けられたものであり、川崎球場時代までは「オリオンズ」と称していた。この年早速初のオールスターゲームが開催され、スワローズの古田敦也が球宴史上初のサイクルヒットを達成した。

常打ち球場となってすぐにオールスターゲームが開催出来たのは名誉なことだが、もう一つの大舞台、日本シリーズ開催には14年の歳月を要したのはご存じの通り。

敗戦処理。の家からは関東常打ち5球場のなかでは最も遠く、ナイトゲーム観戦は正直きつい。観戦は年に1回程度で、ナイトゲーム観戦は数年に1回のペース。昨年はナイトゲームのマリーンズ対ジャイアンツの交流戦とデーゲームのマリーンズ対ファイターズ戦を観戦した。敗戦処理。はこの球場でマリーンズが負けるのをほとんど観た記憶がない。たぶんこけら落としの試合の時だけだろう。いつもうなだれて幕張本郷駅行きのシャトルバスに乗り込んでいるイメージしかない<苦笑>

ところで試合終了後のシャトルバスに関してだが、あれだけピストン輸送するのならいっそのことマリーンズファン用とビジターチーム用に分けて出してもらえないものか。ビジターファンとしては負ければ重苦しいし、勝っても多勢に無勢で喜びを満喫出来ないのが辛い<>

ところで意外と語られていないこの球場の謎を一つ。

マリーンズが本拠地とした1992年から毎年5月の末の土日にはスワローズが主催試合を行っているのである。これは東京・神宮球場を本拠地にしているスワローズには地方開催とは言えず、何とも中途半端でスワローズファンにとってもマリーンズファンにとっても謎とされている。

答えを聞くと何となく納得する。スワローズは本拠地の神宮球場で東京六大学野球のいわゆる早慶戦が組まれている時に千葉マリンで主催試合を組むのである。東京六大学野球や東都大学リーグの開催日にスワローズがナイトゲームで公式戦を開催するのは多々あるが、さすがに早慶戦には一目置いているのであろう。そして地元のファンが足を運べる範囲で、なおかつそれなりのキャパシティがある球場ということで千葉マリンを使用しているらしい。

早慶戦の時期に交流戦が組まれた昨年は時期をずらしてスワローズ戦が開催された。おそらくマリンスタジアム側が人気興行として手放したくなく、スワローズを説得したのだろう。今年は無いようだ。

先程日本シリーズ開催までに14年の歳月を要したと書いたが、まだこの球場でマリーンズの優勝決定胴上げが成されていない。球団とスタジアムとマリサポの次なる夢は本拠地でのV胴上げとなる。

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2006年5月16日 (火)

「生」観戦した野球場(8)-東京ドーム

01_6 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

第8回 東京ドーム 観戦球場ファイル-8-

今さら紹介するまでもないが、日本初のドーム球場として1988年にオープン。ジャイアンツとファイタ-ズが本拠地球場として使用。その後2004年にファイターズが北海道に移転し、現在はジャイアンツのみが本拠地としている。

後楽園球場より広くなったとはいえ、右中間と左中間の膨らみが少ないとか、やれ気圧の関係で本塁打が出やすいとか、いろいろとこの球場を揶揄する声はあるが、敗戦処理。にとっては一番好きな球場と言える。何だかんだ言っても最も多く足を踏み入れた野球場であり、ドームということもあって余程のことがない限り中止にならないからである。

日本プロ野球のメッカといわれた後楽園球場を引き継いだ形なので、野球体育博物館が併設されていることも特記しておきたい。内野一塁側21番入場口の脇にあるこの博物館には野球界への多大なる貢献で野球殿堂入りした人々のプレートが飾られているほか、野球に関した様々な展示がなされている。しかし意外にその知名度は高くないようで、東京ドームに頻繁に観戦に来るファンの中にも入場はおろか、存在に気付いていない人が少なくないというデータを以前に観た。入場料500円を試合のチケットの半券で割り引くとか、何らかの配慮も欲しい。

意外と知られていないという点では、東京ドーム自体の感謝祭イベントを実施しているという点。ジャイアンツのファン感謝デーではなく、東京ドーム自体の大感謝祭。敗戦処理。が知る限りでは少なくとも2002年と2003年の秋に開催されているが、それ以降開催されたかは定かではない。グラウンドを開放し、ファンはピッチャーマウンドに立ったり打席に立つことが出来る。ドーム内ツアーも通常のツアーでは入らないブルペンや素振りルームをも見学出来る。そして何より、この日に限ってはあの煩わしい()手荷物検査なしの入場フリーパス!

もう一つ後楽園から引き継いだものとして、旧後楽園時代にあった1番ゲート-王ゲート、3番ゲート-長嶋ゲートを挙げておこう。ただし東京ドームには1番入口、3番入口が存在しないのでメインの入口となる22番入口から二階席入口に伝わる階段の一塁寄りを王ゲート、三塁寄りを長嶋ゲートとしている。ちなみに正規のチケット以外で入場する人専用の30番入口は江川ゲートと呼ばれている、というのは悪い冗談。

敗戦処理。の東京ドーム初観戦は出来たばかりの1988年4月3日、オープン記念の十二球団トーナメント準決勝。その第一試合、ライオンズ対カープ戦で郭泰源がノーヒット・ノーランを達成したのが印象的だった。

早いものであれから18年。その間ハイテク人工芝の活用、エキサイトシートの新設など、ドーム球場のパイオニアとして進化を忘れない。ファイターズの移転、ジャイアンツの人気低迷と東京ドームにとって向かい風な状況の中、スタジアム自体の魅力を強化し続けることでこれからも我々ファンを楽しませて欲しいものだ。

02_1 2003年10月に行われた東京ドームシティ大感謝祭より。通常のツアーでは公開していない素振りルームや一塁側ブルペンを見学出来る貴重な機会であった。

01_1

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2006年5月 1日 (月)

「生」観戦した野球場(7)-ジャイアンツ球場

01_5 いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。

第7回 ジャイアンツ球場 観戦球場ファイル-7-

ジャイアンツの二軍の本拠地、ジャイアンツ球場。前回紹介した多摩一本杉球場と同様に、敗戦処理。の家から誓い。ちなみにこの球場の所在地を稲城市と勘違いしている人がいるが、正確には川崎市。

敗戦処理。の世代だとジャイアンツの二軍というと多摩川グラウンドを思い浮かべるが、天下のジャイアンツが二軍の専用球場を自前で持っていないというのは情けないとばかりによみうりランドの端の方に作られた。近年はお客様から入場料を取るにふさわしい施設への変革を続け、オフごとに改良が進められている。

2001年                  一塁側に長椅子の観客席設置。

2002年                  三塁側に長椅子の観客席設置。

2003年                  センター後方のスコアボードに選手名を表示

2004年                  最寄り駅からのシャトルバス運行(土、日、祝日限定)

2005年          ネット裏に2,175席の観客席設置。

チームとしてはFAや即戦力選手の獲得ばかりに目が行き、二軍から選手を育成するという姿勢が乏しいように見受けられるが、ここ数年の球場のバージョンアップは目覚ましい。ファンとしてはありがたいが、何かバランスが悪いような<苦笑>

ちなみに今年は3月12