東京ドーム最終戦を飾ったのは鎌ヶ谷育ちの二人
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ファイターズは明日から今年最後の東京ドーム主催公式戦を行う。11日からバファローズとの三連戦を13日まで行う。
2007年を最後にファイターズの東京ドーム主催試合は平日のみの開催になっているが、今回は個人的には仕事が休みなので、三日間東京ドームに通い詰めることが可能になった。
考えてみれば、今年のファイターズは開幕カードのゴールデンイーグルス戦に三連敗し、初勝利は東京ドーム開幕戦だった。多田野数人が好投し、二岡智宏が移籍後初のアーチを放った東京ドーム開幕戦が快進撃のスタートだった。
実は今季はもうファイターズはビジターでも関東地方での週末開催がない。この三連戦を今季最後のお祭りと位置づけている在京ファイターズファンも少なくないだろう。
期待しているぞ!
(写真:東京ドームに揃い踏みしたB☆BとC☆B。この兄弟のツーショットを観ることが出来るのも東京ドーム主催試合の楽しみの一つ。2009年4月撮影)
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当然、キング・オブ・POPの突然の訃報が一面を飾ると思った27日の日刊スポーツの一面は意外にもヤンキースの松井秀喜だった。今季限りでヤンキースとの契約が切れ、報道によると来季の構想に入っていないとかで早くも来季の去就が話題になっているのであるが、もしも日本球界に戻ってくるのであれば、という仮定の話でタイガース、バファローズに続いて古巣のジャイアンツも名乗りを挙げたようだ。記事では滝鼻卓雄オーナー、清武英利球団代表の本気ぶりを書いている。もちろん現時点ではすべて仮定との前提で。
膝の故障がどうのとか、あるでしょうが松井本人が日本球界復帰を選択肢にするのであれば、ぜひジャイアンツの結衣フォームを再び着て欲しいと敗戦処理。は思う。
(写真:松井が日本球界復帰なら古巣ジャイアンツも名乗りを挙げると報じた27日付の日刊スポーツ)
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敗戦処理。が利府でイースタンのゴールデンイーグルス対ファイターズ戦を生観戦していた昨日(9日)、その間に一軍戦の札幌ドーム、ファイターズ対バファローズ戦ではとんでもないことが起きていた。
ボールカウント2-2であるところを球場内の表示が2-3になっており、確認を求めた一塁走者・大村直之に対し、山本隆造一塁塁審も誤って「2-3」と返答。それを信じて次の投球で二塁にスタートした大村が、ボールの判定に(=「四球」でテーク・ワンベースと思い)スピードを緩めたところ、捕手からの盗塁を防ぐ送球で刺され、アウトになってしまったのだ。
当然、バファローズの大石大二郎監督は猛抗議。一度は納得して引き下がるも、審判団の場内への説明も不誠実だと再抗議するなど、後味の悪さを感じさせたようだ。
敗戦処理。は携帯電話サイトの「プロ野球TV24」で「GAORA」の中継映像を確認した。
大村を一塁に戻し、カウント2-3から続行という例外的措置をとれなかったものかと思うが、どうだろうか?
(写真:札幌ドームのスコアボード。当エントリーで取り上げている当該試合のものではありません。2008年3月撮影)
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先月30日の日刊スポーツの1面は清原和博だった。なんでも今シーズンから日刊スポーツの評論家になったそうだ。この日の記事はいわば所信表明。清原は二軍の指導者から始め、いずれは監督として日本一になりたいという。
イースタン観戦愛好家の敗戦処理。としてはありがたい話だ。
僚友にしてライバルの桑田真澄は監督やコーチではなく、球団経営を勉強するために早稲田の大学院に進む。いずれ監督としてのKK対決が実現するのか?清原が桑田に雇われる日が来るのか?
しかし桑田もそうだが、「二軍監督からやりたい」と言っている清原よ、二軍の指導者がどれだけ大変か、わかっているのかな?
(写真:今シーズンから清原と評論家として契約したことを大々的に報じている1月30日付日刊スポーツの1面)
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ファイターズが今シーズン限りで戦力外通告した選手を発表したのが10月2日。その顔ぶれは歌藤達夫、中村泰広、金沢健人、内山雄介、小山桂司、駒居鉄平の6人。ブルペン捕手に転身する駒居以外の5人のうち、内山以外の4選手は来季、他球団のユニフォームを着ることが決まった。また、2007年のリーグ優勝に多大な貢献をしたライアン・グリンも自由契約として公示されたが、バファローズが獲得を検討しているという。ファイターズが戦力外と判断した選手を他球団が続々と獲得していく。これは喜ぶべきことなのか、フロントの見る目を疑うべきなのか…?
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8月3日付当blog 清原和博、覚悟の一軍復帰-「来年はグラウンドに立てないと思います。」で、触れたように清原和博の姿をしっかりと焼き付けようと、声明後初の関東遠征となる今日16日のライオンズ戦を西武ドームまで足を運んで観てきた。ファイターズもジャイアンツも、野球日本代表も放ったらかして所沢まで駆けつけた。少しでも清原の姿を近くで観たいがために、かなり値が張るがベンチサイドシートを購入した。
(写真:「代打清原」のコールに清原を撮影しようとネットの前に集まる清原ファン。試合前の打撃練習ではない。試合中の打席の場面で無法地帯に<苦笑>。)
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今日(3日)付けで一軍登録が決まっているバファローズの清原和博が壮絶な思いを会見で披露したようだ。
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左ひざの軟骨移植手術からの復活を目指すバファローズの清原和博が3日、ウエスタン・リーグ公式戦に出場。実戦出場は603日ぶりだった。試合が行われたあじさいスタジアム北神戸には過去最多の5,621人の観衆が押し寄せたそうだ(同球場のこれまでの最多は約2,700人らしい)。
いまだ衰えぬ清原人気を感じさせるが、そういえば清原はジャイアンツ時代にも故障明けにはよくジャイアンツ球場でファームの試合に出ていたっけ。
■写真:1999年8月。故障で戦列を離れ、炎天下のジャイアンツ球場でリハビリに励む清原和博。
後ろ姿は内田順三コーチ(現カープ)、左端は広沢克(現タイガースコーチ)。この年の清原&広沢の合計推定年俸4億5000万円!
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マリーンズ球団が、昨シーズン限りでマリーンズから戦力外通告を受けて現役を引退した吉井理人の引退セレモニーを行うことを3日、発表した。吉井は昨シーズンの戦力外通告後、当初は現役続行を希望していたがファイターズから一軍投手コーチ就任の要請を受け、現役引退に踏み切り、コーチに就任した。マリーンズの本拠地、千葉マリンスタジアムでのファイターズとのオープン戦が行われる11日にセレモニーが行われ、吉井コーチは始球式を務める。
大リーグ、メッツ時代にも吉井と監督とコーチの間柄だったマリーンズ、ボビー・バレンタイン監督の発案で実現の運びとなった。バレンタイン監督は吉井が投球する際、打席に入るという。 マリーンズは今年のオープン戦では別途、黒木知宏元投手の引退セレモニーも予定している。13年間マリーンズ一筋だった黒木と異なり、昨シーズンの途中にバファローズから移籍してきてマリーンズでは4試合に登板して0勝3敗、防御率13.14と散々だった吉井に対し、(しかも引退して自軍に残ったのではなくライバル球団のコーチになったというのに)引退セレモニーをするとはマリーンズらしいといえば、マリーンズらしい演出ではないか。 マリーンズよ、ありがとう!
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書くタイミングを逃した話題という感じだが、さすがに書かずにいられない。ジェレミー・パウエルの二重契約問題に対してパ・リーグ小池唯夫会長の「2つの契約書は有効なものと見ざるを得ない。」なる珍解釈から始まった勧告を「有り得ない」と断じた根来泰周コミッショナー代行に、誰もが納得いく裁きを期待したが、何とも拍子抜けする結果となってしまった。法律家ならではの裁きを期待したが、ある意味法律家ならではの裁きになってしまったと言わざるを得ない。
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先月11日にバファローズが獲得を表明した前ジャイアンツのジェレミー・パウエルに関して、同29日にホークスがパウエルとバファローズは正式な契約手続きを完了していないとして(より好条件を提示して)契約にこぎ着けたというニュースには驚かされたが、もっと驚いたのはバファローズ、ホークス双方を徴収したパ・リーグ小池唯夫会長の「2つの契約書は有効なものと見ざるを得ない。いわゆる二重契約と判断せざるを得ません。」という発言。
この人はいったい自分の立場を何と心得ているのだろうか?
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左ひざ治療中のバファローズ清原和博が今月4日に記者会見を開き、左ひざの再手術に踏み切ることを表明した。早速6日に軟骨の移植手術を受け、ひとまず成功。来年の2月の春季キャンプでナインに合流、来シーズンに奇跡のカムバックを目指すという。4日の記者会見には声明文を用意し、愛する子供さんが七夕の短冊に本人の願い事でなく清原の身体のことを祈っていたとか、PL学園時代からの盟友、桑田真澄の大リーグでのがんばりに勇気をもらったとか、バファローズ球団に迎え入れてくれた故・仰木彬さんの名前を出したりして、もう何度目だかわからない、選手生命をかけての誓いを表明した。たしかにこれまでの選手としての実績を考えたら、このまま故障が治らずに引退ではあまりにも寂しい。もう一度打席に立つのを観たい。でも、今年2月の手術は何だったの?古巣ジャイアンツとの交流戦で復帰するはずじゃなかったの?本人は年俸返上などと殊勝なことを言っているが、どうしても素直に「頑張れ」と言う気にならない。それは何故なのだろうか?
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26日、ファイターズ球団とバファローズ球団の間で2対2の交換トレードが成立した。ファイターズからは木元邦之内野手と清水章夫投手がバファローズに移り、バファローズから歌藤達夫投手と萩原淳投手がファイターズに移る。この中では敗戦処理。としては木元邦之に思い入れが深い。スラッガー内野手と期待されて2000年のドラフトで逆指名してファイターズに入団。一時はレギュラーポジションを確保したが腰痛に泣かされたり器用貧乏な守備が仇となったりで近年は低迷。今年は内野のポジションが空いたので大きなチャンスかと期待され、事実パ・リーグ開幕戦では「五番・一塁」でスタメン出場を果たした。しかし極度の打撃不振で二軍落ち。チームの北海道移転元年のAクラス入りに貢献し、プレーオフでもライオンズ時代の豊田清から同点本塁打を放ったあの打棒が蘇る日はまだ来ていない。
今季の木元は開幕戦でスタメン出場し、第二打席でタイムリーとなる初安打を放つ幸先良いスタートを切ったがこの安打を最後に極度の打撃不振で二軍落ち。再び一軍に上がってきたが打棒は振るわず、この日のトレードとなった。
今季の木元のファイターズでの成績は以下の通り。
一軍 18試合 35打数 3安打 0本塁打 1打点 打率.086
二軍 21試合 90打数21安打 1本塁打 4打点 打率.233
今年で29歳になる七年目。復活を賭けたシーズンにこの成績では求める球団があればトレードになっても仕方ないところだろう。敗戦処理。は旧ニフティのベースボールフォーラムでも、その後継のfolomyでもどちらかというと木元に好意的な発言に終始してきたが、それは率直に期待の表れ。潮時かなとは思っていたが、現実にトレードが発表されるとやはり淋しい。
ファンの間でも「未完の大器」あるいは「既にピークを過ぎた男」として語られることが多い木元だが、ここでは惜別の意味を込めてもう一つの側面から木元を評価してあげたい。
木元は2004年に導入されたパ・リーグのプレーオフ制度が定着した陰の功労者である。
ファイターズファンには敢えて語るまでも無かろうが、チームの北海道移転元年であった2004年。球界再編騒動に揺れる中、チームは勝率五割ギリギリでAクラス入りを果たし、シーズン2位のライオンズを相手にプレーオフ第一ステージに挑んだ。第1戦をライオンズが取り、第2戦をファイターズが取っての第3戦。勝った方がホークス相手の第二ステージに進むという大一番はファイターズが一回表に帆足和幸からフェルナンド・セギノールの先制3ランでリードするも、江尻慎太郎が中途半端なストレートを投げてアレックス・カブレラの餌食となり逆転満塁本塁打を浴びて3対4となり、その後1点を追加されて3対5で最終回を迎えた。ライオンズのマウンドには絶対的守護神の豊田清。ファイターズファンですら半信半疑な最後の攻撃で一塁に高橋信二を置いて木元が振り抜いた打球は高~く上がってライトスタンドへ落ちた。当日、三塁側ベンチの上の方で観戦した敗戦処理。は今でも脳裏にあの打球の軌道が焼き付いているが、あの年は不動のレギュラーだった木元とはいえ、豊田からあの一発を放つとは誰が予想しただろうか?同点や逆転を信じていたファイターズファンはSHINJOの前に走者を貯めることを考えていただろう。だがその前に、木元が同点にしてしまったのだ。
しかし勝利の女神は気まぐれだ。同点になったその裏、その年のパ・リーグ最優秀救援に輝いたファイターズのストッパー横山道哉が先頭の和田一浩にレフトポール際にサヨナラ本塁打を喫する。
短期決戦ならではの意外性、面白さ、怖さを凝縮したかのようなこの試合の九回表裏の攻防はファイターズとライオンズのファンのみならず、この試合をたまたま観ていたファンまでをも魅了した。そしてこの瞬間、アドバンテージの問題や、不公平な敗者復活戦と揶揄される矛盾をはらんだままスタートしたプレーオフ制度は「プレーオフって、おもしれぇじゃん!」とファンの間に定着してしまったといっても過言ではない。この年は第二ステージでもホークスとライオンズが大接戦を展開。翌2005年にはマリーンズがホークスを圧倒するかと思いきや、王手をかけた第三戦で小林雅英が最終回に4点のリードを守れないというまたしても信じがたい短期決戦のドラマが起きた。そして昨年は松坂大輔vs斉藤和巳の大熱投とファイターズの前に力投虚しく1点に泣いた斉藤和巳がマウンド上で崩れ落ちる姿が多くのファンの感動を呼んだ。
そしてとうとうセ・リーグも歩調を合わせてプレーオフを導入した。
すべては木元の一発から始まった。
あの試合、同じライオンズの勝ち試合でも九回表に豊田がいつものようにファイターズを三人で抑えていたら、その後のプレーオフ制度はどうなっていたか?矛盾点があるのは紛れもない事実なのでいろいろな論争が繰り広げられ、形を変えていたかもしれない。
日本プロ野球はあのプレーオフのあった2004年の再編騒動から大きな変革をしていない。まだまだ問題点を抱えたままだ。何年か先、あるいは何十年か先、2004年という年を振り返ったとき、あの年に初めて導入されたプレーオフが盛り上がったという事実は必ず呼び戻される。そしてその立役者は間違いなく木元邦之だ。
ひょっとしたら、木元邦之はあの一打で野球人生の運を使い尽くしたのかもしれない。トレードとなると必ず「心機一転」という四文字がついてくるが、木元は一転どころか十転か百転くらいしないとバファローズで蘇らないかもしれない。でも、バファローズ球団が必要としているのだ。百転で足りなければ二百転してでも蘇れ木元。
ファイターズに木元邦之という選手がいたことを敗戦処理。は決して忘れない。
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2004年の球界再編騒動の過程で誕生した新規参入球団・東北楽天ゴールデンイーグルス。当初の分配ドラフトでどう見ても十分とは思えない選手配分だったことを考えると、ここまでの苦戦は避けられなかった事態と言えよう。ただ、100勝到達に関する談話の中で、このチーム誕生からコーチを務めている橋上秀樹ヘッドコーチの談話が印象に残った。同コーチは、節目の100勝達成がバファローズ戦だったことに意味があると語っていた。球団の身売り-親会社の変更ではなく、球団合併と新球団の誕生という決着をみた2004年の球界再編。新規参入球団の節目の勝利が合併球団相手に達成されたのはたしかに偶然ではないかもしれない。
「だって、ここ(オリックス)は『いいとこ取り』だろ。100勝よりも、今現在、オリックスより上の順位でいることが大きいね」
(橋上コーチの談話・5月12日付日刊スポーツより)
これが仮に野村克也監督が残したコメントならば、「またいつものイヤミか」と読み過ごしていたかもしれませんが、田尾安志監督の創立一年目からこのチームでがんばっている橋上コーチの一言だから重いのですね。
球団誕生の経緯から「せめてオリックスよりは上の順位に行って欲しい」と思っているファンは少なくないようだ。敗戦処理。もゴールデンイーグルスのファンではないが(もちろんファイターズファン)いわゆる判官贔屓の感覚で、バファローズを超えての最下位脱出を秘かに応援している。
* でもそれ以上行くと、ファイターズとの争いになるので、とりあえず今年はそこまでにとどめて欲しい<苦笑>。
それにしても、あらためて振り返ると、不愉快な球界再編騒動だった。
旧バファローズの親会社、近畿日本鉄道が経営状況が逼迫しており、同社が球団を手放さなければならなかったのは致し方ない所だったろう。90年代中盤に野茂英雄任意引退→ドジャース入りに至る顛末、ドラフトで交渉権を得たPL学園の福留孝介に三年後のトレードを認める契約を結ぼうとして協約違反を指摘された件、故障によって欠場した石井浩郎に野球協約で定める上限以上のダウンを強行しようとして事実上の喧嘩別れになった件、とトラブル続きだったので抜本的に球団経営のあり方を改善できる人材に任せるか、近畿日本鉄道自体に球団経営から退いてもらうしかないと敗戦処理。は個人的に思っていた。それでも当時の旧バファローズはパ・リーグでは身売りを経験しなかった唯一の球団であり、半世紀以上も球団を支えてきた近畿日本鉄道が球団経営を断念する報道が出たときには淋しい気持ちが大きかった。
当時はホークスの親会社でもあった「ダイエー」が天文学的な有利子負債を抱え、グループ再編を余儀なくされて球団経営にも危機が及ぶのではないかという一連のマスコミ報道があって、その関連で実はJRを除いた日本の私鉄では最大規模を誇る近畿日本鉄道の有利子負債もそれに近い額になっていると報じられていたので「身売り」だけの報道ならさほど驚かなかったかもしれないが、「合併」という手段を選んだ衝撃は大きかった。
結果的に見れば、近畿日本鉄道から楽天に球団身売りが為されていれば、ゴールデンイーグルスのような弱い球団が誕生しなくて済んだのだろう。しかし合併の意志を表明した当時の会見では、水面下で身売り先を探したが見つからなかったから合併という選択肢を選んだと発表されていたし、その後ライブドアが買収に名乗りを挙げても門前払いだった。
まず二球団の合併を決め、パ・リーグの球団数が奇数になり、なおかつ5球団になってしまうことの弊害に対しては当時のライオンズの堤義明オーナーが「さらにもう一組の合併を模索中」と表明し、球団数削減、球界再編に向けて急速に動いているように思えた。
その間、この無謀とも思えるあまりに急速な動きに反発するファンが各球場で膨大な数の署名を集め、世論を喚起。またこの動きの黒幕と目された当時のジャイアンツの渡邉恒雄オーナーの「たかが選手が…」発言などで野球ファンを超える社会問題レベルにまで高められたこともあって、球界の動きにブレーキが掛かり、選手会はストライキに突入。これがまた野球ファンのみならず一般世論の圧倒的な支持を受け、新規参入球団を受け入れざるを得なくなった。ライブドアと楽天の一騎打ちになり、楽天が仙台市を本拠地とする新規参入球団として認められた。
当時「楽天」の立候補は、新規参入球団を認めざるを得なくなった球界が、ライブドアの参入を認めたくないために代替候補として担ぎ出した「ライブドア潰し」のための「後出しジャンケン」と噂された。実際この当時のライブドア、ホリエモンはプロ野球ファンにとっては英雄だった。敗戦処理。も半信半疑ではあったが、あの時点で旧バファローズ買収に名乗りを挙げたライブドアに関しては評価している。
「楽天」の参入が認められた時点では、ゼロからのスタートになる新球団のための分配ドラフトはもっと新規参入球団にそこそこの選手が配分される見通しもあったが、実際には橋上ヘッドの談話にあったように「いいとこ取り」をされた。救いは旧バファローズで合併撤回に向けて闘った選手会長の礒部公一と、ストッパーの福盛和男がプロテクトの対象になることを拒否して新規参入球団入りを強く希望したことと、エースの岩隈久志が(手続きをしなかったために)一度は合併球団にプロテクトされたもののトレードでゴールデンイーグルスに入団できたことくらいか。
圧倒的な戦力不足でスタートしたゴールデンイーグルスは二年連続で最下位に沈み、三年目の今年、上昇の兆しを見せているもののまだまだ上位を狙えるレベルとは言い難い。一方の合併球団バファローズは、合併一年目こそシーズン終盤までライオンズとプレーオフ進出をかけて争ったが、それとて勝率五割に満たない低いレベルでの争いだった。二年目は5位。それも一時はゴールデンイーグルスに抜かれるのではないかという危機にもなったほどだった。三年目の今シーズン、10連敗などもあって最下位に低迷中だ。新規参入のゴールデンイーグルスが苦しむのはまだしも、合併で戦力が増強されたはずの球団も低迷しているのは一体どういう事だったのだろう。
合併に踏み切ったときの旧バファローズとブルーウェーブはその年の5位と6位だった。その年の5位と6位を合併して「いいとこ取り」のチームを作っても強くならないということは、今後再び経営的に持ちこたえられない球団が出てきたときや、今以上にセ・リーグとパ・リーグに人気格差が出て1リーグ化、球団数削減に踏み切っても魅力あるチーム(編成)が出来る保証はどこにもないと言うことを意味する。また新規参入球団が今なお戦力不足に苦しんでいる現状は、ファンの一部が望んでいるエクスパンション-球団数増加も、戦力不足の球団が増えて全体のレベルが下がるだけに過ぎないという懸念を示している。
ゴールデンイーグルスは、本拠地球場で、いわゆるボールパークとしての演出で独自のサービスを展開して地元ファンを取り込むなど、(圧倒的に不足している戦力というカテゴリー以外の分野では)精力的な企業努力を続けており、結実しているとも言われている。敗戦処理。が「判官贔屓」と断りながらも、合併球団よりは新規参入球団に多少の肩入れをしていると書いたのはこんな理由と背景からだ。
球界再編の波は近い将来、必ず形を変えて再び球界を覆ってくるだろう。2004年の球界再編騒動で、球界の何が変わったのか、何が良くなって、何が悪くなったのか?再編の結果生まれた新規参入球団ゴールデンイーグルスが遅すぎる100勝到達を節目として、あらためて三年前の球界再編騒動を検証するのも、次に備えて必要かもしれない。
ファンは一度は着いてきてくれても、二度目は許さないかもしれないから。
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早いもので、中村紀洋が正式に自由契約選手として公示されてから一週間が経過した。スポーツ新聞報道レベルではいくつかの球団で獲得の可能性が浮上したかと思えば、その直後に否定報道が出るという繰り返しで、26日現在で獲得の意志を表明している球団はない。それどころか、26日の日刊スポーツの1面には格闘技のK-1への転身説まで出た。その記事には最後の望みとしてファイターズが今日27日に行われるスタッフ会議で再検討して結論を出すとも書かれていた。果たして中村の行く先は?
これまで敗戦処理。は本ブログで中村に対しては辛辣な意見を述べ続けてきた。上記で最後の望みと書いたファイターズは敗戦処理。の贔屓チーム。当初中村に関して高田繁GMが「獲らない。」と言っていたから、ファイターズに関しては立ち消えたかと思っていた。しかしその記事の中に「ヒルマン監督がどうしても欲しいと言えば考えないこともないが」との但し書きがあった。そして来日したトレイ・ヒルマン監督が関心があるともないともとれる発言をしたことから、27日のスタッフ会議で…との話になったのだろう。
ファイターズは昨シーズン、三塁のポジションを固定できなかった。三塁手として最も多く出場したのは飯山裕志の62試合だが、その大半は試合途中からの守備固めであった。シーズン途中からは相手が右投手先発なら左打ちの稲田直人が先発で、相手が左投手先発ならスイッチヒッターのホセ・マシーアス起用というのが一般的になった。マシーアスが解雇され、稲田が一番手という感じだが、新外国人のアンディ・グリーンが三塁を守れると言うことでこちらが本命だろう。付け加えればアジアシリーズでアピールした木元邦之にも復活の期待がかかる。
しかし一方で、主に一塁を守っていた小笠原道大がFAでジャイアンツに移籍したため、一塁のポジションと三番打者が抜けており、その穴が埋まっておらず、グリーンを一塁に回せば、「三番・三塁」がすっぽり空くのも事実。
ここに中村が、一部報道にあったように、年俸1,500万円程度でも獲得できるというのであれば、ダメ元で獲得するのも悪くないのではないかと敗戦処理。も思えてきた。
ファイターズは北海道移転からSHINJO、稲葉篤紀、岡島秀樹とシーズンごとにサプライズ補強をし、それが結実し、2006年の栄冠へつながった。実は彼らは獲得時には評価はさほど高くなかった。SHINJOですら、三年間のアメリカ生活から帰ってきた時には「都落ち」の印象がぬぐい得なかった。稲葉は大リーグ入りを目指したがオファーがなかった選手で、岡島はジャイアンツで居場所を失いつつあった状態だった。それを考えると、言葉は悪いが買い叩いて中村を獲得し、決して優先的にポジションを与えるのではなく、それこそ年俸1,500万円選手の待遇でライバル達と競争させるのも悪くないかなと敗戦処理。は気持ちが変わりつつあるのである。
ちなみに年俸1,500万円といえば、2007年のファイターズで言えば、飯山とまさに同額である。稲田に至ってはまだ1,200万円だ。
なにしろ一度戦力外通告をした坪井智哉を年俸2,000万円で再雇用した球団だ。また2000本安打目前の超ベテラン田中幸雄とは年俸の大幅ダウンを合意してこれまた2,000万円で契約した球団だ。このオフはまだサプライズ補強がないし、中村獲得も悪くないのではないかと。
ただ、同じ右打ちの内野手という点で前述の田中幸雄とバッティングするのが最大のネックかもしれない。力の衰えは誰の目にも明らかではあるが、後楽園球場時代からの生え抜きで、2000本安打までようやくあと18本まで近づいたカリスマ生え抜き戦士のただでさえ少なくなった出場機会を奪う存在となると、ファンからの猛反発を買いかねないからだ。田中幸の2000本安打までの18本という数字はすぐ目の前のように思えるが、昨シーズンの安打数が15本だったことを考えると、昨シーズン並みの出場ペースでは達成できないということになり、そこにわざわざトラブル・メーカーの中村を獲得することにファイターズファンが猛然と拒否反応を示すことは容易に想像できる。
中村は小笠原と同じ、今年34歳になる本来ならばバットマンとして働き盛り。手首の故障の不安がなければ、かつての年俸5億円分の働きは無理にしても、復活は期待できると思えるのだが、どうだろうか?
いずれにしても、球団としての最終意思決定は今日27日に下される。どうする、ファイターズ?どうなる、中村紀洋?
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昨年5月6日のマリーンズ対バファローズ戦の守備でフェンス際のファウルフライにダイビングキャッチを試みて胸部などを骨折し、約四ヶ月半戦列を離れたバファローズの平野恵一の四度目の契約更改交渉が19日に行われ、それまでの提示より100万円の上積みを勝ち取り、200万円ダウンの4600万円(推定)で更改された。話題になった中村紀洋の契約交渉では中村が左手首痛を押して出場して成績不振だったのが交渉扱いされなかったのが争点だったそうだが、平野の方は四度目の交渉で上積み獲得に成功。中村と平野の差はいったい何なのか?代理人の腕の差なのか<笑>?前川勝彦の処遇も含め、本当に不思議な球団だ。
平野恵は一昨年の2005年に二塁手として115試合に出場。それまでの便利屋的な起用法から、完全に二塁のポジションに固定された形だった。しかし2006年は前述した通り5月6日の対マリーンズ戦で今江敏晃の放った一塁側内野席ギリギリのファウルフライに果敢にダイビングキャッチを試み、捕球したもののフェンスに身体を強打。胸部などを骨折し、約四ヶ月半もの間戦列を離れた。一軍復帰はシーズン最後の二試合という時期だった。
中村の交渉時にバファローズ球団ではプレー中のケガでも公傷と認めないという話があったことから、平野恵の交渉が難航しているのもむべなるかなと思っていた。しかし2006年の出場数が前年の118試合(二塁以外での出場を含む)から33試合に激減したにもかかわらず推定年俸4800万円から300万円程度の減額提示だったということはあの「命がけファインプレー」は既に評価されていたことになる。
【平野恵一の最近三年間の成績】
2004年 124試合 打率.279(リーグ25位)、6本塁打、39打点
2005年 118試合 打率.285(リーグ15位)、3本塁打、33打点
2006年 33試合 打率.235 2本塁打、6打点
平野側は公傷を主張してダウンは無しでの現状維持を求めていたようで、球団側は考慮はするがダウンは避けられないという査定だったのだろう。
因みに中村は12日に行われた球団との最終交渉の後でチームメートの平野恵の力にもなれなかったことを悔やんでいた。
「(昨年フェンスに激突し、今なお契約保留中の)平野恵一にも力になれなかったと謝りたい。どこまで頑張れるかと思って頑張ってきたけど、自分1人ではどうにもできなかった。やっぱり選手は弱いですね」
(1月13日付日刊スポーツより。カッコ内も記事のまま)
しかし、そもそも球団は中村の左手首痛と平野恵の骨折を全く別の基準で査定していたのだろう。今にして思えば中村のこの発言は平野恵に便乗してファンの同情を買おうかとの真意を邪推させる。敗戦処理。的には中村が平野に謝るべきなのは、主砲として満足な打撃ができず、4月の時点で既に二度の完封をマークするなど素晴らしい投球をした平野佳寿が年間を通して7勝11敗という成績に終わったことでもわかるように新人投手の奮闘に援護できなかったことの方だろう<苦笑>。
閑話休題。ところで以前から疑問に思っていたのだが、平野恵一の「命がけファインプレー」は本当に公傷扱いする必要のあるプレーだったのだろうか。
スポーツニュースであのシーンを観たから、筆舌に尽くしがたいプレーであることは理解しているつもりだが、結局はファウルフライなのである。2対0でリードした三回裏の二死一塁という場面で、四ヶ月戦列を離れるリスクのあるプレーを本当にすべきだったのかという事だ。
ファウルフライ-それもスタンドギリギリで、捕れなくても投手にダメージの少ない打球だ。この時の打者が二番の今江で、今江を出塁させると福浦和也、サブロー、マット・フランコというクリーンアップにつながる場面だから未然に防ぎたいというのは解る。しかしそのためのアウト一つと、四ヶ月の欠場、チームにとって痛いのはどちらかと言うことだ。手首の痛みと闘って無理して出場を続けた中村がブレーキとなった部分はそのまま査定され、必ずしも無理をする必要がないと思われるシーンでの無茶には配慮する。バファローズという球団のバランス感覚に違和感を憶えるのは敗戦処理。だけだろうか。
バランスといえば、引き逃げと無免許運転で起訴された前川に対する対応にも首を傾げざるを得ない点があった。
事件に関する詳細は割愛するが、バファローズ球団は18日、前川克彦(登録名は勝彦)被告を解雇、自由契約にすることを発表した。(翌19日、自由契約選手として公示された。)
雑賀忠夫球団社長は、
「車の事故に対して社会的な風潮が厳しい中で、こういう事件を起こしたことに対し、球団として処分を下すことを決めました。熟考を重ねた末の決断でした」
(20日付日刊スポーツより)
と会見で説明した。しかしそこまで熟考したのなら、「社会人として更生するのに、手を差し伸べる用意はあります。今すぐは無理としても、本人が十分に反省した上で望んだ場合や社会の情勢が許した場合ですが、我々は門戸を開けておくということ。(球団に復帰させる)期間については、今は申し上げられません」(同社長。20日付日刊スポーツより。カッコ内も記事のまま)との温情を示すことは、この段階で発言すべきだったのかという点だ。
たしかに所属先として、社会的常識のかけらもない事件を起こして解雇した後も更生を支援し、復帰の道を閉ざさないという考え方も解らないことはないが社長自身「車の事故に関して社会的な風潮が厳しい中」と感じているのであれば、たとえ会見の席上で報道陣から追究されたとあっても、この時点で温情を示すのは妥当とは思えない。時あたかも、この会見の前日の17日にはタレントの風見しんご の10歳の娘さんが交通事故に遭われて幼い命を失ったばかりだ。そしてそのほんの一週間ほど前の11日にはモーニング娘。のリーダー、吉沢ひとみ の16歳の弟さんも交通事故で亡くなられている。本当に「社会的な風潮」を意識しているとは思いがたい。いかに想定外の事件発生とはいえ、事件発生直後の対応ではない。冷静に処分その他を議論する期間はあったはずだ。
前川への対応、平野恵と中村に対する対応の差、そもそも中村(あるいは谷佳知を含めて)と清原和博への待遇の差と、この球団のバランス感覚には首を傾げざるを得ない点が多い。少なくとも前川の件だけでも、現実に被害者が存在するということを強く意識して対応しないと、前川だけでなく、球団自体、ひいては野球界全体の社会的常識も問われるのである。
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12日、バファローズ中村紀洋サイドと球団の6回目の契約更改交渉が行われたが、またも決裂。中村は球団に残ってプレーする意思がないことをあらためて通知し、球団もトレード先を探し、受け手が見つからなければ自由契約にするという。敗戦処理。は11日付のエントリーで中村の逆襲が始まると書いたが、とんだ買いかぶりで、単なる交渉下手だったことが露呈した。球団の方も野球協約で定める減額制限を呈示して断られた後の対応に不可思議な点がある。近年、ようやく大リーグ並みに代理人交渉が認められて定着しつつあるが、こんなままごと契約更改をしているようではそれこそ日本のプロ野球はアメリカ大リーグのファームと嘲笑われる?
このオフのバファローズと中村の契約更改交渉は、下交渉の時点で球団が野球協約で定める減額制限を超える減俸を提示したことから中村が不信感を抱き、その大幅減額の原因となった左手首の負傷が公傷と認められていないことで完全に溝が出来、中村の代理人を務める茂木立仁(もぎたて・ひとし)弁護士と球団との採算の交渉もまとまらなかった。12日の交渉では中村本人が第1回交渉以来の同席となったが、決着は中村の退団決定ということになった。
敗戦処理。の11日付のエントリーでは、減額制限を超えた減額は選手の合意があって初めて成り立つものなのに、中村が拒否しても減額制限内での交渉に入らないのであれば、それは球団側の落ち度であるから、その当たりを突いて中村サイドが何らかのウルトラCを用意してくるのかと思ったが…。
この件を報じた13日のスポーツニッポンは中村本人に12日の交渉の様子を聞いているが、その中にこんなくだりがある。
- 直接、球団事務所に足を運んだのは?
「ケガのことをはっきりさせたかったので。プレー中のケガは公傷にならないのですかと聞いたら、うちは認めないと言われた。そういう方針が球団にある以上は受け入れざるを得ないが、僕としては譲れなかった」
信じられない。これが最終交渉と目された席で聞く質問か?
中村や代理人は今まで何を球団と話し合ってきたのか?
茂木立代理人は「契約とかは専門家の仕事で私が進めればいいケース。ただ(ケガについては)本人不在だと分からないケースがある」(同じく13日付スポーツニッポンより)と言ったそうだが、ケガの程度や、どういうシチュエーションでケガを負ったかに関係なく、プレー中のケガを公傷と認めない方針であれば、中村が同席したかどうかは関係ない。一方で同じ紙面で中村の方は「基本的にオリックスでプレーすることを考えていたが、言葉の掛け違いが多すぎてこういう結果になってしまった。自分自身が交渉の場にいればよかったなと思う」と言ったとなっている。
代理人は本人の不在を嘆き、本人は自分がその場にいたらと後悔する。いったい何なんだこのコンビは?
中村は旧バファローズの出身で、合併球団とはいえ現球団の一員になったのは昨シーズンが初めて。一年契約を結ぶ際、確認しなかったのか?
この球団では昨年の清原和博の死球に対する報復宣言騒ぎがあって、その時にも20年選手清原のあまりの次元の低さにあきれたが、今回の中村も似たり寄ったりだ。
しかし中村も清原も、もとをただせば現バファローズ球団に引っ張ってきたのは故仰木彬さんだ。合併球団とはいえ、どちらの球団のファンも合併を歓迎しておらず、そのため双方のファンをつなぎ止められる希有な人材として高齢の仰木さんに初代合併監督の白羽の矢が立ち、文字通り骨身を削って采配した後、一線を退いて、この二人を引っ張ってきた仰木さん。「誰にも歓迎されない合併」を引きずっている球団を変えるには強烈な個性の持ち主が必要だったのだろうがこの二人に関しては仰木さんの見込み違いだったと断定せざるを得ない。そしてこの二人、何かと仰木さんの名前を出す。拾ってくれた仰木さんへの感謝を忘れない志を保ちながらあの成績では、もはやこの両選手に2006年を超える成績を望むのは無理ということか。
それにしても昨年来、この球団のニュースといえば、清原の問題発言の他にかつて所属した選手の薬物使用や、現役選手による引き逃げに、今度はけんか別れ。圧倒多数のプロ野球ファンの反対を押し切って合併した結果がこのような御難続きというのは何か見えない力でも働いているということなのでしょうか。
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スポーツ報知web版によると、バファローズの中村紀洋内野手の契約更改交渉が9日に球団と中村の代理人を務める茂木立仁弁護士の間で行われたが決裂。同弁護士は会見で、「(球団側と)自由契約かトレードしかないという認識にはなったが、まだ結論は出ていない」と主張。これを受けて報道陣の取材に応じた機谷俊夫球団代表は「一度(慰留を断念する)結論を出したが、話し合う用意はある」と交渉の再開に含みをもたした。
敗戦処理。は昨年11月25日付け甘えるなノリ!-中村紀洋が温情更改を要望? でも書いたように中村には厳しい評価をしていますが、中村に弁護士が付いていることを考えると、これが中村の逆襲の第一歩なのではないかという気がする。果たして、中村の逆襲とは?
今日は工藤公康についても書きたいのですが、どうもこのニュースが気になったもので<苦笑>。
各種報道で報じられている通り、中村の契約更改に関して下交渉の段階で野球協約に定める減額制限(中村の年俸が推定2億円だとしたらその40%)を超える下げ幅で提示があり、その後もその水準のままであるのなら、中村がそれに応じる気がないのであれば、球団は野球協約に定める減額制限の範囲内で中村ないし代理人と交渉しなければならない。またバファローズ球団は昨年11月末に連盟に提出する保留者名簿に中村を記載しているのだから、減額制限を超える減額交渉に応じないことを理由に中村を解雇したり、中村に不利益を生じさせることは出来ない。それは中村の昨シーズンの成績が85試合に出場したのみで、打率.232、12本塁打、45打点というとても年俸の半分も働きをしていない体たらくであっても例外ではない<苦笑>。
このオフには野球協約の定めを超える大幅な減額を飲んでいる選手が目立っているが、それらは選手の合意があってこそ。中には選手の弱い立場を利用しているものもひょっとしたらあるのかもしれないが、それはあくまで邪推であり、この発言とは関係ないのでここでは問わない。規定の減額を超えたものに中村や代理人がno!といえば、協約の範囲内で交渉しなければならないのである。
間に代理人が入り、なおかつ密室での交渉なので部外者には本当のところはわからないが、報道による上記の推理が外れていなければ、不条理なことをしているのは中村側ではなく球団側だとも言えるのである。
そして中村に代理人という弁護士が付いている以上、そのくらいの計算はしているだろう。日刊スポーツには中村が自由契約になれば大リーグの球団がマイナー契約で動くとの報道もあった。マイナー契約を結んでおいてキャンプに招待選手扱いでテストするという形式らしい。球団はこれを機に厄介払いしたいと考えているのかもしれないが、相手の手の内をよく読んでから対応した方が良いだろう。
しかし敗戦処理。にはそれでも疑問が残る。
その場合、国内球団を含め、本当に中村紀洋に食指を動かす球団があるのだろうか?
【参考】
当ブログ2006年11月25日付け甘えるなノリ!-中村紀洋が温情更改を要望?
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バファローズの清原和博が5日、契約更改に望み、今季と同額の推定年俸2億5000万円で一発サインした。一年間の試合数の半分も出場していないし、出場した試合の成績も芳しくない。一体どういう査定方法で計算すれば2億5000万円の推定年俸と同額で更改となるのか不思議に思っていたら、そもそも清原は球団と来シーズンまでの2年契約だったという。それじゃあ今シーズンは無理をしませんわな。2年契約だから年俸も横滑りということなのかもしれませんが、先日中村紀洋に対して「甘えるな!」と書いた敗戦処理。としてはバファローズ球団に「甘やかすな!」と言わざるを得ない。
清原を招聘したのは故仰木彬さんと言われていますが、仰木さんの「二年契約を結べ」と天の声でもあったのでしょうか?仰木さんの仏前で号泣するのもむべなるかな。そして清原への年俸捻出のために谷佳知はジャイアンツにトレードされたのか?
67試合に出場し、打率.222、11本塁打、36打点。これが清原の今シーズンの成績だ。死球はダルビッシュ有から受けたあの1個のみ。三振は83で打席数が241だから、2.9打席に1回の割合で三振していることになる。ちなみにジャイアンツでの最後の三年間の成績を調べてみると、
2003年 114試合 打率.290、26本塁打、68打点
2004年 40試合 打率.228、12本塁打、27打点
2005年 96試合 打率.212、22本塁打、52打点
清原が最後に規定打席に達したのは2001年だから、バファローズ球団も清原にフル出場は期待していなかっただろう。その意味では2004年と2005年の中間くらいの成績というのは加齢を考えると、まずまずの成績なのかもしれないが、普通に考えたら2007年の成績は良くて2006年並み。
そもそも近年の清原は、オフのこの時期になると独自性の高い、果たしてどこまで効果があるのか素人目にはまるで理解出来ない肉体改造に精を出すが、シーズンに入ると苦手な内角攻め対策に関しては全く改善されないから相手チームから果敢な内角攻めに合い、よけ方が下手なために受けた死球で戦列を離れる。あるいは走塁で足を痛め、長期離脱する。そして自業自得にも思える故障による離脱にもかかわらず、「このままでは不完全燃焼。身体を鍛え直して来シーズンにすべてをかける」と現役続行宣言をする。この繰り返しである。
以前に清原が肉体改造のために通っていたジムに歌手の浜崎あゆみが通っているという報道を聞いた。浜崎あゆみが故障に泣かされているという話を聞かないのは何よりだが、何か根本的に方向性が狂っているように思えてならない。
不思議なのは、ジャイアンツは2001年オフに清原と四年契約を結んでしまったため、ジャイアンツは2005年のオフまで清原サイドから申し出ない限り首を斬れない状況だったが、そんな清原と何故バファローズが二年契約を結んだのかと言うこと。つまりバファローズが何故清原をそこまで重宝するのかということだ。
ジャイアンツの資金力をもってすれば清原に契約破棄をして残りの年俸を払うくらいのことは可能だったろうが、それをするとこの球団の命綱となっているFA補強などの今後に支障をきたすおそれがある(ジャイアンツが提示する「○年契約」は当てにならないと交渉相手の選手に思われる)からジャイアンツとしては2005年までは我慢するしかなかった。ちなみに2001年のオフというのはジャイアンツにとってはミスタージャイアンツ、長嶋茂雄監督がユニフォームを脱いだ年であったし、翌年にFA権を取得する松井秀喜の大リーグ願望が強いことも周知の事実だったから、二度目のFA権を取得していた清原との交渉で足元を見られるに充分な下地は揃っていたのだ。
今年のシーズン中にバファローズ球団の社長だったか「清原選手は成績面では物足りない点もあるが、長年常に優勝争いをしているチームにいただけあって、闘う姿勢とか、プロ野球選手のあるべき姿をチームに浸透させつつある。数字以上の貢献度がある」と発言し、清原と来季も契約を結ぶ意思があることを匂わせていた。ジャイアンツ時代の晩年にはまるでチームの癌であるかのような様々な報道に接していたので、ジャイアンツファンである敗戦処理。としてはジャイアンツ出身の清原が成績以外の部分でチームに迷惑をかけていないということに安堵したのだが<笑>、あの報復発言を聞くと、とてもそうは思えない。「グッズの売り上げなどを含め、営業面でまだまだ利用価値がある」とはさすがに言いにくいだろうが<笑>。
そもそもバファローズファンは清原をどう思っているのだろうか?
ジャイアンツの場合、たしかに最後の数年間はとてもファンの期待に応える成績とは言い難かったが、それでも過去には何度となくジャイアンツファンを酔わせてくれた選手。力が衰えているとわかっても、ジャイアンツのユニフォームを着てプレイしている以上ファンが応援し続けるというのは理解出来るが、移籍一年目であの成績で、ファンは許すのか。
ジャイアンツ時代との比較で言えば、ジャイアンツでは清原は打席への入場時のテーマ曲に長渕剛の「とんぼ」を使用していたが、バファローズに移籍したら別の曲に替えると言っていた。歌詞の一部に東京への憧れを意味するフレーズがあり、それが清原自身のジャイアンツへの憧れとオーバーラップするから選曲したというのはあまりにも有名な話だが、だとすればバファローズで同じ曲を使用するのはおかしな話になるので、敬愛する長渕剛の別の曲にすると言う話だった。しかし実際にはバファローズでも「とんぼ」を使用しているのを聞いてがっかりした。何なんだと思った。要するにこの曲はノリが良く、応援する方が応援しやすい曲なのだ。応援するファンは歌詞にまで注目していない。応援に適しているのはノリの良い曲だ。もっとも敗戦処理。がバファローズファンだったら、清原には同じ長渕剛でも「ろくなもんじゃねえ」を捧げたいくらいだ。
ちなみに東京ドームのライトスタンドのファンは「とんぼ」を演奏してのパフォーマンスが出来なくなった寂しさを小関竜也の打席の際の「ジーパン刑事のテーマ」で盛り上がることで紛らわしている<笑>?
冒頭にも書いたように清原との二年契約を維持するために、その費用を捻出するために谷をジャイアンツでほとんど実績のない選手とトレードしたのかと邪推したくなる。谷自身もかつて四年連続打率三割を記録した頃の谷とは別人と疑うほどで、推定で2億8000万円という年俸が実態ならば、放出が検討されて不思議でないが、イチローや田口壮らが抜けて地味になっていったチームでの孤軍奮闘は何だったのだろうかと思う。
清原の人気に捨てがたいものがあるというのもわからないことはないが、そのために犠牲になるものが大き過ぎはしないか?派手さはなくても、きちんと自分の役割をこなすための努力をする選手が清原などの高額選手とは比較にならない年俸でチームのためにがんばっても、清原ほどのネームバリューがないからマスコミにも取り上げられにくい。バファローズファンでない敗戦処理。が心配する筋合いではないかもしれないが、若手・中堅選手のモチベーションの低下が心配である。
先日のファン感謝イベント「BS-Fan-Festa 2006」で清原は100%ジョークであることは明白だが、「北川が来年の選手会長と聞いて、優勝する気ないんかと思った」と言って笑いを取ろうとしていた。ジョークに怒るのも味気ない話だが、バファローズを支えているのは清原より遙かに立派な成績を残している、清原より給料が安く、ネームバリューの低い選手達であり、北川博敏はその代表格と言って良い。
北川は2001年の旧バファローズのリーグ優勝を決めた劇的な逆転サヨナラ本塁打でも放たない限りスポーツ紙で大きく取り上げられることがない選手だが、今シーズンだって故障で戦列を離れるまで清原や中村を差し置いて「四番」の重責を担っていた選手だ。そして「清原信者」はともかく、大方のバファローズファンにとってはそんなことは自明の理であるに違いあるまい。
「清原に来年も同じ給料を払うなんて優勝する気ないんかと思った」
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普通に考えれば清原和博とともに今季のバファローズ低迷の二大戦犯と裁かれて然るべき中村紀洋が来月の契約更改で今季の成績不振を「公傷」扱いとなるよう温情更改を申し出るとか。契約更改の席は年に一度の自己主張の場であるから主張をするのはもちろん勝手ですが…<苦笑>。
中村の今季は開幕四番を務めながら年間では85試合のみの出場で打率.232、12本塁打で規定打席にもはるか及ばず。2004年の球界再編騒動の中で合併球団としてスタートを切っていわば逆風で一年を過ごしたあとの「新しい顔」として清原とともに大きな注目を浴びながら、この成績では戦犯扱いされても無理はあるまい。特に清原にはもとよりフル出場が望めなかったことを考えれば中村に対する期待外れ感は大きい。バファローズが昨年はプレーオフ進出まであと一歩の位置にまで行っていたことを考えればなおさらだ。
中村の言い分は今季のキャンプ中に痛めた右太股の肉離れや、古傷の左手首に受けた死球の影響による両手首痛に悩まされながらも、故障がちな清原に代わる看板として無理を重ねての出場が成績不振の原因であるから、推定で2億円といわれる高額年俸から必至とみられる大幅ダウンを免れたい模様だ。
たしかに同情すべき点もあるだろう。しかしチームの主力選手たる者、長くやっていればどこかしら故障を抱えるだろうし、多少の無理をしてでも出場している選手はざらにいるだろう。そもそも敗戦処理。は不振の中村に去就云々の話が出ないのはてっきり複数年契約を結んでいるからだと思っていたが、何と単年契約だったとは<笑>。
そもそも球団合併時には旧バファローズの主砲として合併球団入りを拒否して半ば無理矢理ポスティングシステムで海を渡り、それで思いのほか成績が残せなかったので再び日本球界に居場所を求め、恩師仰木彬さんのツテで一度は嫌がった球団に拾ってもらった身だ。
故仰木さんの恩義には報いることが出来ず、ファンの期待も裏切ったのだからそれこそ野球協約で定める以上の大幅な減額を飲むくらいの覚悟を示すのが男意気ではないのか。
バファローズファンの中には中村、清原への特別待遇に辟易しているファンも少なくないようで、合併球団というダーティー・イメージ払拭のために期待したこのコンビが期待に応えられなかったのに来季もチームに残る一方で、イチローや田口壮らが抜けて地味になっていくチームの顔として戦い続けてきた谷佳知がとても不釣り合いな交換相手とのトレードでチームを去らなければならないという現実にやり場のない怒りを持っているということに中村は気付いていないのか。
大功労者をこういう形で持ち出すのは心苦しいが、中村と清原は故仰木さんのいわば負の遺産といえよう。その一方でこの球団は来季の新監督に外国人のテリー・コリンズ氏を迎えている。外国人監督に日本球界内の人脈などは無関係。中村や清原を「名前」で優遇することはないだろう。来季40歳で成績がさらに振るわなくても「ごくろうさん」とねぎらわれる可能性のある清原はまだしも、34歳と本来なら打者としてまさに円熟期を迎えるべき中村にとっては正念場の一年になることは間違いない。
* ちなみにイチロー、小笠原道大と同年齢。
かつてタイガース球団はトラブルメーカー江夏豊を放出した際のファンからの猛反発に驚き、田淵幸一を放出する時には当時監督になったばかりのダン・ブレイザーの構想から外れていると理由付けをして球団が批判されることを避けようとした。タイガース球団のお家騒動が年中行事だったこの時代、将来の幹部候補生と定められていた中村勝広は来季、GMではなくシニア・アドバイザーを務める。日本球界でただ一人の役職故、どのような立ち位置で振る舞うか誰にもわからない。かつての古巣に倣い、「外国人監督」を錦の御旗にして負の遺産の一掃にかかるかもしれない。それでも中村がこのチームで存在感を示したいならば吉井理人のように実力を示すしかないのだ。
甘えるな、中村紀洋
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昨日の仁志敏久のトレードで驚いていたら今度はバファローズの谷佳知をトレードで獲得しました。昨日はベテランの仁志を放出して若手というか中堅の小田嶋正邦を獲得するトレードでしたが、今度は22歳の鴨志田貴司と長田昌浩(学年は鴨志田が一年上)を放出して33歳の谷を獲得です。
ホークスで戦力外通告を受けた37歳の大道典良を右の代打要因として獲得したくらいですから、吉川元浩や三浦貴はよほど期待薄なのかなと思っていましたが、実績充分の右の好打者を獲得しましたね。
ただ谷も2001年から2004年まで四年連続打率三割を超えたアベレージヒッターではありますが、ここ二年間、外野守備での守備範囲が狭くなった感じがするのと、打率が下がっているのが気になります。個人的な憶測になりますが、2004年のアテネ五輪の日本代表として出場した際に最後の打者として一塁に駆け込んで負傷してから、それを境に精彩を欠いているような気がします。
当時国内のリーグ戦では三割を打って当たり前の谷にとって一塁にスライディングするという習慣はおそらく無く、中途半端な駆け込み方になってしまい、足を痛めたのでしょうがせっかく世界一の柔道家がいるのですから受け身を勉強していれば…<冗>。
9日に解禁になるFA権行使選手との交渉でも、噂のアノ選手に破格の好条件で交渉するでしょうし、かつて「何でも欲しがる長嶋サン」と揶揄された時代の、とにかくネームバリューのある選手がFA宣言したら飛びつくような姿勢と現時点ではあまり変わらないような気がするのは敗戦処理。だけでしょうか。
昨オフはタフィ・ローズと清原和博が抜けるからイスンヨプを獲得して打線が小粒になるのを防ぎ、課題の抑え投手にFA宣言した豊田清を獲得するなど、一応筋の通った補強をしたジャイアンツでしたが、それでもBクラスから抜け出せなかったのでまた手当たり次第に乱獲するジャイアンツに後戻りするのでしょうか?高校生ドラフトの一巡目に投手でなく内野手を指名したので少しはまともな展望が出来るようになったかと思いましたが、このチームの夜明けはまだ先なのか、まだまだわかりませんね。
それにしてもバファローズも実績のない若手二人との交換で谷を放出するとは…!昨オフ、マリーンズが金銭トレードで小坂誠をジャイアンツにトレードした時には優勝による大幅な人件費アップの対策との憶測が飛び交いましたが、バファローズの場合はあの月給泥、いやカリスマ選手が現役続行することになったため、高給取りの谷を…なんて真相じゃないかと勘ぐりたくなりますね。
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既に芝草宇宙ら三選手に戦力外通告をしていたホークスが、プレーオフ第二ステージ敗退で今シーズンが終了したことでさらなる戦力外通告を断行。昨年のパ・リーグベストナインに選ばれた宮地克彦外野手、過去の優勝に大きく貢献した吉田修司、岡本劼能の両投手、入団してわずか二年の定岡卓摩内野手、そして南海ホークス最後の年1988年に入団した現役では唯一の南海ホークス時代からの生え抜きの生き残りである大道典嘉外野手に戦力外通告をした。
パ・リーグベストナインから一年の宮地と、プレーオフ第一ステージ第二戦では「三番・DH」で出場して勝利に貢献した大道は現役続行に意欲満々。しかし宮地35歳、大道36歳(今月28日で37歳)という高齢を考えると、選手生命の大ピンチといえよう。
大道は南海ホークスでプレーした生え抜きとしては最後の選手。大道が現役を引退したら、南海ホークスでプレーした経験を持つ現役選手は他に現ゴールデンイーグルスの吉田豊彦だけになる。身売りや本拠地移転が目立つパ・リーグの球団では、このような「最後の生き残り」プレーヤーはファンから絶大な人気を誇る。しかもその選手達は、ただ長くいるというだけではなく、無くてはならない存在感を持ち続けるものだ。
大道で言えば、第一戦を落として後のないプレーオフ第一ステージ第二戦で左投手であるライオンズ先発、松永浩典対策で「三番・DH」でスタメン起用された。四打席で二打数無安打だったが、六回表の第三打席での無死一塁からの送りバントと、八回表一死無走者からサウスポーの三井浩二から選んだ四球はともに得点に結びついた。このように使えば使ったなりの仕事をするのがベテランの味なのである。しかしシーズン中の44試合出場、打率.217、本塁打0、打点8という成績では致し方ないのか。チームメートだけでなくファンにも求心力の高い小久保裕紀の復帰が噂される一方で、小久保より古く、長く愛された大道は去っていく。これも実力社会の結果なのか。
大道が南海ホークスの「最後の生き残り」と書いたが、他の「最後の生き残り」をまとめてみた。
南海ホークス
大道典嘉(ホークス)
吉田豊彦(現ゴールデンイーグルス)
阪急ブレーブス
高木晃次(現マリーンズ)
中嶋聡(現ファイターズ)
ロッテオリオンズ
前田幸永(現ジャイアンツ)
小宮山悟(現マリーンズ)
堀幸一(現マリーンズ)
後楽園球場を本拠地とした選手
川相昌弘(現ドラゴンズ)
桑田真澄(ジャイアンツ)
田中幸雄(ファイターズ)
ナゴヤ球場を本拠地とした選手
山本昌(ドラゴンズ)
立浪和義(ドラゴンズ)
山崎武司(現ゴールデンイーグルス)
酒井忠晴(現ゴールデンイーグルス)
藤井寺球場を本拠地とした選手
吉井理人(現バファローズ)
的山哲也(現バファローズ)
水口英二(現バファローズ)
平下晃司(現マリーンズ)
※ 今シーズン限りで戦力外通告を受けた選手、現役引退する選手も含んでいます。
ざっとこんな感じでしょうか。抜けていたらごめんなさい。
個人的には「後楽園球場を本拠地とした選手」の田中幸雄に、同一球団でプレーしながら三つの本拠地で本塁打を放つという快挙?を実現して欲しいと願っているのだが、札幌ドームを本拠地として三年間。札幌ドームでの本塁打はいまだにゼロ。
来季、2000本安打を札幌ドームでの本塁打で決めてくれれば最高なのだが。
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9日のバファローズ対ファイターズ戦観戦記の際にもふれたが、このカード9日と10日開催分は「オールドボールゲーム」と称してバファローズ球団のOBによる試合前セレモニーが行われた。また9日のデーゲームの後には、事前に募った野球腕自慢の精鋭達がバファローズOB投手との一打席ガチンコ対決と、この日のデーゲームのスポンサーだったケーブルテレビ会社の視聴地域内の闘いに勝ち抜いた草野球チームとバファローズOB選手によるチームの試合が行われるなど、OBを前面に出したイベントを続出させた。
一打席ガチンコ対決ではかつての旧バファローズドラフト1位、寺前正雄元投手らがマウンドに上がった。最初の打者が打席に入る時にはBGMとして長渕剛の「とんぼ」の前奏が流れるという懲った演出もなされた。バファローズOBチームの監督はロベルト・バルボンで、監督挨拶では懐かしい関西弁が聞かれた。主将が羽田耕一で、クリーンアップは真弓明信、小川博文、梨田昌孝というラインアップでなかなかのものだったが、現在評論家などをしているOBでなく、球団職員を中心に人選したのがミエミエだったためいささか線が細かったのが残念だった。
バファローズOBチームのスタメン。たしかに「バファローズ」のOBが多いようだが。
とはいえ、梨田や真弓は別格としても、元プロ選手の球を打ったり、対戦するというのは一般野球ファンには夢のような出来事。特にガチンコ一打席対決などは敗戦処理。も打席に立ちたかった…。
ところで球団の歴史やOBを大切にするということは、こうした一時的なイベントを時々行うのみでなく、日常的にファンが球団の歴史、歩みに触れられるようにしておかなければならないものと敗戦処理。は考えている。たしかにバファローズ球団の場合、合併球団という特殊な事情から難しい点もあろう。そもそもこの球団の場合、本当に二つの球団の歴史を受け継いでいく覚悟であるならば、これは既に語り尽くされたことではあるが少なくとも背番号1番は永久欠番にすべきであると思うし、7番と17番もあわせて永久欠番として讃えるべきであろう。
そういうことをせずに「バファローズ」という名称を残せば吸収する側のファンの気持ちを汲んでいるとか、野茂英雄の日本プロ野球における保有権を持ち続けるということは甚だしい矛盾であるといわざるを得ない。
この日のOB野球にしても、梨田氏が「背番号8」の合併球団のユニフォームを着てプレーしたことに落胆したファンも少なくないのではないか。
それでもチームの歴史、伝統をファンにも伝えていこうという動きは球団ごとに温度差はあるものの、形のあるものとして行われている。敗戦処理。は今年になってからマリーンズミュージアム、西武ライオンズのあゆみコーナー、南海ホークスメモリアルギャラリーを見物した。
9日の観戦後、大阪ドーム前千代崎駅から市営地下鉄長堀鶴見緑地線と千日前線を乗り継いでなんば駅に出て、なんばパークスの7階にある南海ホークスメモリアルギャラリーを訪ねた。残念ながら移転準備中で展示スペースが縮小されていて、来月上旬には展示そのものも休止してしまうとのことだが、かつて大阪球場があった場所に南海ホークスをしのぶギャラリーが存在することに意義があるのだから、マイナーチェンジといえども大阪時代のホークスファンの拠り所として存在し続けて欲しいものだ。
ところでこの南海ホークスメモリアルギャラリーに野村克也氏に関する展示、表記が一切無いことはファンの間で既に有名になっている。
さすが、鶴岡御大に反旗を翻すとこの球団では…というのは大いなる誤解で、真相は野村氏サイドが難色を示したとのこと。難しいお人ですなぁ。
南海ホークスのギャラリーに野村克也に関する展示がないこととは別の意味で違和感が大きいのが、本拠地であるドーム球場の裏にある西武ライオンズのあゆみコーナーに江夏豊の写真が飾られていること<苦笑>。
そもそもこのコーナー自体、ドーム球場を訪れるファンに十分に浸透しているとは言い難い感じなのが残念である。敗戦処理。が観戦で訪れた際に入場前に立ち寄っても盛況だった試しがない。PRが不足しているのではないか。
たしかに江夏は現役生活最後の一年、ライオンズに在籍していたがとてもチームに貢献したとは言い難く、移籍当初から水と油だとは思っていたが広岡達朗監督らと対立。江夏自身にとっても晩節を汚す形になっていたからだ。
ちなみに西武ライオンズのあゆみコーナーには、野村克也のプレーしている写真が飾られている。
ただ、これまた既に語り尽くされていることだが、このコーナーのタイトルが「西武ライオンズの…」とうたわれているように、あくまで「西武」になってからの歴史のみを振り返っている。西鉄ライオンズ、太平洋クラブ、クラウンライターといった時代のことには当然ながら触れられていない。かつての西鉄ライオンズの衰退が、単なる成績不振による低迷ではなく、黒い霧事件というあってはならない不祥事に絡んで多数の有力選手が抜けるという事態に由来していることを知った堤義明オーナー(当時)が新球団から旧西鉄色を一掃させようとしたのがその発端だと言われている。
しかし、たとえ経営母体が代わろうとも、歴史を大切にするということは、輝かしい栄光の時だけでなく、そのような暗い、再び繰り返してはならないような出来事とも向き合うことだという視点が欠けていたのは残念でならない。
ところでその黒い霧事件で永久失格処分を受けていた池永正明さんが昨年復権してホークス球団の主催試合で始球式を行ったが、マウンドに登った池永さんは帽子こそ「福岡ソフトバンクホークス」のものをかぶっていたが、ユニフォーム姿ではなく、スーツの上着を脱いだ姿だった。「西鉄ライオンズ」のユニフォーム姿で登場すればオールドファンは涙を流して喜んだだろうが、そのチームは今や存在せず、系譜として残っているチームは始球式に声をかけてくれたチームのライバルである訳だから池永さんも気が引けたのではないか。
池永さんがプロ野球の行われている試合のマウンドに再び姿を現したことに感慨深かったオールドファンの中には池永さんの姿を見て複雑な心境になった人も少なくなかったのではないか?
その意味では、球団史を「毎日新聞社が『日本野球連盟』に加入を申し込む」というところからスタートさせている、マリーンズミュージアムは実に素晴らしい。「近鉄」の消滅でパ・リーグでは「ロッテ」が最も古い親会社になったのだが、ロッテオリオンズ以降に限定してもそれなりの史料館が出来るだろうにもかかわらず、毎日オリオンズの時代からきちんと踏まえ、多数の資料を展示している。
今年オープンしたばかりのこのミュージアムは、本拠地マリンスタジアムの脇にあり、こちらは西武ライオンズのあゆみコーナーと違ってわかりやすい。去年強かったからファンになった人達や、応援が楽しいから何となくファンになってしまった人達も気軽に足を踏み入れ、この球団の波乱に富んだ歴史を是非学んで欲しいものだ。
敗戦処理。が一番インパクトを受けたのは、1980年と1981年の日本シリーズの幻のチケット。この両年、当時のパ・リーグは二シーズン制を採用しており、いずれも当時のオリオンズは前期優勝を果たしたがプレーオフで敗退して日本シリーズ出場を逃しているのだが、プレーオフを制して日本シリーズ出場を果たした場合に備えて準備しておいた幻の日本シリーズチケット-しかも座席番号まで刷られている。
これを観て「落合博満が高橋一三から放った大飛球が川崎球場特有の高い網の最上部に当たらずにスタンドに届いていたら…」とか、「水谷則博がバント処理で転ばなければ…」とあらためて25年前の決戦を想い出すファンも少なくないことだろう。
例によってとりとめもなく話が拡がってしまったが、球団が球団の歴史やOBを大切にするということは、日本のプロ野球が単に流行り廃りに左右される類のものではなく、公共の文化であるということを内外にアピールするとともに、偉大な先人達に報いるという点で大切なことである。その意味では自称「球界の盟主」にこれらに相当する施設が無いのが残念でならない。東京ドームの外野の柱に永久欠番のユニフォームを模したものを掲げているだけで事足れりと思っているとは思えないが。
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9月9日、敗戦処理。は京セラドーム大阪まで出張し、バファローズ対ファイターズ戦を生観戦してきました。
ファイターズファンの間で話題のイルカが、敵地京セラドーム大阪にも出現しましたよ。
敗戦処理。は三塁側のベンチの上の方にあたるビューシートで観戦していたのですが、そのはるか前方、最前列にイルカが三頭。どうやら多摩市から出張の敗戦処理。も顔負けな北海道からの観戦ツアーらしき中高年?の女性集団もいましたが、そのグループかどうか、とにかく三塁ベンチのすぐ上に二頭。そして少しホームベース寄りに離れたところにもう一頭の計三頭を発見。敗戦処理。の周囲の観客にも気付いた方が多く、結構話題になっていました。
もちろんこのイルカは、我らが主砲小笠原道大が小笠原姓にちなんで東京・小笠原村の観光親善大使を務めていることから、村周辺の海を泳ぐ名物のイルカ型風船が企画されたそうです。
肝心の小笠原道大の方は、初回から爆発する打線にやや乗り遅れ、四回表の第三打席ではキャッチャーフライと思われた打球がドーム天井の溝?にはさまる幸運に救われたかと思いきや次の球をショートライナー。スタートを切っていた一塁ランナーが戻れず併殺を喫するなどよいところがありませんでしたが、六回表の第四打席でセンター前安打を放ち、面目を保ちました。
試合の方は、このイルカ風船とともに本拠地札幌ドームでは広まりつつあるというバナナ風船で応援されるフェルナンド・セギノールが大爆発。初回にはサウスポーの中山慎也から右打席でレフトスタンドに一発。二回表には代わったばかりの萩原淳から左打席で右中間スタンドにライナーで叩き込み、松永浩美と並ぶ日本タイ記録になる通算6回目の一試合左右両打席本塁打を放つなど4安打6打点の大暴れ。最後の打席に三塁打が出ればサイクルヒットというほどでした。
セギノールが二本目の本塁打を放った直後、稲葉篤紀も連続本塁打。萩原はかわりばな二者連続でいきなり本塁打を浴びますが、先発中山の予想外の早い降板で、その後も続投します。
その二巡後の六回表、萩原は本塁打を打たれたセギノールと稲葉に連続死球。セギノールは大したことなさそうでしたが、稲葉は右膝でしょうか、打席付近にうずくまり、立ち上がったものの一塁まで行けず代走と交代。長引かなければいいですが…。
そしてその裏、ファイターズの先発ダルビッシュ有が、予想通り先頭の塩崎真に死球!
つい最近二十歳になったばかりの若僧にぶつけられた三十三歳の塩崎。バットを持ったままダルビッシュをにらみつけますが怒りをこらえて一塁に歩きます。
敗戦処理。は以前にダルビッシュに対して「生意気道を邁進してもらいたい」と書いたが、
続くカリーム・ガルシアと谷佳知に二人続けてカウントをノースリーにしてしまうなど、明らかに動揺していた。意外に純粋なのかもしれない<苦笑>。
七回表に田中賢介とセギノールのタイムリーで10対1としてからは完全にお祭り状態。金子誠の代打で登場した田中幸雄は三塁の守備につくは、先日約二年半ぶりの一軍復帰を果たした北海道移転元年のストッパー伊藤剛が復帰登板を果たした。
約二年半ぶりの一軍マウンドに登り、ブラウン投手コーチからボールを受け取る伊藤。
伊藤は2004年開幕直後に、リタイヤした建山義紀に代わるストッパーに指名されあれよあれよという間に5セーブを挙げたが、右ひじを痛めリタイヤ。ファームには復帰したものの本来の球威が戻らずイースタンでも抑えたり打たれたりの繰り返しだった。今日は球威でなく制球を重視したかのような投球で、大差がついていたこともあってか1イニングを三者凡退に仕留めた。
試合は最終回に建山が1点を失ったが、10対2でファイターズの圧勝で終わった。ちなみにこの日はパ・リーグ三強はそれぞれ別個に対戦。三強が揃って勝ち、ライオンズとホークスはプレーオフ出場を確定させた。ファイターズももうすぐだ。
なお、この試合と今日10日の二日間は「オールドボールゲーム」と題してバファローズ球団のOBが試合前に登場して簡単なセレモニーを行った。敗戦処理。が観戦した9日は加藤英司氏が登場して始球式もどきを行った。旧ブレーブスの主軸打者にしてその後旧バファローズでもプレーしていたし、上田利治監督の元でファイターズでコーチを務めたこともある。両球団、いや三球団のファンに配慮した絶妙な人選と言えよう。ちなみに10日は栗橋茂氏が登場予定だとか。
そして皮肉にも、試合の主役はこれまた旧ブルーウェーブOBであるセギノールの大活躍でバファローズはいいところなしだった。
詳しい観戦記はコチラ。岡島、久、MICHEAL温存で大きな1勝【9/9対Bs戦生観戦記】
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いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。
このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。
第13回 大阪ドーム 観戦球場ファイル-13-
今回は旧バファローズの本拠地として1997年から使用されていた大阪ドームを取り上げる。東京ドーム、福岡ドームに次いでナゴヤドームと共にこの年から開業。旧バファローズと旧ブルーウェーブの合併後は合併球団のダブルフランチャイズの一つとなっているが、オリックスグループが90億円もかけて買い取ったとのことだから、来年から合併球団の実質的なホームグラウンドとして主催試合の開催数もシフトされていくことだろう。また紆余曲折はあったが、今年7月1日からネーミングライツにより京セラドーム大阪と称している。
敗戦処理。の初観戦は設立二年目の1998年4月11日、旧バファローズ対ホークス戦。前述のようにまだ「ドーム球場」自体が珍しい時期で、ましてや日本の首都東京に次ぐ大都市大阪に出来たドーム球場ということで敗戦処理。も期待したのだが、開業二年目早々の週末なのに、客の入りはまばらだったことに驚愕したことを憶えている…。
第一印象としては、巨大なショッピングモールというか、大型複合施設で、その中の一つの構成要素として野球場があるという感じ。例えば東京ドームの場合、プロ野球だろうが他のイベントだろうが開催している時にはそのチケットないし、何らかの入場証を提示して入場するがこのドームの場合にはただ中に入って商業施設を利用するだけなら、普通のデパートのように自由に出入り出来る出入口があったりする。(もちろん開催されているイベントによる)
日本で初めてのドーム球場である東京ドームが出来る時にそれまでの後楽園球場がジャイアンツだけでなくファイターズも利用しており、ドーム球場に移行しても稼働率が保証されているからこそ維持費などの回収にめどがつき、建設に至ったと報じられていたから、野球の試合やコンサートなどでの使用以外に、商業施設を多く入れてテナント料や売り上げの一部を収入源とするのは真っ当な判断と言えよう。ただその時の印象に限っていえば、それゆえに「野球場」としてのインパクトはさほど強烈ではなかった。実際に中に入ってみてグラウンドを見渡して広さを感じなかった。いわゆる多目的施設なのだろうが、肝心の野球場としての魅力を削いだことが後述する経営破綻の遠因ではないかと敗戦処理。は想像しているのだが。 その後1999年の11月に、旧バファローズの球団創立50周年の記念行事で旧バファローズとジャイアンツのOB戦が開催された時に敗戦処理。は生観戦した。「長嶋茂雄が背番号3のユニフォームを着、王貞治が背番号1のユニフォームを着る」貴重な機会ということで、名古屋在住の友人を伴って駆けつけた。長嶋巨人にカープから江藤智が移籍し、長嶋監督が背番号33を江藤に譲って栄光の背番号3を復活させることが判明したのはその約半月後。大阪まで行かなくても良かった<苦笑>? それでも王さんのジャイアンツのユニフォーム姿はOB戦くらいしか観ることが出来ないし、長嶋さんを含め、ビジターの「TOKYO」のユニフォーム姿など、二度と見ることが出来ないかもしれないし、吹石徳一の娘ということで出演したタレントの吹石一恵の始球式も楽しめたから良かったか<笑>。
左・背番号3のビジユニを着て三塁を守る長嶋茂雄
右・吉井理人、榊莫山氏とともに始球式を務めた吹石一恵
※長嶋茂雄は当時ジャイアンツの監督。吉井理人は当時大リーグ・メッツ所属。
それ以降まる五年も行っていないが、名前も変わったことだし、秋にでも行こうかなとは考えている。
その後構造上の問題で、ロックコンサートなどで観客がいわゆる縦ノリで盛り上がると近隣の住民から苦情が出るなどの弊害が露呈し、コンサート興行の開催に制約が加えられた。そもそもドーム球場の立地場所も諸々の事情から変更されたそうで、これにより旧バファローズの親会社である近畿日本鉄道の沿線から外れてしまい、ドームを訪れる観客の利用による運賃増収という目論見は無惨にも外れた。そんなこんなでドームの経営は当然うまくいかず経営破綻。球団同様、オリックスが90億円で買い取ったとされる。
また京セラがネーミングライツを買い取り、京セラドーム大阪と名乗ることになったが手続きの遅れ(?)で今年の4月からの予定が7月からにずれ込んだ。京セラはかつてホークス球団の親会社、ダイエーの経営破綻が明らかになった際に球団買収の噂が出た。今回のネーミングライツもいずれはオリックスから球団を引き継ぐための伏線との見方もあるが、西武ドームのネーミングライツを獲得したインボイスは「ネーミングだけで充分」とそれ以上踏み込むとリスクの方が大きくなることに気付いたようで、京セラの今後も注目される。
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いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。
このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いていこうと思います。月に1~2球場の割合で書いていこうと思います。また、シーズン中に新たな球場に行ったら加筆していこうと思います。
第11回 グリーンスタジアム神戸 観戦球場ファイル-11-
合併前の旧ブルーウェーブの本拠地。球団合併後はバファローズの二つある本拠地の一つ。現在はネーミングライツによりスカイマークスタジアムの名称で親しまれている。
出来たのは1988年。この年には旧ブルーウェーブの前身である「阪急タイガース」もとい、「阪急ブレーブス」の主催試合が一試合行われただけだったが、この年を最後にブレーブス球団が阪急からオリックスに身売りされると翌1989年からは数試合開催され、準本拠地のような位置づけになっていく。そして1991年からブルーウェーブはそれまでの阪急西宮スタジアムから本拠地をこのグリーンスタジアム神戸に移す。身売り時の「球団名称『ブレーブス』は変えない」というブルーウェーブの宮内義彦オーナーの言質が大方のファンが危惧した通りに反故にされて「ブルーウェーブ」と改称されたのもこの時。
【2008年5月4日追記】冒頭のグリーンスタジアム神戸の内観写真のレイアウトを変更しました。
敗戦処理。の初観戦は1996年7月5日のブルーウェーブ対バファローズ戦。普通の金曜日であるが有休を取り、この日の夜と翌日は福岡ドームでホークス対ファイターズ戦を観戦する二泊三日の野球観戦旅行を組んだものだった。
そして2000年には内野のダイヤモンドにそれまでの人工芝に変えて天然芝を敷いた。内外野とも天然芝の野球場は日本では少なく、他に山形県の鶴岡ドリームスタジアムと宮崎県のサンマリンスタジアム宮崎だけ。プロ野球の本拠地球上としては、人工芝に変身する前の後楽園球場以来だから25年ぶりの復活とも言えた。
敗戦処理。の二回目の観戦も、天然芝化に合わせて2000年9月のデーゲームだった。芝の美しさも鮮やかだったが、試合終了後に球場職員が大挙して観客を見送ったのが印象的だった。2000年といえばイチローがブルーウェーブに在籍した最後の一年。FAならまだしも、当時耳慣れなかったポスティングシステムで日本球界の宝を売り飛ばしてしまったことに驚かされたが、その二年後には球場の命名権を売り、2003年から「ヤフーBBスタジアム」と改称。売れるものは何でも売ってしまう経済性至上主義には賛否両論あるが、今度は逆に「大阪近鉄バファローズ」を吸収合併。さらには破綻した大阪ドームをオリックスグループとして90億円で購入。不思議な球団である。
もちろんこの球場の魅力は芝の鮮やかさだけではない。最近でこそ東京ドームのエキサイトシートに代表されるファウルグラウンドに迫り出したより臨場感あふれる観客席や、横浜スタジアムや札幌ドームのように内野スタンドのネットを外して臨場感をあふれさせる演出を図る球場が出てきたが、そのようなアメリカ大リーグの「ボールパーク」を彷彿とさせるムード作りの先駆けは間違いなくこの球場で、天然芝の件と合わせ、フィールドシートの新設、内野席のネットを下げたのも日本の常打ち球場ではここが先駆けである。(ネットが低くなって観客によるボール争奪戦が激化-2004年8月撮影。ちょっとこの写真ではわかりにくいかな?)
大阪ドームとのダブルフランチャイズ制を将来的には解消しなければならず、オリックスグループが90億円を投じて大阪ドームを取得したことを考えれば、これまで二年間半々に開かれていたバファローズ球団の主催試合は徐々にかつ大胆にドームにシフトされるのは間違いなかろう。日本に三つしかない美しさを持つこの球場が宙に浮いてしまう日が遠からず来ることになる。そうなれば維持費の問題で再び人工芝に…などという話にもなりかねない。もったいない話ではあるが。
そうなってからでは遅い、と敗戦処理。は先月25日、バファローズ対ファイターズ戦を観戦に神戸まで足を運んだが、無情の雨で雨天中止だった。最寄り駅の総合運動公園駅に向かう地下鉄の車中で試合中止を知ったがとりあえず球場まで行ってみた。雨は小降り。ドーム球場ではないにせよ、人工芝の球場であれば日曜日のデーゲームというかき入れ時に開催が開催だったかもしれないが、この球場の最大の売りがこういう時ばかりは弱点になってしまうのだ。
「グリーンスタジアム神戸」時代に二度、「ヤフーBBスタジアム」時代に一度生観戦しているだけに、「スカイマークスタジアム」と名乗っている間に一度は生観戦しておきたいと思い、ファイターズ相手では今季最後の土、日のデーゲームを狙ったのだったが。
そして皮肉にも、この書き込みがアップされる今日7月1日、大阪ドームは「京セラドーム大阪」として第二のスタートを切る。
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昨シーズン限りでジャイアンツから戦力外通告を受け、バファローズに移籍した清原和博が交流戦のジャイアンツ対バファローズ戦で移籍後初めて、かつての本拠地東京ドームで古巣との対決を果たした。
この三連戦は初戦が福島県営あづま球場での開催だったため東京ドームでは二試合のみ。14日の試合には吉井理人の代打として七回表に登場。バファローズファンのみならずライトスタンドに陣取るジャイアンツ応援団からも盛大な拍手を受けた。テレビ中継でライトスタンドが映されると「GIANTS 5」のレプリカユニフォームやTシャツを来たファンが少なからず映っていた。清原信者が今なお清原の存在を大切にしていることを窺わせた。清原はジャイアンツの先発投手、西村健太朗から遊ゴロに打ち取られたが、一塁を駆け抜けて三塁ベンチに戻る際にまずライトスタンドに向けてヘルメットを上げて答えていた。よほど嬉しかったのだろう。
とても「大阪ドームのファンは東京ドームと違って温かい」と発言した男とは思えないが、あれはニュアンスを巧く伝えられなかったのであろう<苦笑>。
試合後、清原は「9年間、身を削ってやってきたことを、ファンの皆さんに認めてもらった」と喜んでいた。よかったね、清原。
そしてその翌日の15日。ジャイアンツはイ・スンヨプの2本塁打など打線が爆発し、八連敗をストップさせる快勝。8対1で迎えた最終回にはライトスタンドのジャイアンツ応援団から「清原コール」が起きた。しかしバファローズの中村勝広監督は清原を代打で起用することなく、8対1のまま試合終了。試合後中村監督はジャイアンツファンからの清原コールに気づきつつも「今日の展開ではね。彼のプライドもあるだろうし」と語っていた。前日の大声援に感謝したという清原ならば、7点負けている最終回二死からの代打でも意気に感じて打席に向かったかもしれないが、敗戦処理。はこの中村監督の考え方を支持したい。個人的には選手の「格」に一定の敬意を払いながら起用する監督がお気に入りであるということもあるが、実は最近、今回と対照的な起用法を生で観てしまったからということもある。
実は今月の4日、敗戦処理。は横浜スタジアムで行われたベイスターズ対ファイターズ戦を生観戦したのだが、2対7とベイスターズのリードで迎えた九回表二死無走者という状況で田中幸雄が代打で登場した。2000本安打まで残り30本を切り、少しでも打席に立つ機会を確保したい気持ちはわかるが、いくら何でもそれはないだろうというシチュエーションだった。そりゃあ幸雄さんが打席に立てば、レフトスタンドを埋め尽くしたファイターズファンは喜び、一方的な負け試合の憂さを晴らすかのように幸雄ジャンプを繰り返すだろうが、それでファンへの罪滅ぼしを兼ねていると思ったら大間違いだ。ファンに罪滅ぼし、あるいはサービスしたいと思うなら2対7のまま終わるのではなく粘りを見せて、日本最速のスピードを誇るマーク・クルーン投手を引っ張り出すくらいのことをするのがファンに対する務めというものだ。ファイターズファンである手前、おおっぴらには誰も口にしないが、どうせ負けるならせめて日本最速のストッパー、クルーンを観てみたいと思った人は少なくないだろう。交流戦の楽しみ方のひとつであるはずだ。
トレイ・ヒルマン監督も比較的選手の個性やキャラクターを尊重する監督だと敗戦処理。は認識していたが、この点に関しては中村監督の考え方の方に肩を持ちたいですね。
清原和博を操縦するということは本当に大変なことだとの中村監督への同情も含め<苦笑>。
それと気になったのが、ジャイアンツ応援団からの「清原コール」
いくら昨年までの仲間とはいえ、公式戦で今は敵味方。ジャイアンツが守備で、マウンドの豊田清を始め、ナインは久々の勝利を目前に最後に身を引き締めて守っている時に相手選手にあれだけ盛大にエールを送るということはジャイアンツナインに失礼ではないのか?
ジャイアンツとマリーンズの対戦で、小坂誠のファインプレーが出た時にマリーンズの応援団が大きな拍手で讃えるのとは意味が違うと思う。
つい最近、ジャイアンツがマリーンズにサヨナラ負けした試合(10日・千葉マリン)の最後のシーン。九回裏二死一塁、同点で一塁走者の西岡剛が投球と同時にスタートを切り、打席のマット・ワトソンがライトの頭上を越える打球を放つと、ライトを守っていた亀井義行が西岡の俊足を見越してサヨナラ負けと決めつけ、緩慢な打球処理をしてしまった。このプレーに担当の西岡良洋外野守備走塁コーチが激怒。サヨナラ負けに沈むベンチで西岡コーチが亀井を叱責し、亀井も反論したために険悪な雰囲気が漂ったと翌日のスポーツ紙は報じていた。このことに象徴されるように、プロの野球選手というものは、そんなミクロほどの可能性を諦めず、最後まで全力でプレーするのが本来の姿であり、7点リードした最終回の守備とはいえ、(多少の緊張感の緩みはあるのかもしれないが)集中力を保ち、打球に対して最善のプレーが出来るよう、全力で闘っているはずだ。もちろん投手も集中して打者を全力で打ち取ろうとしている。そういう状況で相手選手の名前を連呼することは、応援しているチームの選手へのリスペクトを欠くということにならないのか。「今日はもう、いくら何でも勝ちは決まりだ。それならば清原を最後に観たい!」という想いは充分に理解できるが、大声援でアピールするのは違うだろう、というのが敗戦処理。の主張である。
個人個人が好き勝手に拍手をしたり、声援を送ったり、ヤジを飛ばすというレベルであれば、時にそのようなリスペクトが欠けていたり、えげつなく、聞くに堪えないヤジが混ざることもあるだろう。そこまで否定するつもりはないが、「応援団」と称する方達が主導的な役割を果たしながら「清原コール」が広まったというのであれば、違和感を持たざるを得ない。
ライトスタンドのあちこちから自然発生的に「清原コール」が起こり、それを応援団が拾い上げてさらに大きなコールになったというのが真相だと思われるが、相手チームの選手にも一定のリスペクトを払うという昨今の応援マナーの延長線上にあるパフォーマンスだと理解しての行為だとしたら、それは延長線上にあるのではなく、逸脱しているといいたい。
一選手が代打で出てくるか来ないかで、これだけのことを考えさせるのだから、清原和博はやはり「最後のカリスマ」なのかもしれない。このブログではけっこう清原を非難している敗戦処理。ではあるが、オールスターのファン投票ではしっかりとパ・リーグのDHで投票しておいたから、オールスターゲームでも一暴れしてね、清原。
私がよくお邪魔しているアット・ニフティのベースボールフォーラムのファイターズ掲示板でこの試合での田中幸雄代打起用への不満を実に手厳しく、かつ論理的に書き込んでおられる方がいて、わが意を得たりと思った。私だって幸雄さんを観たいし、出来れば目の前で安打を放って欲しいが最低限のTPOに配慮して欲しいものだ。
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バファローズの清原和博が26日の大阪ドームでの対ベイスターズ戦で史上12人目の4000塁打を達成し、チームの勝利にも貢献してヒーローインタビューを受けた。故障に悩まされていた清原にとって本拠地大阪ドームでの公式戦出場は初めてだったそうで、本拠地デビュー戦でお立ち台の座を射止めた。
よほど機嫌が良かったのだろう。27日付スポーツニッポンによると、お立ち台を終えた清原はこう言ったという。
「東京ドームと違って温かい。うれしいです。あしたもフルスイングします」
なに? 大阪ドームは東京ドームより温かいだと?
そりゃ空調の設定が違うのだろう。まさか東京ドームのファンは温かくなかったなんて思っているのか、この男は?
ジャイアンツでのここ何年かは、たしかにプライドをズタズタにされる仕打ちを受けたのだろう。しかしそんな清原を、いつも変わらぬ大声援で奮い立たせようと声をからして叫び続けた「清原信者」達に対して何という仕打ちだ!
冷遇した前の監督や球団フロントに対しての恨み辛みならわかるが、ファンに対するこの暴言は真意を問いたい。スポニチの間違いであって欲しいくらいだ。
2005年10月5日。敗戦処理。はジャイアンツのシーズン最終戦を東京ドームで生観戦した。試合終了後、一年の闘いを終えたライトスタンドの応援団やファン達はあらゆる選手のテーマソングを歌い、最後の盛り上がりを楽しんでいた。もちろん既にその時点で実質的な戦力外通告を受けていた清原に関する応援パフォーマンスには他の選手以上に時間を割いていた。清原は球場に来てすらいない。ファンはそれを知りながら「とんぼ」を歌い、「き・よ・は・ら」と絶叫し続ける。最後は「頑張れ、頑張れ、清原」で締めくくっていた。
そんなファン達への暴言なら許せない。
ファンに愛される選手。
そのファンを愛する選手。
選手とファンの距離が近づき、より一層盛り上がる。
SHINJOは引退表明をする試合で(たまたま?)本塁打を放ったがベース一週後、いつも以上に深く深く頭を下げ、東京ドームのライトスタンドのファンに感謝の意を示した。
原辰徳は1989年の日本シリーズで第一戦から一本の安打も打てず苦しんでいたが、第五戦で吉井理人からシリーズ初安打となる満塁本塁打を放つが、打球がレフトスタンドの最前列に落ちるのを確認した原が最初に行ったポーズはライトスタンドのファンの方を向いての万歳だった。
2004年9月。日本プロ野球史上初のストライキ決行を決めた古田敦也はその晩のフジテレビ系列「すぽると」に生出演してファンにスト決行の説明をし、ファンからの体調を気遣うFAXに人目をはばからず涙した。「迷惑をかけているのは僕たちの方なのに。」
ファンに愛されるヒーロー達の節目のシーンでは、いつも傍らにファンの存在がある。清原だってそのはずだ。
新しいチームのファンに早く大きな印象を与えた知という気持ちがあるのかもしれないが、だからといって九年間支え続けてくれたファンをおとしめるような発言はないだろう。4000塁打達成。マーク・クルーンからの劇的な逆転満塁サヨナラ本塁打とようやく清原らしいパフォーマンスが出来るようになった矢先にこんな事を書きたくないが、先の報復発言とは別の次元で見過ごせない発言につき、敢えて書いてみた。
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7日のカープ対ドラゴンズ戦で一塁塁上でのプレイに関して審判員に対し暴言を吐いたとしてカープのマイク・ロマノ投手が退場処分を受け、そのことに抗議したマーティー・ブラウン監督が、抗議が受け入れられないと観るや一塁ベースを外して投げ飛ばし、退場処分となったが。カープは何とこの侮蔑行為をネタにしたTシャツを作成。張本人のブラウン監督と同日に代理監督を務めたジェフ・リブジー打撃コーチには別バージョンを作成する念の入りようだったが、ちょっと悪ふざけが過ぎてはいないか?
ブラウン監督大笑い(スポーツ報知より)
http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20060516-OHT1T00607.htm
「ベース投げTシャツ」が大反響(スポーツニッポンより)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060518-00000004-spn-spo
ブラウン監督がこの件で退場処分になったのは抗議そのものではなく、抗議の後にベースを投げた行為が原因である。退場処分を受けた原因をギャグにしてしまうのは行き過ぎではないのか?
個人的にはグラウンドでベースを外して投げるなどという行為は審判員への暴力行為に次ぐくらいの、野球に対する冒涜であると考えている。
自分たちの仕事場であるグラウンド。野球という競技の勝敗の基準となる得点は選手がベースを踏むことによって認められ、選手をアウトにするには守備側は走ってくる選手より先にボールを持ってベースを踏む。野球という競技におけるベースという道具の意味合いは敢えて語る必要もあるまい。
話は横道にそれるが、野球選手ほど、道具を粗末に扱うことを許されているスポーツ選手は他にいないのではないか。バットを投げ飛ばす。足でバットを折る。ヘルメットやグラブを投げつける。敗戦処理。は野球以外のスポーツで野球ほどに関心を持っているものが無いのだが、他のスポーツで、今挙げた例のように単なる憂さ晴らしの対象として道具が粗末に扱われるケースがあるのだろうか。そういえば選手のマナー、社会人としての振る舞いにうるさい野村克也監督も、あまりこのような風潮には触れていないような気がする。
カープのTシャツで驚いていたら、Tシャツどころか仕事着であるユニフォームで度肝を抜く悪ふざけをした男がいる。SHINJOだ。
今日(18日)のタイガース対ファイターズ戦は前日の雨天中止がなければ、「引退宣言」をしているSHINJOにとってはかつての本拠地での最終戦となる可能性が高い試合だ。何か仰天パフォーマンスを企んでいるのではないかと勝手に想像をめぐらしていたが、何と試合前の守備練習にタイガース時代の「背番号5」のユニフォームを着て登場した。
【日本ハム】新庄は阪神ユニホームで登場(日刊スポーツより)
http://www.nikkansports.com/baseball/f-bb-tp0-20060518-33700.html
これもカエルやスパイダーマンやゴレンジャーやダース・ベイダーなどのかぶり物と同義と考えればいいのか、いくら何でも相手球団のユニフォームで登場とはやり過ぎと考えるのか、やったのがSHINJOだけに賛否両論となりそうだが、敗戦処理。的には「ちょっと、度が過ぎているんじゃないの?」と感じる。
先のアンダーシャツの襟騒動にしてもそうだが、SHINJOだからどうこう…なのではなく、ルールやマナーというものには基準があるはずで、その範囲内にとどまっているのか、逸脱しているのかを判断するべきであって、稀代のパフォーマーであるSHINJOがその行為の主であるということは本来判断の基準ではないのである。これまた話が横道にそれるが、清原和博による死球への報復発言にせよ、何故リーグなり機構なりがその真意を確認し、注意するなりの行動をしないのか?
カープのTシャツにはファンからの反響が大きいという。SHINJOは何をやっても許される特異で希有なキャラクターである。(さらに言えば清原はファンの間ではカリスマ性があるという。)そう考えると、今上げたそれぞれの行為に眉を顰める敗戦処理。は極めて少数派で、大半のファンは拍手喝采しているか、あるいは「別に目くじらを立てるほどのことじゃないよ」と思っているのだろう。しかし敢えて言わせてもらったのは、こうしたことの是々非々が問われることもなく、何となく見過ごされてしまうような野球界の体質というか風潮が、二年前には先の展望が見えなくなる合併騒動が起き、多くのファンが怒って立ち上がって(とりあえずは)最大の危機は免れた(というか、先送りにした)にもかかわらず、その後これといって球界改革がなかなか進まないという現状に結びついているのでないかと言うことだ。
おかしいと思ったら、声を挙げよう。
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20日のファイターズ対バファローズ戦でダルビッシュ有から死球を受けて途中交代した清原和博は骨折も懸念されましたが診断の結果、打撲で全治三週間だったそうです。清原は死球の日本記録保持者であるくらい死球が多いのですが、選手生命をかけて臨んだシーズンに受けた通算196個目の死球に相当の怒りを覚えているようです。
20日の死球で、自身が持つ最多死球のプロ野球記録を196に更新。清原は1989年に死球に激高して相手投手に暴行したことを振り返り「あの時は一時的な感情でバットを投げつけてしまった。すごく反省した」と言う。しかし今回の死球については「5年、10年と野球をできるわけではない。次からは命をかけてマウンドに走り相手を倒したい。周囲の非難よりも大切なものを守りたい」と怒りをあらわにした。
(スポーツ報知WEB版-2006年04月21日より引用。http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20060421-OHT1T00318.htm)
大切なものとは「家族の生活」だそうですが、何とも物騒な発言ですね。来年には40歳になる人の発言とは思えません。その後多少冷静さを取り戻した清原は新たにこう語ったそうです。
ここ2、3日、やはり心の中で思うことが多かった。久しぶりの東京ドームで、ああいう形で去ってから球場に立ったわけですが。なんていうか、またくしくも(2004年の阪神戦と)同じ東京ドームで骨折か…と。新たに再スタートを切ったところでね。
昨日(20日)は、うちのチビを久々に東京ドームに呼んで、その1打席目でデッドボール。チビが涙いっぱいこらえながら、病院に見送ってくれて…。もうこれ以上…。(死球をぶつけた投手へ向かうことは)17年我慢してきましたし、大切なものを守らなくてはいけない、と昨日は強く感じました。その半面、(心では)半分以上は骨折と思っていた。
これから、故意にしろ故意じゃないにしろ、僕は守るべきものを命を懸けて守りたいと思います。もし、そういうことがあれば、命を懸けてマウンドへ走っていき、そいつを倒したいと思います。周囲から非難、制裁を受けても。もう5年、10年も野球をできるわけじゃないですから。死球を受けたすぐ後に説明するのも格好悪いと思って、あえて今、こういう形で言わせてもらいました。
野球ですから、決してインコースに投げるな、と言っているわけではありません。ただ、大切なものを守るために、命を懸けて突っ走っていきたい。今、世界中で戦争が起きています。相手は決して憎くて殺すんじゃない。みんな、大切なものを守るために戦っている。
昨日は悔しくて眠れなかった。チビの涙ためる姿を見てオレはもう…。やられっぱなしで、2、3か月けがで入院するぐらいやったら、こっちから行って…守るべきものを守りたいよね。
(スポーツ報知WEB版-2006年04月22日より引用。http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20060422-OHT1T00056.htm)
来年には40歳になる人の発言とは思えません。「四十にして惑わず」という故事がありますが、清原には当てはまらないのでしょうか。
そもそも、なぜ清原には死球が多いのでしょうか?
「ホームランバッターの宿命として、相手投手から内角ぎりぎりに攻められることが多く、結果として死球になってしまうことが多い」という意見を聞きます。たしかにそれもあると思いますが、それだけでしょうか?多くの野球ファンが知っている通り、清原は打者として内角球に弱いという弱点を持っており、それを克服できないからいつまでたっても相手投手に内角攻めをされているということの方が本当の原因だと敗戦処理。は推測しています。
それが証拠にジャイアンツ時代の清原はとにかくよくぶつけられましたが、同じ時期松井秀喜が清原ほどのえげつない内角攻めをされたという印象がありません。内角攻めはホームランバッター対策というより、清原対策なのでしょう。
松井にも容赦なくえげつない球が投じられていた時期がありました。1998年にはセ・リーグの死球王になっています。(といっても年間で8個ですが。)この年に松井は初めて本塁打王に輝いています。入団時から将来のホームランキングを予感させていた松井秀喜がセ・リーグで本塁打王争いに絡むようになって三年目で念願の初タイトル。その打棒がいよいよ開花したシーズンだったわけですが、この年を境にさらに相手投手からえげつないせめかたをされたかというとさにあらず、以後死球の数は減ります。これは松井が内角攻めを克服したということと、セ・リーグのライバルチームの投手達が松井を一人前の打者として一目置いたということだったのではないでしょうか。
若いホームランバッターや、あるいは安打製造器型の選手にも当てはまるのでしょうが、ブレークしていく過程で執拗な内角攻めを受けるという例は確かにあるようです。「出る杭は打たれる」、「鉄は熱いうちに打て」といったところでしょうか。しかしそれを克服した選手に対しては、いつしかえげつない攻め方も影を潜めるようになるものです。善し悪しはあるでしょうが、一種の儀式なのかもしれません。ところが清原にはいっこうに内角攻めが減りません。
清原は昨年までで二十年間のプロ生活をしていますがこれを5年ごとに区切って、死球を受ける割合を検証してみたいと思います。
1986年~1990年 2675打席 67死球 39.9打席に1死球
1991年~1995年 2705打席 33死球 82.0打席に1死球
1996年~2000年 2158打席 44死球 49.0打席に1死球
2001年~2005年 1624打席 51死球 31.8打席に1死球
1986年~2005年 9162打席 195死球 47.0打席に1死球
年数を経て死球が減るのではなく、むしろ増えています。いったい何なのでしょうか。誤解を恐れずにいえば、ライバルチームの投手陣の間には、清原に対しては「ぶつけても仕方ないから徹底して内角を攻めよう」という清原対策マニュアルがあるのでしょう。ぶつけてしまっては出塁させてしまいますが、打ち取るためには、特にスタジアムの雰囲気をがらりと変えるホームランを防ぐには「ぶつける覚悟での内角攻め」が有効なのでしょう。だとしたら清原はプロ生活20年にして未だにライバルチームから一目置かれていない存在に過ぎないということになってしまいますが。
たとえば先日連続フルイニング出場記録の大リーグ記録を抜いた金本知憲は、清原同様にチームの四番を張る主力選手ですが、清原に比べると圧倒的に死球が少ないです。だからこそ連続出場の記録を達成できるのだとも言えますが、あそこまでいくと、「金本にやたらに死球をぶつけるわけにはいかない」という暗黙のコンセンサスがライバルチームの投手陣の間にも、否、大げさにいえば日本プロ野球界全体に確立されているのでしょう。参考までに金本の近年の死球数を調べてみました。
金本知憲
2001年 615打席 9死球 68.3打席に1死球
2002年 604打席 2死球 302.0打席に1死球
2003年 632打席 5死球 126.4打席に1死球
2004年 613打席 5死球 122.6打席に1死球
2005年 662打席 3死球 220.7打席に1死球
5年間 3126打席 24死球 130.3打席に1死球
金本が内角球をどう対処しているかは定かではありませんが、この差を見る限り、「清原にはぶつけても仕方ないが、金本には原則的にはぶつけていけない」というコンセンサスが形成されていると言ったら言い過ぎでしょうか。
今回はぶつけた側のファイターズの投手コーチが、二年前のジャイアンツ時代に長期離脱につながる死球をぶつけたタイガースの投手コーチだった佐藤義則だったことと、その佐藤コーチが「ハードラックだった」などと他人事のような発言をしていることから清原の怒りに拍車がかかっているとの見方もあり、暴力宣言は別にしても清原を擁護する報道が目立ちますが、根底にあるのは清原が何年たっても同じ弱点を克服できずにいるということだと敗戦処理。はみなしています。
「番長」というニックネームに、威圧感を示そうとするスキンヘッドにピアスという武装行為で苦手の内角に投げさせない工夫を施してきた清原ですが、それでも通用しないと見るや、実力行使に及ぶというニュアンスを流布する手段に出たのかもしれませんが、プロ20年を超える選手がみっともない暴力行為に走るような愚挙には及ばないよう、本人に自覚がないのでしたら、中村勝広監督以下首脳陣がきちんと指導して下さい。
清原和博にとっても「清原和博」を演じ続けるのが大変だということはわかりますが。
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日刊ゲンダイの見出し「野茂日本球界復帰-(略)-オリックスで実現」という見出しにつられて買ってしまいましたが、そんな簡単な話では無いようですね<苦笑>。
( http://gendai.net/?m=view&c=010&no=17610 )
シカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結んでメジャー昇格を目論んでいる野茂英雄ですが、ホワイトソックスとの契約前に日本のバファローズ球団と水面下で交渉していた事実があり、金銭面その他の理由で実現には至らなかったのですが野茂がホワイトソックスでのメジャー昇格が難しい状況になり、日本球界復帰という選択肢を選ばざるを得ないのではないかというのが同紙の記事の趣旨。
その場合は日本球界では旧バファローズに保有権があるためそれを引き継いだ合併球団であるバファローズとの交渉をせねばならず野茂はバファローズで日本球界復帰するだろうという推測が成されている。野茂の代理人である団野村氏が同紙の取材でバファローズ球団との交渉の事実を認めたため大々的に書いたようですね。
しかし団野村氏のコラムによると、バファローズ入りは、まず無さそうです。
( http://ballplayers.jp/column/cat6/ )
団野村氏はバファローズ球団の対応、特に小泉隆司球団社長の誠意を全く感じられない交渉態度を理由に野茂のバファローズ入りは有り得ないと書いています。そしてバファローズ球団が日本における保有権を握っていることを踏まえ、日本球界復帰の道が閉ざされることを危惧しています。
もちろん、交渉事の一方の言い分だけを取り上げて評価するのはフェアではありませんが、前にも触れましたようにバファローズ球団の小泉社長の対応に不満を持っている敗戦処理。としては(団野村氏にも「札付き」という印象がぬぐい切れませんが)この人が交渉したのなら、さもありなんと感じてしまいますね。
また、同コラムで団野村氏が触れているところによると、バファローズ球団が今でも野茂の保有権を持っていること自体がルール違反だと言うことですが、この経緯については敗戦処理。は知り得ませんでした。ただし2月22日付本ブログで主張した「バファローズ、野茂を獲得へ」( http://mop-upguy.cocolog-nifty.com/baseball/2006/02/post_9bb5.html#trackback )
の自説とはほぼ合致していますが。
野茂には不死鳥のごとくメジャーリーグのマウンドに返り咲いて欲しいところではありますが、野茂がこれまで頑なにメジャーにこだわっていた背景に日本球界での保有権問題が引っかかっているのであれば性急に見直して欲しいですね。
野茂がバファローズとの交渉の席に着いた理由は故・仰木彬氏に報いるためとのことですが、十二球団との交渉がフリーになったら新しい闘いの場に北海道を選んでもらえませんかね?
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ジャイアンツ球場を辻内降板とともに去ったのは東京ドームのナイトゲームでふたりの選手にお別れをするためです。別に昼の部が終わってからでも間に合ったと思いますが書き込んだりする時間を考えると…<苦笑>。
東京ドームのナイトゲーム、オープン戦のファイターズ対バファローズ戦は敗戦処理。にとってはふたりの選手への惜別試合となりました。
ひとりは昨シーズン限りで現役を引退、この試合の始球式で東京のファンに別れを告げる岩本勉。もうひとりは現役を続行しますが贔屓チームの選手からライバルチームの選手になるバファローズの清原和博です。
岩本というのは不思議な選手でした。気合いを前面に出し、スタンドまでも伝わる魂のピッチングでファイターズファンを熱くさせてくれるかと思えば相手打線に火を付けてしまったり。二年連続開幕戦完封勝利の実績が示すようにここと心に期した試合での集中力は素晴らしいものがありましたが、年齢を経ての投球の熟練化がうまくいかず、不幸にもチームの北海道進出を境に存在感を薄めてしまいました。しかし敗戦処理。の様な後楽園の頃からファイターズを応援している身にとっては西崎幸広らが抜けた後で地味になったチームで明るいパフォーマンスを連発し、チームメートのみならず我々ファンをも盛り上げてくれた岩本の存在は残した通算成績のみではとても語れない存在感がありました。
ちょうど一週間前には札幌ドームで引退試合をしてもらい、マリーンズで長年対決した堀幸一選手と真剣勝負。そして二年間ついに実現しなかった札幌ドームでのマイクパフォーマンス「まいどっ!」を実現させました。今夜は東京のファンの前で始球式。球団からのコーチ就任要請を断り、他球団での現役続行を望んだ選手に対してこれだけ球団が配慮をしたのも、岩本の人柄故でしょう。
人柄といえば、今日の始球式前に場内に流れた岩本の引退スピーチではチームメートやファンへの感謝の思いの他に、東京ドームの球場設備のスタッフへの感謝の思いをかなり長く述べていました。岩本とはそういう男なのでしょう。北海道移転を前にした2003年の本拠地最終戦後のセレモニーでも当時選手会長を務めていた岩本は挨拶をしていましたが、その時も岩本は球場関係者への感謝に長い時間を割いていましたから。
そして清原和博。
敗戦処理。はジャイアンツファンですが、いわゆる「清原信者」ではありません。応援するチームで九年間プレイしてくれましたが、期待に応えてくれたというよりは、期待を裏切られたという思いの方が強いくらいです。このブログで2月2日付で発言した「清原和博の使い途」で書いた内容が敗戦処理。の清原に対する率直な重いです。昨シーズンの戦力外通告も妥当だと思いましたし、2001年オフに球団が四年契約を結んだ時には「長すぎる…」と思ったくらいでした。
しかし、それでもジャイアンツナインの一人です。清原のバットで感動させてもらったことも少なくありません。普通であれば「他の球団に行っても頑張れよ」と励ますところですが、パ・リーグにも贔屓チームを持つ敗戦処理。にとっては今シーズンは宿敵になるのです。そこで清原と訣別するために、バファローズのユニフォームを着る清原和博をじかにこの目に焼き付けようと思ったわけです。もちろんスポーツニュースなどではバファローズのユニフォームを着ている清原を何度となく観ていますが、直に観ればまた違うと思いました。
そして岩本の始球式。普通なら先攻のバファローズの一番打者(この試合では谷佳知)が打席に入るところですが、清原が打席に入りました。清原は豪快に、本当に思い切りよく空振りしてくれました。岩本も嬉しかったことでしょう。
さようなら、岩本勉
さようなら、清原和博
そしてありがとう。
始球式後、マウンドに歩み岩本をねぎらった清原。ともに昨シーズン終了後、不本意な戦力外通告を受けた身。ふたりとも胸中は複雑であろう。
ふたりが与えてくれた感動を胸にしまいこみ、2006年の日本プロ野球に注目したいと思います。
ちなみに試合の方はこんな感じでした。
【12日・東京ドーム】
Bs 000 000 000 =0
F 000 004 01× =5
本塁打)稲葉1号2ラン(大久保・6回)、SHINJO3号(大久保・6回)、稲葉2号(香月・8回)=2打席連続
Bs)セラフィニ、●大久保、平野佳、香月-日高、前田
F)八木、○清水、立石、建山、トーマス-高橋、中嶋
ファイターズの八木は投球間隔が長いのが気になった以外は問題なし。不利なカウントになっても平気でストライクを取れる。安定した投球で5イニングを無失点。また「二番・二塁」でスタメン出場した同じルーキーの川島は二打席連続見逃し三振と精彩を欠いていたが三打席目に先制のスクイズを決め小技も巧いところを見せてくれました。既にオープン戦で殊勲打を何度か放っています。強運の持ち主かもしれませんね。面白い戦力になってくれそうです。また稲葉が右に左にホームランを連発。SHINJOも豪快な本塁打を放つなどファイターズファンにとってはたまらない試合でした。投げる方も八木の後、清水、立石、建山、トーマスとつないで完封リレー。それも全員無四球でスカッとした試合でした。
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昨シーズン、ヤンキースの3Aに所属したままシーズンを終え、今シーズンの所属が未だ決まっていない野茂英雄投手に関し、日本のバファローズが「力は衰えていない。戦力には十分なる」と獲得に興味を持っているという。今日(22日)のスポ-ツニッポンが報じている。
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このオフシーズン、個性的な監督経験者が三人相次いで
亡くなられたのですね。
仰木彬さんと藤田元司さんは1989年の日本シリーズで旧
バファローズとジャイアンツの監督として対戦。バファ
ローズが三連勝の後、ジャイアンツが四連勝するという
ドラマチックな日本シリーズでしたね。
近藤貞雄さんと藤田元司さんは1982年のセ・リーグペナ
ントレースでドラゴンズとジャイアンツの監督として白
熱した争いをしました。ジャイアンツの絶対的エースだ
った江川卓を最後に攻略してドラゴンズが逆転優勝しま
したね。
近藤さんと仰木さんはどちらもアイディアマンとして複
数の球団の監督として行く先々で話題を振りまいていま
したね。
プロ野球の監督って、長くやると身体に良くないのでし
ょうね。
今懸命にリハビリに励んでおられる長嶋茂雄さんと仰木
さんは同じ学年。そしてゴールデンイーグルスの新監督
となった野村克也さんも同じ学年。
昨年は不成績ながらチームを作っていこうという姿勢が
多くのファンに支持された田尾安志前監督をあっさりと
解雇してしまった三木谷浩史オーナーの元、名将野村さ
んも苦労が絶えないと思う。野村さん、「最後のご奉公」
とか言っていましたが、ゴールデンイーグルスの監督の
代わりはいても、野球界に野村克也の代わりはいません。
あまりにも弱い新規参入球団を何とかしようという想い
はひしと伝わってきますが、くれぐれもお身体を大切に。
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ジャイアンツから戦力外通告を受けてバファローズに、
というか故仰木彬氏に拾われた清原和博のキャンプ初日
の一挙手一投足が各メディアで大々的に報じられていた。
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