2009年7月11日 (土)

神戸地検がJR福知山線脱線事故でJR西日本の社長を起訴-で思い出したこと、感じたこと。

敗戦処理。が東京ドームで坂本勇人のサヨナラ本塁打に歓喜していた8日、四年前のJR西日本・福知山線の大惨事にあるひとつの区切りが起きた。神戸地検が8日、JR西日本の山崎正夫社長を業務上過失致死傷罪で在宅起訴した。

事件から遡ること九年前の1996年、現場が急カーブに付け替えられた時の安全対策の責任者であったのが今回起訴された、当時の常務取締役鉄道本部長であった山崎現社長だったのだ。

今も当時も東京在住の敗戦処理。にとっても衝撃的大事件。

久々にこの大惨事のニュースに接し、敗戦処理。が当時考えたことを思い出した。

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2008年7月18日 (金)

「水を飲む時には井戸を掘った人のことを思い出さなければならない」-野茂英雄の現役引退表明に寄せて

Vs000 もう、トルネード投法を観ることは出来ないのか…?

(写真:1996年の日米野球でMLB選抜の先発投手として登場した野茂英雄。打席には当時ブルーウェーブのイチロー。ネット裏三塁寄りの観客席からの撮影でもはっきりとユニフォームの背中が見えている!)

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2008年5月 2日 (金)

「生」観戦した野球場(44)-藤井寺球場

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いろいろな野球場で日本のプロ野球を観てきました。その数40以上。だからどうしたと言われればそれまでですが。

このコーナーでは敗戦処理。がプロ野球の試合を観戦した野球場について順に書いています。当面、月に1回、毎月2日に書いていこうと思います。なおバックナンバーは左欄のカテゴリー別から敗戦処理。が「生」観戦した野球場を選び、ダブルクリックして下さい。

記念すべき40個目の観戦球場は旧バファローズの元本拠地、藤井寺球場でした。

44回 藤井寺球場 観戦球場ファイル-40

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2008年4月13日 (日)

伝統は守るもの。歴史はつくるもの。

02  

 

ご存じの方も多いと思うが今年のジャイアンツは「永久欠番シリーズ」と銘打ってジャイアンツで永久欠番に輝いた先人を讃える企画を行っている。既に第一弾の長嶋茂雄シリーズが4月4日から6日の対タイガース三連戦で行われ、現在行われている対スワローズ三連戦は第二弾に当たる川上哲治/金田正一シリーズ。11日の初戦には金田正一氏が来場して始球式を務め、12日には川上哲治氏が姿を見せていた。

ジャイアンツは本拠地の東京ドームで永久欠番に輝いたOBへのリスペクトの証として外野席の柱に六人の永久欠番になった先人のユニフォームをイラスト化してその功績を讃えている。

タイトルの「伝統は守るもの。歴史はつくるもの。」は敗戦処理。の好きな言葉だがジャイアンツがこういう企画をするのは好ましいことだ。だが…、

 

 

(写真:「永久欠番シリーズ」の試合の来場者に配られる「永久欠番カード」。12日の「川上哲治/金田正一シリーズ」を生観戦した敗戦処理。は川上哲治、金田正一両氏のオリジナルベースボールカードを入手したが前の日の11日と今日13日は同じこの両氏のカードでもデザインが異なるらしい。カードコレクター達は三連戦すべてを観戦し、コンプリートにチャレンジするのだろうか?)

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2008年4月 8日 (火)

坪井選手、足が出ていますよ!

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6日の対バファローズ戦の第一打席で投手の足下を抜くセンター前安打を放ったファイターズの坪井智哉。

あれ、前足がバッターボックスの外に出ているような…?

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2008年3月 4日 (火)

ファイターズ吉井理人コーチの引退セレモニーをマリーンズが企画。

マリーンズ球団が、昨シーズン限りでマリーンズから戦力外通告を受けて現役を引退した吉井理人の引退セレモニーを行うことを3日、発表した。吉井は昨シーズンの戦力外通告後、当初は現役続行を希望していたがファイターズから一軍投手コーチ就任の要請を受け、現役引退に踏み切り、コーチに就任した。マリーンズの本拠地、千葉マリンスタジアムでのファイターズとのオープン戦が行われる11日にセレモニーが行われ、吉井コーチは始球式を務める。

大リーグ、メッツ時代にも吉井と監督とコーチの間柄だったマリーンズ、ボビー・バレンタイン監督の発案で実現の運びとなった。バレンタイン監督は吉井が投球する際、打席に入るという。

マリーンズは今年のオープン戦では別途、黒木知宏元投手の引退セレモニーも予定している。13年間マリーンズ一筋だった黒木と異なり、昨シーズンの途中にバファローズから移籍してきてマリーンズでは4試合に登板して03敗、防御率13.14と散々だった吉井に対し、(しかも引退して自軍に残ったのではなくライバル球団のコーチになったというのに)引退セレモニーをするとはマリーンズらしいといえば、マリーンズらしい演出ではないか。

 

 

マリーンズよ、ありがとう!

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2007年5月13日 (日)

ゴールデンイーグルスがようやく100勝-であらためてこの球団の生い立ちに遡ると

01_25 2004年の球界再編騒動の過程で誕生した新規参入球団・東北楽天ゴールデンイーグルス。当初の分配ドラフトでどう見ても十分とは思えない選手配分だったことを考えると、ここまでの苦戦は避けられなかった事態と言えよう。ただ、100勝到達に関する談話の中で、このチーム誕生からコーチを務めている橋上秀樹ヘッドコーチの談話が印象に残った。同コーチは、節目の100勝達成がバファローズ戦だったことに意味があると語っていた。球団の身売り-親会社の変更ではなく、球団合併と新球団の誕生という決着をみた2004年の球界再編。新規参入球団の節目の勝利が合併球団相手に達成されたのはたしかに偶然ではないかもしれない。

「だって、ここ(オリックス)は『いいとこ取り』だろ。100勝よりも、今現在、オリックスより上の順位でいることが大きいね」

(橋上コーチの談話・5月12日付日刊スポーツより)

これが仮に野村克也監督が残したコメントならば、「またいつものイヤミか」と読み過ごしていたかもしれませんが、田尾安志監督の創立一年目からこのチームでがんばっている橋上コーチの一言だから重いのですね。

球団誕生の経緯から「せめてオリックスよりは上の順位に行って欲しい」と思っているファンは少なくないようだ。敗戦処理。もゴールデンイーグルスのファンではないが(もちろんファイターズファン)いわゆる判官贔屓の感覚で、バファローズを超えての最下位脱出を秘かに応援している。

* でもそれ以上行くと、ファイターズとの争いになるので、とりあえず今年はそこまでにとどめて欲しい<苦笑>

それにしても、あらためて振り返ると、不愉快な球界再編騒動だった。

旧バファローズの親会社、近畿日本鉄道が経営状況が逼迫しており、同社が球団を手放さなければならなかったのは致し方ない所だったろう。90年代中盤に野茂英雄任意引退→ドジャース入りに至る顛末、ドラフトで交渉権を得たPL学園の福留孝介に三年後のトレードを認める契約を結ぼうとして協約違反を指摘された件、故障によって欠場した石井浩郎に野球協約で定める上限以上のダウンを強行しようとして事実上の喧嘩別れになった件、とトラブル続きだったので抜本的に球団経営のあり方を改善できる人材に任せるか、近畿日本鉄道自体に球団経営から退いてもらうしかないと敗戦処理。は個人的に思っていた。それでも当時の旧バファローズはパ・リーグでは身売りを経験しなかった唯一の球団であり、半世紀以上も球団を支えてきた近畿日本鉄道が球団経営を断念する報道が出たときには淋しい気持ちが大きかった。

当時はホークスの親会社でもあった「ダイエー」が天文学的な有利子負債を抱え、グループ再編を余儀なくされて球団経営にも危機が及ぶのではないかという一連のマスコミ報道があって、その関連で実はJRを除いた日本の私鉄では最大規模を誇る近畿日本鉄道の有利子負債もそれに近い額になっていると報じられていたので「身売り」だけの報道ならさほど驚かなかったかもしれないが、「合併」という手段を選んだ衝撃は大きかった。

結果的に見れば、近畿日本鉄道から楽天に球団身売りが為されていれば、ゴールデンイーグルスのような弱い球団が誕生しなくて済んだのだろう。しかし合併の意志を表明した当時の会見では、水面下で身売り先を探したが見つからなかったから合併という選択肢を選んだと発表されていたし、その後ライブドアが買収に名乗りを挙げても門前払いだった。

まず二球団の合併を決め、パ・リーグの球団数が奇数になり、なおかつ5球団になってしまうことの弊害に対しては当時のライオンズの堤義明オーナーが「さらにもう一組の合併を模索中」と表明し、球団数削減、球界再編に向けて急速に動いているように思えた。

その間、この無謀とも思えるあまりに急速な動きに反発するファンが各球場で膨大な数の署名を集め、世論を喚起。またこの動きの黒幕と目された当時のジャイアンツの渡邉恒雄オーナーの「たかが選手が…」発言などで野球ファンを超える社会問題レベルにまで高められたこともあって、球界の動きにブレーキが掛かり、選手会はストライキに突入。これがまた野球ファンのみならず一般世論の圧倒的な支持を受け、新規参入球団を受け入れざるを得なくなった。ライブドアと楽天の一騎打ちになり、楽天が仙台市を本拠地とする新規参入球団として認められた。

当時「楽天」の立候補は、新規参入球団を認めざるを得なくなった球界が、ライブドアの参入を認めたくないために代替候補として担ぎ出した「ライブドア潰し」のための「後出しジャンケン」と噂された。実際この当時のライブドア、ホリエモンはプロ野球ファンにとっては英雄だった。敗戦処理。も半信半疑ではあったが、あの時点で旧バファローズ買収に名乗りを挙げたライブドアに関しては評価している。

「楽天」の参入が認められた時点では、ゼロからのスタートになる新球団のための分配ドラフトはもっと新規参入球団にそこそこの選手が配分される見通しもあったが、実際には橋上ヘッドの談話にあったように「いいとこ取り」をされた。救いは旧バファローズで合併撤回に向けて闘った選手会長の礒部公一と、ストッパーの福盛和男がプロテクトの対象になることを拒否して新規参入球団入りを強く希望したことと、エースの岩隈久志が(手続きをしなかったために)一度は合併球団にプロテクトされたもののトレードでゴールデンイーグルスに入団できたことくらいか。

圧倒的な戦力不足でスタートしたゴールデンイーグルスは二年連続で最下位に沈み、三年目の今年、上昇の兆しを見せているもののまだまだ上位を狙えるレベルとは言い難い。一方の合併球団バファローズは、合併一年目こそシーズン終盤までライオンズとプレーオフ進出をかけて争ったが、それとて勝率五割に満たない低いレベルでの争いだった。二年目は5位。それも一時はゴールデンイーグルスに抜かれるのではないかという危機にもなったほどだった。三年目の今シーズン、10連敗などもあって最下位に低迷中だ。新規参入のゴールデンイーグルスが苦しむのはまだしも、合併で戦力が増強されたはずの球団も低迷しているのは一体どういう事だったのだろう。

合併に踏み切ったときの旧バファローズとブルーウェーブはその年の5位と6位だった。その年の5位と6位を合併して「いいとこ取り」のチームを作っても強くならないということは、今後再び経営的に持ちこたえられない球団が出てきたときや、今以上にセ・リーグとパ・リーグに人気格差が出て1リーグ化、球団数削減に踏み切っても魅力あるチーム(編成)が出来る保証はどこにもないと言うことを意味する。また新規参入球団が今なお戦力不足に苦しんでいる現状は、ファンの一部が望んでいるエクスパンション-球団数増加も、戦力不足の球団が増えて全体のレベルが下がるだけに過ぎないという懸念を示している。

ゴールデンイーグルスは、本拠地球場で、いわゆるボールパークとしての演出で独自のサービスを展開して地元ファンを取り込むなど、(圧倒的に不足している戦力というカテゴリー以外の分野では)精力的な企業努力を続けており、結実しているとも言われている。敗戦処理。が「判官贔屓」と断りながらも、合併球団よりは新規参入球団に多少の肩入れをしていると書いたのはこんな理由と背景からだ。

球界再編の波は近い将来、必ず形を変えて再び球界を覆ってくるだろう。2004年の球界再編騒動で、球界の何が変わったのか、何が良くなって、何が悪くなったのか?再編の結果生まれた新規参入球団ゴールデンイーグルスが遅すぎる100勝到達を節目として、あらためて三年前の球界再編騒動を検証するのも、次に備えて必要かもしれない。

ファンは一度は着いてきてくれても、二度目は許さないかもしれないから。

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2006年10月15日 (日)

大道典嘉に戦力外通告!-南海ホークスが消えていく!

既に芝草宇宙ら三選手に戦力外通告をしていたホークスが、プレーオフ第二ステージ敗退で今シーズンが終了したことでさらなる戦力外通告を断行。昨年のパ・リーグベストナインに選ばれた宮地克彦外野手、過去の優勝に大きく貢献した吉田修司、岡本劼能の両投手、入団してわずか二年の定岡卓摩内野手、そして南海ホークス最後の年1988年に入団した現役では唯一の南海ホークス時代からの生え抜きの生き残りである大道典嘉外野手に戦力外通告をした。

パ・リーグベストナインから一年の宮地と、プレーオフ第一ステージ第二戦では「三番・DH」で出場して勝利に貢献した大道は現役続行に意欲満々。しかし宮地35歳、大道36(今月28日で37)という高齢を考えると、選手生命の大ピンチといえよう。

大道は南海ホークスでプレーした生え抜きとしては最後の選手。大道が現役を引退したら、南海ホークスでプレーした経験を持つ現役選手は他に現ゴールデンイーグルスの吉田豊彦だけになる。身売りや本拠地移転が目立つパ・リーグの球団では、このような「最後の生き残り」プレーヤーはファンから絶大な人気を誇る。しかもその選手達は、ただ長くいるというだけではなく、無くてはならない存在感を持ち続けるものだ。

大道で言えば、第一戦を落として後のないプレーオフ第一ステージ第二戦で左投手であるライオンズ先発、松永浩典対策で「三番・DH」でスタメン起用された。四打席で二打数無安打だったが、六回表の第三打席での無死一塁からの送りバントと、八回表一死無走者からサウスポーの三井浩二から選んだ四球はともに得点に結びついた。このように使えば使ったなりの仕事をするのがベテランの味なのである。しかしシーズン中の44試合出場、打率.217、本塁打0、打点8という成績では致し方ないのか。チームメートだけでなくファンにも求心力の高い小久保裕紀の復帰が噂される一方で、小久保より古く、長く愛された大道は去っていく。これも実力社会の結果なのか。

大道が南海ホークスの「最後の生き残り」と書いたが、他の「最後の生き残り」をまとめてみた。

南海ホークス

大道典嘉(ホークス)

吉田豊彦(現ゴールデンイーグルス)

阪急ブレーブス 

高木晃次(現マリーンズ)

中嶋聡(現ファイターズ)

ロッテオリオンズ 

前田幸永(現ジャイアンツ)

小宮山悟(現マリーンズ)

堀幸一(現マリーンズ)

後楽園球場を本拠地とした選手 

川相昌弘(現ドラゴンズ)

桑田真澄(ジャイアンツ)

田中幸雄(ファイターズ)

ナゴヤ球場を本拠地とした選手 

山本昌(ドラゴンズ)

立浪和義(ドラゴンズ)

山崎武司(現ゴールデンイーグルス)

酒井忠晴(現ゴールデンイーグルス)

藤井寺球場を本拠地とした選手

吉井理人(現バファローズ)

的山哲也(現バファローズ)

水口英二(現バファローズ)

平下晃司(現マリーンズ)

※ 今シーズン限りで戦力外通告を受けた選手、現役引退する選手も含んでいます。

ざっとこんな感じでしょうか。抜けていたらごめんなさい。

個人的には「後楽園球場を本拠地とした選手」の田中幸雄に、同一球団でプレーしながら三つの本拠地で本塁打を放つという快挙?を実現して欲しいと願っているのだが、札幌ドームを本拠地として三年間。札幌ドームでの本塁打はいまだにゼロ。

来季、2000本安打を札幌ドームでの本塁打で決めてくれれば最高なのだが。

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2006年9月11日 (月)

球団の歴史やOBを大切にするということ

01_58 9日のバファローズ対ファイターズ戦観戦記の際にもふれたが、このカード9日と10日開催分は「オールドボールゲーム」と称してバファローズ球団のOBによる試合前セレモニーが行われた。また9日のデーゲームの後には、事前に募った野球腕自慢の精鋭達がバファローズOB投手との一打席ガチンコ対決と、この日のデーゲームのスポンサーだったケーブルテレビ会社の視聴地域内の闘いに勝ち抜いた草野球チームとバファローズOB選手によるチームの試合が行われるなど、OBを前面に出したイベントを続出させた。

一打席ガチンコ対決ではかつての旧バファローズドラフト1位、寺前正雄元投手らがマウンドに上がった。最初の打者が打席に入る時にはBGMとして長渕剛の「とんぼ」の前奏が流れるという懲った演出もなされた。バファローズOBチームの監督はロベルト・バルボンで、監督挨拶では懐かしい関西弁が聞かれた。主将が羽田耕一で、クリーンアップは真弓明信、小川博文、梨田昌孝というラインアップでなかなかのものだったが、現在評論家などをしているOBでなく、球団職員を中心に人選したのがミエミエだったためいささか線が細かったのが残念だった。

Photo_11 バファローズOBチームのスタメン。たしかに「バファローズ」のOBが多いようだが。

とはいえ、梨田や真弓は別格としても、元プロ選手の球を打ったり、対戦するというのは一般野球ファンには夢のような出来事。特にガチンコ一打席対決などは敗戦処理。も打席に立ちたかった…。

ところで球団の歴史やOBを大切にするということは、こうした一時的なイベントを時々行うのみでなく、日常的にファンが球団の歴史、歩みに触れられるようにしておかなければならないものと敗戦処理。は考えている。たしかにバファローズ球団の場合、合併球団という特殊な事情から難しい点もあろう。そもそもこの球団の場合、本当に二つの球団の歴史を受け継いでいく覚悟であるならば、これは既に語り尽くされたことではあるが少なくとも背番号1番は永久欠番にすべきであると思うし、7番と17番もあわせて永久欠番として讃えるべきであろう。

そういうことをせずに「バファローズ」という名称を残せば吸収する側のファンの気持ちを汲んでいるとか、野茂英雄の日本プロ野球における保有権を持ち続けるということは甚だしい矛盾であるといわざるを得ない。

この日のOB野球にしても、梨田氏が「背番号8」の合併球団のユニフォームを着てプレーしたことに落胆したファンも少なくないのではないか。

それでもチームの歴史、伝統をファンにも伝えていこうという動きは球団ごとに温度差はあるものの、形のあるものとして行われている。敗戦処理。は今年になってからマリーンズミュージアム、西武ライオンズのあゆみコーナー、南海ホークスメモリアルギャラリーを見物した。

01_54 9日の観戦後、大阪ドーム前千代崎駅から市営地下鉄長堀鶴見緑地線と千日前線を乗り継いでなんば駅に出て、なんばパークスの7階にある南海ホークスメモリアルギャラリーを訪ねた。残念ながら移転準備中で展示スペースが縮小されていて、来月上旬には展示そのものも休止してしまうとのことだが、かつて大阪球場があった場所に南海ホークスをしのぶギャラリーが存在することに意義があるのだから、マイナーチェンジといえども大阪時代のホークスファンの拠り所として存在し続けて欲しいものだ。

ところでこの南海ホークスメモリアルギャラリーに野村克也氏に関する展示、表記が一切無いことはファンの間で既に有名になっている。
さすが、鶴岡御大に反旗を翻すとこの球団では…というのは大いなる誤解で、真相は野村氏サイドが難色を示したとのこと。難しいお人ですなぁ。

01_55 南海ホークスのギャラリーに野村克也に関する展示がないこととは別の意味で違和感が大きいのが、本拠地であるドーム球場の裏にある西武ライオンズのあゆみコーナーに江夏豊の写真が飾られていること<苦笑>。

そもそもこのコーナー自体、ドーム球場を訪れるファンに十分に浸透しているとは言い難い感じなのが残念である。敗戦処理。が観戦で訪れた際に入場前に立ち寄っても盛況だった試しがない。PRが不足しているのではないか。

たしかに江夏は現役生活最後の一年、ライオンズに在籍していたがとてもチームに貢献したとは言い難く、移籍当初から水と油だとは思っていたが広岡達朗監督らと対立。江夏自身にとっても晩節を汚す形になっていたからだ。

ちなみに西武ライオンズのあゆみコーナーには、野村克也のプレーしている写真が飾られている。

0301_56 

ただ、これまた既に語り尽くされていることだが、このコーナーのタイトルが「西武ライオンズの…」とうたわれているように、あくまで「西武」になってからの歴史のみを振り返っている。西鉄ライオンズ、太平洋クラブ、クラウンライターといった時代のことには当然ながら触れられていない。かつての西鉄ライオンズの衰退が、単なる成績不振による低迷ではなく、黒い霧事件というあってはならない不祥事に絡んで多数の有力選手が抜けるという事態に由来していることを知った堤義明オーナー(当時)が新球団から旧西鉄色を一掃させようとしたのがその発端だと言われている。

しかし、たとえ経営母体が代わろうとも、歴史を大切にするということは、輝かしい栄光の時だけでなく、そのような暗い、再び繰り返してはならないような出来事とも向き合うことだという視点が欠けていたのは残念でならない。

ところでその黒い霧事件で永久失格処分を受けていた池永正明さんが昨年復権してホークス球団の主催試合で始球式を行ったが、マウンドに登った池永さんは帽子こそ「福岡ソフトバンクホークス」のものをかぶっていたが、ユニフォーム姿ではなく、スーツの上着を脱いだ姿だった。「西鉄ライオンズ」のユニフォーム姿で登場すればオールドファンは涙を流して喜んだだろうが、そのチームは今や存在せず、系譜として残っているチームは始球式に声をかけてくれたチームのライバルである訳だから池永さんも気が引けたのではないか。

池永さんがプロ野球の行われている試合のマウンドに再び姿を現したことに感慨深かったオールドファンの中には池永さんの姿を見て複雑な心境になった人も少なくなかったのではないか?

Dscf0011 その意味では、球団史を「毎日新聞社が『日本野球連盟』に加入を申し込む」というところからスタートさせている、マリーンズミュージアムは実に素晴らしい。「近鉄」の消滅でパ・リーグでは「ロッテ」が最も古い親会社になったのだが、ロッテオリオンズ以降に限定してもそれなりの史料館が出来るだろうにもかかわらず、毎日オリオンズの時代からきちんと踏まえ、多数の資料を展示している。

今年オープンしたばかりのこのミュージアムは、本拠地マリンスタジアムの脇にあり、こちらは西武ライオンズのあゆみコーナーと違ってわかりやすい。去年強かったからファンになった人達や、応援が楽しいから何となくファンになってしまった人達も気軽に足を踏み入れ、この球団の波乱に富んだ歴史を是非学んで欲しいものだ。

01_57 敗戦処理。が一番インパクトを受けたのは、1980年と1981年の日本シリーズの幻のチケット。この両年、当時のパ・リーグは二シーズン制を採用しており、いずれも当時のオリオンズは前期優勝を果たしたがプレーオフで敗退して日本シリーズ出場を逃しているのだが、プレーオフを制して日本シリーズ出場を果たした場合に備えて準備しておいた幻の日本シリーズチケット-しかも座席番号まで刷られている。

これを観て「落合博満が高橋一三から放った大飛球が川崎球場特有の高い網の最上部に当たらずにスタンドに届いていたら…」とか、「水谷則博がバント処理で転ばなければ…」とあらためて25年前の決戦を想い出すファンも少なくないことだろう。

例によってとりとめもなく話が拡がってしまったが、球団が球団の歴史やOBを大切にするということは、日本のプロ野球が単に流行り廃りに左右される類のものではなく、公共の文化であるということを内外にアピールするとともに、偉大な先人達に報いるという点で大切なことである。その意味では自称「球界の盟主」にこれらに相当する施設が無いのが残念でならない。東京ドームの外野の柱に永久欠番のユニフォームを模したものを掲げているだけで事足れりと思っているとは思えないが。

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2006年8月 5日 (土)

マンガ版「江夏の21球」を読んだ方へ

3日に発売された「週刊ヤングサンデー36・37合併号」(小学館刊)で、かわぐちかいじ氏による、山際淳司さんの「江夏の21球」の漫画版を読みました。

敗戦処理。はこのシーンを当時リアルタイムでテレビで観ていました。山際淳司さんの文章も読みました。本作品はあくまで山際さんの原案を漫画という別媒体で再現する趣旨のようで、かわぐち氏の独自の視点などは入っていないようです。

昭和54年(1979年)、カープと旧バファローズの日本シリーズは3勝3敗ともつれて第7戦へ。勝った方が球団創立史上初の日本一になるという天下分け目の一戦。カープが4対3と1点リードで迎えた九回裏。カープのリリーフエース江夏豊は無死満塁の絶体絶命のピンチを招くが、石渡茂のスクイズ失敗などで辛うじて無失点で切り抜け、カープを日本一に導く。途中延長戦に備えてリリーフ要員を準備させた古葉竹識監督との軋轢、相手の西本幸雄監督が過去にも日本シリーズの大舞台でスクイズ失敗で明暗を分けたことがある、等の要素も絡まって様々な側面から語られてストーリーになっていく名シーンである。江夏がこのイニングで投じた投球数が21球だったことから「江夏の21球」と呼ばれる。

当時を知るものとしては、特に漫画で読んだからといって新たな感慨はないが、この漫画で初めて、この伝説のシーンの具体的な流れを知った野球ファンの方に一つ頭に入れておいていただきたいことがある。

それは江夏が、この九回裏から抑えとしてマウンドに上がったのではないと言うことだ。

実はこの試合、江夏はカープの三番手として七回裏二死一塁の場面でマウンドに上がっているのである。得点はこの時点で4対3とカープが1点リード。日本シリーズの最終戦。勝った方が日本一で、どっちにせよ最後の試合だから「最後の切り札」の出番が繰り上がったといってしまえばそれまでだが、抑えの切り札を七回途中から古葉監督は投入。今の野球とは考え方が違う点があると言うことを、初めて読んだ方には認識しておいて欲しいということです。

実際江夏がこの試合で投げたのは「21球」ではなく、2回1/3で41球なのだ。問題の場面が江夏投入から3イニング目ということを踏まえているか否かで、あの場面で古葉監督がブルペンに投手を用意させたことの是非その他への感じ方が変わるであろうからだ。

* さらに言えば、同点の場合の延長戦の規定がわかれば望ましいが、残念ながら敗戦処理。も当時の規定を把握していない。たしか17時30分を越えて新しいイニングに入らない、だったような。ちなみに現在は延長15回までだが、第7戦以降は無制限。ちなみに日本シリーズがナイトゲームになってから引き分けは一度もない。

最近はグラウンドからブルペンが見える球場の方が少なく、この時のような心境に投手がなるのも少ないだろう。スタジアムで観戦する身としては、今ブルペンで誰が準備しているかわかるスタジアムの方がありがたいが。

話が横道にそれてしまった。

江夏が抑えの切り札として活躍していた頃は、リリーフエースと呼ばれる投手達は試合終盤にチームがピンチになった場合にマウンドに向かう。この試合の江夏のように七回の途中からリリーフエースが登板するというのは極めてレアなケースだが、八回の途中とか、八回の頭から出てくることもあった。逆に九回の頭からの登板でなく、九回に同点の走者が出てからの登板も珍しいことではなかった。

つまり、チームの一大事に出ていくのがリリーフエースで、リリーフエースを抱える監督の仕事は、いつ、どの場面でリリーフエースを投入するかがポイントであった。最近は逆で、リリーフエース(という呼び方自体が死語になってしまったが)は最終回1イニングをきちんと抑えるのが仕事であり、監督の仕事はその最終回まで、どうやってリードを保って迎えるか、そのための継投をすることに変わっている。

以前は「チームの一大事」があってそこに出ていくのがリリーフエースであったが、最近ではストッパーがいて、いかにしてその登板までたどりつくかが試合のポイントになっている。主役が代わったのである。

もちろんこれは、どちらが良いとか悪いとかいう問題ではなく、時代背景の違いなのだ。ではその分岐点はと考えると、敗戦処理。流の分析ではベイスターズで権藤博監督が大魔神こと佐々木主浩を1イニング限定ストッパーとして固定し、そこから逆算してその前の数イニングをどのように継投するか中継ぎ投手のローテーション化を確立した当たりからだろう。

この作品を読んで「江夏って、凄いピッチャーだったんだな」と漠然と感想を持たれるだけではなく、最近と当時の違いなども踏まえていただいた方が、より野球のドラマを堪能出来るのではないかと思い、余計なことを書かせていただいた。この試合は当時、TBS系列の毎日放送が生中継したが、後年、TBSの「ギミアぶれいく」で九回裏1イニングの中継ビデオをノーカットで流したのが印象に残っている。こういうの、他のシーンでもどんどんやって欲しいですね。

ところで江夏がこの試合で投げたのは「21球」ではなく、2回1/3で41球なのだと書いたように、「江夏の21球」として語り継がれながらこの試合の江夏の投球数が21球ではないのと同様に、江夏のもう一つの伝説である「オールスターでの9人連続奪三振」も、実はその前後の試合を含めると15人連続奪三振なのである。9人連続奪三振の前の登板(前年)は5人連続奪三振継続でマウンドを降りており、9人連続奪三振の次の登板でも最初の打者から三振を奪っているからだ。

やっぱり「江夏って、凄いピッチャーだったんだな」

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